お前の優しさは、俺には残酷すぎる。
そう思うようになったのは、いつ頃からなのか・・・
「今日の練習は中止じゃ〜〜!!さっさと部室にもどんな!!」
練習終了間際に降り出した雨の為、竜崎先生の指示で練習が中止され、みんな片付けながらどんどん部室に戻って行っていく。
とうとう降り出してきたか・・・これ以上は無理だな・・・
部室に戻ろうとした時、コートの角に放り出されたままのボールの入ったかごが目に入った。
誰か、片付け忘れたのか・・・?
かごを拾おうと手を伸ばした時、誰かの足が、かごに当たり、ボールが散らばった・・・。
「おっと・・!!すまね〜な手塚! ちゃんと拾って片付けておいてくれよ!」
3年の先輩だった。
「・・・・・」
「早くしね〜と、ずぶ濡れになるぜ」
そう言い捨てて、部室に向かって走って行く。
故意でやったのか・・・?
俺が上の先輩たちによく思われていない事は知っている。
1年からレギュラーで、今回の大会でもS1で出ている上に、2年にして副部長だ。
しかし・・・未だにコレとは、お笑いぐさだな・・・
強まる雨脚の中、俺は黙々とボールをかごに入れた。
ここまで濡れてしまったら、今さら急いでも同じだ・・・
片付けを終え、土砂降りの雨の中をゆっくりと部室に向かって歩いて行く。
「手塚!!!」
大石・・・?
部室の側まで来ると、軒下にいた大石が血相を変えて飛び出してくる。
大石は自分にかかる雨を全く気にする事無く、自分の着ていたジャージを俺の肩にかけてくれた。
「大丈夫か手塚?!」
「ああっすまない・・・」
今更だと少し思ったが、大石のぬくもりが残ったジャージはとても暖かかった。
そして大石は俺を庇うように、部室へと導く。
大石は俺に起こっている事を、知っているのか・・・?
「みんな悪いけど、俺達を先に通してくれないか?」
軒下に着いた大石は部員に声をかけて俺を部室の中へと入れてくれた。
その時、菊丸の顔が少し見えた。
菊丸は俺達の方を見ずに、唇を噛み締めたまま、ボーと雨を見ている。
・・・・・・
部室に入ってからも大石が先輩とかけ合い、俺がすぐに着替えれるようにしてくれた。
「手塚大丈夫か?」
「ああ。大丈夫だ」
「急いで着替えて帰ろう」
雨に濡れた体を拭き着替えをする中、左肘に少しだけ違和感を覚えた。
「手塚?どうした?」
無意識に左肘を押さえていた俺は、何事も無かったように大石に返事をする。
「イヤ・・・別に・・・」
「・・・そうか・・・」
大石はそれ以上何も言わず着替えを続け、俺も黙々と着替えた。
「「お先に失礼します」」
まだ着替えている先輩達に挨拶をして、俺達は部室を後にした。
〈ガチャ〉
部室を出た俺達に一斉に視線が集まったが、大石はそんな視線には全く反応する事もなく、そのまま菊丸の方へと歩いていく
俺は傘を広げながら大石を待った。
「英二・・・悪い。今日は手塚と帰るから」
「・・・・・うん。」
菊丸は大石の顔を全く見ないまま、聞き取れない程に小さな声で返事をしている。
大石はその姿を辛そうに見つめていた。
「手塚。行こうか」
「ああっ・・・」
俺は返事をしながら菊丸を見た。
菊丸の顔もとても辛そうだった・・・しかし俺は大石の横を歩く。
この場所はいつもなら菊丸の場所・・・
いつのまにか菊丸の場所になってしまっていた大石の隣・・・
「手塚。このまま章高おじさんの所へ行こう」
校門を出て、すぐに大石が話を切り出した。
「何故だ?」
「左肘・・・気にしていただろ?まだまだこれから試合も続くし、診て貰った方がいいよ」
「・・・大丈夫だ・・・」
「イヤ・・・駄目だ。行こう。」
大石は意外と頑固だ。自分がこうした方がいいと判断した事は、絶対に折れたりしない。
大石を見ると、真っ直ぐに前だけを見つめていた。
「わかった」
「よし。じゃあ急ごう」
そう言って大石は速足で歩き出した。俺もそれに黙ってついて行く。
雨はまだやむ気配も無く、シトシトと降り続いていた。
「手塚・・・これからも色々あるかもしれない。けど俺達の時代が必ず来るから・・・ それまで一緒に頑張ろう」
病院が見え始めた頃、大石が急に話し始めた。
黙っていると思えば、そんな事を考えていたのか・・・・
「ああっ・・・わかっている」
俺の言葉にようやく大石は笑顔を見せた。
やはりお前はわかってるんだな・・・
イヤ・・・わかっているからこそ、いつもいつも俺の側で俺のフォローをしてくれている。
今、この時も、そして2年になって副部長になった俺の補佐役も。
