『かなくら山報』への寄稿1997
最終更新 

 金蔵寺住職として、記名または無記名で
「かなくら山報」に掲載したものです。
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御写経のすすめ
『かなくら山報』第70号 1997/09/05


 朝夕めっきり涼しくなって、9月を迎えました。檀信徒の皆様にはいかが
お過ごしでしょうか。
 さて、金蔵寺の早朝写会も、皆様方のおかげで、この8月10日をもって
第50回目を迎えることができました。この会は、平成5年、私の住職就
任前後に檀家の方からのご希望があり、第1回目は、同年6月13日に
21名のご参加で本堂で実施しました。
 以来、4年あまりの間、毎月第2日曜午前6時〜7時の早朝写経会は、
平成6年2月13日に積雪のためやむなく中止しただけで、あとは、雨が
降っても風が吹いても雪が降っても(その後積雪に懲りて12月〜3月は
別院で実施)、住職が出張や棚経などで不在の時も一度も欠かすことな
く実施することができました。
 この間、ご参加のメンバーもいくぶん入れ替わりましたが、現在では
ほぼ定着しています。また、昨年4月からは、別院写経会も新にの設け
ました。
さらに、「写経会には出席できませんが…」と言って、家で書いてこられ
る方も増えてきました。
 最近では、殆どの方が高野山への奉納を希望されますので、月末か
月初めに総本山金剛峯寺の御写経奉納総司所へ送ります。試みに、
平成5年6月から現在までの奉納巻数を問い合わせましたら、786巻と
いうことでした。まさに、「継続は力なり」ということですね。   

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檀信徒の皆様へ
『かなくら山報』第68号 1997/07/10


 季節はずれの台風一過、梅雨明けかと思ったらまた雨が続いたり、
また、神戸などで痛ましい事件が続発していますが、檀信徒の皆様には
如何お過ごしでしょうか。
 さる4月19日に上棟式を行いました居間の新築工事がこのほど完成
いたしました。金蔵寺にとりましては、実に数十年来の懸案事項であった
かと思います。お世話になった皆様方に衷心より感謝申しあげます。本
当にありがとうございました。
 さて、金蔵寺四国八十八ヶ所霊場の建設については、過日の責任役員
会で札所を置くコースを下図のごとく決定いたしました。奥の院への参道
は今の道幅を拡げますが、札所は置かないことに決定しました。7月中
旬から道路工事に入る予定です。
 札所の申し込みは、現在、56ヶ所、申込者の総数は104名です。お一
人でも複数の方でも構いません。あと、32ヶ所についてのお申し込みを
いただきたくご案内申しあげます。

かなくら四国順路
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檀信徒の皆様へ
『かなくら山報』第67号 1997/04/07


 桜花爛漫の季節となりましたが、檀信徒の皆様にはいかがお過ごしで
しょうか。
 さて、金蔵寺居間の改築工事のこと。前号でもお知らせいたしました
工事現場の発掘調査も3月中旬に終了し、工事が再開されました。
 発掘は当初の予定にはありませんでしたし、工事現場の予想以上に
掘りかえしをしましたので、先日、業者を交えた金蔵寺責任役員会で
工事期限等について再度話し合い、次のように決定いたしましたので
お知らせいたします。
 上棟式   4月19日(土)
 工  期   6月15日(日)
 次に金蔵寺四国八十八ヶ所建設のこと。これも前号でお知らせして
約1ヶ月の間に、おかげさまで八十八ヶ所のうち三十六ヶ所の申し込み
をいただきました。本当にありがとうございました。
 ただ、ご寄進の申し込み締切と入金の期限を明記しておりませんでし
たので、これも責任役員会におはかりし、平成9年12月31日、すなわ
ち年内と決定いたしましたのでお知らせいたします。ただし、申し込み
は予定数に達し次第締め切らせていただきますので、その点お含みお
きいただきたいと思います。詳細につきましては、総代または寺院まで
お問い合わせください。
 次に現在あいている52の札所の番号のみを列挙いたしますので、
ご希望の方は、できるだけ早くお申し込みいただきますようご案内申し
あげます。
 16 17 20 23 25 26 29 32 33 35 37 39 40 41
 42 43 45 46 47 48 49 50 52 53 55 56 57 58
 59 60 61 62 63 65 66 67 68 69 70 71 72 73
 74 77 78 79 80 81 82 83 84 87
                                 (4月6日現在)   

