今。君について考える

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日が傾き始めて、窓際に置いてあるサボテン達が、オレンジ色の光に照らされると、部屋の中もほんのりオレンジ色に染まりだした。


僕は机の上に置いてあるアイスティーを一口飲んで、また深くロッキングチェアに座り、 目線を外に向ける。


空がとても綺麗だ・・・






「手塚。あそこのベンチでどうかな?」

「あぁ。そうだな」



小さな公園の片隅に置かれたベンチをみつけて、二人で腰を下ろす。

手塚の左腕が予想以上に悪い事がわかり、戦線を外れて九州に治療に行く事が決まって、少し経った頃。僕は手塚に『不二に話たい事がある』と誘われた。


改まって『不二に話たい事』

手塚がそんな風に言うのは珍しい。

ひょっとしたら始めてかもしれない。

今までも只の話たい事ならあった。だけどその前に不二に・・・

僕にと限定された話とは、一体何なのだろうか?

考えると心の中が、ざわつく気がした。

だけど僕は、そんな様子を君に悟られる事無く返事を返す。

『わかった。じゃあ帰りに』

そして約束通り二人で帰り、途中で見付けたこの公園で話をする事にしたんだ。



「・・・で僕に改まって話したい事って何なんだい?」

「・・・・・・・」



手塚は僕の方を見ないで、真っ直ぐに前を見つめている。

僕は君の横顔を見ながら、君が話し出すのをじっとまった。


君の横顔・・・

こんなに近くで見つめる事も、始めてかもしれないな・・・

そんな事を考えてると、君がようやく話し出した。



「不二・・・まだ勝敗に執着する事は出来ないか・・・?」

「えっ・・?」



そういえば、越前が入部して暫く経った頃一度練習試合をした事があった。

最高にスリルのある試合。

相手の力を限界まで引き出して、ギリギリの中で戦う。

とても楽しくて、ずっと戦っていたい・・と思う試合だった。

だけど・・・それだけで、特に何としても勝ちたいという気分にはなれなかった。

それを見透かしたように、越前との試合が中止になった後、手塚に声をかけられたんだ。



『今の越前との試合・・・何故本気で勝ちに行かなかった?

乾が言ってた・・・不二・・・お前のデータは取らせて貰えないと・・

本当のお前は何処にある!?』



だから僕も答えた。



『うん・・・手塚・・・どうやらボクは勝敗に執着出来ないみたいなんだ・・』



本当の事だった。

実際に僕のテニスは、ギリギリのスリルを楽しむものでしかなく、自分の中では一種のゲームのようなものだった。

自分の為に勝ちに執着する・・・

もしくは誰かの為に勝ちに執着するなんて僕の中には無かった。

只それなりに、楽しければ良かった。



『キミこそどうなの?』

『何の事だ? 何としても勝つだけだ!今は全国制覇する事しか頭にない!!』



全国制覇・・・・そう言い切った君に僕が言ったんだ。



『支障が出るのならボクを・・・団体戦のメンバーから外してくれ』



・・・あの時の話をする為に、僕をわざわざ呼び出したというのだろうか?



「不二・・・これからの試合、勝ち続けるには必ずお前の力が必要になる。

だが勝つ為には、勝敗に執着する事が・・・必ず勝つという気持ちが必要だ。

だから・・・お前の本音を聞きたい。まだ勝敗に執着する事は出来ないか?」



手塚・・・君の視線が僕を射る。


ずるいよ・・・

そんな目で僕を見ないでくれ。


あの時なら、越前と戦った時なら直ぐに答える事が出来たのに・・・

今は・・・考えてしまう・・・勝利への執着

自分の為に・・・誰かの為に・・・勝つという事を・・・

君が必死で勝つ事に拘った試合

大石の為に左腕を捧げた試合

あの君の試合を見てしまった後に同じ事を聞くなんて・・・



「・・・わからない」



君の視線を避けるように、目をそらして答えた。



「不二・・・?」

「ごめん。本当にわからないんだ。だから前にも話したけど、支障が出るのなら僕を・・・団体戦のメンバーから外してくれて構わないよ」



僕の答えに沈黙する君。しかし視線は僕を捕らえたまま、まだ動こうとはしない。



「いや・・お前を外したりはしない。先程も言ったが、勝ち続ける為にはお前の力が必要だ。俺が抜けた後のS1をお前に頼みたい」



S1・・・いつも手塚が勤めていた場所を僕が・・・?

