檀信徒随筆集1999
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 「檀信徒随筆集」は、「かなくら山報」に寄せられた
檀信徒の随筆等を編集したものです。
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かなくら遍路
『かなくら山報』第84号 1999/08/01

                             奥荒田 S・F

 5月7日、雲一つない晴天。お友達と二人でかなくら四国八十
八ヶ所を巡ります。朝九時、金蔵寺に着く。庫裡で奥様にお伝え
し、遍路支度を整えて、金剛杖を頼りに、一番霊山寺より南無大
師遍照金剛を唱えながら納め札に心次第を入れて、次、二番、
三番と打っていきます。
 一つ一つのほこらの中にはそのお寺の本尊様とお大師様が
祀ってあります。ほこらには美しい花立てに樒、お大師様には
帽子とよだれ掛けが掛けてあります。道路は整備されて、四番、
五番、六番と楽に打ちます。道は「へんろ道」と案内が目につく。
 七番辺りからから坂道。ほこらに書き入れてあるお寺の名前を
読み上げながら、「ここはお薬師さんかな。次は阿弥陀さん。
今度は千手観音さんやな。」
 二人の会話は静かな山の中に杖の鈴の音がチリンチリン、
チリンチリンと耳に入ります。次々のほこらに心を寄せながら、
南無大師遍照金剛と唱えて打っていくうちに二十三番薬王寺
まで、ここに「へんろ道」とある。
 次、二十四番から山の中に並ぶほこらの花の美しさと赤の
よだれ掛け、木の透き間より射す太陽の光で辺りは明るく、久し
ぶりに寺参りの二人の足は軽く、坂道も知らぬ間に三十八番、
三十九番と打つ。ここは何十年も前の建立と聞く大きい「口の
行者尊」のところです。
 次、四十,四十一番で折り返し。小さな坂道を登と四十二番、
四十三番、四十四番とある。ここに「菩薩へんろ道」と記される。
やっと半分巡ってきました。一休みです。お茶の美味しいこと。
話も弾みます。
 後の半分は下り坂、護摩場の回りに並ぶほこらを打って巡り
ます。六十五番、六十六番、これより「涅槃へんろ道」と記して
ある。木立もなく若葉のもみじが美しい。本堂も見えてきました。
うぐいすの声も聞こえます。 七十番まで下りてきました。橋が
あります。杖ついたらあかんな、もう一息、七十五番善通寺、
やっと巡った最後の八十八番大窪寺、お薬師さんです。
 そして、本堂前の修行大師にお礼を唱え、本堂にお参りを終
えて、二時間半の遍路巡り、友と二人で打ち終わることができ
たのです。
 五月晴れの青葉若葉の季節に小鳥の囀る声を聞きながら、
何も忘れて南無大師遍照金剛を唱え、家族の安全を願い、か
なくら四国八十八ヶ所を無事巡ることが出来ました。合掌。     

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山寺のセミ、露と消えゆく
『かなくら山報』第82号 1999/03/12

                           奥荒田 A・F

 葬式があると、「いったい人生とは何だろう。なんの為に生き
ているのだろう」と自問自答する。
 この世に生まれた以上、人はいつかは死がやってくる。今日
ありても明日の命はだれもわからない。いつ、どこで、どんな
病気・事故・災難が待っているか分からない。それが持って
生まれた運命なら、その運命を変えることができないなら、
生意気かもしれないけど、「運命にさからうことできぬなり。運
命とは不思議なものなり。運命とは偉大なものなり。」と思う。
 不幸が起きると不幸が重なってくると世に言われる。そんな
時、幕末維新に生きられた皇女和宮さまを思う。公武合体の
ため婚約を破棄され、徳川家へお嫁入りされた。間もなく
母観行院が亡くなり、そして夫の将軍家茂が21歳で病死。
その後、孝明天皇までが36歳で亡くなり、次々と若い命が
失われる中で生きられた。明治維新の折りには、大政奉還を
しながらも朝廷の敵にされた徳川慶喜の命を助けるためにつ
くされ、32歳の若さで亡くなる和宮さまの一生は短いはかな
い生涯となる。
 そんな短い和宮さまの運命は、どこか山寺金蔵寺のセミの
一生に似ておられるような…。
 梅雨が明けると夏、山寺にセミの声が聞こえてくる。しかし、
それはつかの間のことで、セミの命は短くはかない運命とな
る。
 今年も山寺に冬が去り、夏が来るといっせいにセミの声
がして短い命が露のように消えていく…。
   惜しまじな 君と民とのためならば
     身は武蔵野の露と消ゆとも
                  (和宮さまのお歌より)    

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