今月の法話
   ここでは当道場で観音様より賜りました
   お言葉を掲載致します。
   毎月、1日に更新しておりましたが、
   今月をもちまして掲載終了となります。

   (H22.12/1掲載)
   これまで掲載された法話は法話集より
   ご覧いただけます。

信義一念

すべてこれ「宇宙」は念の世界なり。
されば「信」の一字を以て念ずる処、現象は実現いたすものなり。

されば例え巨万の富を得んとして、只一念信じ切る絶対の信念以て一身これに投じて、
努力なすと共に裏よりの力に頼り、すがり切る時、
その対象の畜霊なりともかなえらるるなり。

何故なれば一念凝りて只「金、金・・」と金を呼ぶが故に、
宇宙充満の金の源素、その念力に引き寄せらるるが故なり。

かくて巨万の富を得たればとて、その心情の卑しきが故に
その富は己が心の宝とはなり得ずして、心おごり貧しき者を卑しみ、
高き者には卑屈となり低き者には傲慢となり、

財を得て心貧しき己となるをも悟り得ざれば、
その貧しき心情故に、心に巣食う卑しき念は己をむさぼりて、

金銭にてはあがない得ざる無限の悟りと申す富を失いて、
未来永劫の地獄を見る事、

例えば巨万の富に埋もれて一滴の水をも得られざる病に犯され、
一人の人にも慕わるる事なき寂しき境涯に落ち、常に狙わるる身の恐怖におののき、
尚かつ「金、金・・」と一銭をも惜しむ心は人への哀れみを知らず、
知らざるが故に人からも哀れをかけてはもらえず、

病に伏しては看護も無く、訪れる人も無き孤独となりて
尚一念死しても離れざる金への執着、

形なき世界即ち幽界に移りても尚「金、金・・」と金の執着、
亡者となりてさまよう畜生にも劣りし者となり果つる事、

これ皆「念」の間違いにして我欲のままに畜霊たりとも有り難しと信じる一念は、
遂に畜生の手下となりて、金にて飼わるる浅ましき身となり果つるなり。

されば念と申すもさまざまありて、念は心なりと知り、
心こそ己を動かす原動力なりと悟りてみれば、己自心の高きを望む者、

如何に困窮いたさばとて人間界よりはるかに低き畜霊を伏して拝みて、
その手下となりてまで貧より救われたしと願う心の浅ましさを
恥ずる心とならざれば、己の真の救いとはならざる事、
よくよく悟らねば相成らぬ処なり。

さればこそ「信」の一字と申す事、
これ「信」の意義いとも大切なるゆえんなり。

信ずるれば只よしと申すものには非ず。
相手をよくよく見極めて、ひたすらにひたすらに己の心の正しきを持し、
尚省みて恥じざる信を以てこそ、その一念は己が身の真の幸に通じゆく
「信」となるものにあり。

さればこそ此処に懺悔の絶対なる原理生じる処なり。

只今我が身の不幸、例え貧にもあれ病にもあれ、不和にもあれ、
これ皆何故なるかをよくよく悟る処に救いありと悟らねば相成らぬ処なり。

人と生まれて人並ならざる己を恥ずかしと思う心にこそ、
正しさの芽生えあり。

正しき心を渇望いたさば己が心の正しき方向を示し下さるる御方にこそ
「信」の一字を捧ぐべきなり。

それ即ち「神仏なり」

恥知らざれば神仏絶対に正しき道は示されざるなり。

先ず己を恥じ入りて、この身の清浄をこそ願うべし。
これ人といたして第一の勤めなり。

しかして正邪、善悪の分別つかざりし己を恥じ入りて、
その分別をわきまえ得る己を磨かん事を契うべし。

これ仏弟子といたしての第一の入門の義なり。

此処より始まる成仏道たどりゆく途上の精進にこそ、その真価現われなば
正しき念の思うままなる身となり得る事、これ宇宙の真理なり。

精進と申す事の真意よくよく悟りて真価現わしゆくべし。


 合掌


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