平成21年度法話
   ここでは当道場で観音様より賜りました
   お言葉を掲載致します。

   (H21.4/1掲載)
無我真愛

煩悩とは自我なり。
我がものと思うが故に、煩悩が起こり、我欲が起こり、
競争となり、闘争と発展してゆくのである。

我と申す「我」は無く、従って我にまつわる一切のものに
我がものと申すもの、何一つとして無し。

従って、我が子、我が親、我が兄弟姉妹などと、
我を中心にした身近かなる者と申す考え方は、すでに迷いなり。

我が子にしても、親、兄弟姉妹等、
肉親と申すもの何一つとしてなし。

故に、我の肉親などと思いて、我が身内などと、
他人と別々に考える事、それ自身がすでに間違いである。

自分自身が、すでに我がものならず。
すべて神仏より使わされたる使徒なり。

肉親も、他人も、すべて此の世にて関わりある者皆、神仏の使にして、
その立場において、親と申すは、神仏よりゆだねられたる我が子を
己の受持ちたる養育の子なりと悟りて、

神仏よりのあずかりたる子故、間違いなく正しく養育する役目を果たして、
己の進歩向上の糧となすべきものなり。

まして、全ての者、物質に対しても一切は、
自身の向上の為にゆだねられたる神仏よりのあずかりものなればこそ、
大切にしなければならず、神意にそむきたるあつかいは、
絶対にしてはならないのである。

照真正道会に於ける光照の立場は、
観音よりゆだねられたる弟子一同をして、観音のみ心にかなう、
み弟子となす事によりて、己自身の進法に連なる事となり。

その立場に於いては、肉親と申すもの一切なし。
子も孫も子孫も皆、観音よりあずかりし受持ちの生徒なり。

責任は重けれども、皆他人同様なり。

我が肉親などど思う迷いが、事をあやまらせ、
子や孫を甘えさせ、怠けさせるものなりと、しかと悟りて、内も外も無し。
皆一様に観音のみ弟子なり。

受持ちの生徒と考えて、一様に真の愛に目覚むべし。
我が子我がものと思うが故に人間は迷い、間違いをおかすものなり。

一切を神仏にゆだねて、我も亦、神仏の内に在りと達観いたさば、
我欲などと申す愚は思いうかばれぬ筈なり。


 合掌


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