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大自然とは、命の素なり。即ち、神なればなり。
温かく、柔らかく、優しく、慈しみに満ち満ちて何の不安もなく、
安んじてゆだね得る大愛の懐に、人は感謝と歓びの中に恩恵に包まるる
己が命を愛しみて、なすべきを怠らざれば、人生は平安にして、
幸に足るを知る心の満足は、人生最高の徳なるを
慣れて慣れ過ぎたる心の奢りと甘えは、傲慢なる無智と成りて、
この一番大切なる己が命の元素をば無視なして、
恐るるものなしなどと嘘ぶく無智もうまいが、遂に大愛の神の
こらしめとなり。
一滴の水の尊さを忘るるが故に、命をば奪う凶器と化し、
一粒の米の有難さを忘るるが故に、飢餓に苦しむ餓鬼と化し、
浄土は修羅となり果つるなり。

悪世末法とは、つまりこの人間の心故に、
仏国浄土たるべき現世をば悪鬼夜叉横行の地獄と化し、
相和して互いに歓び合うべき極楽浄土を戦場と化し、
神仏の恵みたる分化文明は、凶器となりて人を襲い、
人類互いに滅ぼし合う現状を熟視なすべし。
人、今にして己が愚かさを悟り得ざれば、最早救わるるべきてだてなし。
神怒り給まわば、人智人力の如何ともなし得ざる事、天変地変の教ゆるものなり。
人類互いに相和して、助け合い分かち合い、
喜びも悲しみも共に分かちて、兄弟姉妹と只大愛の大御親たる神仏への
感謝、報恩、夢寐にも忘れざる事、第一と心がけゆく日々にこそ
天の歓び、地の慈しみは恩恵あまねきて、地を潤し、
恵み豊かに生きとし生けるもの全て神仏の現れとして、
吹く風枝を鳴らさず、降る雨土をうがたざるの実状に、
生物全て安んじて生命全うせしめらるるものなり。
正法とは当にこれなり。
仏国浄土とは、当に正法生きて世に顕現なさしめらるる事なり。
行者の尊きは、これを生かして現すが故にこそあり。
正法行者たるの道厳然と自覚致して、当に悪世を救いゆくべし。
合掌 |

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