檀信徒随筆集2002
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 「檀信徒随筆集」は、「かなくら山報」に寄せられた
檀信徒の随筆等を編集したものです。
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         八十路の大峯山修行
           『かなくら山報』第99号 2002/07/28

                        的場 神崎こんめ

 「大峯山に行かへんか。」 忘れることのできないあの声、何度となく
お誘い下されし學明様、幅広い温かい声。「そうだんな。」 そんな答え
を何度したことでしょう。
 昨年お誘い下さった時、参加させていただこうと思っている矢先、のっ
ぴきならない用事と出合い、大峯山からお招きがなかったのだ、来年
はきっと参加させていただこうと決心いたしました。
 大峯山、おおみねさん、と口から出るこの度でありました。大峯山に
は、二十年程前に一度参加させていただいております。半分は呆けて
いる頭で思い出の幻をたぐり寄せると、その昔水行をなさったあのとき
は遅れ桜か桃の花が咲いていたように思います。水も冷たそうに見え
ました。吉田さん、細田さんたち行者さんの肌が真紅になっていたのを
記憶しております。
 この度は登山口の大橋茶屋で塩の効いたおむすびをいただき、行場
に登られる人は浄めが大事、女人結界までお送りし、大峯山へと蛇之
倉へと別れました。
 二十年前の登山道が変わっているように思われました。山道の木立
などなく青空が広がっていたのを記憶しております。二十年の間に立木
もあんなに大きくなるものだろうかと誰に尋ねる人もなく、登っても登って
もまだ半分、三分の一、そんな答えが返ってくる蛇之倉。ようようにして
たどり着けば美しいお堂が建っていること、広やかな周囲に驚きました。
 二十年前は谷川が流れ、岩から岩へ飛ばなければ鍾乳洞に入れない
有様だったのです。女の足では飛ぶのは一寸難しい場所であったこと、
今は故人の棚倉八郎様が健在でご一緒させていただき、先に渡ってく
ださって一人一人の手をつかまえて飛ばせていただき、終われば先に
洞窟の中に入られ鎖を登られました。
 二十年前は細い鎖でゆらゆら揺れていました。洞窟の上では修行者
が一人般若心経を唱えられていました。 どうしようかと二十年前も迷
いました。その時、寺内の吉川ミシンの古いおばあさんが私の前におら
れ、何の苦もなく登られる姿をながめ私もと勇気を出して鎖につかまり
ました。
 上では一人一人に手をさしのべて棚倉様が引き上げて下さった力強
さに、男性のたくましさを心の中で感じました。もし手を放されたら今頃
はありません。大変お世話になりました。
 一人鎖につかまればゆらゆら、またゆらゆら生きた心地がしませんで
した。もう二度と洞窟には入るまいと思っていましたが、「二十年前と
違って鎖も固定されています」と係の方のことばに乗って若くもない老
体が・・・と今になって思い出しております。下山も思うように足がもとら
ず何とか住職様に迎えられた蛇之倉でした。
 下山後、あの有名な陀羅尼助、松谷清造様宅へと向かいました
。現住職様を大僧正様のお姿におきかえて眺めさせていただきました。
毎年あの床柱の前で笑顔を絶やさず語っていられたのであろうと熱い
ものがこみ上げてくるのを覚えました。このような晴天は珍しい、大僧
正様のおかげと陀羅尼助様のおことばでありました。
 陀羅尼助が売れる売れる。羊羹まで売れる売れる、金蔵寺様々の
状態でありました。
 夜は吉野まで走る車、竹林院群芳園というホテルのようなお寺でした。
大変なご馳走で温泉に浸かれば一日の疲れが眠りに誘うバタンキュー、
朝まで一眠り。
 昨日の疲れもどこへやら、元気な顔で如意輪寺、楠木正行の辞世
の歌など詠みながら、「かへらじとかねておもへば梓弓なき数に入る
名をぞとどむる」、拝観しながら昔の武人を偲んで後にした朝の一時
でした。
 歩いて歩いて歩きながら小学生の頃の読本をふっと思い出すこと、
ここで思い出さねばと、「七代七十余年の帝都として、咲く花の香うが
如き奈良の都も、桜かざしもみじかざして往来しけん、今にして思へば
ただ一場の夢にすぎず」等、奈良の都を習いましたが、七十年過ぎた
現在記憶に乏しく淋しい思いのした一時、おすべらかし着て舟のような
履物であの立派な当麻寺等の庭を眺めていられた都人等、限りなき思
いが浮かんで後にした当麻寺でした。
 金蔵寺の護摩堂でお礼の護摩だったのか、すぐ山に登り無事であっ
たことのお礼を拝んで護摩に拝ましてもらいました。奥様が大変なご
馳走を調えてくださって夕食をいただきありがたく大峯山修行の幕は
下りました。
 元気ならば来年も参拝いたしたいと願っております。今年は二十八歳、
来年は三十八歳、参加なされと行者の方とのユーモアの笑い声を残し
て女性は山を下りました。
 學明大僧正様、ありがとうございました。いつまでも大峯山修行が続
きますようお祈りしてやみません。
  八十路来て
   よくもここまで登りしと
    振り仰ぎつつ眺む蛇之倉
 ありがとうございました。

