□□□□□□  カブツー(スーパーカブ・ツーリング)  □□□□□□


・北海道 (2007/08/08-17) その3

8月11日
香深港でお出迎え 翌朝、同室の隣りで寝る人の目覚まし時計で4時に起こされてすっかり目が覚めて外に出てみれば小雨模様。 部屋に戻ってみれば目覚まし時計が鳴り止み、しっかり寝ている隣人の寝顔。 あとで聞けば、前浜から昇る朝日を見ようと目覚まし時計をセットしたものの、時計のベルが聞こえず起きれなかったらしい。
船中泊と野宿で殆んど睡眠が取れずに、やっと布団にありついてゆっくり寝れていたのに、関係の無い目覚まし時計に起こされてしかも早起きの価値も無く朝から散々。
とは言うものの、朝食を済ませて稚内からのフェリーが来るとの事で出迎えと客引き? で宿主の文夫さんとその家族、本日予定の無い暇な人達で港まで一緒に宿の車に乗せられて向かいます。
港に着けばいかにも島の港の雰囲気。間もなく船が入ってきて乗客が降りてくると、知り合いやら民宿の出迎えが列をなしてのお出迎え。
出航の見送り 稚内から来た船には今日泊まるお客さんが乗船してきました。 十数年前に学生だった時に来たことがあるという奈良の男性で、小さいデイパックひとつで至って軽装。
到着したばかりのフェリー。 あっと言う間に今度は稚内に向けて出港とのことで、今度は島を出る人達を見送る風景に変わって民宿で一緒だった家族連れの人たちを見送る。いまどき珍しい紙テープを持っての見送り。
こんな光景を今でも見られるのは北海道の離島か鹿児島や沖縄などの離島くらいだろう。 小さい頃に瀬戸内海のフェリーで見たような記憶が有るけど・・・
出港する船に乗る見送られる人達と埠頭の見送る人達をつなぐ紙テープは途中で手を離してはいけないそうで、船の人が最後まで持って乗組員が回収しに来るとのことでした。
自然を大切にする今の時代、紙テープが海上をゆらゆらするようなことが有ってはならないのですよね?

レブンウスユキソウ 稚内行きの船を見送ったあと、天気はイマイチだしコレと言って何もやることは無いので ( と言いながらしっかり宿で持たされたお弁当やカッパをザックに入れて来ている ) 今の船で到着したばかりの奈良からの男性を加えたメンバーで島の散策に出かけることになります。
即席で決まったパーティーの隊長は4時に起きない目覚まし時計氏。 彼はこの宿の常連らしくこの辺りの土地勘はあるとのことで、ガイド役をかって出ます。
相変わらず天気は良くないので礼文林道から登っていくにつれて小雨が次第に本降りになってきた。 風も強くなってきてカッパが風であおられてバタバタと耳元がうるさい。
可哀そうなのが、宿に立寄って落ち着く間もなく突然参加の到着したばかりの奈良の男性。
港から登山口まで我々と一緒に宿の車に乗って、貸してもらったカッパの上だけを身にまとい、デイパックと引換えに20センチ角ほどの手提げバックを手渡されてまるで愛犬のお散歩のような軽装備。 『 こんな格好でどこ行くの〜? 』 と思わせるのに、それ以外の人たちはゴアテックスのカッパ上下に登山靴に杖やスパッツと誰が見ても山行きの装備。
霧と降り続ける横殴りの雨で利尻富士が望めるらしい絶景ポイントもサッパリ何も見えず、楽しみは足もとの野草だけ。 と言っても雨も悪い事だけではなくて、この異常な暑さもしのげて水分補給の必要性も殆んど無く、持ってきた500mlのペットボトルの水の世話にならずに済みました。

ホッケのチャンチャン焼き 雨のおかげで結局せっかく宿で手渡されたお弁当を広げる事もできず、この先歩いても見るものは無いとの4時に起きない目覚まし時計の判断で港に下る道を選択します。
山道が大の苦手で覚悟していたものの、荷物が少ないせいか結構大丈夫であっと言う間に港に到着。ちょうどお昼時で腹も減ったので港の待合室でお弁当を食べようという事に意見が一致。
せっかくなので、港の前にある居酒屋で 『 ホッケのチャンチャン焼き 』 と生ビールで中途半端な島の散策のゴールの祝杯をあげます。 このホッケ、セルフで目の前の炭火コンロの網に乗せて焼くのですが、ネギと甘めの味噌を魚に乗せて魚が焼けたところから味噌を混ぜて食べるというもの。 当然身の細いシッポから焼けてくるので焼けて白くなったところをチマチマ箸でつつきながら食べていきます。 鉄板焼きで野菜と一緒に食べるチャンチャンも旨もんですが、こんな食べ方もあるのだとこの旅で初めての地元の美味しいものにありつけました。
ホッケとビールが無くなったので早々に店を引き上げて、港の待合室でお弁当を平らげてしばらくの自由行動。 溜まった睡眠不足が我慢しきれず、待合室の2階でしばらく睡眠時間。
宿から車で迎え来てもらって宿に着く頃には雨も上がったが視界だけは良くならず、見えるはずの利尻富士も気配すらなく雨男である自分を恨む。
昨晩に引続き、地元の食材で工夫を凝らした豪華な夕食を終えて明日の行動予定を 宿主の文夫さんが聞いて回ります。明日、島を出ることを言うと強く引き留められるけど、天気も期待できないし熟知している稚内周辺でノンビリしてみたい気持ちの方が強くて 『 また来ますから 』 と決意。


