檀信徒随筆集1994
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 「檀信徒随筆集」は、「かなくら山報」に寄せられた
檀信徒の随筆等を編集したものです。
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参道の仏さん
『かなくら山報』第38号 1994/07/13

                    的場  M・O

 以前はあまり苦にもならず上り下りした金蔵山の参道も、杖を頼って一歩
一歩登っていくようになっておりましたが、今は広い登山道ができて車に乗
ればほんのわずかな時間でお寺まで行ける便利な時代になりました。私は、
車がなくてもいつもどなたかに乗せてもらって楽々お寺参りができてありが
たいことです。こんな時にいつも思うのは、古い参道に立っておられるお地
蔵さんのことです。
 このお地蔵さんを頼って、今何丁、と思って元気を出してよく参らせてもら
いました。昔から多くの善男善女が皆そんなように思って上り下りした道な
んでしょう。急な箇所もあるので道中の安全とお寺までの道のりを示して立っ
ておられたのでしょう。それは今も同じく「変わらじながら見て立って」と誰か
さんの歌にあるように。
 六丁目のお地蔵さんの近くに休み堂があってそこからちょっと下り坂になっ
て谷間にきれいな水が流れています。古い人に聞いたんですが、「こうりかき」
とか言うんだそうです。そこにも数か所お地蔵さんがお祀りしてあります。
 その滝の左手の方に一際高いところにお不動様がお祀りしてあります。亡
くなられた寛明大僧正様から、「このお不動様は由緒ある北向きのお不動
さんですよ。」と教えていただいたことがあります。
 このお不動さんは大変険しいお顔で地面に素足で立って北を向いておら
れます。昔は今ほどに医薬も充実してなかったので、このお不動さんに願
をかけてお参りされた方もあるかと思います。
 その谷間で水を飲んで、その辺りが五丁・四丁とお地蔵さんを拝んで参ら
せてもらった思い出の道です。
 お地蔵さんは童顔でとてもかわいく親しめる感じがあります。老齢になった
今からでも体力に合わせて、あとまた何回か参らせてもらえたらと思うこの
頃でございます。

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晋山式典総代挨拶
『かなくら山報』第37号 1994/06/01

  

   式 辞

 輝くばかりの新緑のもと、今日をよき日と定め、茲に金蔵寺の晋山式典を
執り行うに当たり一言ご挨拶申し上げます。
 只今は、おごそかに退山・晋山の法会が厳修されました。当山におきまし
ては昨年の御本尊御開帳法会に引き続いて住職の交替という大きな節目
の儀式でございます。
 本日は茲に高野山真言宗播磨宗務支所長森見章僧正様をはじめ関係
各寺院様・御親戚・御親族の皆様方、そして歴代檀徒総代各位の御臨席
を得まして、かくも盛大にこの式典を挙行できますことを大変嬉しく存じてい
る次第でございます。また檀信徒の方々にはそれぞれ御多用の中多数お
参りくださいましたこと心より厚く御礼申し上げます。
 この度退山されました學明大僧正には、私が申し上げるまでもなく皆様ご
存じのように、大戦中の昭和16年蓮華寺の住職を拝命され戦中戦後の大
混乱期を先住寛明大僧正と共に大変御苦労された由お聞きします。
 ようやく我が国にも明るいきざしがが見え始めた昭和33年の3月御尊父
寛明大僧正のあとを継いで金蔵寺の住職に就任されました。以来持ち前の
明るさと庶民性とによって自分自身の持ち味を遺憾なく発揮され、檀家は
勿論のこと幅広く信者を集め寺門の隆盛に尽くされました。教わるに師を
慕って得度された弟子が実に250人に、指導して金蔵寺での加行(けぎょ
う)修了者が30名にも及ぶと聞きます。
 その間、昭和40年には金蔵山修験宗務所長に任じられ、60年には都
講(とこう)、そして平成2年大僧正の地位につかれました。
 僧職のほかにも民間の役として民生委員を委嘱され、地域の福祉に取り
組まれ27年の長きにわたってお世話になりました。現在は行政相談員とし
て昭和43年以来引き続いて活躍されております。
 これまで申し述べましたように色々の業績に対しまして各方面より数々の
表彰を受けておられます。そのうち主だったもので高野山より教化功労賞を、
県仏教会長より住職50年の表彰、そして平成2年国より勲六等瑞宝章と栄
えある栄誉を受けられました。
 この山上から町並みを眺めますと丁度今は田植えの真っ最中でございま
す。トラクター・田植機とすべてが機械化されその植えられる苗がこれまた
箱入りで、前の晋山式があった昭和33年には到底考えられない情景でご
ざいます。
 その当時を思い浮かべますと、道路には材木を一杯積んだ馬力が、たま
にバスが門前の長手一杯に砂ぼこりをあげて走り抜けていく。一般の乗り
物といえば自転車で、その頃よりぼつぼつと原付自転車がはいっていたか
も知れません。
 以来昨年まで実に36年間という月日は非常に世の中の移り変わりが激し
く、時代の波は容赦なくこの山寺にもうち寄せ住職の御苦労が偲ばれます。
 人の力で足で登のが当然であったこの山にも時代の要求か、今の車社会
の中でどうしても必要になった自動車登山道路を見事完成、誰でも気安くお
参りができるようになりました。これにつけても計画から完成まで多年の歳月
がかかっております。本日御列席の歴代総代の方々にもお一人お一人が今
それぞれの当時を振り返り住職と共に取り組まれた数々の思い出を感激ひ
としおのものがあろうかと存じます。
 學明大僧正には36年間の長きにわたって本当に御苦労さんでした。退山
されたあとも益々御元気で新住職と共によろしくお願いいたします。
 次に新住職正明僧正については、昭和23年10月學明大僧正の長男とし
てお生まれになり、15歳で寛明大僧正に従って得度を受けられました。それ
にお寺の嫡男として物心ついた3歳頃よりおじいさんに色んなことを教えられ
たと聞いております。
 新住職は近在まれにみる秀才で西脇高校卒業後京都大学へ進まれ大学
院教育学研究科を修了され、昭和51年より蓮華寺住職に就任されました。
 一方仕事の方は県立高等学校教諭として多可高校をを振り出しに小野高
校・西脇高校と17年間教職に就かれました。そして平成5年3月末をもって
金蔵寺の住職に就任されるため退職をされました。
 その間多くの教え子たちの信望も厚く、このように学識経験豊かな新住職
は、今まで以上に変わって行くであろう21世紀に向けて、我々檀信徒の心の
よりどころであるこの寺を、そして我々を導いてくださるものと確信しておりま
す。
 先程の法会の奉告文で今後の住職の決意の程を誓われました。我々檀
信徒も新住職を中心に、遠い先祖より延々と受け継がれてきたこの法灯を、
長い歴史の中ではほんの一時期ではございますが、未来永劫消えることな
く灯し続けることを御本尊薬師如来様の御前にお誓い申し上げ、甚だ簡単
ではございますが、総代の式辞といたします。
       平成6年5月14日  金蔵寺檀徒総代  K・Y

