● 指揮 山上 純司 (やまがみ じゅんじ)  さんにインタビューしました。 

[プロフィール]

 1960年 水戸生まれ。東京芸術大学音楽学部指揮科卒業。同大学院音楽研究科指揮専攻前期修士課程修了。
指揮を汐澤安彦、遠藤雅古、渡邉暁雄、ヴィクター・フェルドブリルの各氏の元で学ぶ。
大学院2年次より作陽音楽大学に勤務。オーケストラ、吹奏楽及び指揮法を担当。1994年3月まで専任講師、助教授を務めた。
 1990年より2年間北西ドイツ音楽アカデミー・デトモルト音楽大学に留学。主にオペラ指揮を学ぶ。留学中よりヨーロッパ各地のオーケストラ公演、オペラ公演に出演。
日本では、群馬交響楽団をはじめ各地のオーケストラに出演するほか、オペラ、バレエの分野でも数多くの公演を指揮している。
 2003年、ハイドンのオペラ「無人島」で新国立劇場に初登場。
 第23回国民文化祭・いばらき2008では、ひたち野外オペラ「アイーダ」を、2011年には岡山シンフォニーホール開館20周年として、三木稔作曲のオペラ「ワカヒメ」を指揮している。


[インタビュー]

Q1. 指揮者になろうと思われたのはおいくつの時ですか?

A1. 小学校5年生の時です。ヴァイオリンを習っていた先生が、地元のアマチュアオーケストラのコンサートマスターをしていたこともあって、その一員にしていただいたのですが、そのとき指揮者としていらしていた先生を正面から見て、これだ!と思いました。その先生はその後、ベルリンのカラヤンのもとに留学され、私が高校1年の時に帰国されたので、「指揮者になりたい」と相談して、指揮の勉強を見てもらうようになりました。


Q2. 初めてオペラの指揮をされたのは?

A2. 高校3年の時、その先生が私の地元の水戸で「夕鶴」を指揮することになり、稽古を見学させて頂き、おまけに子どもの合唱の合唱指揮や副指揮のまねごとのようなことまでさせて頂きました。この「夕鶴」の稽古がとても楽しく、オペラが大好きになりました。これがきっかけで芸大の学生の頃から、二期会の「夕鶴」でも副指揮をさせて頂き、團伊玖磨先生とも何度も御一緒させて頂きました。新国立劇場の柿落としの「建-Takeru-」にも音楽スタッフとして参加させて頂きました。初めて自身で指揮させて頂いたのは中国二期会の「こうもり」(中村敬一さん演出)。稽古から本番まで本当に楽しかったのを覚えています。その後有名なオペラをいくつも指揮させて頂けて幸せです。日本人作曲のオペラでは副指揮としていろいろな作品に参加してきたので自分自身でも指揮したいのですが、今のところ池辺晋一郎作曲の「おしち」、仲村透の「御柱」、三木稔の「ワカヒメ」ぐらいしか指揮できていません。はやく「夕鶴」もやりたいと思っています。


Q3. 指揮者は体力が必要ですね。体力作りのために日頃何かされていますか?

A3. 特に何もしていませんが、歩くのは大好きです。土曜の練習時間の前には時間があったので、松茂町広島で人形浄瑠璃の見学に行きました。その後バスがなかったので歩いて歩いて十郎兵衛屋敷まで行きました。


Q4. プッチーニはお好きですか?

A4. プッチーニは大好きな作曲家の一人です。「夕鶴」からオペラに入った人間としては当然ですが・・・。まだ「ラ・ボエーム」と「蝶々夫人」しか経験していませんが、何度やっても感激し、涙します。プッチーニのヒロインに対するあふれんばかりの愛情を感じます。
 スコアはかなり複雑でテンポもめまぐるしく変わり、決してやさしくはないのですが、プッチーニはすべてを細かく書き込んでいるので、その通りに指揮すればよいのです。逆に言うと、指揮者の思いつきなどふきとんでしまう位、厳しく書かれていると思います。


Q5. 「蝶々夫人」はどんなオペラですか?

A5. プッチーニが想像で書いた日本ですから、ことばが変だったり、正確な楽器が不明だったりと、問題はいっぱいあるのですが、演出家やソリストとの共同作業の中から、日本人としてのアプローチができると思います。それにプッチーニの美しい音楽がそんな問題をふきとばしてくれます。


Q6. ソリストの印象は?