今までやった事がないと言えば、嘘になるけど・・・

この時期に、こんな責任の重いS1を僕にだなんて・・・

勝敗に執着出来ない僕が・・・無理だよ・・・



「手塚・・・でも僕は・・・それにS1なら乾でも越前でもいいじゃないか」

「俺はお前に・・・不二に頼んでいる」

「手塚・・・」



僕は逸らしていた目線を手塚に戻した。



「どうしても・・・僕なの?」

「どうしても、お前だ」

「何故?」



わざわざ呼び出してまで、僕を推す理由

純粋に手塚が僕にS1を・・・と言ってくれる理由が知りたかった。

だけどその答えは、僕の心を揺さぶるのに十分な答えだった。

手塚は僕から目線を外し、両手を組んで前屈みに地面を見つめる。

そして呟いた。



「大石が・・・そう望んでいる」



大石が・・・?

僕の心臓が早鐘を打ち出した。

まさかここで大石の名前が出るとは思わなかった。

手塚・・・君って人は・・・



「なら・・・君に言われる筋合いはないよね。大石が直接僕に言えばいい」

「不二・・・」

「わざわざ呼び出して、大石がって・・・何それ?僕はてっきり君がそう望んで・・・」



僕は一生懸命奥歯を噛締めて、動揺を隠そうとしたが、手が震えて隠しきれない。

こんな僕を見られたくないのに・・・なのに君は・・・



「もちろん俺も、そう思っている。S1は不二だと・・・お前が1番適していると・・」

「もう。遅いよ・・・今更そんな付け足したような言葉・・・聞きたくない」



もう・・・わかってしまった。

何故君がわざわざ僕を呼び出したのか・・・

みんなの前では・・・大石の前では言えない事だものね・・・

手塚・・・君って人は・・・何処まで僕を追い詰めるんだ・・・

僕は震える手をギュッと握り締めて、なるべく冷静に手塚を見つめた。



「もう回りくどい説明はいいよ。本当の事を話して。君が僕に頼みたい事。

君がわざわざ僕を呼び出した本当の理由を」



手塚は黙っていた。

黙って地面を見つめ、何か考えているようだった。

僕はそんな手塚から目線を外さず、答えを待った。

そして徐に僕を見上げた君と僕の視線が絡んだ時に、呟くように君が告げた。



「青学を・・・大石を頼む。全国へ導いてくれ」



決定的だった。

聞いたのは僕だけど・・・想像していた通りの言葉だったけど・・・

僕の中で何かが音をたてて崩れる気がした。

一生懸命押さえていたものなのに・・・

流れ出した感情は、もう抑える事が出来なかった。


手塚・・・君って人は本当に・・・・

大石との約束の為に、自分の左腕を犠牲にしたというのに・・・

それだけでは、もの足りないというの・・・?

全国へ・・・あの約束の為に僕に頭を下げるというの?

ホントにキミは・・・



「君は・・・馬鹿だよ。それも大がつくぐらいの馬鹿だよね」



僕の言葉に君は、黙って僕を見つめる。

僕は抑えられなくなった感情を、吐き捨てるように君にぶつけた。



「大石の為にどうしてそこまで君が動かなきゃいけないんだ?

どうして犠牲になるんだよ?君だってわかっている筈だ。大石は英二のものだよ。

君がどんなに望んでも手に入る事なんてないんだ。それなのに・・・大石・・・大石って・・・」

「不二・・・お前は・・・俺の気持ちを・・・」



動揺の色を隠せないまま、君が僕を見つめる。

もう本当に、止められない・・・

ずっと隠し通す筈だった・・・僕の想い。



「そんな事今更だよ!僕が気付いていないとでも思ったわけ?馬鹿にしないでよ。 どれだけ僕が君を見ていたと思うんだ!?」

「不二・・・」

「君は一度大石にちゃんとふられた方がいいよ!

いつまでも女々しく想っているから大切な左腕を犠牲にする羽目になるんだ!

君のテニスは君の為のものであって、大石の為のテニスじゃない筈だろ?