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晋山式・写経会・御詠歌
『かなくら山報』第37号 1994/06/01

                    寺内  T・A

 若葉の薫る5月14日(土)、霊峯金蔵山において晋山式が行われました。
当日は、五月晴れの晴天に恵まれ、「南無薬師如来」の赤幟が並び立つ
中、多数のご来賓並びにお参りの方々のご臨席を得て、御本尊様の御前
で厳粛に執り行われました。
 まず、前住職様が御本尊様にご退山のご報告をなさいました。36年もの
長い年月の間大変ご苦労様でした。今後ともお身体をお大切にお暮らしく
ださることを心よりお祈りいたします。
 次に、新住職様が新しい袈裟・法衣に着替えられ、ご本尊様にご晋山の
ご報告をなさいました。新住職様の衣は西陣織で色も鮮やか、高雅なもの
で恰幅よく大変お似合いでした。新住職様には毎日お忙しい檀務がありま
すので、充分健康にご留意されますこと、そして、金蔵寺のご発展を心から
お祈りいたします。
 さて、毎月第2日曜日の朝は、金蔵山で写経会です。午前6時より一時間、
夏も山でうぐいすやや小鳥がさえずり、ただ静まりかえっています。もう少し
字が上手に書けたらと悩んでいます。休んだり、また、行ったりですが、日頃
の雑事も忘れて心が落ち着きます。
 また、6月17日には、中町のベルディホールにおいて多可地区の奉詠大
会が行われます。金蔵寺支部の奉詠曲は、「いろは和讃」と「めぐみの光か
がやきて」ですが、今年の一斉奉詠の曲の中には、新住職様が『かなくら山
報』の前号に書いておられる「平和観音讃仰和讃」もあります。
 毎月17B、新住職様や奥様とみんな心ひとつにして、「南無大師遍照金
剛」をお唱えし、三信条・五綱目を唱えて御詠歌を習っています。
 三信条には、「自他のいのちを生かすべし」とあります。自分のことも大切
だが、他を思う心を大切にしようと大僧正様によく聞かされました。
 いつまでも下手ですが元気で出席できることを感謝しています。お一人で
も多く御詠歌に参加していただきたく思います。合掌

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以下、付け加えますので、しばらくお時間をいただきたいと思います。