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  大峯山修行に詠める
『かなくら山報』第99号 2002/07/28

            
的場 トシコ
 
◎男性の修行さるとふ山上ヶ岳
   険しき岩場ただただ見上ぐ
 ◎蛇の倉のきつき石段お唱えの
   ザンゲザンゲがわれを励ます
 ◎押し寄せる吉野の森の新緑を
   潜りて行くはおいづるの群

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         山寺の桜散る 浅野内匠頭しのぶ
             『かなくら山報』第98号 2002/04/20

                         奧荒田 藤 村 章 広
   
 四月になると例年のように里より一週間ほど遅れて、山寺の桜が満開
になるが、咲いている間が短くすぐに花びらが散ってゆく。山寺の桜の花
の命は短い。浅野内匠頭も春の季節に桜のような短い一生で終わった。
 赤穂を出て江戸に着いた内匠頭に幕府は二度目の勅使饗応役を命じ
る。この年は将軍徳川綱吉の母に女性としては最高の位である「従一位」
が勅使より下されるかどうか期待されていた。日頃より、吉良から無理を
押しつけられ冷たくされていた内匠頭には、精神的な限界があった。
 そして、吉良が柳沢保明に「浅野殿にはムホンあり」と言ったその日、
元禄十四年三月十四日、勅使饗応三日目、江戸城松の廊下で浅野内
匠頭は吉良上野介に斬りかかる。
 「はなして下され、梶川殿。どうかこの刀で最後の止めを刺させて下さ
れ。」「なりません、内匠頭殿。どうかしんぼうして下され。」「お願いでご
ざる。どうかはなして下され、梶川殿。」・・・
 そして数時間後、取り調べもないままその日、田村家の庭先で切腹。
「切腹するのに悔いはないが、吉良が生きているとは無念じゃ。」
山寺の桜のような短い命にて享年三十五歳。
 風さそう花よりもなを 我はまた春の名残を  いかにとかせん
              (刃傷松の廊下事件にて内匠頭の歌より。)
 太陽の光が花びらを照らし時折吹く強い風が花吹雪となって散って
ゆく山寺の桜。その幻想的なしみじみとした風情は、元禄絵巻の世
界に入り込んだようなー。 

