『加美仏教』への寄稿1980〜89
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蓮華寺住職として、『加美仏教』に発表したものです。

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世界の明日を考える
             『加美仏教』第92号(1989/05/01)より

 新緑の候 皆様にはご清祥のこととおよろこび申しあげます。
 日頃は加美町仏教会に深いご理解と温かいご支援を賜り誠にありがとう
ございます。
 当仏教会はご存じのように、60有余年の歴史を持っております。昭和初
期からの先人たちの足跡に学びながら、その輝かしい歴史に新たな
一ページを加えるように努力したいと思う今日この頃です。
 本年度も、この「加美仏教」第92号の発行をかわきりに、参拝旅行、夏秋
の托鉢、仏教徒の集い、夏秋の講演会、中学生夏期講座、慰霊祭等々の
恒例の行事を計画しております。このような諸活動が毎年滞りなく実施でき
ますのも、皆様方から寄せられました尊いご浄財のおかげとひとえに感謝
申しあげる次第でございます。
 4月23日、久方ぶりに小学校の授業参観に行きました。立派な校舎に
なったものだと我が母校の昔に思いを馳せながら校門から入り廊下を歩い
て教室へ急ぎました。
 末娘の一年生の教室から、「あかるい、おひさま、あいうえお。いいかお、
いきいき、あいうえお。…。」と大きな声が聞こえてきました。私たちの30有
余年前とは比べものにならない立派な施設設備、教材教具類に圧倒され
てしまいました。そして、元気いっぱい児童を活動させながら、ひとりも落ち
こぼさないすぐれた先生のご指導に感激し、深く感謝いたしました。
 この子どもたちが、すくすくと育って、私たちの加美町、西脇多可の地域、
兵庫県、日本、そして、世界の未来を創造していく姿を想像していました。
 子どもたちが、私たちの美しい町、自然の町、加美町の明日を創ってい
くのです。PTA総会では、先生方と保護者の方々の熱気あふれる雰囲気の
中で、あらためて加美町仏教会も何かご協力できないものか、と考えていま
した。
 当仏教会では、毎年8月1日から3日間(3年に一度は1泊2日)、中学生
の夏期講座を実施しております。今年48回目を迎えるこの講座の初期の修
了生は60歳ぐらいになっておられます。この方々が現在も何人かこの講座
に参加され、当時を思い出して、異口同音に、「今の私があるのは、父母恩
重経(父母の恩が深く重いことを説いたお経)や般若心経(さとりに至るすじ
みち、人間の生き方を説いたお経)の講習を受けたおかげだ。」と中学生に
聞かせてくださいます。20年以上前に中学生として参加した私も、今やっと
先輩の方々と同じ気持ちになることができました。
 最近では、この講座に参加した中学生の感想文の一部を毎年「加美仏
教」9月号に発表しております。
 「静座は苦しかったけど、終わりの方では楽しくなってきた。」
 「いのちの大切さや生きることのすばらしさを教わった。」
 「静座は、部活が終わって気持ちがだらけている時にもってこいでした。」
 「僕は、最後まであきらめないでやり抜くことにした。」等々。
 講座に参加した中学生は、いやいやながら親にすすめられて参加した者
でも、3日(2日)間が終わりますと、こちらが気恥ずかしくなるような感想文
を書いて修了していきます。このような中学生のためにも、毎年、気持ちを
新たにして、さらに魅力ある企画をしようと努力しております。
 ところが、残念なことに最近中学生の参加者が減ってきました。参加した
くない理由を聞いてみますと、「しんどいから嫌や」「かたくるしい」「せっかく
部活が休みになったのだから休養したい、家族旅行したい。」等々。ひどい
のは、内容も知らないで、「あんなところへ行くもんやないで」と言う子もいる
とか…。
 何ごとも味わってみなければそのおいしさや楽しみはわからないと思いま
す。また、楽をして与えられる物事のすばらしさよりも、しんどい目をして自
らつかみとる物事のすばらしさの方がより自分の身につき、明日への活力
となることを、中学生のみなさんは、勉強や部活動を通してよく知っている
はずなのにと思うのです。
 小中学生時代のすばらしい体験には何事にもかえられないものがありま
す。まじめに人生を考え、人間の生き方を考えることが、明日の加美町を
創ることになるのです。
 子どものしあわせを願わない親はいません。たくましくしなやかに育って
ほしいものです。いつも夢を大きくもって、自己の持てる可能性に挑戦さ
せたいものです。何ごとにも力一杯やったうえでの満足感を味わわせた
いものです。
 阪神タイガース前監督吉田義男氏の名言「全員一丸となって力を出し
切り、挑戦していく」姿勢が明日を築く子どもたちにそなわったとき、世界
の未来が安泰だと思わずにはいられません。 

