☆木曽駒に立つ  序章☆

【日時】1998年7月24日(金)〜7月26日(日)
【山域】中央アルプス
【山名】木曽駒ヶ岳・宝剣岳
【コース】駒ヶ根高原→宮田高原→うどんや峠→伊那前岳→宝剣山荘
     宝剣岳アタック・木曽駒ヶ岳アタック
     宝剣山荘→うどんや峠→北御所→駒ヶ根高原
【メンバー】薫、多聞 幸太郎、kem、俊成 (敬称略)

1998年7月24日(金)

【集合】

 20:50ごろ、JR茨木駅に着いた。集合時間には早いかな?と思って駅で
たたずんでいると、薫さんが出迎えに来てくれた。すでにkemさんが来られて
いるというので、あわてて薫号に移動する。しばらくして多聞さんも来られた。
これで全員集合。駅前のコンビニで明日の朝食を買って、いざ出発!

【すいている名神】

 茨木から名神高速に入り、東へ向かう。いつになく高速がすいている。
時速110kmでぶっ飛ばし、22:30すぎに養老SAに到着。このSAは工事中で、
とても狭い。20分少々の休憩のあと、再び走り出す。中央道へ入っても順調に
走り続け、幕営予定地の座光寺PAに23:50ごろ到着。

【幕営地変更】

 なぜ座光寺PAを選んだかというと、ここは駐車場とトイレしかないPAで
車の出入りが少なく、ゆっくり眠れそうだからである。事実、運転手が仮眠中
と思われる大型車しか停まっていなかった。
 「どこにテントを張ろう?」場所探しをする。しかし適当な場所がない。
街頭の下でまぶしい、トイレのそばで臭い、人目に付くので張りにくい。
どうもテント泊はしにくい。そこで、駒ヶ根高原へ移動して、そこで幕営する
ことにした。そうと決まったら、直ちに移動開始!

【駒ヶ根高原に到着】

 25日0:40、駒ヶ根高原に着く。一般車が入れる最奥の駐車場をテン場とする。
すばやくテントを設営し、その後は当然のごとく酒宴が始まる。薫さんご持参
のウイスキーをいただく。肴は薫さん提供「男のチーズ」。なんで「男の」
なのかは、結局分からなかった。酒宴は思いのほか盛り上がり、眠りについた
のは2時前であった。2人用テント(1)にkemさんおひとり、同(2)に多聞さんと
私が、車の中で薫さんが寝ることにした。


★第一章予告
 宮田高原から入山することにしたが…
 山賊出現?
 なぜ「うどんや」なの?
 俊成、最大のピンチ
 「さっきまで快晴だったのに…」

☆木曽駒に立つ  第一章☆

1998年7月25日(土)

【出発】

 当初の予定通り、朝5時に起床。朝食のあと、下山口に近い駐車場へ車で移動
する。ここからタクシーで北御所へ行き、そこから登る予定だった。しかし、
がけ崩れのため、タクシーさえ北御所には入れない。よって宮田高原から入山
するルートに変更した。で、タクシーを呼んで宮田高原へ向かう。だが、宮田
高原への近道も通行止め。仕方がないので、迂回路を通って宮田高原へ行くこと
にした。これがすごい遠回り(しかも悪路)。タクシー代5,000円(号泣)。

【いよいよ登山開始】

 7:00、宮田高原を出発。出発前の記念撮影は欠かさない。多聞さんのカメラ、
薫さんのデジカメ、私のGS645Sで撮影した(以後、記念撮影はずっとこのパターン
である)。天気は薄曇り。しかし、だんだんと快晴になっていく。
 スタートしてしばらくは、林道歩きが続く。なんかいやな予感。そう、私には
「林道歩きから始まる日は、必ずバテる」というジンクスがあるのだ。

【山賊出現?】


 
川のそばで最初の休憩をする。日差しが強くなってきた。帽子を忘れた私は、
囲炉裏バンダナを頭に巻き、サングラスで防備した。その姿を見ていわく
「あっ、山賊が現れたぞ!」ま、まさか。美男子(ウソ)の私が山賊だなんて。
しかし、私のデジカメで自分自身を写してみたところ、まぎれもない山賊だ。
いや〜ん


【やっと林道が終わる】

 9:25、うどんや坂分岐。やっと山道らしくなる。ここから30分でうどんや峠。
さて、なぜ「うどんや」なのでしょう?ここで薫さんの珍説。
 「この坂道を上がるとうどん屋があるよ!と、登山者を励ました名残だ」
しかし、こんな山奥にうどん屋があるなんて、誰が信じたんだろう…?
 10:25、うどんや峠を出発。ここからは樹林帯の中を順調に進む。