君は大石との約束に縛られ過ぎてる!!」

「不二・・・」



一気にしゃべったら、何だか力が抜けてしまった。

そして熱いものが込み上げて来る。



「・・そんな君をずっと想い続けている僕は、君以上に大馬鹿だけどね・・・」



呟くように告げた僕の頬に、熱いものが流れた。


人前で涙を流すなんて、何年ぶりだろう?

しかもそれが君の前でなんて、一番見られたくない人なのに・・・


僕はベンチから立ち上がり、手の甲で涙を拭くと、精一杯の笑顔を作って見せた。



「ごめん。言い過ぎた・・・今の忘れて。

君の気持ちは、わかったから・・・

僕に何処まで出来るかは、わからないけど、君がいない間。

青学を・・・大石を・・・全国へ導くよ」

「・・・・不二」

「だから安心して九州に行って、治療に専念してきなよ」



手塚は何も言わなかった。ただ黙って僕を見続けた。

僕ももう話す事はなかった。

だからその場を逃げるように、手塚に別れの言葉を告げて公園を出たんだ。




それから数日。二人の間には、何事も無かったように、穏やかな日が続いた。

傍から見れば、僕達の間であんなやり取りがあったなんて気付かないだろう。

手塚でさえ、あの時の事は夢だったんじゃないか?って思っているかも知れない

出来ればそう思ってほしい。何も無かった事にしてほしい。

あの時の僕を忘れて欲しい。




いよいよ明日手塚は九州に旅立つ。

左腕を治しに・・・完璧な君を取り戻す為に・・・

そして僕は、明日から君に頼まれた使命を果たさなければならない。


今日こうやって君について考えたのは、君への想いを整理したかったから・・・

大石を・・・・みんなを全国へ導く・・・

手塚・・・僕は君との約束を守っていけるだろうか・・・・?

君が戻って来た時に、戦える場所を残してあげられるだろうか?


色んな事を思い出して考えて、結局君への想いを断ち切れない僕は君に女々しいなんて 言える立場じゃないよね・・・

力なく苦笑して窓の外に目を落とすと、そこに1つの影が見えた。

じっと僕の部屋を見上げる影。



『あっあれは・・・』



僕は勢いよく立ち上がって、窓を開けた。



「手塚っ!今から降りていくから行くから待ってて」



いつからあそこにいたのだろう?

ぼんやりと考え込んでいたから、全然気付かなかった。

自分の部屋を飛び出して、急いで階段を駆け下りる。

リビングを横切った時に、姉さんから話しかけられた気がしたけど、僕はそのまま玄関を飛び出して行った。



「手塚っ!!」

「・・・不二」



僕は少しあがった息を整えて、手塚を見上げた。

手塚はそんな僕を見て苦笑する。

その顔を見て、僕は慌てて飛び出して来た事を後悔した。

これじゃあまるで、恋する乙女だ・・・・


僕は何とか平常心を取り戻して、改めて手塚に向き直った。



「ところで、どうしたんだい?僕に何か話でもあるのかな?」

「あぁ」

「じゃあ僕の部屋へ・・・」

「いや出来れば、少し歩かないか?」

「・・・わかった。じゃあ少しだけ待ってて」



僕は一度家に戻り、出かける事を伝えてまた手塚のもとへ戻った。



「じゃあ行こうか」



薄暗くなり始めた道を、手塚と並んで歩き始める。

手塚の横顔を見ながら、何故手塚が僕の所へ現れたのか考えていた。


確か今日の部活では、大石と二人で越前や桃や海堂に何かを仕掛けていた。

ひょっとして、その事の話だろうか・・・?

明日からは、九州だ。

何か部活の事で、大石の事で、また頼みたい事が出来たのかも知れない。

そう自分の中で結論を出した時に、手塚に声をかけられた。



「不二・・」

「何?」



手塚は真っ直ぐ前を向いて、歩いている。

僕も歩調を合わせたまま、次の言葉を待った。



「大石にふられてきた」

「えっ?」



僕はそのまま立ち止まってしまった。



今なんて言ったの・・・?

大石にふられた・・・?

聞き間違いじゃないよね?



言葉が出ずに、そのまま立ち止まっていると、2.3歩前を歩いて振り向いた手塚が続けて話す。



「今。大石の家に行ってきた。ちゃんと告げて、ふられてきた」



やっぱり聞き間違いじゃないんだね・・・

僕は手塚をじっと見据えた。



「それを・・・どうして僕に?」

「不二に聞いて貰いたかった。けじめをつけたかった・・・」



そう言うと、手塚はまた歩き出した。

僕は置いて行かれない様に、また手塚の横に並んで歩き出す。



「言ってる意味が、よくわからないんだけど・・・」

「不二に言われて改めて思い知らされた。このままじゃいけないという事を・・・

自分の為にも・・・お前の為にも・・・」



お前の為って・・・僕の為?それってどうゆう事?



