『加美仏教』への寄稿2000〜09
最終更新 

金蔵寺住職として、『加美仏教』に発表したものです。

 

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            年頭に当たって
             『加美仏教』第176号(2004/01/01)より

                    加美町仏教会理事 金蔵寺 東野正明

 謹んで新春のご祝詞を申し上げます。
 平素から当仏教会にいただいております皆様方のお力添えに感謝いたし
ますとともに、本年もさらに一層のご理解・ご協力・ご支援をたまわりますよ
う、何とぞよろしくお願い申し上げます。
 昨年は、私たち加美町仏教会にとりまして、非常に悲しい出来事がござい
ました。
 九月二十八日、それも加美町仏教会秋季講演会の席上で熊野部阿弥陀寺
住職藤原晃玄大和尚が突然倒れられ、同日ご遷化されたことです。仏教会
の行事の最中のご遷化ですから、まさに殉職でした。 
 顧みますと、大和尚は、昭和四十三年阿弥陀寺ご晋山以来、実に三十六年
の長きに渡って寺門の護持興隆と檀信徒の教化に尽瘁なさいました。この間、
加美町仏教会の数々の行事にも積極的に参加され、私たち後輩にいつも
和顔愛語を以てご指導くださいました。
 ご遷化以来、三ヶ月が過ぎた今、大和尚のご遺徳が偲ばれ、、その失った
ものの大きさを改めて感じています。
 思えば、昨年九月十日付の『加美仏教』は大和尚のご寄稿になるものでし
た。
 大和尚は「世界平和と佛教」と題して、混迷を極める世界の現状を憂い、
「世界は宗教で治めなくては平和は訪れない」、そして、涅槃の四徳、常楽
我浄に言及され、「釈尊の覚られた涅槃の境地こそ世界の人々にやすらぎ
の心をあたえ、やがてそれは世界の平和となって地球上に永遠の楽園が
訪れることとなります。」と結論づけ、最後に次の呪文を三唱することを訴え
ておられます。
  「南無釈迦牟尼世尊 世界に平和を賜りますように」
 この大和尚のまさに遺訓ともいうべきおことばは、自衛隊の海外派遣や
フセイン元イラク大統領逮捕などで、今なお混乱極まるイラク情勢を思うと
き、いよいよ新鮮なものとして感じられるのです。
 私たち加美町仏教会一同は、まさに私たちの文字通り眼前で、人の死と
いう人生最期にして最大の厳粛さを示したまい、そして、最後の最期まで
加美町仏教会の現役住職として活動された大和尚に満腔の敬意を表すと
共に大和尚の最後のおことばを尊い遺訓として、肝に銘じ活動に励んでいく
所存です。
 時を経て、年末の十二月十四日、阿弥陀寺様で晋山式が行われ、ご長男
の藤原秀光師が新住職としてご晋山なさいました。
 秀光師にとっては、晃玄大和尚の突然のご遷化は、本当にお気の毒であ
り、大変なことであったと思います。
 私も経験がございますが、実の父親の死というだけでなく、お寺の住職の
葬儀という、実に大層なことを喪主として、そして、法嗣として取り仕切らね
ばならないということです。それは、秀光師、お母様、檀信徒の方々は勿論、
亡くなられた晃玄大和尚にとっても全く予期されないことでした。
 しかし、寺院の後住としては、いつまでも肉親の死という悲しみに浸って
いることは許されません。文字通り、歯をくいしばって、葬儀、忌中まつり、
法事は勿論、他寺の住職・寺族の葬儀や法事、仏教会の托鉢、また真言宗
の一大年中行事である土砂加持大法会も大和尚の代わりに立派にお勤め
になり、結果的には、本当に短期間のうちに数々の貴重な経験を積まれる
ことになりました。
 この難局を見事に乗り切られたのは、檀信徒の方々のご理解とご協力、
そして、絶大なるご支援の賜物ではありますが、何よりも、秀光師ご自身の
ご努力とご精進によるものです。
 「転禍為福」、禍を転じて福と為す、ということばがございます。晃玄大和尚
のご遷化を禍にたとえるのは、はなはだ失礼に当たるかも知れません。
しかし、秀光師にとっては不幸極まりない出来事でありました。
 そういう意味で、この間の、秀光師のご努力とご精進は、加美町仏教会
の一員として、また、真言宗の結衆寺院、しかも、隣寺としていささかお世話
させていただいた私から見ても、本当に素晴らしかったと思います。
 今回の一連の出来事は、秀光師にとっては、人生の一大試練であったと
思いますが、それによく耐えよく忍んで、第一関門を見事に突破されようと
しています。
 私たち、加美町仏教会といたしましては、この慶事を衷心よりお喜び申し
上げ、新住職をまさにお若い戦力として歓迎し、今後のご活躍にご期待申し
上げます。
 先住のご遷化と新住のご晋山という、弔事と慶事に人の世の諸行無常を
感じるとともに、新しい若い力に限りなく期待を寄せながら、年頭に当たっ
て、加美町仏教会の理事として町民の皆様にご報告申し上げる次第でござ
います。
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           広島で考えたこと
             『加美仏教』第172号(2003/05/01)より

