檀信徒随筆集2000
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 「檀信徒随筆集」は、「かなくら山報」に寄せられた
檀信徒の随筆等を編集したものです。
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金蔵山表参道を歩いて
『かなくら山報』第90号 2000/08/04

                  奥荒田 S・F

 五月といってもまだ肌寒い日曜日、自動車で金蔵山に登りました。
お寺ですこしの用事をすませ帰りはゆっくりと表参道を歩くことにし
ました。
 駐車場を出て分かれ道のの右上に一丁目の石仏が祀られる。赤
のよだれ掛けが目につく。表参道へと回ると、どんぐりの落ち葉が
表と裏を交互して絨毯を敷いたように道を美しく見せる。滑らぬよう
にと傘を杖に、ひと回りふた回り二丁目、次回って回ると三丁目、
石仏に掛けられる赤のよだれ掛けが引き立って見える。
 辺りが急に明るくなる四丁目、その辺りをひと回りしたところに林
道が南北につく。こどもの頃よくしいの実を拾った辺りと思い矢印を
見ながら歩きますと、はや、石橋です。谷間の清水が音を立てて流
れております。ここは、「こおりかき」といって、昔の修行場だったと
も聞きます。いにしえのお不動さんや色々な石仏が祀ってある。五
丁目の石仏にも赤のよだれ掛けで目につきます。先人の願いで立
てられた石仏に手を合わせて向こうに見える休み堂へと歩きます。
 休み堂に祀られるお地蔵さんは丸い優しいお顔です。赤のよだれ
掛けが掛けられる。何百年も行くも戻るも善男善女の無事を見守っ
て立ってくださる地蔵さんにもありがたく思います。
 心次第飴一つ手を合わせて一休み、幾十年、数知れぬ友との思
い出のある休み堂は懐かしく思います。
 「おじぞうさん、ありがとう。さようなら。」 一言述べて六丁目を歩
く。次は長坂、急な坂道も今は楽に歩ける。辺りの芝木が倒されて
明るく、けなげに咲く一輪の山つつじ、その辺りに七丁目の石仏が
祀られる。回って回ると八丁目を少し下りると林道が見える。やっと
下りてきました。広い林道が山奥へとついております。
 九丁目は少し行くと山裾に目につく。十丁目はどこかなと十一丁
目の石仏に手を合わせて、次十二丁目は大日堂前です。表参道
に祀られる多くの石仏に手を合わせてゆっくり歩きました。行き先
のお土産にします。
 南無大師遍照金剛。合掌。

(注)文中にある「こおりかき」は、「水垢離(みずごり)を取る」から
きたことばで、大正十二年に金蔵山の水行場として創設されまし
た。最近は、水行をする人も少なくなり、土砂が堆積していました
が、本年七月に奈良県の北野学宥さん等によって整備され、現
在は水行ができるようになっております。

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かなくらはん
『かなくら山報』第88号 2000/04/21

                  的場 K・K

 暑さ寒さも彼岸まで、このことばを何回耳にしたことか、少なくとも
一年に二回は口にし耳にしているはず。昔人は違ったことは言って
おりませぬ。春を待ち秋を待ち、月日の流れを結構なことと誰かが
曰く。
 御先祖様もおよこびになる彼岸、常は淋しい墓地も彼岸に入りま
すと掃除に賑やぎ様々な語らいをお聞きになる御先祖様、やがて
ここに参ります、と手を合わす諸々。
 「働かざる者は食うべからず」の時代を一所懸命に生き抜き、彼
岸は仏間の御先祖様にお茶とお菓子をお供えするくらいですごし
て、さぞ御先祖様も淋しいことだったと、思いを誰に語るともなく自
分に語っています。
 今は童心にかえりつつあるのかも。彼岸が気になり、じゃがいも
の植えつけの旬であることも彼岸とならんで頭から離れません昨
今です。
 「かなくらはんへまいろか」
 そんな幼年時代は、それのみに生かされて友達と小遣いの話。
十五銭もらうと聞けば私も十五銭ほしい。「みんな使うたらあかん
で」 十銭使うて五銭残して帰らんと家に入れてもらわれへん。そ
んな時代、昭和の初期であった。寺にまいれば戸店がいっぱい。
今のように八日会のサービスがあればどんなにうれしかったか。
きっと十銭残したであろう…。
 色様々に思い浮かべながら甘酒の美味にひたりながら、蟻が
群がる如くサービス台を囲む彼岸ならではの面白さ。本当に口ほ
ど可愛いものはありません。
 「赤信号、大勢で渡ればこわくない」の例の如く、一人ではでき
ぬことも大勢では楽しいものであることを味わった彼岸。子供の
姿は見ることもできず、これが時代の流れでしょうか。
 御詠歌講の方々が多数並ばれて淋しくはなく、みんな嬉しそう
な顔でいられたのが一番印象に残った時間であった。彼岸始め
の方は淋しい故人があってのお参りで気の毒さに申し様もなき
彼岸。
 幼き時代、母のあとつきで本堂にひしめき合ってお参りした時
代、私の七、八才の頃である。母はまだ五十才にはならず。母
三十九才の子に生まれた私であるから今だったら若さの盛りだっ
たと思う。一所懸命に心経を習って頃、私も自然に覚えていたよ
うに思う。
 徒歩でのぼるお山は若人でなくては登れない。八十才の今日
はお寺にお参りは車があればこそである。そんな思いを巡らして
の彼岸中日である。
 護摩場は大勢の行者さんで立派であった。若い青年のような行
者さんを立派に思えた。何事も若返ってゆく社会であってほしい。
 幼き日、この木にもたれてながめた護摩、思いを巡らせば、毛皮
にどっしりと座しまして居ませる寛明老僧が偲ばれました。寛明
老僧の全盛時代であったように思える。學明僧正は私と同年で幼
き日、今の住職様が影も形もあらせられぬ時代。ずいぶん長い歳
月の流れを感じながら拝めば、寛明老僧と正明僧正が煙の中に
一体となって浮かばれつつ巻き登ってゆかれるを感じる八十才。
風のささやきが聞きたい。
 目頭が熱くなるのを覚えた中日。
 昼食も係様の心のこもったお料理に舌鼓。一人で作る者には手
つかずでいただくほどうれしいことはない。早朝から多数のまかな
い大変だったことを感謝いたします。
 食後は、「ふろしき護摩」とかが行われることを聞き、八十年の出
会いと期待しておりました。本当におそろしい術がなくてはできぬ
護摩であると感じました。さすがは學明僧正ならではの術であるこ
とに感激いたしました。護摩のふろしきを肩に当てていただき感じ
入りました。一所懸命に声が出てお唱えに熱が入ったことに我を
忘れていたことに気がつきました。
 ふろしきもこげず ごへいももえず
 春はさくら、夏は涼みに、秋は紅葉に八十八ヶ所巡りもきっと楽し
いだろうと思う。おにぎりでも山風に吹かれながら食べるのもきっと
おいしいと思う。
 かなくら行きのバスでも発車があったらそれは夢の空想であろう
か。
 雪もなく心ゆくまで味わいし 春季彼岸の山寺(やま)は春なり
 本堂に母と座したるその昔 心経唱う声のきこゆる 

