平成14年度法話
  ここでは当道場で観音様より賜りました
  お言葉を掲載致します。

  (H14.1/1掲載)
奉仕の精神

実際に自分が生活していく日々の瞬間々々に、
常に見られているという心を放さない修行、それが出来ていますか?

貴方がたは、漠然と頭で感じているのですが、
実際に自分の身で行なわなければならないという現実が、
まだまだ足りないと反省しなければなりません。

常に率先して、自分の身を厭わず、
何事でも奉仕の精神を忘れないところに、心が段々固まっていくのです。

その奉仕の精神が、つまり愛となって現れ、
そして自分の心に、段々慈悲心が出来るに従って、
全てのことが他人事と思えない自分が出来上がって行くのです。

今の貴方がた、自分の心を深く省みて、
常に人のことは、我関せず、なるべく楽をして、なるべく見ない振りをして、
黙って通り抜けよう、そういう心が、常に働いている自分を見出したときに、
まだまだいつも観音が側にいるということを離していたのだなと反省すべきです。

何時でも目に見える誰かに監視されなければ、
しなければならないという奉仕の心が、
怠惰に流れる自分を反省してみて下さい。

肉眼に見える監視者より、肉眼に見えない監視の方が、
どれだけ厳しく、どれだけ厳選なものかを悟らなければ、
信仰する甲斐はない、常に離さないということは、そういうことなんです。



人の苦を敢えて自分が担う心、これが奉仕なんです。
奉仕の精神とは、人の苦を敢えて自分が担って、人に楽をしてもらおうとする心、
これが奉仕なんです。

常に、苦しみを自分が進んで受けていくこと、これが懺悔です。
これが自分を清浄にする修業なんです。

なるべく煩わしさは見ないで通ろう、苦しいことは知らん顔して通そう、
この心が何時でも自分にある限り、そこには何の思いやりも、
従って愛も芽生えてこないのです。

人の苦を進んで引き受けようとする精神、何時でも隠れた奉仕を実行していく修行、
これが自分の魂を清めていく現実の身得なんです。

各々が心々に、自分を反省して、
見えないところでは知らん顔して素通りする心、
この卑しい、次元の低い卑しい心が、常に自分に働かないかどうか反省して下さい。
それは何時でも、悪魔の囁きに負けている自分なんです。

一切の怠惰から、敢然と立ち上がる勇気を養ってこそ、
険しい、厳しい修行道を達成して、成道に邁進することが、出来るのです。

愛の心は、ここから生れるのです。
少しでも、自分は楽をしようという心には、愛は全然芽生えないのです。
愛とは奉仕そのものなんです。

人の苦しみを自分が担うことこそ愛なのです。
この愛が仏に通ずる一筋の道なんです。
守られる心とは、この愛そのものなんです。



頭でいくら解っていても、自分の身体を使わない限り、
この愛の心は、芽生えて来ないのです。
それ故にこそ、肉体は健全でなければならないのです。

健康こそ、唯一の修行道具であるということをしっかり悟って、
自分が大愛の人に成る事こそ、この健康が与えられ、
あらゆる苦しい修行に耐えうる、強力な力を頂いて、始めて自分が、
全てのものに愛を施すことの出来る、豊かな心を養うことが出来ると、
悟らねばならないのです。

そのためにこそ、肉体はいとも大切であり、貴重であり、
この人生は、この肉体を使って、自分が大愛の仏に成る事こそあるものであると、
しっかり悟らなければ、愛無きところには、絶対に救いはないのです。

一切の苦しみは、愛のない自分の心に、その現実が現れた、
この実世界なのです。

どうぞ今年は、どんなことがあっても、大愛の神に守って頂ける
愛の心を養って、全てのものに奉仕する、
全ての苦しみは自分が担って肩代わりしてあげようという、豊かな愛を養って、
どんな天変地変にも、どんな災難にも、必ず守って頂ける、
自分自身を作り上げて行って下さい。

因縁はいよいよ熾烈で、いつ何時どんな形で襲って来るか判らないのです。
守られる精神とは、全ての人の苦しみを、自分が肩代わりしようとする
大愛の心、その心にこそ、どんなところに居ても、
絶対に守られる安全地帯なんです。

年の始めにあたって、しっかりそれを魂に刻みつけて、どんなことでも、
人の苦しみは自分が担う気持ちで、隠れた奉仕こそ、もっとも神仏が喜ばれる、
自分の愛を養う修行であるということを忘れないで下さい。

 合掌

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