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そもそも般若心経と申すは、広大無辺の無尽蔵なる、
大宇宙の真理そのものにして、人の心にて計り得べからざる、
一切無尽蔵なる算数比喩を以て計る事与わざる真理なり。
観自在菩薩の大宇宙無尽蔵なる真理の中におわしまして、
衆生に悟らしめんとて、御自らの誦し給わりし真理なれば、奥計るべからず。
計り知られざる真理の究極にして、一切諸法即ち五大、
地、水、火、風、空、五蘊皆これ、在ると感ずれど、即ち一切空なるものにして、
物質世界に五感を以て計るが故に、人間凡夫の到底悟り得ざる処なり。
五大空とは、即ちこれなり。
五蘊とは、天空より地下に至るキャ、カ、ラ、バ、ア、
即ち地、水、火、風、空、これを形に現わして、
五体と申す人間の、眼、耳、鼻、舌、身の事なり。
されば人間の五体とは、虚空を表現致すものにして、一大空一切の真理なり。
この五体に秘められて、無尽蔵なる真理の極意、ここに表現致すものなり。
さればこれ、この五蘊、空なりと感じ、想う事も受くる事も受、行う事も行、
知識として得る事も皆これ空にあるものにあれば、
空即ちこれ識、即ち五蘊なり。
五蘊即ち、色即是空、五蘊即ち空にして、受得くるも想うも行、
行うも知識を得るも、皆これ空中にある存在なすもの、
五体が感受なし得たると申す事なり。
されば、五蘊これ空なれど、五色とは現るるこの五大が、この中に在りて、
それぞれに感受して現わす処、真理、即識なるを悟らしむるものなり。
されば、一切に限りありと申す事なし。
広大無辺限りなき真理の中に、苦しみはなく、老いると申す事もなく、
死すると申す事もなく、又、老いず、死せずと申す事もなし。
一切のこれらの苦は、限界をつくる人間の自らの迷いなり。
限り無きとは、死にもせず、生きもせず、生まれる事もなく、失う事もなく、
得ると申す事もなく、只一切は皆空にして、つかまえる処なき無限のものなり。
全てを在りと感ずるは、いと狭き心にて、境をつくるが故なり。
何の苦もなく何の災いもなき心とは、只一切に拘わらざる無 礙の心なり。
色界にありて、色界とは即ち物質世界、物質世界にありて、眼、耳、鼻、舌、身に
支配致さるるが故に人間の五体は、微々たるものなり。
ひろげひろげて、無尽蔵なるを世界に無 礙とありてこそ、
無一物即無尽蔵なる境地を悟り得るものにあり。
即ち、般若心経の真髄とは、あるものありと感受致し得ざる無 礙を体得なす事にあり。
色界一切の何事によらず、 礙なすが故に苦となり、災いとなり、
不幸と感受なすものにあり。
色界とは、即ち無 礙にありてこそ、無即空なる識即空なるも一切をもと、
感じ悟り得るものにして、在りと感ずるものは全て、迷いにして、
一切空なりと無 礙を感受なし得てこそ、微々たる五体に
広大無辺なる境地をつくり得る事なり。
仏と成らん共同者よ。とくとく悟れよ。
とくとく悟りて、阿耨多羅三貘三菩提に到達致せよ。
これ、問題を求むる共同者の最後の目的を成就なす事にあり。
即ち、耨諦耨諦波羅僧耨諦、最後の言葉とくとく参れよ。
参りて遂に阿耨多羅三貘三菩提たる仏の境地にならんと致す志、
完成なすべしとの意味なり。
存在感は只迷いにして、真実は皆空なり。
喜怒哀楽に惑わされて、阿耨多羅三貘三菩提への道、忘るるなよ。
天界とは、華満開の浄土なり。
合掌 |


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