平成14年度法話
  ここでは当道場で観音様より賜りました
  お言葉を掲載致します。

  (H14.10/1掲載)
真我の目覚め

我が身が塵あくたの如く泥にまみれている内は、
きたなきとも、よごれているとも思われざるなり。

されど、除々に除々に我が身の垢を落としてゆく内に、
次第々々に己が身清浄となるにつれて、
周囲のきたなさ、みにくさ、いかにも次元の低きこと、
おぼろげ乍らに感じ取り、不快の念、おぞましき思い、嫌悪の情にかられて、
いたたまれぬ心地となりゆくものなり。

されば、到底我が身のおき処に非ずと悟りて、
一時も早く逃れ出でんと、必死の思いにすがりゆく仏の慈悲に
目覚めゆく時、始めて解脱の道の示さるるなり。

蓮華の汚泥に染まざるが如き心境とは、
如何なる悪の中に交わりても、その悪を憎まず、
悪に染みて尚悪とも知らざる愚かなる者を哀れみ、
如何にも救はばやとの心を起こし、必死で導く慈しみを起こした時、
人は始めて、身の清浄を悟らしめらるるものなり。

悪を憎まず、蔑げずまず、又見捨てんともせず、
たえず哀れみと慈しみの心起こして、真の目覚めに必死の力そそぐ時、
人は仏と成り得るものなり。

さればこそ、親子、兄弟姉妹の肉親と申す間柄に、
本能的に愛さずにはいられない情をさずけられし、み仏の御心とは
この肉親の情を通じて仏心を悟らしめんとの大慈悲心なり。

この御慈悲なくば、畜生の如き人間凡夫の
到底成仏なし得るすべなし。

されば、いかにおぞましき相手なりとも肉親の縁は断切りがたきなり。

夫婦とは他人にありて互いに肉親以上の情を交わせ、
我が身を思う以上に思い合う心を起こし、
必ず相手を真に幸にしなければと、必死につとむる処に
己が心の仏心を目覚めしむるものなり。

 合掌

法話集

TOP