平成21年度法話
   ここでは当道場で観音様より賜りました
   お言葉を掲載致します。

   (H21.8/1掲載)
般若心経の真髄

そもそも般若心経と申すは、広大無辺の無尽蔵なる、
大宇宙の真理そのものにして、人の心にて計り得べからざる、
一切無尽蔵なる算数比喩を以て計る事与わざる真理なり。

観自在菩薩の大宇宙無尽蔵なる真理の中におわしまして、
衆生に悟らしめんとて、御自らの誦し給わりし真理なれば、奥計るべからず。

計り知られざる真理の究極にして、一切諸法即ち五大、
地、水、火、風、空、五蘊皆これ、在ると感ずれど、即ち一切空なるものにして、
物質世界に五感を以て計るが故に、人間凡夫の到底悟り得ざる処なり。

五大空とは、即ちこれなり。

五蘊とは、天空より地下に至るキャ、カ、ラ、バ、ア、
即ち地、水、火、風、空、これを形に現わして、
五体と申す人間の、眼、耳、鼻、舌、身の事なり。
されば人間の五体とは、虚空を表現致すものにして、一大空一切の真理なり。

この五体に秘められて、無尽蔵なる真理の極意、ここに表現致すものなり。

さればこれ、この五蘊、空なりと感じ、想う事も受くる事も受、行う事も行、
知識として得る事も皆これ空にあるものにあれば、
空即ちこれ識、即ち五蘊なり。

五蘊即ち、色即是空、五蘊即ち空にして、受得くるも想うも行、
行うも知識を得るも、皆これ空中にある存在なすもの、
五体が感受なし得たると申す事なり。

されば、五蘊これ空なれど、五色とは現るるこの五大が、この中に在りて、
それぞれに感受して現わす処、真理、即識なるを悟らしむるものなり。

されば、一切に限りありと申す事なし。

広大無辺限りなき真理の中に、苦しみはなく、老いると申す事もなく、
死すると申す事もなく、又、老いず、死せずと申す事もなし。
一切のこれらの苦は、限界をつくる人間の自らの迷いなり。

限り無きとは、死にもせず、生きもせず、生まれる事もなく、失う事もなく、
得ると申す事もなく、只一切は皆空にして、つかまえる処なき無限のものなり。

全てを在りと感ずるは、いと狭き心にて、境をつくるが故なり。
何の苦もなく何の災いもなき心とは、只一切に拘わらざる無けい礙の心なり。

色界にありて、色界とは即ち物質世界、物質世界にありて、眼、耳、鼻、舌、身に
支配致さるるが故に人間の五体は、微々たるものなり。
ひろげひろげて、無尽蔵なるを世界に無けい礙とありてこそ、
無一物即無尽蔵なる境地を悟り得るものにあり。

即ち、般若心経の真髄とは、あるものありと感受致し得ざる無けい礙を体得なす事にあり。
色界一切の何事によらず、けい礙なすが故に苦となり、災いとなり、
不幸と感受なすものにあり。

色界とは、即ち無けい礙にありてこそ、無即空なる識即空なるも一切をもと、
感じ悟り得るものにして、在りと感ずるものは全て、迷いにして、
一切空なりと無けい礙を感受なし得てこそ、微々たる五体に
広大無辺なる境地をつくり得る事なり。

仏と成らん共同者よ。とくとく悟れよ。
とくとく悟りて、阿耨多羅三貘三菩提に到達致せよ。
これ、問題を求むる共同者の最後の目的を成就なす事にあり。

即ち、耨諦耨諦波羅僧耨諦、最後の言葉とくとく参れよ。
参りて遂に阿耨多羅三貘三菩提たる仏の境地にならんと致す志、
完成なすべしとの意味なり。

存在感は只迷いにして、真実は皆空なり。
喜怒哀楽に惑わされて、阿耨多羅三貘三菩提への道、忘るるなよ。
天界とは、華満開の浄土なり。


 合掌


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