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此の世は全て、因縁因果の法則によりて輪廻転生なすものにありと悟りて始めて、
生れし甲斐ありと申すものなり。
孝も不幸も全て、己れの作りゆくものにありと悟りて見れば、
大慧平等なるそれぞれの現実をよくよく見極めて、
如何にせば幸と成り得るかを悟りて、
その努力によりて、自らの人生を向上なすべく精進いたしゆく事こそ、
人生至上の生き方なりとしかと悟らば、
日々は只々己が幸への一歩一歩なりと覚悟定めて、
その生き方にこそ幸の因を作りゆく事のみなりと悟り得れば、
何事にも己が幸の因を作るべき御手配なりと、
一々に先ず己れを無なしくいたして、
人の為に捧げゆく心構えの出来得たる時、
成仏の道はその終極なりと、目覚め得る処なり。
人は仏と成らんが為に、
輪廻転生を繰返してようようにこの理を悟り得たる時、
始めて菩薩道は開けゆくものにあり。
菩薩と成らずして絶対に仏にはなり得ざるなり。
故に如何にお人好しなりとも、菩薩の道を行ぜずして仏とは、成り得ざるなり。
菩薩の道とは、只人情にて人に接するのみには非ず。
相手をして仏たらしむるべき道、理にかないたる慈悲心にこそ、
人情は菩薩道とかわるものなり。
或る時はうちのめいたしても、相手を目覚めしむる事こそ慈悲なりと悟りて、
涙をのみてつき離す心もなくては、眞の情とは申されぬものなり。
未来の幸を祈りて、慈悲の鞭を振う心にこそ、菩薩の慈悲はこもれるものなり。
されば、己れ自身にしかと、眞に相手を救うべき理を悟り得ざれば、
菩薩の慈悲は現わされぬものなり。
この世は全て、菩薩となるべき修行道場なりと覚悟致して、
この因にこそ成仏の果を得らるるものなりと、不言実行の修行こそ、
やがてどうどうと仏界に迎え入らるる至幸の道なりと悟るべし。
合掌 |
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