A6. ソリストの皆さんにはプロフェッショナルな仕事をして頂いていると思っています。お話を聞いた時、この少ない稽古回数でやるのはとても厳しいと思いましたが、技術的にも人間的にも本当に素敵な方々と御一緒できて楽しく稽古に参加させて頂いています。
 蝶々さん役の乗松さんとは広島で「ラ・ボエーム」で御一緒しています。広島に帰られてすぐの頃で、ういういしくて素敵なミミでした。久しぶりに又御一緒できて、とてもうれしく思っています。信頼できる蝶々さんです。


Q7. ところで合唱の指導に力を入れていただいているようですが・・?

A7. 音楽稽古初日の翌日から立ち稽古でしたが、その立ち稽古の動きが生き生きとしていてびっくりしました。ただ、音楽と動きが一体化できるよう、音楽稽古を続けていくことが大切だと考えています。日曜日の朝9時からオーケストラの練習があるので、せっかく土曜日から来るのですから、練習しましょう、と申し上げました。
 オペラの合唱は、いわゆる合唱とは違って人間の重なりが面白い。現実には平均化した人間など存在しないように、合唱メンバーの一人一人が独立して、違っていていい。個性の集合体にしたいのです。好き勝手でよいという意味ではもちろんありませんが。ソリストには、それぞれ作曲家が与えた性格がスコアに書き込まれていますが、合唱には一人一人にまかされている部分があるのです。その一人一人の個性をいかすためにも音楽稽古が大事なのです。


Q8. オーケストラはどうですか?

A8. 今回は小編成版を使用するので、個々の負担はとても大きく大変だと思いますが、とても熱心に練習して下さっています。


Q9. 指揮者冥利とは?

A9. お客様が喜んで下さっているのを背中に感じられた時。


Q10. 最後に徳島の感想をお聞かせください

A10. 私の母は松山の出身で、四国にはよく来ていますが、徳島はこれまで、あまり来ることはありませんでした。今回、何度も通えて、けっこう歩き回っています。人形浄瑠璃にもちょっとはまっています。蝶々さんの子どもの人形の表情、すごいですよね。すだち、鳴門金時、おいしいお魚、渦潮の迫力、そうそう、阿波踊り、「オペラをやるなら、出演しなけりゃソンソン。」







● 演出  松本 憲治 (まつもと けんじ) さんにインタビューしました。

[プロフィール]
 東京藝術大学声楽科卒業。声楽を須賀靖和、鈴木義弘ほかに師事。また作曲を高田三郎、島岡譲、早川正昭ほかの各氏に師事。
作・編曲家として幅広く活躍しており、現代音楽、オーケストラ・室内楽・合唱・コンピューターミュージック・劇音楽・TV番組テーマ曲等に作品があり、楽譜も数多く出版されている。
 オペラ演出としては、「フィガロの結婚」「魔笛」「ヘンゼルとグレーテル」「ウィーン気質」「メリー・ウィドウ」「こうもり」など、あるいは「ザネット」「カバレリア・ルスティカーナ」「蝶々夫人」「椿姫」「カルメン」、その他、創作作品など多数。
 またミュージカルや現代演劇の演出の他、音楽・舞台芸術イベントの構成・演出、プロデュースを手がけ、オーケストラ・合唱などの指揮も行っている。
中国放送制作「第九ひろしま」の1000人の合唱指揮は20年余り継続中。
 94年広島市の「ひろしまオペラルネッサンス」事業創設に関わり、また、継続的な市民のための文化芸術制作を幅広く実施、広島文化賞(個人賞)を受賞。NHK広島制作「ひろもり・サウンドリフレッシュ」の番組構成、編曲、トーク出演は7年継続中。


[インタビュー]

