平成14年度法話
  ここでは当道場で観音様より賜りました
  お言葉を掲載致します。

  (H14.12/1掲載)
幸、不幸の分れ道

不幸の素は全て人間の愚かさ故なり。

幸、不幸の分れ道は、物事を判断なすに明らかなる
分別のありやなしやによる処なり。
明らかなる分別とは、つまり仏の智慧なり。

幸は仏の智慧によって開かるるなり。
不幸は悪魔の支配によりて落とさるるなり。
全てこれ、幸、不幸とは神仏か悪魔かに支配いたさる
己れによる処なり。

信仰とは、仏の智慧を頂きて、
仏によって支配いたさるる己れとなる事なり。

されば、せっかく一心に拝む相手が畜生や悪魔にあれば、
己れから幸は遠ざかり悪魔の餌食となりて、
遂に地獄に引きずり込まるるものなり。

何事を成さんにも先ず己が幸を願うなれば、
我欲を捨てて明らかなる物事の分別をなす、智慧を授かる事なり。

学問は、人間的なる頭脳を作る道なり。
されば、この学問を善に使うか、悪に使うかによりて
人間は上昇するか、下向するかに分るるものなり。

上昇とは、学問的なる基礎の上に、仏の智慧を頂く事なり。
下向とは、学問的なる基礎の上に、悪魔の知恵を受くる事なり。
上昇も下向もこれ皆、その者の魂の問題なればなり。



人と生れし真価とは、その魂に在る処にして、
現世物質界の物欲的なる現象に囚わるるは、
下根のわざと悟らざれば、真の仏智見は開かれざるなり。

人といたして一番難しきは、肉眼に映ずるものを真実となさざる修行なり。
物質的人間的我欲より、とき放たれし時、
人は初めて仏を観る事が出来得るなり。

己が心眼に映し出さるる仏のみ姿、如何に尊く、
まばゆきばかりなるかを知り得たる時、
人は初めて人間界の苦悩とは、己れ愚かなる故に作り出すものなるを
悟り得るなり。

この苦悩より解放さるる道こそ、真の信仰なるを悟り得たる時、
人は初めてこの苦悩に満ちたる娑婆界より、
解脱なさねばと願うなり。

これぞ、仏に憧れ、仏を渇仰なす一心を以て上昇を願う心なり。
これ信仰なり。

人は己れの知恵に自惚れ、己れの財におごり、
己れの権力を欲しいままに成さんとし、
人を見下げんと名誉を欲するが故に、悪魔のほくそ笑む処となるなり。

その欲望すべて与えんと甘言を以て人をいざない、
その心をまでももて遊びて、悪魔の手先と使いて、悪を益々広げゆくなり。
魔界とはさながら現世娑婆界の如きを申すなり。



汝らよ、当に同志一丸となりて、この魔界より逃れ出でんとして、
只今護摩の大火に一切の悪を消滅なさんと、祈願いたす事、
善への導きなるぞや。

善智全能なる仏智見を以て、一切の物事に明らかなる分別の道
開かるる時、初めて悪は消え去るものなり。

善とも悪とも分別つかざる、愚かなる己れより上昇なさん唯一の道とは、
当に現世娑婆界を善と化さんの一念のみなり。

祈れよ、祈れ。
一切衆生と共に上昇なさんと祈る心こそ、己れの幸を開く道なり。
日々の祈願、必ずや明らかに顕現なさしめらるる時来たるなり。

 合掌

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