平成13年度法話
  ここでは当道場で観音様より賜りました
  お言葉を掲載致します。

  今回は出版本の天啓 第一巻より
  引用しております。

  (H13.1/1掲載)
正月のめでたさとは

本日は未だ松の内なれば、
汝等互いに新年のめでたきを寿ぎて、挨拶いたすは何故なるぞや。
いたずらに年を重ねてめでたきかや。
人間凡夫、現世に生まれ出でしは何故なるべし。

過去無量劫より重ね来たりし罪業のここに極まりて、
我が身の業となすを真に悟りて、一年、一年、年経るごとに、
新たなる罪障、懺悔し尽くし、なお尽くさんがためにこそあるべきなるを、
いたずらに齢重ねて身の懺悔も知らず、罪障も忘れ果てて、
なおその上に罪重ねゆく年々にありて、何のめでたかるべきぞや。

重ねゆく罪業の重荷についに耐えかねて、現世に地獄を見、
逝くべき未来にまた地獄の果てを知らずして、求めざれども堕とさるるをば悟り得ざれば、
何故の今世なるぞや。

正月のめでたさとは、いかにもして過去世の罪業を懺悔し尽くして、
年々に清浄となりゆくが故にこそ嬉しきものなり。

されば汝等、いかほどの懺悔なし、またいかほどの精進なさばやと決定いたし、
目覚めゆく己が魂のいかばかり進歩いたせしかを、悟らるるぞや。
この覚悟、この悟りありてこそ、年々に新たなる目覚めを祝うも良かるべし。

されど心なき、ただいたずらに齢重ねて、深き罪障になお積み重ねゆく深き懺悔あらば、
何故のめでたかるべきぞや。



人間の一生は、ただ束の間なり。
懺悔し、懺悔し、なお懺悔なし得ざる瞬間の間なり。

現世娑婆とは、さながら役者の舞台に出でたるがごとし。
人間それぞれに己々が役目、役目をこの舞台において、いかに全ういたし、
役目果たし尽くさんやを、神仏の桟敷より神々しかとみそなわすなり。

四六時中常に見つめられ、常に汝それにて良きかやと、問わるるものなるを、
しかと胸にたたみおくなれば、うかうかと日々は過ごされざるぞや。

正月のめでたさとは、去年にまさりて今年こそ、なお一層の精進に努め、
ますます浄化なしゆかねば相成らぬ我が身なりと、しかと己れ自身に申し聞かせて、
固き決定に迎えてこそのめでたさなり。

初日の出を拝みて、さて各々の胸中に何を得たるぞや。
人生は一瞬の間なり。
瞬く間もなく過ぎ行く今世に、惜しみなく、悔いなく迎うる冥土の迎え、
歓びいさみて立ち出づる己れとなり得るかや。

正法とはまさにその身を生きながら、成仏なさしめ得る道なり。
本年こそはたゆみなき精進に悔いなく一年、
しかと足踏みしめて歩みゆくべし。

 合掌

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