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本日は未だ松の内なれば、
汝等互いに新年のめでたきを寿ぎて、挨拶いたすは何故なるぞや。
いたずらに年を重ねてめでたきかや。
人間凡夫、現世に生まれ出でしは何故なるべし。
過去無量劫より重ね来たりし罪業のここに極まりて、
我が身の業となすを真に悟りて、一年、一年、年経るごとに、
新たなる罪障、懺悔し尽くし、なお尽くさんがためにこそあるべきなるを、
いたずらに齢重ねて身の懺悔も知らず、罪障も忘れ果てて、
なおその上に罪重ねゆく年々にありて、何のめでたかるべきぞや。
重ねゆく罪業の重荷についに耐えかねて、現世に地獄を見、
逝くべき未来にまた地獄の果てを知らずして、求めざれども堕とさるるをば悟り得ざれば、
何故の今世なるぞや。
正月のめでたさとは、いかにもして過去世の罪業を懺悔し尽くして、
年々に清浄となりゆくが故にこそ嬉しきものなり。
されば汝等、いかほどの懺悔なし、またいかほどの精進なさばやと決定いたし、
目覚めゆく己が魂のいかばかり進歩いたせしかを、悟らるるぞや。
この覚悟、この悟りありてこそ、年々に新たなる目覚めを祝うも良かるべし。
されど心なき、ただいたずらに齢重ねて、深き罪障になお積み重ねゆく深き懺悔あらば、
何故のめでたかるべきぞや。

人間の一生は、ただ束の間なり。
懺悔し、懺悔し、なお懺悔なし得ざる瞬間の間なり。
現世娑婆とは、さながら役者の舞台に出でたるがごとし。
人間それぞれに己々が役目、役目をこの舞台において、いかに全ういたし、
役目果たし尽くさんやを、神仏の桟敷より神々しかとみそなわすなり。
四六時中常に見つめられ、常に汝それにて良きかやと、問わるるものなるを、
しかと胸にたたみおくなれば、うかうかと日々は過ごされざるぞや。
正月のめでたさとは、去年にまさりて今年こそ、なお一層の精進に努め、
ますます浄化なしゆかねば相成らぬ我が身なりと、しかと己れ自身に申し聞かせて、
固き決定に迎えてこそのめでたさなり。
初日の出を拝みて、さて各々の胸中に何を得たるぞや。
人生は一瞬の間なり。
瞬く間もなく過ぎ行く今世に、惜しみなく、悔いなく迎うる冥土の迎え、
歓びいさみて立ち出づる己れとなり得るかや。
正法とはまさにその身を生きながら、成仏なさしめ得る道なり。
本年こそはたゆみなき精進に悔いなく一年、
しかと足踏みしめて歩みゆくべし。
合掌 |

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