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地球は、沈黙してはならない
            『加美仏教』第88号(1988/09/01)より

  「ホー、ホー、ホータル来い。
  あっちのみーずは、にーがいぞ。
  こっちのみーずは、あーまいぞ。
  ホー、ホー、ホータル来い。」

 私たちの幼いころは、夏は蛍狩りに興じたものですが、このごろでは、蛍
そのものがいなくなったといわれます。これは主として農薬が過度に使われ
た結果だと考えられますが、実は、このことを、20年以上も前に警告した
人がありました。
 「アメリカの奥深くわけ入ったところに、ある町があった。生命あるものは
みな、自然と一つだった。・・・・・ところが、あるときどういう呪いをうけたわ
けか、暗い影があたりにしのびよった。…ああ鳥がいた、と思っても、死に
かけていた。ぶるぶるとからだをふるわせ、飛ぶこともできなかった。春が
きたが、沈黙の春だった。
 いつもだったら、コマドリ、スグロマネシツグミ、ハト、カラス、ミソサザイの
鳴き声で春の夜は明ける。そのほかいろんな鳥の鳴き声が響きわたる。
だが、今はもの音一つしない。野原、森、沼地、…みな黙りこくっている。」
 これは、アメリカの生物学者であるレイチェル=カーソンの小説『沈黙の
春』の一節です。彼は、早くも1962年(昭和37年)、生物学の専門的な研究
から農薬のもたらす危険性について訴えました。
 なぜこうなったのか。彼は続けます。
 「病める世界・・・・・新しい生命の誕生をつげる声ももはや聞かれない。
でも、魔法にかけられたのでも敵に襲われたわけでもない。すべては、人
間みずからが招いた禍いだったのだ。」
 カーソンは、農薬という文明の利器を全く否定したわけではないと思いま
す。害虫や雑草を駆除するために使用されたはずの農薬が、当初の目的
を超えて使用され、虫や鳥、河川や池沼の魚、すなわち、人間に有益なも
のまでをも殺し、自然界のバランスを保っている生態系を直接・間接に破
壊して生物を滅亡させる危険性をもつことを警告したかったのです。農業
を効率的に行うために生み出されたはずの農薬が、生物一般を滅ぼし、
はては、人間の生命をも奪う危険性を訴えたかったのです。そして、その
元凶は、ほかでもない、人間だというのです。
 農薬の問題は一例にしかすぎません。人類は、自然とたたかうために
様々な近代文明を築き科学を発達させてきました。それは、人間の英知
の結果として讃美され、そのおかげで人間は、確かに快適な生活がおく
れるようになりました。
  しかし、人間は、みずからの快適な生活を追求するあまり、横暴さを発
揮した結果、そのツケを今払わされ始めているのではないでしょうか。こ
のことは、環境破壊の問題を考えてみればよくわかりますが、人類が生
み出したもののなかで、その最たるものが原子力だといえるでしょう。
 核兵器はいうまでもなく、人類を一瞬のうちに滅亡させる危険性をもつ
この力をたとえ平和利用ではあっても、いのちを奪う危険性があるかぎり
簡単に見過ごすわけにはいかないと思います。
 「沈黙の春」にしないために…。 

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般若の面に想う
            『加美仏教』第81号(1987/07/15)より

