葡萄園の廃園時期に関して

H10.6.7 

稲美町図書館で次のような文章も見つけました。
神戸新聞出版センター発行の兵庫県大百科事典下巻の608Pに播州葡萄園について記載があります。
『……19年4月両園とも前田正名に経営が委託され、さらに21年3月いずれも前田に払い下げられたが37年には細分筆して前田から他人に転売された。……』
この記事からしても葡萄園は明治35年ころまで規模を縮小しながらでも存在していたのではないかと推測ができます。


H10.5.18  葡萄園の廃園時期とオリーブの取り扱いについて


私のHPの情報提供者であるK氏から1冊の本が届きました。
それは 日本文教出版株式会社 発行の岡山文庫20 岡山の果物 三宅忠一 著

という本です。この本は岡山県が果樹大国になるに至った経緯を調べたものです。

この本を読んでいて気がついたことですが、p9に下記のとおりの記載があります、

明治二十九年三月二十四日付で「害虫駆除予防法」が発令され、さらに三十五年二月法律第二号で播州葡萄園、甲州葡萄のウドン粉病等ますます激甚を加うるに及んで病害をもその対照とするよう改正された。

この文書は、明治35年にはまだ播州葡萄園は存在していることを意味しています。


従って、播州葡萄園の廃園は明治35年以降であるという結果が必然的に生まれてきます。ただし、明治36年には葡萄園建物の一部が母里小学校に移築(本岡氏の温故知新に明記)されていることより、36年にはなくなっているいるであろうことは間違いのないことと思われます。

この本の内容が正しければ明治35年まで存続していることになり、葡萄園池ができた明治26年か27年頃に廃園となっていると推定されている播州葡萄園の廃園時期が大幅に違ってくることになります。


また、同p62には

『オリーブ=明治十八年〜二十年、津高郡栢谷村森 芳滋氏は播州葡萄園及び神戸オリーブ園からオリーブ小丸、細実、早生種を購入…』

同p65には

…オリーブは播州葡萄園及び神戸オリーブ園(三田育種場分場)から数種を導入挿木、実生を試み、…

との記載があることより、播州葡萄園はブドウのみならず、オリーブも扱っていたことが判明します。

葡萄以外のものを扱っていたという記載のある情報はあまりありません。

どなたか調べるのが得意な方、一度調べてみてください。

                                        

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