島を離れる 8月11日
翌日は4時に起こされること無く6時までグッスリ寝られて多少溜まった睡眠不足も解消出来た気がします。
朝食を済ませた後、宿の前ではお客さん同士で記念撮影大会。 同じ船で稚内に向かう人たちは宿の車でひと足先に港へ出発。 2日振りにスーパーカブのエンジンを掛けて暖気。 ホンの2日間ここに停めているだけで鉄の部分が結構錆び始めているのに驚きます。 数分遅れで宿の残った人たちに見送られながら港へ向かいます。 なんとか雨にも遭わず5分ほどで到着。
待合室やら土産物屋さんで時間を潰しているうちにフェリー入港。 稚内からやってきた人や車やバイクがフェリーから吐き出されてきます。
出てきたバイクの中に目に留まった白いスーパーカブ。 これまで直接出会ったことは無いけれど、ネットでスーパーカブ関係のサイトをあちこち見ていたときに偶々見つけたホームページの方でした。 近くで見れば錆が出ていたり、かなりヨレているのが伺える。やはり画像と実物とは随分違うようです。 すれ違いざまのほんの数十秒、ネットで見たことやこれまでの天候などを話し、お互いの安全を祈って 『 気をつけて! 』 と別れて慌しくフェリーに乗船。 同じ船に乗るバイクは旅行者の奈良ナンバーのスクーターとで2台だけでした。
車両甲板にカブを乗り入れて壁際に停めると係員がロープで動かないように固定します。 ギヤをローに入れて貴重品とヘルメットだけを持って客室に上がります。
見送り 徒歩の乗船口のあたりに陣取って、今日は埠頭から見送られる側です。 乗船してきた同じ宿のお客さん達と紙テープを持ちながら出港を待ちます。 下に見える文夫さんとその家族、連泊客やあとの船で島を出るお客さんたちが見送りの歌を歌い、見送られる我々が順番に下に向かって感想やら別れの言葉を大声で投げかけます。
ふと10年前に 『 桃岩荘 』 と言うユースホステルに泊まった時のことを思い出します。
『 民宿なぎさ 』 ご一行のすぐ横には、今もその時と変わらず 『 桃岩荘 』 の見送りの旗を振るヘルパーや裸足で踊る姿、送迎バス代わりに使われている幌付きのトラック 『 ブルーサンダー号 』 の姿も見えます。 さすがにこの歳になればそこには泊まるパワーは有りませんが、いつまでもあんな元気なユースが残ってていて欲しいものです。
8時45分、定刻通りフェリーは徐々に港を離れ紙テープが伸びていきます。 紙テープが見送る人達の手から離れると、係員がやってきて回収して回ります。 埠頭の一番端まで走って見送られ、いつまでもお互いが見えなくなるまで手を振り続けました。

天気回復 乗船時間は約2時間。 10分もすると島は見えなくなり、青空が広がってきて島の悪かった天気が嘘のようです。 島だけが雲に覆われていたようで、そのうちに快晴になってきました。 一番上のデッキに上がって中まで濡れた靴と湿っているカメラバックを干して、北海道に上陸後の雨続きで湿気っぽい自分自身も稚内に着くまでのしばらくの間、デッキに寝転がって昼寝で乾かします。
久しぶりに陽射しを浴びて寝転がっていると稚内への到着が近い事を知らせるアナウンスがあり、起き上がると自衛隊のレーダーが次第に近づいてきて2日振りの北海道本土が間近に見えてきました。
北海道の宗谷地方はもう何十回も訪れた旅慣れた地域。郷里の様な存在で、 『 また帰って来たんだなぁ〜 』 と 『 ホッ! 』 とした気持ちになります。
さて下船準備。階段を下りてスーパーカブに結ばれたロープを解かれるのを待ちながら、暑いけれどジャケットを羽織ってヘルメットを被るとフェリーの船首ゲートが開きました。


続きはこちら