 暑くなりました。えりもとを軽くと思い、ヒモのネクタイをとりだしました。
一本しかない一張羅のネクタイ。これを見てある人いわく、
 「東野先生は、顔は仏様やけど、心は鬼と違いますか。あたっているで
しょう。」
 本当は、顔と心を逆に言ってほしかったのですが、ネクタイに鬼ならぬ般
若の面がついていたのですから仕方がありません。私は注目された嬉しさ
に、
 「そない言うてくれやんあんただけや。早速、明日の授業で生徒に言うた
るわ。」
と答えてしまいました。
 般若というと、一般に恐ろしい形相をした鬼女の面を思い浮かべる人が
多いと思います。一説によりますと、奈良の般若坊という面打ちが作りはじ
めたということで、鬼女の面が般若とよばれるようになったということです。
 私は、何でもかんでも利用できることは世界史の授業にとりいれますの
で、そんなことを話しながら、般若は、パーリ語のパンニャーの音写で知恵
を意味すること、セイロンから東南アジアに伝わった仏教を南伝仏教(い
わゆる小乗仏教)のお経のことばはパーリ語であったというようなことは教
科書に出ていなくても覚えておくように、等々を話しました。
 般若の知恵を身につけるには、一般に六波羅密(ろっぱらみつ)という六
つの修行法があるといわれています。
 布施(ふせ)=恵みほどこし
 持戒(じかい)=戒律をよく守ること
 忍辱(にんにく)=耐えしのぶこと
 精進(しょうじん)=努力すること
 禅定(ぜんじょう)=心を静めること
 知恵(ちえ)=以上の五つの修行法(五波羅密)を完成すれば自然にそな
         わってくる
 理屈っぽくなりましたが、般若の知恵は、単なる知識の寄せ集めではあり
ません。知識は学問や技術を必要としますが、必ずしも人間の心が安らぐ
ものではありません。知識は文明・文化を産み出しますが、同時に知恵が
そなわっていないと、殺人兵器の生産や公害のたれ流しを許してしまいま
す。
 知恵は、学問や技術を修得するだけでは身につきません。般若の知恵と
は、人間完成の知恵です。言いかえれば、人間が個人として、そして集団と
して、この世の中を、自然と調和を保ちながら共に生きてゆく学力とも言え
ます。
 高校生によく言うことは、「偉くなるにこしたことはないが、それよりも大切
なことは、人間として賢くなる(知恵を身につける)ことだ。」ということです。
 こんなことを考えながら、「顔は仏様、心は鬼」と言われた時、思わず
ニタ!としてしまいました。  

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あるお母さんの話から
            『加美仏教』第63号(1984/07/01)より

 「命を奪うことになるという罪の意識からというのか、幼い生命に畏怖し、
かわいそうに思って、もし彼岸というものがあるなら、そこで安らかに過ごし
てほしいと一心に祈念して書きました。」
 これは、妊娠中絶の手術をする前と後に般若心経を写経したお母さんの
話です。彼女は、自分勝手な気休めかも知れないが、そうせずにはいられ
なかったということです。そして、写経後ふと、昔読んだ『ビルマの竪琴』の
中の水島上等兵を思いだしたそうです。
 この小説は、先頃亡くなった竹山道雄さんが戦後間もなく書いたもので、
主人公水島が、脱走兵という汚名を着せられることを覚悟でひとりビルマ
に残り、僧侶となって遺骨を収集して供養する話です。
 水島は、戦友たちと共に、どんなに日本に帰りたかったことか。だが、
「ああ、やっぱり自分は帰るわけにはいかない。」
 戦友たちに贈ったインコのことばに、これからの自分の生き方に苦悩す
る水島のためいきが移ってしまいます。
 先程のお母さんは、仕方がないとはいえ、かけがえのないひとつの生命
の火を自分の手で消してしまった今、日本へ帰還するよりも現地に残って
遺骨を供養する水島の気持ちが現実のものとして、実感としてとらえられ
るようになったといいます。
 そして、さらに、実際に戦争を体験した人々はどんな気持ちだったのだ
ろうか。勇ましい武勇伝はよく聞く。軍隊内の苦労話もよく聞く。銃後の苦
しい生活もよく聞く。
 しかし、人の命を奪うということについて、また、自分の命を失うというこ
とについて、どんな風に思っていたのか。このような話については、不思
議に、あまり聞いたことがないと言うのです。
 実は、私もあまり聞いたことがないのです。戦争の中での最も非人間的
な行為についての話が不思議に私たちに伝わってこないのです。「思い
出したくない」「二度と繰り返したくない」、と実戦の経験のある人々は、心
の底では思っているのではないでしょうか。
 チャップリンは、戦争を風刺して、「ひとり殺せば殺人罪、大勢殺せば英
雄として賞讃される。」と言いました。
 仏教の戒律は色々ありますが、その第一は、不殺生戒です。梵網経
(ぼんもうぎょう)という戒律の経典には、自ら人を殺すことは勿論のこと、
殺す方便を教えたり、殺す行為を賞讃したり、殺す因や縁を作ることも
波羅夷罪(はらいざい)という罪になると説かれています。
 私たちは、仏教徒としていかに生きるべきか。次の初期仏典の美しい
ことばを真に守り、戦争と差別のない平和な社会を築くための努力をす
ることではないでしょうか。
 「たとえば、母は命を賭けても自分の産んだひとり子を守るように、す
べての生き物を限りなく包容する心を養うがよい。世界全体に対しても
限りない慈しみの心を養うがよい。上下左右にむかって無制限に、憎し
みも敵意も離れた心を養うがよい。」
                 (「スッタニパータ」第1章第八経より)