                    加美町仏教会理事 金蔵寺 東野正明
 
 風薫る五月、加美町の皆様にはいかがお過ごしですか。あれほど寒かった冬も
いつしか過ぎ去り、知らない間に暖かくなり、時として暑いぐらいの日が続くことに
あらためて驚いているのは私ばかりではないでしょう。自然現象の移り変わりの
速さに、まさに驚くばかりです。
 日頃は、当仏教会に深いご理解とご協力をいただき誠にありがとうございます。
今年一年間、私が仏教会の理事を務めさせていただくことになりました。どうか
よろしくお願いいたします。
 本年度も、この『加美仏教』一七二号の発行をかわきりに、『加美っ子仏教』の
発行、参拝旅行、夏・秋の托鉢、仏教徒のつどい、夏・秋の仏教講演会、中学生
の夏期講座、春の英霊塔参拝、長寿者お祝い、善意の預託、愛の持ち寄り等々
の恒例の事業を計画しております。このような諸活動が毎年滞りなく実施できます
のも皆様方からお寄せいただきました尊い托鉢のご浄財のおかげと、会員一同、
ひとえに感謝申しあげる次第でございます。
 さて、四月十八日、広島を訪れる機会があり、ユネスコの世界遺産に登録され
た原爆ドームと広島平和記念資料館を久方ぶりに訪ねました。
 原爆ドームは、もと産業奨励館と呼ばれていましたが、昭和二十年八月六日の
原爆の投下により、建物は一瞬にして大破し、天井から火を吹いて全焼、中にい
た人は全員死亡したと伝えられています。爆風がほとんど真上から働いたため、
壁の一部は倒壊を免れ、ドームの鉄枠とともに象徴的な姿をさらし、その形から
いつしか原爆ドームとよばれるようになったということです。
 原爆ドームのまわりを半周し、全国の学校から学徒勤労動員され被爆死された
方々の動員学徒慰霊塔の横を通り、元安橋を渡って平和記念公園に入りました。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから。」という碑文で有名な原爆死
没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)を拝み、平和記念資料館へと急ぎました。
 ここを訪れるのは実は三度目でした。最初は、昭和四十六年、学生時代でした。
当時は反戦平和の運動が盛んなときでした。二度目は平成六年、終戦五十年を
記念して、御詠歌の大会が「世界平和を祈念するつどい」として広島で開催された
ときで、資料館の建物が新しくなっていました。そして、今回、全く個人的な用事で
広島を訪れたのですが、やはり、ここに足を運びました。
 九年ぶりだったので、建物を見てもその入口を探すのに右往左往、私も年をとっ
たなあと思いながら、やっと入口にたどり着きました。
 入口に入るなり、私の目を引いたのは、「イラクへの軍事攻撃に強く抗議する」
(WE STRONGLY PROTEST THE MILITARY ATTACK ON IRAQ.)という抗議文
でした。そのころはもうアメリカ・イギリス軍のイラク攻撃がほぼ終わり、諸国は挙っ
て戦後の「復興支援」に奔走する段階になっていたように思います。「破壊」して
「復興」するなら、はじめから破壊しなければよいのに・・・、
その間に失われた無辜の人命はどうするんだ、と思っていた矢先でした。
 二時間余りかけて、館内の展示物を見て回りました。何度来ても新たな気持ちに
なるのがこの資料館です。見て回ったあともう一度入口の抗議文を見に行きました。
聞けば、アメリカの軍事攻撃開始後から、広島市の指示により掲出されているとのこと。
 戦争そのものを絶対に許さないという広島の人々の決意に非常に新鮮なものを感
じ、不殺生戒という釈尊の教えの原点に立ちかえらねばならないと思いました。次の
ことばを味わいたいものです
 「不殺生とは。生とは。いきとしいけるものなり。この生きとし生けるもの。命根あり
て世に住す。残忍の心にて此命根を断ずるを殺生といふ。道を守りて此殺生をはな
るるを不殺生といふなり。」(慈雲尊者『人となる道』より)
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秋巡り お四国紀行
         
