平成14年度法話
  ここでは当道場で観音様より賜りました
  お言葉を掲載致します。

  (H14.5/1掲載)
日々の言動

悪しきを罰し、正しきをほめ給うは、厳然たる神仏の在わします証拠であります。
何故なれば、因縁因果の絶対なる法則とは、
正邪善悪、厳然と判断なして、悪しきには地獄の相、
正しきには極楽の相顕現なし給うが故に神仏の御心は例え我子なりとも、
絶対にえこひいきなし給うこと無く、正しき賞罰下され
給うものであります。

判然と宇宙を見わたし給う神仏は、一人一人の心のすみずみにまで、
微々たる見落としも無くその正邪善悪の在り方を見通し給いて、
それぞれの心々の在り方、為す処の言動を適格に判断なし給いて、
現実にその結果をば現わされ給うものであります。

故に私共の身に悲喜こもごも起ると云う事は、
私共の心々にその原因を作り、言動にその結果を呼ぶ行いを
為したと云う事であります。

されば、知らず知らずに吐く言葉、知らず知らずに為してゆく行動に、
どれ丈の結果が現わされるものであるかを悟り得る時、
私共は只今の言動にどの様な大きな結果の現わされゆくかを、じっと考え考え乍らに、
一つ一つの言葉、所作に謹しみ深くあらねばならないと、
よくよく己を戒しめて、

決して人に悪感情を持たさぬ事を第一の戒しめとなし、
進んでは人をして喜ばしめんと努力なす自分と成るべく、
人の喜びを自分の喜びと感ずる様、己れを磨く事を日々に努力なす事こそ
自分を幸に導く事となるのですから、信仰は此処に結びつくのであります。



他人の歓こびは自分の歓こびであり、他人の悲しみは自分の悲しみであり、
他人の苦しみは自分の苦しみであると感ずる様になりました時、
自他一体なる真理を体得なし得て、即ち、
我は神なる真理に目覚め得るものであります。

神仏の絶対なる法則として「因縁、因果」を定め給うは、つまり、
我子である人類の真にいとしきが故でありまして、
神の子たるべくあらしめんとして、正邪善悪の必然たるを悟し給わる処のものとして、
正には善、悪には悪の現実を現わさしめらるるものであります。

さればこそ、幸を願わぬ者はない筈ですのに、
不幸になる原因は皆自分が作ったものだと悟ってみれば、
この原因は深く懺悔し、改悔して、再びくりかえさぬ様努力精進し、
進んでは幸となる原因を作るべく、人の為に尽し、人を喜ばす様に努めてゆく事こそ、
将来の幸の種を蒔く事であると悟るべきです。

信仰とは仏前にのみ合掌し、自分の我欲を祈願する事では無いと申す訳が
よくよくお分かり下さいましたら、さあ!只今から人の喜びを
自分の喜びとする言動に努めましょう。

 合掌

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