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           寶頂山蓮華寺 大日堂
             
『かなくら山報』第98号 2002/04/20

                           奧荒田 藤村すみ枝 

 大日堂は、昔々よりお大日さんと呼んで霊験のあるお寺です。大峯山
参りは昔からあったと思ます多く。戦後、昨年亡くなられた學明和尚の
導きで、「大峯山に登らんと男にならぬ」などと口にして、凛とした服装
での人がお参りされたのを覚えております。醍醐会もでき多くの人が
學明和尚と共に修行されたのです。
 御詠歌の夜は、「二十八日は大日さんに参って来よ」と、それにつけ
て色々なお話を聞かせてもらいました。南無大師遍照金剛を唱え手を
合わす事、一番大切な先祖供養です。永い間の御詠歌の内に、色々
と有難い教え、そして護摩供養のお陰を知る事ができました。
 毎年一月に行われる初大日さんは、たくさんの行者さんの出仕で、
一年の悪を払い今年の無事を祈って大護摩が焚わかれます。立ち
上がる煙の中の炎、その時はみんなが夢中で祈ります。たくさんの
お参りで賑わいます。護摩が終りますと餅投げです。面白いです。
 次に食事を頂く。これはとても素晴らしい光景です。大日堂の広場
に敷物を並べ善男善女が輪になって青空食事です。朝早くから作っ
てくださったまぜご飯、お煮しめ、大根なます、酒の肴のたこ、いか
なご、その時だけは我がち、味のよさにみんなが満腹。「お家どこ、
加西、お宅は東条、よ参り」と話は弾む。今年もみんなと一緒にお参
りができたと感謝します。帰りは鯛焼きを買わなとささやきながら大
勢の友に、「また参って来な」と別れを告げます。どこかで老僧の大
きな声が聞こえるよう・・・。陰と思うのです。「信じる信じないは自分
の心やで」、學明和尚の尊きことばです。物資やお金で買う事ので
きない護摩供養でした。「姉さん、お陰やな。大日さんのお陰」と話
した友を思う。数知れぬ友とお参りする大日さん、みんなが末永く
続く事を祈ります。合掌。
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参与会結成二十周年記念式典参加に思う
  『かなくら山報』第97号 2002/03/01

                          的場 神崎こんめ

 高野山七月、とメモせし日より日々の流れの速さにも生きる証と思う
のみ。高野山参拝のあるたびに心密かにうれしくて足よ腰よと骨に問う。
残る世を如何に生きんと己が心に問いかける。信あれば徳あるの言葉
を信じいるやらいないやら、これも自然の成りゆきと任せて登る八十路
坂。この式典に誘われし無事に迎えし今日の日を生身の体、骨よ折れ
るな、お腹こわすな祈りつつ、仏間の父母に語りつつ・・・。
 夏の七時は出やすくて揃いのゆかたにあらず揃いのおいづるありがた
や貧乏人にはもってこい、服もいらねばコートもいらぬ常着のままの参
拝に願ったり叶ったり。バス七台の多可郡が並んで走る無事故なる、あ
あありがたや大師さま。一夜の宿を貸し給う勝手知りたる光明院、紫陽
花咲けり今日の日も、何時か詣でしあの日には小枝手折りて持ち帰り
挿し木に花の咲き初めしあれより何年経ちしかと紫陽花に問いかける
光明院の名を持つ紫陽花。
 土産は三嶋の天狗堂、何でも揃うおいづる姿に弱そうであっという間
に金が落ち行く天狗堂。一の橋から奥の院清しい朝の石畳踏みしめな
がら物故者追悼法会おごそかに大師御廟前へと。
 高野を立ちて吉野山、ベテランガイドの説明にテープにとりたい話しぶ
り頭脳明晰それが務めと思えども名調子には頭が下がる。この土地は
四人目の子を出産すれば生まれるまで新車に乗れて金いらず、出産す
れば中古の値段で買えるとガイドの説明聞きながら吉野山着。
 昼食は辰巳屋さんの大広間、七台の人間全部一度に食事、ご馳走に
一同舌鼓、これより先は蔵王権現様へ。吉水神社も参拝終えて柿の葉
ずしを買えば帰宅の食膳が待つ早く帰りたし。大峯山はここより登られる
と聞き、元気な間にもう一度この地点に立ちたき思いの心して、吉野山
吉野吉野と聞きたれど過疎なるかも。マイクロバスから大型バスに。
 帰路は飲むこと歌うこと、保険証も持参したれど用事なく早く帰りすぎ
たる感じ。星かげのワルツで別れを告げし高野山参拝の幕はおりたり。
バスの運転手の永井様も三号車か四号車の運転をなさっておられ、お
四国参拝にお世話になった方でなつかしくまたご一緒したいとの言の葉
にうれしくなつかしく全部無事故で帰宅ができた事をベテラン運転者のお
かげと深く感謝いたしました二日間でした。住職様はじめ寺係様にはお
世話様でした。ありがとうございました。
○一の橋 奥の院まで石畳
  雨洗いたる 清しき朝に
 ○吉野山 大峯山はここよりと
  住職の説聞きて頷く

この神崎さんの原稿は、昨年の七月一一日〜一二日の高野山参拝旅行
の後間もなく住職に届けられたものですが、七月二九日当山名誉住職の
遷化に伴う葬儀等によって、山報そのものが発刊できなくなり、現在まで
住職の手元に眠ったままになっていました。遅ればせながら今回掲載さ
せていただきました。

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