平成13年度法話
  ここでは当道場で観音様より賜りました
  お言葉を掲載致します。

  (H13.7/15掲載)
守護神の導き

人が神仏(天)に対して犯した罪は、神仏(天)は人(地)を使って
自分に報わしめ悟されるのであります。

それは一切を我が物と思う心得違いから、罪業を犯すのでありますが、
一切を我が物と思う事の間違いを悟る事の出来る智慧が、
人間には仲々に頂けませんので、一切の罪業の元は皆、
自分の無智から来るのであると云う事を悟るまでには、容易な事ではありません。

人間とはそれ程に愚かなものだと、自分自心によくよく納得させて何事にもあれ、
不幸な事の起るのは皆自分の作った自分の罪が、今現わされて報われているのだと
早く悟って、先ず御詫びする事がその不幸から逃れる道であると
悟らねばなりません。

その御詫びが懺悔の修行なのでありますから、懺悔せずして
「どうぞ助けて下さい」とのみ、いくら御願いしてみても、自分の罪は消えません。

人間がこの娑婆世界に生れて来たと云う事は、過去の罪を懺悔して来なさいと、
申し渡されて丁度監獄に入れられた様なものであります。

この娑婆世界は苦の世界とも云われる様に、苦しみの充満した世界で、
その中に入れられたと云う事は、その苦しみを受けて自分の過去の罪を懺悔し、
消滅して清い魂に返れよと申し渡された事であります故に、
この世に在る限りは一生懸命神仏に仕え、人に仕えて奉仕の心を養い育てて、
犯した罪の消滅を計らねばならないと努力する処に、
幸の道が開かれてゆくのであります。



この努力精進のない生活こそ、又してもこの世に知らず知らずの罪業を積み重ね、
未来の不幸の種を作っている事となるのであります。

それで、智慧の浅い私共が日々の日暮しに知らず知らず罪を重ねてゆく、
不幸から逃れる為に常に御神仏はいつもそばで、
教え導き間違いのない様に間違いのない様にと注意して下さっているのですが、

その守護神の御言葉に聞く耳をかさない無神経な我ままな生活をしている為に、
神も仏も知らない自分となっている事に気付かなければ
ならないのであります。

その気付かせて頂ける事が、両手を合わせて心を静め一心に
祈る事であります。

自分の我を捨てて只一心に祈る心となった時、
人は神仏の御教えを心にうなずき素直に受け取る事が出来るのであります。
これが信仰の初めであります。



一人々々にいつもつき添って、教え、導き守っていて下さる御守護神様は
何とかして、この人間を心正しい、清らかな魂を磨いて、
仏の智慧を授かり得るものとしてやり度いと念じていて下さるのでありますから、
只ひたすらにそれを信じて、御教えを守り行じてゆく、たゆまぬ努力こそ
自分を幸福へと導いてゆく道であります。

たゆまぬ精進努力なくして成功した人は一人もありません。
まして人が神に近づく信仰の道に於て、精進努力なしで
どうして成就なし得る事が出来るでしょうか。

只一心にこの身は神と成る為の修行の道具であると、
むち打ち励まし、おこたる事のない日々である事こそが、
この世に生きる日々の真の価値であります。

人としての真の生き方であり、与えられた人生への最大の
感謝報恩の道でもあります。

 合掌

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