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生きることの意味
            『加美仏教』第61号(1984/03/01)より

 高史明(こ・さみよん)さんの『生きることの意味ーある少年のおいたち』
(筑摩書房・1200円)を読んでみました。
 この本は、戦時下の日本に朝鮮人として生まれながら、「日本人」として生
きることを余儀なくされた少年が、敗戦を迎えるまでの自伝です。
 <日韓併合>(1910年・明治43年)に伴う土地調査事業(朝鮮総督府に
よる土地接収)、強制連行(多くの朝鮮人を強制的に日本に連行して工場、
鉱山などで働かせる)、母国語剥奪(朝鮮語の使用を禁止して、日本語を
強制する)、創氏改名(朝鮮名を禁止して日本名を名のらせる)など、世界
でも類例のない日本の朝鮮に対する皇民化政策の中で、あくまで朝鮮人と
しての民族の誇りを失うまいと懸命に生きる少年の家族。息苦しくなるよう
な差別と迫害の日々の中で、自分自身の社会的立場を自覚することから
<生きることの意味>を模索する少年の姿。彼が人間の<やさしさ>を
切々と語る時、胸をうたれます。
 「生きるって、なんてすばらしいんだろ!」
 「生きることの意味とは、それぞれの人が、それぞれ自身から出発して、
世界と自分自身とをより深く理解していくものだ。」
 戦後、作家として生きる道を選んだ少年は、人間にとって、「出会いの
すべてが生きる道となる」と考えるようになります。
 「出会いが、ほんとうに人の出会いといえるにふさわしい出会いとなるに
は、人はなによりもまず、自分の人生をせいいっぱいに生きて、他人を、
他の民族の人びとを、自分や自分の民族と同じように大切にすることが
必要です。」
 彼の自叙伝は、単なる人生訓話ではありません。その中に生きた人間の
強さ、たくましさ、真の平和を願う訴え、苦悩の中からこそ生まれた底抜け
の明るささえ読みとれるのです。
 この本は、中学生や高校生にでも読めるように、やさしい文章で書かれ
ています。
 今、趙容弼(ちょう・よんぴる)の「釜山港へ帰れ」という歌がはやっている
ようですが、単なる歌謡曲としてではなく、その歌の本当の意味を知り、在
日韓国・朝鮮人の問題を理解し、私たちが、自分自身の生き方を発見する
ためにも、ぜひ一読をおすすめいたします。

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このごろ思うこと(2)
            『加美仏教』第55号(1983/03/01)より 

