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結婚とは、いよいよこれから二人が人間として、
完成してゆく為の道程に入る事です。
今まで半分の価値しか現せなかった自分達が、お互いに相手に対する思いやり、
助け合い、戒め合いする愛情の表現を、身を以て体得する処に、
一人では知る事の出来なかった深い心のつながりを知り、
深く深く相手を愛する事は、取りもなおさず己が身を捧げつくして、
相手の心と一つとなる事であると悟り得て、長い人生に肉体を超越した処の真の愛を悟り得て、
始めて人としての真価が分るのであります。
相手との心が通い合う故に言葉に出さずとも、思いは通じ、
理解し合う事が出来るのです。
日常の生活に於いても、今何を求めているかを直感し、
喉が乾けば黙っていてもお茶を出し、食事の時も自分より先ず、相手の好みに応じて
用意する事が幸福を感じ、お互いに相手の喜びが自分の喜びとなる時、
始めて真の夫婦と成り得るものです。
この愛を広く衆生に及ぼす事の出来得る大乗心にまで高めてゆく事が正法なのです。
それ故に、夫婦の道とは、つまり仏道の序の口であって、
この完成によって仏の御心もいささか悟らるると申すわけであります。

いくら御仏が全ての人を愛し、全ての人の幸を願って下さるお方だと聞いても、
自分に真の愛を知らなくて、この大愛をいささかなりともうかがい知る事は、
不可能なのです。
それ故に、どんなに立派な法話を耳にし様とも、自分が身を以て真の愛を知らない人には、
理解する事は不可能なのです。
分った様に思って一心に祈って見るのは、只自分の欲を満足させて頂きたい、
自分の欲望を実現させて頂きたいと、自分勝手な我欲のお願いのみである事に
気がつかない愚か者です。
信仰とは、仏のお智恵を頂く事です。
広く大きく最も高い処の仏の智恵を頂いて、自分を磨いてゆく処にこそ真の意義が
あるのであって、己を知らない無知蒙昧な心故に、様々の不幸を招いて
自ら地獄を作るのだと分った時、そこからのがれる道は只一つ、
真の正道にこそあるのだと、目覚め得て人は始めて仏道に
目覚め得るのであります。
つまり、夫婦の真の意義とは、
究極はこの仏道に目覚め得る為の修行の過程であって、
肉体の有無は問題でないと悟り得て、始めて仏道が開かるるのであります。
合掌 |

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