 『加美仏教』第163号(2001/11/20)より

  十一月五日から七日までお四国を順拝してきました。第五十四番延命寺
から第七十八番郷照寺まで、伊予国道後温泉を過ぎた頃から讃岐国坂出
あたりまでです。このところ数年来、年二回春秋に二泊または三泊でお四国
を順拝することが例となりました。今回は私を含め十四名の小団体のバス
遍路です。
 世界に数ある霊場巡拝のなかで、四国順拝は最近ではNHKテレビなど
で放映することが多いので割合皆さんによく知られているのではないかと
思います。何のためにお四国へ出かけるのか、弘法大師空海上人が開か
れた霊場にお参りするといった普通に考えられている目的の他、その人そ
れぞれに異なる理由や動機や目的があることと思います。この千年のネット
ワークとも言われる順拝を信仰のためだけではなく、心身鍛練のためとか、
持っている悩みの解決のためとか、病気を治すためとか、日本文化を知る
ためとか、…。
 私の場合は、当然ながら真言宗の寺院住職として祖師弘法大師の足跡を
訪ねるために始めたのですが、様々な札所を巡っているうちに、それ以外
の様々な副次的産物があることに気がつきました。色んな表現ができると
思いますが、一言で言いますと「出会い」とでも言えるでしょうか。大自然と
のふれあいとか、未知の人間との出会いとか、…。
 お四国順拝を勧める中で、よくこんなことばが返ってきます。「まだ、私は
足腰が立つので、そんな年ではない。」とか、「足腰がいうことを聞かぬので
とてもお参りできない。」とか。散歩したり松茸を探しに行く気力があれば十
分、お互いに迷惑をかけたりかけられたりして、まあ、何事もやってみたら
それだけのことはあるものですよ。
 かつて、第二十番鶴林寺の宿坊でのこと、廊下でがやがやと若い人の声
が聞こえるので、何事かと出てみたら、二十歳前後の男女が四,五人議論
をしているように見えました。「何事ですか。」と聞くと、札所ごとにいただい
た納経帖に何が書いてあるのか分からないとのこと、早速教えてくださいと
きた。「これは金剛界大日如来の梵字でバンという字…」「ここは観音様が
御本尊でしょ。こういう場合は、大慈大悲の観世音菩薩ということばがある
ように大慈殿とか大悲殿とか書かれる場合が多いですね。」「ここは阿弥陀
様が御本尊、だから無量寿殿と書かれていますね。」「ここはお薬師様、…」
こんな調子で教えてあげるとふんふん納得しながら頷いている。大学生も
いれば失業した人もいる。フリーターもいる。歩き遍路もいる。バイク遍路
もいる。はじめは同じグループに見えましたが、どこかの札所で一緒に
なって、また離れて一緒になった若者の集団であることが分かりました。
明日はまた一緒に出かける者、単独で出かける者、名前を名乗ってもいい
し名乗らなくてもいい。遍路の動機については別に言わなくてもよい。お互
いのプライバシーは一切詮索しないというのが遍路の作法です。
 お四国特有の風習と言いますか、お接待というのがあります。「接待」で
はなく、「お接待」です。四国の人は私達遍路を弘法大師の身代わりと見
ています。だから、お茶や餅・みかん・タオル・甘酒など様々なものを遍路
に供養するのです。勿論無償であり、これをしたから自分だけに良いこと
があるようにという交換条件のようなものは一切ありません。遍路も修行
ならば遍路にお接待をする人も修行なのです。善根宿といって無料の宿
泊所もあります。
 様々な出会いの中で、今回特に面白かったのは、第六十六番雲辺寺
でのこと。この札所は来るたびに様子が変わっているなあ、今度は何が
新しくできているかなあ、とバスの中で言いながらロープウェイの山麓駅に
着きました。百人乗りのロープウェイでシーズンオフのためか乗客は我々
十四名と外国人一人とあと二・三名いたかという程度。私は、この外国人
男性と目が合い目で挨拶を送る。山上に着き一路本堂へ。やっぱり変わっ
ていました。五百羅漢が前回と比べてものすごく増えていました。
 本堂前に至り、納め札を納め、賽銭を御供えし、蝋燭を灯して線香を立
てる。般若心経と雲辺寺の御詠歌を御唱えし終わって振り向くと、先程の
外国人男性が微笑しながらデジタルカメラの画面を見せてくれました。私
が鈴鉦を振っている後ろ姿の写真。
 「どこから来られたんですか。」「ああ、クニ?」「はい。」「アメリカ人です。
日本に来て四年半になります。東京で英会話の先生をしています。」歩き
ながら、「ショウミョウ(声明)?」「いや、御詠歌です。」
 大師堂前に移り、御詠歌「金剛」をお唱えした後、境内を散策し、下山
のロープウェイでまた先程のアメリカ人に出会いました。「パソコン使えま
すか? インターネットは?」「はい、使えます。」名刺を出しながら、「あな
たの写真、私のホームページに載せます。」私も名刺を出しながら、「私も
HPを持っています。URLを変えていますが、これからでも飛ぶようにしてい
ます。」私はこの奇妙な出会いに嬉しくなり、一行の皆さんにその場で伝え
るとみんなも興味津々。名刺には、「秋巡り AKIMEGURI」と書いてありまし
た。
 帰ってきて、ジェームズさんというこの方のHPを開いてみると確かに私
の写真が載っている。私の名刺やHPについてコメントまでしてある。ここ
まで読んで関心を持たれたあなた、次をクリック!
 
http://www.connectedjapan.com/Log011106.htm
甚だ個人的体験、失礼多謝。

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