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震災三回忌法要にて
『かなくら山報』第65号 1997/02/10

   
天地嘆かう
        作詞 宮本光研  作曲 西村直記  編曲 谷本祥龍

(唱え奉る阪神淡路大震災受難者追悼御和讃に)

一 まどろむ朝の一刹那
   家もろともに崩れおつ
   人呼ぶ声も立てられず
   ああ、息耐えし人や多(さわ)
   生きて在りしはまぼろしか
二 やけただれたる跡にいて
   ひとり拾える形見にも
   陽炎(かげろう)さえも立ちませず
   ああ、虚ろなるこの胸を
   哀れ過ぎにしおもかげぞ
三 祈らんとする
   目に青き六甲の空
   思うさま群れ飛ぶ鴎
   神戸灘
   深く嘆かう ひとの身は
   更になきかや浮かぶすべ
四 引き裂かれたる
   天地のありて哀しも
   生まれては消えゆくものか
   みほとけのご詠歌
   「御霊安かれ」と
   声も限りに唱えます
 去る1月17日(金)、神戸市の御影公会堂にて、大震災の三回忌追悼
法要が行われました。午前中は、読経及び焼香の追悼法要と震災によっ
て全焼に遭われた神戸市理性院住職の西蔵全祐師のお話。午後は、
音楽家西村直記氏と「ザ・モンクス」による音楽法要。
 私は、「ザ・モンクス」の一員として、冒頭に掲げた和讃『天地嘆かう』
ほか『めぐみの光かがやきて』『観音大慈』をお唱えさせていただきました。
 思えば、2年前、震災から50日たった3月7日、御影公会堂周辺を震災
行脚させていただきました。今にも崩れ落ちそうになっていた阪神電車の
石屋川駅は新築され当時の痕跡は殆ど残っていませんでした。一方、
「ここで30人が亡くなったんですよ」と聞いた理性院東側のマンション跡の
瓦礫はすっかり取り片づけられていましたが、建設のための小屋が建ち
並んでいました。理性院もわずかに残っていた基壇は壊され、建築資材
置き場になっていました。
 心からの慰霊、そして、一日も早い復興を願って、お唱えさせていただ
きました。   
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かなくらの昔(一)
『かなくら山報』第65号 1997/02/10


 金蔵山は、縁起によりますと、和銅年間(708〜715)に大和の国葛城
の役行者が登山されて行法をされ、その後、天平2年(730)に行基菩薩
が等身大の薬師如来を刻んで、里人に呼びかけて堂宇を建立し安置され
たのに始まるといわれています。
 皆さんご存じの、金蔵山のシンボルともいうべき大杉(周囲6.6メート
ル)は千年以上経っているそうです。この間の歴史を見て知っているのか
もしれません。
 この『かなくらの昔』は、金蔵山の歴史にまつわるお話を不定期に掲載
していこうとするものです。

 加西市に酒見寺(さがみじ)という古刹があります。昨年11月にご本尊
十一面観世音菩薩の61年目の御開帳大法会を原修されたことは聞いて
いましたし、ご住職の龍田隆史師とは約30年前に高野山で一緒に修行し
たときからの知己の間柄でした。
 この度、御開帳記念事業の一環として発刊された記念誌『泉生山酒見
寺』(210頁)を目にする機会を得ました。
 酒見寺は、天平17年に行基菩薩が開創、伽藍を建立し、「賀茂郡きっ
ての寺院』となったそうです。その後、兵火に焼かれるなど幾多の変遷を
経て寺勢が衰えてしまっていたのを、江戸時代に出た隆恵(りゅうえ)
上人が伽藍を再建し、復興したといいます。酒見寺では、隆恵上人をもっ
て中興の祖とされているそうです。
 ところで、隆恵上人は、加西郡玉野村に生まれ、幼くして親元を離れて
多可郡の金蔵山に入って出家、経籍を習い、高野山の修行を終えて酒
見寺の住職に就任したのが慶安3年(1650)ということです。
 今から350年前の金蔵山は、すでに僧侶の学問および修行の場で
あったとのこと、金蔵山では推測でしか分からなかったことが、よその
お寺の記録によってはっきりと分かるというのは嬉しいものですね。   

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