檀信徒随筆集2001
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 「檀信徒随筆集」は、「かなくら山報」に寄せられた
檀信徒の随筆等を編集したものです。
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            學明様を偲んで
              『かなくら山報』第96号 2001/12/01
                          的場 神崎こんめ

 突然の御遷化に心の置き場もなく京都のふうちゃんに電話をする。せずに
おられず、「學明様が俄に亡くなられたのよ」 「誰やいね」 それはそのは
ず、故郷を離れられて六十余年、京都っ子、全くの幼な名前でなければ通じ
ず、「東野さん、東野さん、ああ徳二さん」 その名前も忘れそうな現代であ
る同級生。
 「同級生、みんな亡くなられたな」 戦死に病死と、順ちゃん、宗太はん、
まあちゃん、市ちゃんと男組は全部亡くなられ、女組はまだ的場は半分残っ
ているけど、と人生の儚さを受話器を通して話し合う同級生。
 されどむなしい人の一生を振り返って昨日の如く思い出は走馬燈の如く
ぐるぐると半ぼけの頭を駆けめぐって消えることなく、もう後十年は生きてい
てほしかった學明様。
 昭和初期の小学校入学の折りに、お寺に同級生があることを知りました。
それまでは知る由もなく同伴の父兄がお寺の法印さんであること、これは
お寺の「ぼんちゃん」を意識しました。
 誰も「かすり」の着物だったけれど黒い学生服を着ておられました。背の
高い子やなと印象に残っております。男組女組教室は別なため教育の方
は存じません。下校が同時で同じ道を帰りますのでお寺の「ぼんちゃん」と
意識しておりました。
 もう後日のことですが、入学前の検査に人体が出ていたとか、私は覚え
ておりませんが手が足がそれとも指でしょうか目か耳か何か不足していた
のだと思います。何が足らぬの質問に命がないと言われたとか、父と母が
話しているのを聞いた日のこともいつだったか、命がないとの答えを父は
誰かに聞いてきたのだと思います。私にはそんな問題のことは覚えていま
せん。幼い時から考えられることも目になさることも違っていたのだと思い
ます。
 寛明老僧のことをお父様と申されず、法印さん。ぼんちゃん、ぼんちゃん
と言っておられました。よく男の子は争いごとをして、下校の途中學明様は
笑って見ておられるだけだったことを記憶しております。よく笑う子やなと
思った位です。
 同級生の男の子は戦死なさったり病死なさったりして、ただ一人學明様
が残っていられましたのに残念で仕方がありません。
 それでも本堂に直られるまで突然の奇跡が起きないかと願っておりました。
「みんなどないしとんねや」と起き直られないかと願っておりました。それも
むなしく黄泉へと帰らぬ人になられました。残念です。今でも山の上で字を
お書きになっていられる姿を想像しております。
 黄泉においでの大江先生が、「東野君、ちょっと早いんやないか」とお出
会いになり、また上州小唄でも踊ろうか、「赤城山から風が吹き出して風で
蝶が飛ばされる」。大江先生と徳二さんがリズムに乗って運動場で踊って
おられた姿が昨日のことのように瞼に浮かんできます。いつか山でその話
を學明様にいたしましたら、「裁縫室で踊って畳がいたむと校長はんに大江
先生怒られちゃったんや」そんな思い出話もいたしました日もありました。
 同窓生でも大僧正ですから何歩も下がってのおつき合いでした。得度も
受けさせていただき、「精出した人やから精明という戒名をあげよう」といた
だきました。本当にありがたく思っております。一生懸命尽くさねばと思うば
かりで尽くされなかったことが残ります。山である故に遠ざかってゆく思いが
いたします。
 丹治に行きましても、學明僧はいつも写真を撮ってくださったり、珍しいも
のを皆様に食べるように戴かせてくださいました恩は忘れることができませ
ん。皆さんで丹治でよい人やったと學明様を偲びました。
 いつか忘れる日が来るでしょうか、今も山の上で字を書いていられる姿し
か浮かんできません。
  かなくらの山かわらねど
   大僧正の黄泉に立ちまし

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            お寺参り
            『かなくら山報』第92号 2001/01/01

                              的場   M・O

 
 西国三十三ヶ所参りをしようかと今の名誉住職様に誘わ
れて喜んで巡拝させていただきました。「一番 紀の国なち
いさん」と御詠歌にありますが、お参りの順序は決まってい
ませんでしたが、何回かに分けて巡拝させてもらいました。
もう二十年も前のことになります。
 日帰りのコースや一泊と楽しく回らせてもらいました。一回
に三ヶ寺や遠い所は一ヶ寺、二ヶ寺と参らせてもらいました。
その都度大奥様がやさしい栞を作ってくださって楽しい旅み
たいでしたが、何番がどんなお寺さんであったかすっかり忘
れてしまって誠に申し訳ないような次第です。
 三十三ヶ所のお寺さんは目立って新しい感じはなく昔の趣
を留めたような感じがあったように思われます。最後にお参り
させてもらったのが美濃の谷汲山、「親とたのみしおいづるを
ぬぎておさむる」と詠まれたそのお寺さんも古い感じがあった
ように思われます。そして、お終いは、「身はここに心はしな
のの善光寺」と詠まれたそのお寺さんにお参りさせてもらい
ました。有名なお寺であったのにそこのお寺もすっかり忘れ
て、ずいぶん遠かったことだけは覚えております。その昔、
欲の深いおばあさんが牛に引かれて善光寺参りをされたと
か面白い伝説がありますが、元気で参らせてもらって納経帖
もいっぱいになって有難いことと思いました。
 高野山にも時々お参りさせていただきました。高い山の上
でもバスで山の風景を楽しんでいるうちに高野山に着きます。
奥の院やその辺のことは少し覚えております。
 また、小豆島も先達様に誘われて何回か巡拝させてもらい
ました。加美町を朝早くバスで出発して姫路港からフェリーで
小豆島に着いて、それから三日間ほど八十八ヶ所を一ヶ所
ずつ納め札を納めて巡拝させてもらいました。そこの地も古
いお寺や新しいお寺と寺院の多い所のように思われました
が、そこのお寺さんもすっかり忘れてしまいました。
 そして、この地にある菩提寺、金蔵山金蔵寺。このお寺が
一番いいお寺さんで先祖様がお祀りされている高い大きな
本堂、昔からの幾多の風雪にも耐えて釈然と立っている本
堂こそ立派な思いがします。いつの昔に建てられたか分かり
ませんが、この高い山上で太い大きな木でどないして建てら
れたんやろ。昔の棟梁さん、大工さん、みんな偉い人やった
んやなあ…これボケ婆さんのひとりごと。

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