「ちょっと待ってよ。そこで何で僕が出てくるのさ?」



手塚はチラッと僕の顔を見て、また前を見据え歩調を変えず歩いて行く。



「誰かに自分が想われているなんて考えた事がなかった。いつも自分の事で精一杯だった」



えっ・・・・

それって、ひょっとしてこないだ僕が、君に告げた想いの返事をくれようとしているの?

思いがけない事に、返事が出来ない。



「大石が菊丸のものだと頭ではわかっていても、自分の想いを止める事が出来なかった・・・

だけど不二・・・お前がアドバイスをくれた。大石にふられてこいと・・・

俺はこれを機会に、大石への想いは捨てる」



手塚がそう言ってようやく立ち止まった時、僕はあの時の公園に来ている事に気付いた。

誰もいない公園に、街灯だけが僕達を照らし出す。



「そんな事・・・」



僕に言って、僕にどうしろというの?

それに本当に大石を忘れるなんて事出来るの?

言葉が続かない・・・



「不二・・・少しだけ待ってくれないだろうか?青学が全国へ行って優勝するまで・・

都合のいい事を言っているという事はわかっている。

だけどあの約束だけは、大石にふられようが・・・どうしても果たしたい。

だけどその後は不二・・お前の気持ちに答えたいと思っている」



手塚が僕の想いに・・・?

そんな都合のいい話ないよね?だって今大石にふられて来たって・・・

それですぐ僕だなんて・・・・

僕は真っ直ぐ注がれる視線を跳ね返すように、手塚を睨みつけた。



「僕を馬鹿にしてるの?同情なんていらないよ・・・君が大石を忘れるのは君の勝手だ。 僕には関係ない・・・」



手塚の目に哀しい色が映る・・・なのに僕から目線を外さない。



「そう・・・だな。悪かった。今言った事は忘れてくれていい。ただ・・・これだけは 本当なんだ。

大石の家を出て落ち着いたらお前の顔が浮かんだ。お前に逢いたいと思った」



手塚・・・君って人は・・・本当に・・・

何処までも僕を揺さぶるんだね・・・


手塚が僕から目線を外して、僕に背中を向けた。



「悪かったな不二。こんな所まで付き合って貰って・・・家まで送ろう」

「送らなくてもいいよ。君こそ明日から九州なのに、僕に会いに来てくれてありがとう」



振り向いた手塚が、小さく『そうか・・・』と呟いた。


ホントにキミって人は・・・・



「勘違いしないで、送らなくていいとは言ったけど・・・

一緒に帰らないとは言ってない。僕が君を送るよ」



僕は手塚の横に並んだ。

手塚は目を見開いて、僕を見ている。



「それに一度聞いた事を、聞かなかった事には出来ない。君と同じようにね・・・」

「不二・・・」



僕は手塚の家の方に向けて歩き始めた。手塚も同じように歩き始める。



「手塚・・・必ず全国の切符を手に入れるから・・・ちゃんと左腕治してきてね」

「あぁ」

「それと1つだけ僕の頼みを聞いて貰えるかな?」

「何だ?」

「九州から帰ってきたら、一番に僕に会いに来て・・・」



公園の出口前で僕は立ち止まって、手塚を見上げた。

見下ろす手塚の目線とぶつかる。



「わかった。必ず逢いに行く」



僕は優しく手塚に微笑んで、また歩き出した。


もう僕達の間に、言葉はなかった。

だけど、お互いにわかっている。

僕達は今日から始まる・・・

長い年月を経て、今ようやく向き合った。




今。君について考える・・・・



手塚・・・君はやっぱり僕を惹きつけて離さない・・・

       


 


                    


                                                                          END





ここまで付き合って下さったみなさん。本当に有難う御座います。


何だか引っ張りすぎて、自分でもよくわからない・・・

なんて事もありましたが、無事不二終わりました(笑)

そして出来れば、次の手塚編も付き合って頂けると嬉かったりします☆

2007.8.15