Q1.今回の蝶々夫人の演出のコンセプトは

A1. ①正統的 ②「オペラ徳島」に合ったかたち となります。「正統的」というのは、「もともとのプッチーニの台本に添って」という意味で、伝統的な「蝶々夫人」の解釈、舞台作り、ということがベースですが、実は、演出家が「才能の趣くまま、勝手に読み替えて作り上げる《現代的な演出》」より、「正統的」に作る方がずっと難しいことは難しいのです。
 とはいえ、念頭にあったのは、「明治中頃の日本、長崎」「仏教とキリスト教」「武士道」など、という背景。江戸300年と明治政府が行った「キリスト教大弾圧の記憶」。また、この初演は1904年、明治37年ですが、明治33年に英文で出版された新渡戸稲造の「武士道」。あるいは、長唄「官女」。これは長唄の定番曲で、時代は違い(源平時代)ますが、「芸者に身を落として生きて行く武士の妻」の曲。この手のお話、作品は日本人は好きなのか、沢山ありますね。 
 しかしそれらはあくまでも「背景」であり、このオペラの主眼は「蝶々夫人」という一人の「架空の」女性の、女性としての感情=精神の奥深いドラマを表す音楽であり、演出は観客に理解出来るような劇的奥行きと劇的リアリティーを与えて、音楽を支えられればと思っています。オペラは、「何よりも音楽」なのですから。


Q2. 日本人が、蝶々夫人を演ずるということの難しさは

A2. 「和物」という言葉があります。 しかし「蝶々夫人」はご存知のように「完全な和物」ではない。プッチーニが、当時の日本大使夫人、大山久子のアドバイスなどから日本の情報を得ていたと言っても、これはやはり「イタリア・オペラ」なのです。この「イタリア.オペラ」の表そうとする音楽的真実と、我々「日本人」が持っている「日本的な舞台表現」との「矛盾」が、もともと「日本のオペラ業界」では問題にされるところです。
 ひとつは、勘所では日本人的な所作(実は、これさえも現代日本人にはなじみが無い難しさがあるのですが)が必要とは思いますが、「こだわりすぎない」こと。全ては「音楽的真実」のために、と思います。もうひとつ、「その矛盾=難しさ」を埋める知恵を楽しむこと。これが出来ればいいのですが。


Q3. 徳島の印象は

A3. これについては、毎回、時間に追われる稽古場にこもりっきりで、「徳島」としての印象を特別持てません(失礼!)。ただ、ひとつは、慌ただしい稽古の休憩時間、一人タバコを吸いながら(失礼!他人には勧めません!)見上げる「眉山」はいいなあ、と。もうひとつ、広島から車で来ているのですが、帰り、瀬戸大橋・与島サービスエリアで、ひとり飲む熱いコーヒーは、格別だなあ、と(笑)。


Q4. 第3回公演のメリーウィドウからお付き合いいただいでしますがが、少しもお変わりにならないように感じます。若さを保つ秘訣は

A4. お言葉ですが(笑)、遥か昔、二十歳を過ぎた頃、「若さ」が嫌で早く歳をとりたいなあ、と思い続けていました。論語・為政、にある、
   六十にして耳順ひ
   七十にして心の欲する所に従ひてその矩(のり)を踰(こ)えず
が、昔からの理想だったのですが、…ま、自らの精神の未熟はいかんともしがたいですね。







● 蝶々夫人役  乗松 恵美 (のりまつ えみ)  さんにインタビューしました。

[プロフィール]

 広島市出身。東京藝術大学音楽学部声楽科ソプラノ専攻卒業。同大学大学院独唱科修了。マダム・バタフライ国際コンクールin長崎優勝。ひろしまフェニックス賞、広島文化賞新人賞受賞。広島市市政120周年記念式典に於いて、ソプラノ独唱。2009年テグ市(韓国)国際オペラフェスティバルに招待歌手として参加。(財)地域創造公共ホール音楽活性化事業、平成22,23年登録アーティスト。「蝶々夫人」蝶々さん、 「椿姫」ヴィオレッタ、「カルメン」カルメン、「こうもり」ロザリンデ等、多数のオペラで主たる役をつとめる。キングレコード「越天楽のすべて(’02年レコード大賞受賞)」でソプラノソロを務めCDデビュー。現在、故郷の広島を拠点に、各地で演奏活動を行う。日本演奏連盟会員。広島文化学園大学講師。ミリオンコンサート協会所属。


[インタビュー]

Q1. 乗松さんにとっての「オペラ 蝶々夫人」とは

A1. いつも自分の人生の転機に出会う演目のように思えます。今まで歌ったすべての役にそれぞれ特別な思い出がありますが、この「蝶々夫人」は私の人生の中で別格の演目のように思えます。それは単純に蝶々さん役が好きだから、というだけではなく、たくさんの思い出が積み重なっています。もちろんその中にはちょっぴり辛い記憶もあったりするのですが(笑)今までもこれからも、蝶々さんを歌う素晴らしい歌手の方は沢山いらっしゃいます。でも「私と、オペラ蝶々夫人」の記憶の束は、私だけのものです。自分らしい蝶々さんとの向かい合い方が出来るよう心がけたいと思いますし、今回も記憶の束に沢山の花を加えたいと思います。


