お彼岸によせて
『かなくら山報』第67号 1997/04/07
的場 K・K
「暑さ寒さも彼岸まで」 彼岸になったら温うなるやろうと待ちつ
つ、彼岸が終わっても雪が舞う日もあったりして、「彼岸の小鳥
殺し」ということばを思い出して、昔から小鳥も死ぬ程寒かった
のでしょうか。四・五月と四季の変化を空想しながら夢を描くの
も生きている証かも…。
彼岸中日の朝、炊事場が人手不足とお聞きし、枯れ木も山の
賑わいと手伝いをさせていただきました。
「まぜごはん手伝って」「はいはい」 一生懸命に味はどうあろ
うと完了。お櫃に移すようになってお櫃が足らぬように感じ、あ
れやこれやと移す心くばりの時、空のお櫃の裏を何気なく見て
驚きました。
大正15年寄贈で半井様の名前が記されていました。学明
大僧正様が5〜6歳の頃の品で、半井様もうっすら覚えており
ます。お金持ちであったことも知っております。
「人は死んでも名は残る」とはよく言ったものです。竹の輪で
しめた大変使いやすいお櫃です。20個あったらしいのですが、
現在では使えるのは10個ぐらいになっております。70余年の
長い間大事に年に5〜6回ぐらいでしょうか使われていること
と共に、70余年前もお彼岸には参拝者に食事を賄っておられ
た様子が偲ばれます。
きっと横町の桶屋の熊太郎様の作品と想像いたします。大
変な名人であってお弟子さんもおられた時代を思い起こして
みました。世の移り変わりと共に亡くなられ桶の輪が切れた
が最後です。桶でなくてはならぬ時代もありましたが…。
ところで、常に不思議とばかり思っておりましたのが、我が
家のお茶湯桶です。しっかり意識してからでも50余年、仏壇
の中で何年か母が亡くなってから沈黙の時代があったと思い
ます。きっと、母が誂えて熊太郎さんに作ってもらった桶と思
います。木の目も美しく竹の輪も光って本当に心なくして扱う
ことはできません。
毎朝仏前に桶にお茶湯しばがら仏様と語らいが始まり終
わって一日が終わります。
ご先祖様と共にお茶湯桶にも祈りを込めております。名桶屋
さんであった熊太郎さんをお茶湯桶を通じて偲んでおります。
お寺のお櫃も幾久しく、若僧正様が大僧正様に、そして、
次の時代までも今の数のままでありますように祈りつつペンを
置きます。 合掌。
|