【俊成、最大のピンチ】

 12:10、船窪に到着。すでに森林限界を超え、眺望は抜群。



ここまでは順調だった。が…船窪を出てしばらくすると、なんだか息苦しく
なってきた。ペースもがた落ち。ついに歩けなくなってしまい、止まった。
先頭を歩いている薫さんは遙か前方。kemさんもあまり調子がよくない。
20分も休んでいただろうか、薫さんが迎えにきてくれた。なんと我々(薫さんを
のぞく3人)が休んでいたのは、8合目の直前だった。やっとの事で8合目に着いた。
ここで私と薫さんのザックを交換して、出発。重さはほとんど変わらないのに、
なんだか軽くなったような気がする。8合目からはほぼ平坦な道で、順調に歩けた。

【ついに宝剣山荘に】

 14:00、ようやく宝剣山荘に着いた。コースタイムに1時間遅れだった。
さっそく宿泊手続きをする。本日の宿泊予定者は30人とのこと。なんと
定員の一割、がら空き! 我々4人で個室がもらえた。布団一枚に一人寝られる。
 さて、私のザックを調べてみたところ「さほど重くないのに、非常に担ぎ
にくい」と指摘された。よく見ると、ザックの肩ひもを掛ける位置が間違って
いる。購入から10年間もこんな状態で担いでいたのか、とあきれられてしまった。
正しい位置に掛け替えると、かなり担ぎやすくなった。

【宝剣山荘アタック】

 さあ、今日のうちに宝剣岳へ登頂しておこう。身軽になって出発。
宝剣岳の頂上付近は急な岩場になっており、かなり危険である。鎖場も無事通過
して、14:35宝剣岳登頂。頂上で記念撮影する。多聞さんはリモコン式セルフ
タイマーをつかって全員を写真に撮ったが、薫さんと私はセルフタイマーが使え
なかった。なぜって、岩場のあっちにカメラ、こっちに人という配置で、
非リモコン式のセルフタイマーでは撮影不可能だったから。

【酒宴→夕食→就寝】

 15:10、登頂から帰ると、さっそく酒宴。初めは屋外でビール、後に室内で
ウイスキーとワイン。肴もそろって、薫さん節も飛び出し大いに盛り上がる。
 夕食は18:00から。その時点ですっかり出来上がってしまっていた。
食事がすんだら、さっさと寝てしまった。18:50就寝 睡眠8時間以上!
 夜中、強風が吹き荒れ、雨まで降りだした。


★第2章予告
 天候悪化、無念の途中下山
 でも八合目は晴れてた
 南アルプスは雲海の中に
 登らなくてよかった北御所コース
 そば店を求めてさまよう4人
  

☆ 木曽駒に立つ  第二章☆

1998年7月26日(日)

【外は雨〜】

 4:35起床。外を見ると、濃い霧がかかっている。雨もパラついている。
展望が全く利かないのはいやだなぁ。今日の予定はどうしよう?などと考えながら
パッキングをしたり、部屋の片づけをする。
 5:30から朝食。行列しなくても食べられるのってすばらしい!さっさと食べ終
えて、しばしくつろぐ。6時前の天気予報を見ると、下界は「曇りときどき晴れ」
だが、低気圧が接近中、しかも四国は大雨。天候回復の見込みはなかった。

 今日の予定、どうしよう? 「展望は全く利かない、岩が濡れていて滑りやすい、
危険は多いし楽しみは少ない。よって今日のうちに下山する。」

【木曽駒に立つ】

 非常に残念だが、安全に下山するのが最優先である。さぁ木曽駒ヶ岳に登頂して
おこう。6:10宝剣山荘を出発。中岳への登りがキツい。といってもわずか10分だが
 登ったらすぐ下って、頂上山荘前。また登って、6:45木曽駒ヶ岳登頂。
ついに、日本100名山の一つを制覇した。しかし一面の霧で、全く展望がない。
つまんない。記念撮影をして、一息ついたらさっさと下りよう。
 7:20宝剣山荘に戻る。戻ってからは、ジュースを飲んだり厠に行ったり(~~;)
してくつろぐ。そうこうしているうちに空が明るくなってきた。ん?予定通り
行けそうな気がする。しかし、すでに下山を決めているので、行けない。

【下山開始】

 7:50宝剣山荘を出発。うどんや峠までは昨日と同じ道を行く。昨日疲れ果てて
歩いていたのが嘘みたいに楽だ。でも、少し疲労感がある。やはり下山することに
してよかったと思う。8:55船窪に着く。登山道を少しはずれて休憩。なぜか
大キジの痕跡(紙)が多く見られる。くっそ〜