Q2. 蝶々夫人の役柄はどう思われますか

A2. この役と出会った頃は「誇りを守る武家の娘」としての蝶々さんのイメージが強かったのですが、最近は、蝶々さんが「何を守ろうとしたのか」を強く考えさせられます。彼女の頑なまでにピンカートンを待ち続ける心の中にあるのは、夫への愛情だけではなく、我が子を守りたいという念いなのだと思います。オペラの幕切れの彼女の決断は、武家の娘としての誇りや二夫に見えぬ貞節という以上に、息子への強い愛情からだと思うのです。
 有名なアリア「ある晴れた日に」で、あれ程妄信的(!)に夫の帰りを待つのは、心から夫を愛しているのは勿論ですが、愛する我が子に、両親から自分は愛されているのだと実感出来る人生を与えたかったのだと思います。
 私には自分の子どもはありませんが、甥が4人います。この子たちは、私の宝物です。我が子でなくても、これ程愛しく思えるなら、母親であれば尚更でしょうね。
 蝶々さんは1幕では15歳、2幕以降でもたった18歳ですが、年若い彼女の中に、命がけで我が子を守ろうとする母親の姿を見ることが出来ます。昨今悲しいニュースを耳にすることが多いですが…実際母親になったことはない自分が、どのようにこの偉大な「お母さん」を演じられるか、日々考えさせられています。


Q3. 練習の度に車を運転して広島から徳島に来て、全力で主役を歌って、また、その日のうちに広島に車を運転して帰ってらっしゃいますね。そのヴァイタリティはどこからきているのですか。

A3. 即答でお答えします。美味しいものをたくさん食べて常に英気を養っていることです!(笑)…ということは勿論ですが、音楽が好きで、オペラが好きなのだと思います。オペラは特に大勢の皆さんと関わり合いながらいっしょに創って行く時間です。本番では、お客様の視点は舞台上の出演者に行きがちですが、普段の稽古の時から、我々出演者を心身ともに支えて下さるスタッフのみなさんと過ごせる時間はキャストたちにとって本当に幸せな時間です。みなさんの想いに包まれて守られて、私達は舞台に立っています。
 そんな幸せを感じられる時間なら、どんな場所でも飛んで行きたいと思うでしょう?(笑)徳島に来ることも、稽古で歌うことも、私にとっては日常のご褒美のような時間なのです。


Q4. オペラ徳島にご出演いただいて足かけ6年になりますが、徳島の印象は

A4. 徳島は父方の祖母の生地で、祖母は誰よりも先に、私が歌を勉強することを応援してくれた人でした。考えてみると、個人でリサイタルをさせて頂いたのも実は徳島が初めてで、大好きな蝶々さん役で初めて舞台に立ったのも徳島です。
 祖母は私が大学1年の時に他界して、舞台に立つ姿を見てもらえる機会はほとんどありませんでした。けれども、いつも徳島の舞台の客席のどこかに、必ず祖母がいてくれるように思えます。実は初リサイタル(徳島)で、蝶々さんの「ある晴れた日に」を歌っている途中で、舞台上のライトがひときわ輝いて電球が切れたという出来事がありまして。その時、なぜか「あ、ばあちゃんが笑ってくれた」と感じたんです。とても幸せでした。
 これだけでなく、徳島ではあたたかい思い出が書ききれないくらいたくさんあります。
 特にオペラ徳島の皆さんと過ごさせて頂いた時間は、いつも陽だまりのように心がほかほかする記憶が多いです。真っ先に、稽古場の雰囲気が、とても優しいんです。稽古内容は厳しい時も、いつも皆さんのお人柄が疲れを忘れさせて下さいます。「オペラ徳島名物☆愛すべきおっさん」の皆さまをはじめとして、この舞台の時間を共有するお客様、スタッフの皆さん、共演者との思い出を今回もたくさんつくって帰りたいと思います。



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Madama Butterfly Interview
第15回公演「蝶々夫人」 インタビュー