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書物と云うものは、作者の思想が書かれてあるものであって、
それをそのまま、うのみにする事は作者の思想を
そのまま自分のものにする事であって、それが正しく自分の進歩向上と
なるものなれば、大いに歓迎すべきである。
が、間違った思想をそのままうのみにして自分の良心をゆがめ、
下根のものとしてゆく事は、非常に危険なのである。
故に、自分の思想を正しく仏の心に照らして
間違いなく確固たるものにしておけばどの様な本を読み、
又どの様な話を聞いた処で理非善悪の判断がはっきりと自分自身で
分別の出来得て、間違った思想に惑わされる事はないのである。
例えば、遍路は喰うに困った者が、四国巡拝と申して人の情けにすがり
乞食してゆくのが始まりだなどと、書物に書いてある事を
本気に受け取りて、乞食に等しいなどとの考えは大きな間違いで、
弘法大師の御修行の後をたどって、いささかなりとも自分の心の垢を
落とすべく虚栄を捨てる為、
一切の虚飾を身につけず、貪欲を捨てる為、食も住もあえて求めず
一飯の布施を求むるは、人に菩提の心を起こさしめやらんとなす慈悲の心からにして、
食を求むる乞食の心とは雲泥の差なり。
外見から物事を判断なす浅き心は、乞食の心も布施の心も
おしはかる事の出来得ざるものなり。
その心をうのみにして、修行者と乞食との分別つかざるが故に、
仏とも凡人とも見分けのつかざる下賎の己となりさがるなり。
例え、凡人に交わるとも覚者は、厳然たる光放つものなり。
自分の修行が進む程に相手の真の値打ちは見えてくるものなり。
合掌 |

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