 最近痛ましい事件が相ついで起こっている。横浜で少年たちが無抵抗の
浮浪者を手当たり次第に襲撃し20人の死傷者を出した。逃げまどう浮浪
者たちを「いたぶるのが面白かった」という。
 東京でも中学生に襲われた被爆教師が果物ナイフで生徒を刺した。日
頃から「原爆病」とからかわれ、体あたり、足蹴りされていたという。
 これらの背筋が寒くなるような事件を知ってなんとも言えず嫌な気持ち
になった。
 生徒を刺した教師に同情はしても弁護する気はないが、これらの事件
に共通するのは、弱い者いじめである。しかも、「弱者」が「弱者」をいじめ
たところに問題があり、複雑な気持ちが倍増した。これらの少年たちは、
いずれも進学競争からはじき出された「弱者」であったからだ。
 私は、たまたま関東地方で起こった事件を、遠い所のこととして見逃す
ことができない。私たちの加美町でも、少年たちが年下の子どもにつばを
はきかけた事件があったと聞いた。はじめは犬にはきかけていたつばを、
人間にはきかけたらどんな気持ちになるか試したくて面白半分にやったと
いう。また、小学生の間でも理由もなく友だちの腹や足を蹴ったりするとも
聞く。
 事件の程度は違うかもしれぬ。だが、いじめっ子、いじめられっ子の問
題には変わりがない。浮浪者を襲った少年たちも、最初は子どもたちの
中で「弱者」を見つけ、それを集団で痛めつけるという形だったらしい。対
象として選ばれるのは、体の弱い子、障害のある子、勉強のできない子、
家の貧しい子、加えて、いじめられても抵抗しない、あるいは、できないよ
うなおよなしい性格の子どもたちであった。
 このような子どもたちの間での事件は、大人社会のすさんだ世相の反映
だとも言われているが、私は、解決策を一挙に提示しようとも思わないし、
また、できそうもない。
 ただ、言えることは、職場でも社会でも、誰かがいじめられるという風潮
の中では、自分もいじめられる羽目に陥るということだ。いじめる子も人間
ならば、いじめられる子も人間。互いに人間として尊重しあえる社会の実
現を望むばかりだ。
 「母は命を賭けても自分の産んだひとり子を守るように、すべての生きも
のを限りなく包容する心を養うがよい。世界全体に対して限りない慈しみの
心を養うがよい。上下左右に向かって無制限に憎しみも敵意も離れた心を
養うがよい。」
 この美しいことば(「スッタニパータ」)を含味したい。 

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このごろ思うこと(1)
            『加美仏教』第37号(1980/03/01)より

 最近『街に生きるーある脳性マヒ者の半生」(現代書館)という本を読み、
色々と考えさせられました。
 著者の八木下浩一さんは、新聞でもよく報道されましたのでご存知の方
もあろうかと思います。彼は現在40歳。身体が不自由なため9歳で歩きは
じめ、12歳のとき初めて小学校入学の手続きを取りに行ったが、学校に
入学するのはまだ早いと言われ、それ以来、ずっと他の子と同じように学校
へ入学する希望を捨てず、執拗に教育委員会に食い下がって、29歳、つ
いに小学校の学籍をとった人です。
 彼は、「障害者にとって悲しいことは、手が動かないとか、歩けないとか、
頭が悪いとかの自分の身体に障害があるからではありません。差別される
ことが悲しいのです。それは、人間として、この世の中に生まれてきなが
ら、人間として認められない口惜しさであり、かなしさです。」と言っていま
す。
 なぜ、同じ人間なのに差別されるのか。彼が訴えようとしたのは、社会の
中で差別され虐げられている障害者の姿ではなく、障害者を差別する社会
の差別構造を告発したかったのだと思うのです。
 障害者として生まれた人間は、幼いうちから養護学校というところに隔離
され、卒業してからも障害者のコロニーで健常者と離れて働かなければな
らない。このような社会における障害者の一生こそが、健常者が障害者を
特異な人と決めつけ差別する原因を作っていると、彼は訴えたいのだと思
います。
 社会のあり方が人々の意識を決定する。その証拠に、彼が最初3年生に
入学したとき、はじめは子供たちが奇異な感じをもったけれど、次第に慣れ
てきて、八木下さんのことを仲間だと思ってほんとうにつきあってくれたと
言っております。
 だが、残念なことに、学年が進行するに従ってだんだん生徒は彼のことを
うとましく思うようになったようです。
 はじめから障害者を差別する子供はいない。子供が差別感をいだくように
なった原因は何か。健常者と障害者が、各々遊離して存在する社会のあり
方に問題があるのです。
 社会の中に特別な集団を作ることの反映が、差別としてあらわれるのだと
思います。これは、私たち大人が、次代をになう子供たちのためにも考えな
ければならないことです。
 私たちは、どのような社会をめざすべきか。八木下さんのことばを引用し
て一文を閉じます。
 「世の中には、お年寄りもいるし、小さな子どもも若い人もいます。男の人
もいるし、女の人もいます。健常者もいるし、障害者もいます。一人ひとりの
人間はみんな個性が違います。そのようにいろんな人間が集まって、いろ
んな関係をもちながら共に生きていくのが本当の社会なのではないでしょう
か?」 

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