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偉大な霊能者ありて、衆生の眼前にあらゆる物の物質化を現わし、
又忽然と現象を消滅なし、人々をして呆然自失なさしめ、
現世とは当に空にして、色なるは自己内奥の自覚現象なりと
悟らしむる事あらば、これぞ正に真実にして、
物質に依存なす人間凡夫の方便にして、
事実ならざる現世に、煩悩業苦の中に呻吟なす事の愚を悟り得る時、
一切の欲とは、己が迷いの中に夢幻の如く生くるものなりと目覚め得て、
初めて正覚を得るものにあり。
己が霊格高むるは、只無欲となる事なりと悟らるる所以は、
身に一物も無き境界を得て、そこに生きぬく自由自在を悟り得て、
初めて無一物即無尽蔵なるを身得なし、
空即色なる実態を自覚なす時、あらゆる物質は、己が意のまま空中に存在なし、
現象なさしめ得る能力そなわるものなり。
この境地をば、神とも仏とも申すなり。

解脱とは、現世的なあらゆる欲望を超越して、
一切心にかからない状態なり。
物質的な心のひっかかりの少しでもあるうちは、解脱ではないのである。
そして、万物を見る事仏の如く、一切は只、仏心の現われなりと達観なして、
大愛の心に包み込む事の出来得る事なり。
解脱の心には、あらゆる欲望、煩悩、執着はなく、
空即我なりの心境なり。
解脱こそ真の行者の最終目的であって、現世物質界に身を置きてこそ
修行成し得る境地なり。
一つ一つを解脱成しゆく為にこそ物質があり、肉親の情愛があり、
あらゆる執着の対象があるわけであり、それ等なくしては、
心の業苦は解消されない故に、全ての現象を方便として、
解脱の修行なす場所が現世なのである。
合掌 |

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