檀信徒随筆集1998
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 「檀信徒随筆集」は、「かなくら山報」に寄せられた
檀信徒の随筆等を編集したものです。
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笑いと健康
『かなくら山報』第78号 1998/08/05

                           的場 T・N

 先日、ある仏教の集会で、現代人は笑いを忘れていると言った
人がいました。仏教には、和顔愛語という教えがあります。微笑み
こそが人間にとって忘れてはならないものだと説いているのです。
 人間である限り笑顔や笑いは必要なのです。それは健康に大い
に関係があるからです。
 先日、AM神戸放送のラジオ講座で「笑う療法」というお話を聞き
ました。リューマチにより苦しむ一人の女性の体験話でした。それ
は実際に病み、苦しみ、悩む毎日を過ごす中で、腹から10分間
笑うことができたらその苦しみから二時救われるということでした。
笑うことにより、NK(ナチュラルキラー)細胞が増加するからだそう
です。
 笑い話をひとつ。ある若者が老婆に向かって、「そこどけ、
婆婆!」と言ったそうです。するとしばらくして老婆も若者に向
かって、「お前さんは、爺爺になるまでいないのか。」と言ったそ
うです。(笑い)
 人間として生まれ生きるかぎり、老いは避けることはできま
せん。人は一人で生きていけないものです。お互いに関係し
あって、助けつつ、助けられて生きていく、そこに出会いの尊さ、
めぐり逢いの不思議さがあると思います。  

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晩秋の山寺
『かなくら山報』第74号 1998/02/05

                          奥荒田 A・F

 澄んだ青空の下、紅葉したイチョウのはが舞い散り地面を黄色
に染めて、まるでジュータンをしきつめたように見える。また、桜
などの木々の葉が落葉となって、木枯らしの吹く中空へ舞い上
がっている光景は、晩秋ならではのしみじみとした風情。山寺に
ふさわしい静寂なたたずまいを見せる。
  木の葉が散ればやがては土になる。人の命も散れば骨になり
やがて土になる。葉が散っている光景は、人の一生とよく似てい
るような…。
 「人生朝露の如し」 人の一生は、なぜかはかないような気が
する。与謝野晶子、北原白秋などの昔の歌人が、晩秋のこんな
山寺、金蔵寺の風景を見たらどんな歌を作るのかな…。作家
司馬遼太郎がこの山寺を見たらどんなことを感じ文章にするの
だろう…。
 今は、正月も過ぎ山寺はすっかり冬枯れ色をして、寒さも厳し
い。
 あったかい春は、まだまだ遠い中で、ピンク色の椿の花が一段
と鮮やかにひときわ美しく咲いていた。

 小夜ふけて落葉の音を聴くときは
  わが悲しみの散るかとぞ思ふ
                (吉井勇の歌より)    

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