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み仏の慈悲(赤穂四十七士の死
『かなくら山報』第87号 2000/03/03

                  奥荒田 A・F

 元禄十五年十二月十五日、赤穂浪士四十七士は、亡君のカタキ
吉良上野介の首を討ち取る。のち四家預かりの身となり幕府は義士
たちの処分に苦悩する。
 将軍綱吉と柳沢吉保は四十七士元禄の鏡として生かすことを考え
たが、幕府はこれを許すと法をおかすことになるため、公弁法親王
を呼び無罪のさたを期待した。
 「この問題には、み仏の慈悲を持って考えねばなりません。四十七
士の命を助けることが誠の仏の道にかなうかどうか思案せねばなり
ませぬ。」
 「今日の討ち入りが無にならぬために、生かすことのみがみ仏に
慈悲ではございませぬ。死もまた慈悲でございまする。」
 「赤穂浪士四十七士の望みどおり切腹申しつけるが、み仏の慈悲
でございまする。」
と将軍綱吉と柳沢吉保に教えた。これにより幕府は、元禄十六年二
月四日赤穂浪士四十七士に切腹の命を下す。
 大石内蔵助は、今、切腹の場へと歩きながら四十五歳の人生を終
ろうとしている。内蔵助が遺した人生の歌。
 あら楽し 思いは晴るる 身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし

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拙い一筆
『かなくら山報』第86号 2000/01/01

                               的場   
K・K

 月日の流れは流水の如しとか、光陰矢の如しとか、歳月の過ぎ
ゆくはやさに誰もが言わざるを得ません。
 一年のすぎるはやさ、一日を長く感じる日もありますが、小学生
の頃、一週間が永く、「はよう日曜日来い」と待ったものでした。今
だに忘れません。
 老人という声を耳にしてから一年がはやく過ぎます。年を重ねて
交わる人が全部若い人ばかりで、今の生き方を自分の若かりし日
に思いをたぐり寄せてみれば、同じ職場でも年配との会話を避け
た日の多かった事です。
 御詠歌は若い人に支えられながらの勉強ですから、敬遠されな
いようにとは思っておりますが、どうでしょう。本当に年寄りはうる
さいものですから生きてゆくのもむつかしいです。
 11月の御詠歌練習日に、「あと一ヶ月でことしも終わりですから、
例年の通り忘年会は如何でしょうか。」と会長さんに申し込み、住
職様にも日程がおありですから伺ってもらう事、12日が体が空い
ておられる様子に決まりました。
 上組と下組と2つに分かれ、招待する方される方、される事ばか
り思廻らせば、「下の番だっせ」。昨年招待された事、勝手に忘れ、
「そうかいネ」位の有様、昨年に負けんように御馳走せんとあかん
と心では思っていても、その場になればまあまあです。
 ◎にわとりとごぼうが出会うまぜご飯
 ◎白豆腐がこんにゃく好きと絡みつく
 ◎住職も現世(いま)は三女の父なれど
    幼き日ぞ知る媼等語りき

 住職様御夫婦招待させていただけば、お土産多く持ってのお越し
に、気の毒どっちが招待されているのやら本当に申し訳なかったと
思います。まぜごはん一ぱいくらいで気をつかっていただき穴があ
れば入りたい気持ちでした。山の御夫婦はお越しいただけずにお
礼を申された様子を聞いて尚更申し訳なく思いました。
 ◎年忘れ土産たずさえ奥方の
    招待したかされたか不明

 又来年、今度は招待される方です。一年後をたのしみにします。
 ◎来年の忘年会は客となる

 それでも今から大変、お大師様送り、奉詠大会、練習も熱を入れ
ないと檜舞台が泣きますけれど、なかなか思うように唱えられなく
て、一人でも多く参加してほしいと思います。
 ◎老いて尚振れば鈴鉦ちんちんと
 ◎袈裟かけて詠歌の関所通りぬけ

 御詠歌会会長も一年で交代、御苦労様でした。
 ◎会長をおしつけ役を買って出る
 悪くは報わない、きっと良い事があると思います。人のためなら
ず、我が身に徳がつめると心からお願い致します。
 忘年会によせて拙い一筆でした。
     

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