『加美っ子仏教』への寄稿1980〜89
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蓮華寺住職として、『加美っ子仏教』に発表したものです。

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加美中学校のみなさんへ
          『加美っ子仏教』創刊号(1989/07/15)より

 日増しに暑くなる今日このごろ、加美中学校のみなさんは、毎日勉強に部
活動に一所懸命にとりくんでいることでしょう。
 この6月・7月・8月は、勉強においても部活動においても、2年ないし1年
余り、或いは、2か月あまりの積み重ねの成果を試す大きな行事があると
いう意味で、ひとつの節目と言えますね。
 みなさんの活躍の様子をいろいろと耳にするとき、嬉しくなるとともに、私
は、20数年前の加美中学校の生徒だったときをいつも思い出します。
 今年は、陸上競技部が郡大会で優勝したそうですね。
 古い話になりますが、昭和38年4月、松井中学校と杉原谷中学校が合併
して加美中学校となったのですが、私はそのとき3年生でした。
 私たちのころは、まだ陸上競技部がありませんでした。にもかかわらず、
10月に中町中学校で行われた郡大会に加美中学校として初優勝しまし
た。
 野球部やバレー部、卓球部やソフト部などの運動部に入っていた私たち
が、毎年夏休みになるとかり集められ、陸上競技の練習をしました。
 初めての加美中学校の統一チームでした。当時の写真を見ますと、北校
舎(旧杉原谷中学校)の方は、「加美」というゼッケンをつけていますが、南
校舎(旧松井中学校)は、間に合わなかったのか、まだ「松井」のゼッケン
をつけて出場しています。
 『加美中新聞』(南校舎第2号、昭和38年11月25日発行)には、

    郡中学陸上競技大会に
  加美中    初優勝
    男子部   準優勝
    女子部   優勝

という見出しのもとに、男子では、100メートル走・400メートル走・走り高
跳び・走り幅跳び・砲丸投げ、女子では、60メートル走・走り高跳び・走り
幅跳びにおいて、いずれも優勝したことと選手の名前が書かれており、
また、リレーでは、男子が2位、女子が3位になったことも紹介されていま
す。
 この優勝は、自分で言うのは気恥ずかしい話ですが、加美中学校の名
を郡内にとどろかせたもので、まさに加美中学校の出発であったのでは
ないかと思っています。
 ところで、夏休みといえば、陸上競技だけやっていたわけではありませ
ん。水泳もしましたし勉強も一所懸命しました。
 なかでも思い出すのは、8月1日〜3日の中学生夏期講座です。
 昭和初期から北部で円成会によってはじめられたこの講座が、昭和38
年からは南部でも弘明会によって始められました。したがって、私たち
は、加美中学校の第1回生のみならず、この講座の南部の第1回の受講
生でもあったわけです。
 般若心経や父母恩重経の話、静座やエノケン(榎本健一)の映画などが
ありました。
 西光寺(西脇)の先住荒木経雄僧正が、眼鏡に手をやりながら、
 「これは、世間では、フボと読みますが、仏教では、ブモと読むんです。
したがって、このお経は、ブモオンジュウキョウと言うんです。… 男の子も
子供が生まれるときには、お湯ぐらい沸かすんですよ。」
と説教なさったことが忘れられません。
 このころは、ほとんどの中学生が参加しましたので、南部の会場の極楽
寺(豊部)はいっぱいになったのを覚えています。
  平常心これ道なり
 部活動も勉強も、一所懸命頑張って、すばらしい成果をあげるために、
今年こそ、加美町仏教会中学生夏期講座に参加しようではありませんか。

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