|
現世に在りては物質は至上なり。
霊界に在りては物質は無価値なり。
其処に現世と霊界との大相違ある処なり。
されど霊界に在りては、自ら物質界を離れ得ずして、
己自身すでに肉体と申す物体は、なき処なるを今だ在りと観念なし、
従って他の物質も皆存在なすと観念なすが故に、
この現世物質界を離れ得ざる執着心が妄執となりて、
地上にさまよい行くべき処も分からず、
さりとて存在なすべき己にあらざるをも知らずして、
いわゆる幽気の状態にて計知られざる、不安と寂ばくと執着と恐怖の
入り交わりたる地獄を作りて、抜け出だされざるはこれ又自ら作りし観念なり。
人の本質はこの観念なり。
我が物と思う念、固まりて離し得ざる愛着となり、
妄念となりて遂に霊障と申すさわりとなりて悪業を残す浅ましさなり。
されば成仏とは一切を神仏にゆだね奉る無けいげの心、
そのものにありて念ずる処、只仏命のまま使者たるべき役目果し奉らん一念のみが、
成仏への昇華なり。
修業とは其処にある処なり。
即ち日々の行、仏前にてのみを申すには非ず、瞑想又しかり。
常住座加一切これ修業なり。
一粒の米にも、一滴の水にも皆神宿り給うが故に我が養いとなり、
成長となりて生命の存在許さるるものなり。
しかるを皆我が物と思うが故に、神を観ぜず天地の恵みを悟り得ざるなり。
かくて何条己が尊き命の糧とやなるべき。
故にこそ不貞腐れたる心には、肉体をも又腐敗いたさしめ、
病み、痛みて生くる甲斐なき姿となすものにありて、
これ皆己が考え違いより生じたる自然の現象にして、
いわゆる自業自得とも申すべきなり。
心の糧とは天地一切に謝し奉る心なり。
しかしてこの感謝如何にして返さばやと、必死に尽し切る真心にこそ
食物は身の養いとなり肉体健全に保たしめらるる処なり。
我今日生きてある事、己の力に非ざるをよくよく悟りて、
生かせ給わる大慈大悲を魂の奥底深くより謝し奉りて、
生くる価値あらしめてこその生命なり。
これ長寿の秘訣にして、生命を全ういたせし後は、
いとも安楽に霊界に移らせ給わるものにあり。
安楽往生とはこれなり。
人、人として生くる価値ここにこそあり。
合掌 |


|
|