いつも・・・いつも・・・
しかし本当のお前は、俺ではなく菊丸を見ている。
俺の事を心配して気遣いながら、今も残してきた菊丸の事を考えている。
「大石」
「どうした?手塚?」
「ここまででいい。ここからは一人で行ける」
「えっ?どうして?ここまで来たんだ。一緒について行くよ」
大石は俺の急な提案に驚いて複雑な顔をしている。
「イヤ・・・悪いが一人で大丈夫だ」
「手塚・・・?」
「すまない」
俺は少しだけ頭を下げた。
「・・・・わかった。手塚がそういうなら、着いて行くのは止めておくよ。でも本当に大丈夫か?」
「ああ」
「そうか・・・でも結果だけは、必ず教えてくれ」
「わかった」
『じゃあ・・』と、そう言った大石はそのまま来た道を戻って行く。
俺はその姿を少しだけ見つめて、病院へと一人足を運ぶ。
やはり・・・菊丸の所へ向かうのだな・・・
そうなるとわかっていて大石を帰したのだが、左肘より心が痛い・・・
1年のあの時、お前が俺を青学テニス部に引き留めた。
「この程度の事で諦めてどうすんだよ!!手塚君キミが辞めるんだったら僕も辞めるぞ!!僕は本気だよ・・・」
お前のあの言葉がなければ、今の俺はいない・・・
お前がいなければ、俺はいない・・・
それなのにお前は俺の隣ではなく、菊丸の隣を歩いて行くのだな・・・
俺の隣ではなく・・・
「大丈夫のようだね。異常はなさそうだ。だけど成長期だからあまり負担がかかる練習や冷やさない様に気をつける事だね」
「はい。ありがとうございました」
礼をいい、診療を終えた俺は家へと歩き出した。
雨上がったな・・・
立ち止まり空を見上げていると、後ろから声をかけられた。
「やぁ手塚!」
「・・・不二か・・・」
そこには、私服姿の不二が立っていた。
「どうしたの?まだ家に帰ってなかったの?」
「ああっ今から帰るとこだ。それよりお前はどうしたんだ?」
「僕は姉さんにお使いを頼まれてね」
「そうか」
ニコニコ微笑みながら、俺の傍へ歩いて来る。
「途中まで一緒に歩いていいかな?」
「ああ」
不二は不思議な男だ。
いつも穏やかで笑顔を絶やしはしないが、決して本当の自分を見せようとはしない。
「今日は、大変だったね」
「んっ?」
急に話を振られ俺は少し戸惑いながら、不二を見る。
不二は笑顔のまま話を続けた。
「もう少し要領よくは出来ないの?」
「なんの事だ?」
「ん〜いろいろかな?」
不二の眼が俺を見据えて、また微笑む。
何でも見透かしているような眼・・・本当に不思議な男だ。
不二の眼は何処まで俺を見透かしているのか・・・
怪我のこと・・・それと・・・
「お前は要領よく出来ているのか?」
「フフッ・・君よりはね」
「そうか・・・」
俺はそれ以上話をしなかった。
このまま会話を続けていると、本当に何もかも見透かされてしまうような・・・そんな気がしたからだ。
お互いに無言のまま歩き続ける。
「じゃあ手塚。僕はココで。また明日」
「ああ」
手を振りながら去っていく不二の後ろ姿を見ながら考えていた。
不二は気付いているのだろうか?
俺の心の痛みの事を・・・最近まで自覚していなかった想いを・・・・
俺の心の中を占めている大石の存在を・・・
入学して一番最初に親しくなったのが、大石だった。
最初はお節介で心配性な奴だと思っていたが、一緒にいるうちに、細やかな気配りと包容力に溢れている奴だとすぐにわかった。
それはとても心地よく、俺はすごく甘えていた。
いつも不器用な俺を側で支えてくれる存在。
それはずっと変らないと思っていた。
俺の横にはお前がいて、一緒に1つの目標を目指す。
『全国へ』
いつかの帰り道に約束した思いを、お前と一緒に歩んで行く。
俺はずっとそう思っていた。それが俺の支えだった。
イヤ・・・それは今も変わらない。
しかし大石は・・・大石の優しい眼差しは特定の人間だけに特別で・・・
全国への思いも、俺と2人で共有する思いでもない・・・
俺はそれに気付いてしまった。
それがこんなに苦しい事だなんて・・・
それでも想いは止まらない・・・
不毛な想い・・・
お前が俺を友達としてしか見ていない事はわかっている。
なのに・・・今日の様にお前は俺に手を差し伸べる。
その手が特別な手だと錯覚させるほどに優しく・・・
そして俺はそれが錯覚だとわかっていても、その手を握ってしまう。
暗くなってきた帰り道には電灯が灯りだし、その光はまるで夜道をてらす儚い蛍の光の様に見えた。
暗い・・・メチャクチャ暗い手塚・・・でもまだ続きます。(残り1ページ)