 しばらく休んでいると、ガスが晴れてきた。遠くには南アルプスの山々が…
おもむろにカメラを取り出して撮影開始。ガスが出たり消えたりするタイミングを
うまくつかむのは難しい。それでもなんとか撮影に成功した。たしか塩見岳or聖岳
だったと思う。気がついたら30分も休憩していた。

【この花症候群】

 9:20船窪を出発、順調に高度を下げている。さて、第一章で書くのを忘れたが、
薫さんの「この花症候群」を忘れてはならない。それは、薫さんが高山植物を
見つけるたびに「この花は何?」と多聞さんに聞くことである。さすが多聞さん、
的確に答えている。私も一緒に聞いていたが、どうも名前を覚えられない。
 10:30うどんや峠着。空は晴れているのだが、ガスが出ていて展望がない。
もし稜線を歩いていたら、ずぅっと雲の中だっただろう。

【登らなくてよかったあのコース】

 10:50うどんや峠を出発、北御所へ向けて下り始める。途中の清水平で登山者
と出会う。話によると、5時or6時に駒ヶ根高原を出発して、やっとここまで
たどり着いたとのこと。「もういや、下山したい」などと言っておられたので、
相当キツい登りだったのだろう。この清水平で「中央アルプス天然水」を
たっぷり補給して、下山を続ける。かなり急な下りを経て、林道に出たのが
11:45。「この分だと、2時には車に戻れるだろう」と話していたが、それは
甘かった…

【同、その2】

 12時に再び歩き始める。林道歩きはことのほか疲れる。初めはいろいろと
しゃべりながら歩いていたが、だんだんと口数が少なくなっていく。

12:50北御所登山口。

どの顔も、疲労が隠せない。それでも記念撮影だけは
欠かさない。12:55出発。ここからは舗装道路を延々6km歩く。
 皆うんざりした感じ。だいぶ歩いたかな、と地図をみるとまだわずかしか
歩いていない。道がクネクネしているので、かなり遠くの道も見下ろせる。
アスファルトの上を歩くと、足が痛い。もういや、歩きたくない。
「このコースを登る予定だったのか。登りに使わなくて、ほんとによかった」

 14:25、黒川平。初日の夜泊まった場所だ。やっとここまで下りてきた。
あと一息。14:50、ついに駐車場に着いた。終わった!

【風呂に入った後に蕎麦を食おう】

 さあ温泉に行こう。ザックを車に積んで、「こまくさの湯」に入る。
いいお湯だ。至福のひととき。露天風呂に行けば、今朝出発した山が見える。
いい天気だ、稜線まではっきり見える。
 温泉の後は、蕎麦を食べに行こう。こまくさの湯の人に教えてもらったそば屋
を目指す。しかし、いくら走れど店に着かない。どうも地図が不正確なようだ。
通りすがりの人に道を聞いて、やっと目指す店に着いた。だが店は休みだった。
「そうだ、今日は日曜日だった」仕方がないので、別の店を探す。
 なんとかそば屋を見つけた。店に入ってびっくり!クーラーがきいていない。
気を取り直して、ビールで乾杯。う、うまい!しこたま飲んだ後、大盛りの
ザルソバを食す。これも美味である。時に午後4時。食後もしばしくつろいで、
さて帰路に就こう。

【帰阪】

 午後5時に駒ヶ根インターから入る。さて、どこで土産を買うか。信州土産は
駒ヶ岳SAでしか買えない。中央道に入って数分後、SAで休憩。
 ここのSAは大変な混雑、ゆっくり土産を選べない。なんとか買い物を済ませる。
辺りを見渡すと、ちょうどいい木陰がある。「前夜、ここでテント泊すれば
よかったのに」と薫さん。しかしここは下り線である。
 その後は順調に走る。ときどき「渋滞」の表示が出ているが、実際はほとんど
混んでない。途中、草津PAで休憩。このPAは駐車場が巨大で、売店も2カ所に
ある(下り線)。その後も順調に走り続け、午後8時45分、無事に茨木に戻った。
 さて夕食にしよう。しかしどの店も猛烈な混雑。考えた末、ぎゅあんに行く。
そう、某赤名さん設計のぎゅあんである。疲れているときに焼き肉なんて
あんまり食べられないので、みんな小食だった。
 その後、多聞さんをJR千里丘へ、私とkemさんを宝塚駅まで送って下さった。
薫さん、ありがとうございました。
 私は23時すぎに帰宅。短くも有意義な山行が終わった。

(終わり)


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