雷が鳴る前に





「大石っ!大石ってば!大丈夫か?おいっ!しっかりしろよ!」


英二が俺の肩を揺すって、何度も俺の名を呼んでいる。

だけど俺の意識は朦朧としていて、答える事が出来ない。


英二・・・大丈夫だから・・・


そう伝えようとして、俺は懐かしい思い出を思い出していた。






閃光・轟音・地響き・・・



まだ俺が小学生の低学年頃までは、家族でよく父方の田舎へ行っていた。

優しい祖父と祖母の住むその町はとても自然の豊かな所で、行く事が決まると小さい俺はいつも心躍らせていた。

くたくたになるまで毎日外で遊んで、夜は星空を眺めるという生活

楽しくてあっという間に過ぎてしまう日々に、家に帰る頃はいつも名残惜しくて仕方がなかった。



そんなある日

俺はいつものように祖父母に見守られながら妹と外で遊んでいた。

天気がよく雲ひとつなかったその日は、昼前になると急な雨雲に空一面が黒く染められて遠くで雷が鳴り始めた。



「急いで帰ろう。雨が降ってくるぞ」



祖父の言葉に俺達は急いで家に向かったが、あと少しという所で雨に降られてしまった。

びしょ濡れになった体を、軒下で拭く。




その時だった。

遠くで聞こえていた筈の雷が、閃光とともに目の前に落ちた。

何が起きたのかわからなかった。

ただ暗かった目の前が、轟音とともに一瞬凄い光に包まれて、地面から伝わるビリビリという揺れが足を伝って全身に駆け巡る。

初めての経験と恐怖に俺は声も出なかった。ただ呆然と立ち尽くしていた。

傍にいる筈の祖父母や妹がどうなっているのか、見ることも出来ない。



「大丈夫か秀一郎?」



祖父の声で俺は、ようやく現実に引き戻された。

周りを見ると、妹は祖母の膝に顔を埋めて泣いている。



「大丈夫か秀一郎?」



祖父がもう一度俺の名前を呼んだ。

俺は祖父の顔を見上げて、その不安な顔を見て初めて自分が返事をしていない事に気が付いた。


声が出ない・・・

掌を見ると、俺の小さな手はガタガタと震えていた。











そうだった・・・・

あの時から俺は雷がトラウマになったんだ。


暗く覆われた空に閃光が走るたびに、その轟音を聞く度にあの記憶が蘇ってた。

閃光と轟音と地響き

何故あの日の事を忘れていたのだろう・・・

あれから暫く俺は、雷を見ても、聞いても手が震えて、声が出なくなっていたのに

そしてそれが嫌で仕方が無かったのに・・・



あぁそうか・・・

嫌だったんだ・・・

一年また一年と大きくなるにつれ、雷が苦手な自分を人に見せるのが・・・

弱みを見せるのが嫌だった。

だから一生懸命忘れる努力をして、いつしか本当にあの時の記憶を封印してたんだ。


だけど記憶を消しても、体は覚えていたんだな・・・

今まで何とか誤魔化してきたけど、俺の体は雷に反応して怯えてしまう。

あの頃のように酷くはないけど・・・



しかしまた俺はあの記憶を思い出してしまった。

そして・・・こんな無様な格好を英二に見せてしまっている。

ホントに情けない・・・・

これからはまた、あの頃のような俺に戻ってしまうのだろうか・・・



少しずつ戻る意識の中で、英二の叫び声が急に耳に戻って来た。



「大石・・・おいっ!大石ってば!何か言えよ!」



英二はまだ俺の肩を揺らし続けていた。



「・・・・・」



あぁ・・・もう大丈夫だから英二。


そう言おうとして声がでなかった。


まさか・・・



俺は揺らす英二の肩に手を置いた。



置いた手はカッコ悪いぐらいにガタガタ震えている。



しまった・・・あの記憶を思い出したから・・・反応まで戻ってしまった。


英二は肩に置かれた俺の手が、異常な程に震えているのに驚いている。



「おい!大石っ!どうしたんだよ?大丈夫か?震えが止まらないのか?」

「・・・・・・」



何とか今の状況を英二に伝えたいけど、やはり声が出ない。

俺は震える手で今度は自分の喉をさした。



「何?どうしたの?喉が何かあったの?」

「・・・・・」



そうなんだ・・・

と、声は出せないけど震える手でなんとか声が出ない事を伝えた。



「声が出ないって・・・大石・・・それどうすれば治るんだよ?」



英二が今にも泣き出しそうな顔で俺を見つめる。


どうすれば・・・

昔なら雷が止んで少し時間が経てば、震えも納まり声も戻って来た。

けど・・・今回は・・・どうなんだろう?

記憶を封印してから、初めてこんな状態になった。

あの頃のように戻ってくれるのだろうか・・・?

それにまだ雷雲は俺達の頭上にあり、閃光も音も健在だ。

この状態ではなんとも言えない。


俺は震える手をギュと握り締めて、英二に首を振って見せた。



「何?わからないの?」

「・・・・・・」



ごめん・・・

心の中で呟いて、俺は俯いた。


情けない・・・

英二は俺に雷の苦手な大石も好きだよって言ってくれたけど・・・

これは酷すぎるよな・・・

こんな姿英二に見せたくなかった・・・



「大石」



英二の呼び声に顔を上げると、英二が俺を睨んでいる。



「何弱気になってんだよ!そんなのお前らしくないだろ?もっとしっかりしろよ!」



英二・・・

確かに今・・・俺は弱気になってるけど・・・



「大石っ!歯を食い縛れ!」



だけど・・・それは・・・えっ?何?歯って?


