かなくらはん
『かなくら山報』第88号 2000/04/21
的場 K・K
暑さ寒さも彼岸まで、このことばを何回耳にしたことか、少なくとも
一年に二回は口にし耳にしているはず。昔人は違ったことは言って
おりませぬ。春を待ち秋を待ち、月日の流れを結構なことと誰かが
曰く。
御先祖様もおよこびになる彼岸、常は淋しい墓地も彼岸に入りま
すと掃除に賑やぎ様々な語らいをお聞きになる御先祖様、やがて
ここに参ります、と手を合わす諸々。
「働かざる者は食うべからず」の時代を一所懸命に生き抜き、彼
岸は仏間の御先祖様にお茶とお菓子をお供えするくらいですごし
て、さぞ御先祖様も淋しいことだったと、思いを誰に語るともなく自
分に語っています。
今は童心にかえりつつあるのかも。彼岸が気になり、じゃがいも
の植えつけの旬であることも彼岸とならんで頭から離れません昨
今です。
「かなくらはんへまいろか」
そんな幼年時代は、それのみに生かされて友達と小遣いの話。
十五銭もらうと聞けば私も十五銭ほしい。「みんな使うたらあかん
で」 十銭使うて五銭残して帰らんと家に入れてもらわれへん。そ
んな時代、昭和の初期であった。寺にまいれば戸店がいっぱい。
今のように八日会のサービスがあればどんなにうれしかったか。
きっと十銭残したであろう…。
色様々に思い浮かべながら甘酒の美味にひたりながら、蟻が
群がる如くサービス台を囲む彼岸ならではの面白さ。本当に口ほ
ど可愛いものはありません。
「赤信号、大勢で渡ればこわくない」の例の如く、一人ではでき
ぬことも大勢では楽しいものであることを味わった彼岸。子供の
姿は見ることもできず、これが時代の流れでしょうか。
御詠歌講の方々が多数並ばれて淋しくはなく、みんな嬉しそう
な顔でいられたのが一番印象に残った時間であった。彼岸始め
の方は淋しい故人があってのお参りで気の毒さに申し様もなき
彼岸。
幼き時代、母のあとつきで本堂にひしめき合ってお参りした時
代、私の七、八才の頃である。母はまだ五十才にはならず。母
三十九才の子に生まれた私であるから今だったら若さの盛りだっ
たと思う。一所懸命に心経を習って頃、私も自然に覚えていたよ
うに思う。
徒歩でのぼるお山は若人でなくては登れない。八十才の今日
はお寺にお参りは車があればこそである。そんな思いを巡らして
の彼岸中日である。
護摩場は大勢の行者さんで立派であった。若い青年のような行
者さんを立派に思えた。何事も若返ってゆく社会であってほしい。
幼き日、この木にもたれてながめた護摩、思いを巡らせば、毛皮
にどっしりと座しまして居ませる寛明老僧が偲ばれました。寛明
老僧の全盛時代であったように思える。學明僧正は私と同年で幼
き日、今の住職様が影も形もあらせられぬ時代。ずいぶん長い歳
月の流れを感じながら拝めば、寛明老僧と正明僧正が煙の中に
一体となって浮かばれつつ巻き登ってゆかれるを感じる八十才。
風のささやきが聞きたい。
目頭が熱くなるのを覚えた中日。
昼食も係様の心のこもったお料理に舌鼓。一人で作る者には手
つかずでいただくほどうれしいことはない。早朝から多数のまかな
い大変だったことを感謝いたします。
食後は、「ふろしき護摩」とかが行われることを聞き、八十年の出
会いと期待しておりました。本当におそろしい術がなくてはできぬ
護摩であると感じました。さすがは學明僧正ならではの術であるこ
とに感激いたしました。護摩のふろしきを肩に当てていただき感じ
入りました。一所懸命に声が出てお唱えに熱が入ったことに我を
忘れていたことに気がつきました。
ふろしきもこげず ごへいももえず
春はさくら、夏は涼みに、秋は紅葉に八十八ヶ所巡りもきっと楽し
いだろうと思う。おにぎりでも山風に吹かれながら食べるのもきっと
おいしいと思う。
かなくら行きのバスでも発車があったらそれは夢の空想であろう
か。
雪もなく心ゆくまで味わいし 春季彼岸の山寺(やま)は春なり
本堂に母と座したるその昔 心経唱う声のきこゆる
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