パーーーーーーーーン!!!!!


考えるより先に英二の平手が飛んできた。


痛っ・・・・!!!!

英二・・・どうして?


叩かれた左頬を押さえると、更に英二が叫ぶ。



「もう一発!!」



えぇぇぇぇぇっ!!!


パーーーーーーーーーン!!!!!


構えることも逃げる事も出来ず、今度は右頬に平手が綺麗に入った。



「何すんだよ!英二っ!!痛いじゃないか!!!!」



叩かれた両頬を押さえながら叫ぶと、英二が胸に飛び込んできた。



「大石っ!声出たじゃん!!」

「あっ・・・」



ホントだ・・・

あまりの痛さに、すっかり雷の事なんて忘れて叫んでいた。



「英二・・・」



俺は俺にしがみつく英二に目を落とした。



「俺さ。一生大石の声が聞けなくなったらどうしようって怖かった・・・」



英二は俺の胸に顔を埋めたまま話す。



「ごめん。でももう大丈夫だから」



俺は英二の肩に手を置き自分の手を見つめた。

気が付けば手の震えも止まっている。



「ほら見て震えも止まった」



そして英二に掌を見せた。

英二はその掌を覗き込んで確認する。



「ホントだ・・・良かった」



俺の頬っぺたは、まだジンジンと痛かったけど・・・

英二は安心したのか、やっと笑顔を見せてくれた。














空が少しずつ明るくなってきている。

雷雲が確実に遠ざかっている証拠だ。



「大石。雷もうすぐどっかいっちゃうね」

「そうだな」

「それで・・・もうホントに大丈夫?」

「あぁホントに大丈夫だって」



あの後、英二は俺の手をずっと握っている。

自転車置き場に二人もたれて、表向きは雨宿りに見えるように。

だけど後ろに回した手は、しっかりと繋いで離さない。

英二なりに俺の事を心配してくれてるみたいだ。

だけど・・・気持ちが落ち着いてくると、流石に俺の理性も戻って来てこの状況が恥ずかしくて堪らない。



「英二・・・言い難いんだけど・・・そのホントに大丈夫だからさ・・・手を・・・」

「駄目っ!」

「でもさ・・・ここ一応自転車置き場だし」

「駄目っ!!」

「英二・・・」

「駄目なものは駄目!」



大きな目が俺を射る。



「大石。俺ってさ、大石から見ればホント頼りないのかも知んないけどさ。

だけど・・・もっと頼って欲しいよ。

弱みとか苦手な事とか、そんなのも全部見せて欲しいんだ。

俺、どんな大石でも好きだし・・・その絶対嫌いになんてなんないから」

「英二・・・」



英二が一緒にいてくれて良かった。

一人でいる時に、あの記憶を思い出していたら・・・

俺は今こんなに落ち着いてはいられなかっただろう。

俺は俺の手を握る英二の手を解いて、指を絡めて握りなおした。



「こんな俺だけど・・・よろしくお願いします」

「おー!任せとけって」



英二がニシシと俺に笑いかける。

俺はその笑顔に苦笑した。



英二が一緒に居てくれれば、もう雷も大丈夫かもしれないな・・・



遠く聞こえる雷鳴の間隔を心で数えていると、英二が言葉を続ける。



「しかしさぁ2発目で声が出て良かったよな?」

「えっ?それってどういう事なんだ?」

「だから〜声が出るまで平手続けるつもりだったからさっ!」

「えぇぇ!!アレ・・・続けるつもりだったのか?」



英二の言葉に、空いてる手で思わず頬っぺたを触った。

結構・・・痛かったんだけど・・・



「だってさ。よく雪山で遭難したりするとやってるじゃん。

 眠ると死んじゃうぞー!って」

「いや・・・ここは雪山じゃないし、それに俺の意識はしっかりあったから・・・」

「でもさ。平手のおかげでちゃんと声戻ったじゃんか!」

「そうだけどさ・・・」



俺達は顔を見合わせて、噴き出して笑った。




やっぱり英二だよ。

英二だから今俺は笑っていられるんだ。



苦手な雷・・・・これからもきっと苦手だろうけど

もう手が震えたり、声が出なくなったりはしないだろう

だって俺の横には英二がいる。



雷雲を見つけたら、雷が鳴る前に英二の笑顔を思い出すよ。

そして数を数える。

きっと心が落ち着いて、あの記憶を思い出しても今日みたいな事には絶対にならない。



「大石。雨上がったね」

「そうだな。帰ろうか英二」

「うん」




俺達は自転車置き場から一歩踏み出した。

空を仰ぐと、雲が割れてそこから光が差し始めている。

俺はそっと横にいる英二に目線を向けた。

赤茶の髪が風に揺れている。





英二・・・

俺のトラウマを意図も簡単に破った人



俺の大切な人





                


                                                                    END







最後まで読んで下さってありがとうございます。


大石の苦手なものが40.5巻で雷って載っていたので、いつかネタに使おうと思っていたんですが・・・・

どうだったでしょうか?

少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです。

2008.05.29