● 指揮 神尾 昇 (かみお のぼる)  さんにインタビューしました。 

[プロフィール]

 指揮者、オペラ演出家
 1970年香川県小豆島生まれ。
 高校2年次より声楽をはじめ、1992年東京藝術大学音楽学部声楽科に入学。卒業後同大学指揮科に再入学、2000年首席で卒業。同大学では、新設された奏楽堂にて初の卒業式を記念する、オペレッタ「こうもり」の総監督をつとめた。
 これまでに声楽を鈴木寛一、曽我淑人氏に、指揮を佐藤功太郎、高階正光氏に師事。
 オペラ指揮者としては新国立劇場、二期会、東京室内歌劇場、芸大オペラ科、アンサンブル金沢、首都オペラ、横浜シティーオペラなどのアシスタントコンダクター、LIP-OPERA、愛媛県民オペラ、芸大オペラプロジェクト、オペラ徳島の指揮者を歴任。
 オペラ徳島を始め、数々のオペラの演出も行っている。
 コーロつるさし、Colla Voce、アリルイヤ合唱団、合唱団ショコラ、柏フィルハーモニー合唱団常任指揮者。
 一方で声楽家としても活躍。最近では男声カルテット「Kinds(カインズ)」を結成し積極的な演奏活動を行っている。
 東京トロイカ合唱団団員、副指揮者。
 2005年5月から6月にかけてヨーロッパで行われた「第一回ベラ・バルトーク国際オペラ指揮者コンクール」において最終ラウンドを待たずして、「審査員特別賞」を受賞。受賞者披露のガラコンサート「カルメン」では、第四幕を指揮、センセーショナルを巻き起こし、コンクールの最後を飾った。その模様はルーマニア国営放送で放送された。


[インタビュー]

Q1. これまでオペラ徳島で「リゴレット」、「ボエーム」、「魔笛」と指揮・演出していただきましたが、オペラ徳島にどのような印象をもっていらっしゃいますか?

A1. まずは10周年おめでとうございます。なかなか10という数を、しかもオペラで達成するということは非常に難しいことです。オペラ徳島というところは、良くも悪くも(笑)、
 非常にファミリーな雰囲気で、練習のときは「和気あいあい」という言葉がぴったりなのですが、そういった雰囲気が地元の人々に愛され続ける要因なのでしょう。また、関わっている人々も、非常にオペラとオペラ徳島を愛しておられて、そういう気持ちが聴衆のみなさんに伝わるのだと思います。


Q2. オペラ徳島のオーケストラの良い点はどんなところですか。

A2. 毎年、正直言って充分とはいえない練習回数で、しかし、よくついてきてくださっています。毎年GP(最後の通し稽古)が終わるのが22時、23時になる中で、どなたも文句も言わず、ただただ感謝するばかりです。毎年オペラの伴奏を重ねてきて、歌い手との合わせ方、オペラ独特の雰囲気をつかんでこられているように思い、今後が楽しみです。


Q3. オペラを指揮する上で一番大切に思っていることは何ですか。

A3. キャスト、オーケストラ、合唱とのコミュニケーションです。指揮者はオーケストラピットに入っているので、舞台上の人たちからは見えにくいところにいます。ですのでこちらから「気」を送って気持ちの繋がりを保つようにしています。後は、オペラに限らずいかに作曲家が伝えようとしていることを再現するか、この作品の素晴らしさをいかに世に伝えるか、を常に考えています。


Q4. 指揮は重労働であると思いますが、健康管理のために何をなさっていますか。

A4. タバコは一切吸いません。添加物も極力取らないように研究しています。それに何といってもジョギング、サイクリングでフィジカルな部分は当然、メンタル面もきたえてい(るつもりになってい)ます。それとちょっぴりの(?)お酒をたしなみ、明日への活力にしています。


Q5. ご自身もテナーとしてご活躍とのことですが

A5. 「活躍」とまではいきませんが、自分の合唱団での演奏会や、機会があるごとに今年は「千の風になって」を歌っています(笑) Kinds(カインズ)という男声カルテットを組んで、主に福祉施設で慰労演奏をしています。二年前も新潟県柏崎で志茂田景樹さんの「読み聞かせ隊」の一員として演奏をしたのですが、つい先ほど大地震がありました。現地の人々を心配しています。


Q6. 「蝶々夫人」の魅力はどんなところにありますか。

A6. 何といっても舞台が長崎ということは日本人にとっては非常に馴染める要素だと思います。グラバー邸が原作のモデル地として描写されたのではないか、ということや「お江戸日本橋」や「さくらさくら」など日本の旋律がふんだんに使われていること、またアメリカの国歌が出てきたり、楽しめる要素がたくさん詰まっています。昔から日本人は「お涙ちょうだい」が好きなので、今年もいかに聴衆の皆様を「泣かせる」か。研究に余念がありません。


Q7. 徳島の聴衆についてはいかがですか。

A7. 私が常日頃思っていることのひとつに、クラシック音楽とは「娯楽」であり、「教養」ではないと思っていることがあります。そしてより「楽しんで」いただくために幕前のスピーチを行ったりしているのですが、回を増すごとに聴衆の皆様がどんどんオペラの世界にはまっていらっしゃるのを感じます。聴衆の皆様に乗っていただくと、私たちも俄然やる気が出てまいります。


Q8. 最後に、将来の夢を語ってください。

A8. 私がオペラにかかわっていて強く思うことは、日本には手ごろなオペラハウスがない、ということです。ですので、私の住んでいる市川市長にも申し上げたことがあるのですが、オペラハウスを造りたい、というのが私の夢です。しかもキャストや合唱、オーケストラなどは地元の人が中心になり、ショッピングや食事をオペラを観た後に楽しめる、そういった施設を造りたいです。
 オペラ徳島に対しての夢は、「発売即完売」を目指しています。そのために皆様に期待される舞台を作っていく努力を惜しまず、精進し続けていきます。





● 演出  ミッシェル・ワッセルマン (みっしぇる わっせるまん) さんにインタビューしました。

[プロフィール]

 1948年、パリに生まれる。フランス現代文学高等教育教授資格及びパリ大学の東洋学博士号(歌舞伎研究)を取得。ルネ・シフェールとの共著で、「Le Mythe des 47 ronin」(四十七士の神話)(P.O.F.社 1981)および「Arts du Japon: le theatre classique」(日本の芸術:古典演劇)(同 1983)を出版。その他、日本芸能に関する論文を多数発表している。(Le Monde紙、中央公論、等)東京外国語大学および東京芸術大学の客員教授を経た後、1986年~1994年関西日仏学館(京都)の館長を務め、現在は立命館大学国際関係学部に教授として在職中である。
 1986年~1992年にかけてフランス政府のアーティスト・イン・レジデンスである京都の関西日仏交流会館(ヴィラ九条山)の構想ならびに設立に携わり、1992年~1994年同会館の初代館長を務めた。
 また、1990年「京都フランス音楽アカデミー」を創設、毎年パリとリヨンのフランス国立高等音楽院から主要楽器と声楽の教授陣十数人を招いて、京都で演奏のマスタークラスを開催する一方、教授陣による室内楽のコンサートを日本各地で実施している。この催しは2007年3月~4月に18回目を迎えるに至った。1995年、京都市から京都コンサートホールの国際担当特別専門委員に任命され、1997年~2002年にかけて、同ホールのために毎年のテーマ・フェスティバル「京都インターナショナル・ミュージック・セッション」を創設。クリスチャン・ツァハリアス、トーマス・ブランディス、パスカル・ロジェ、ジャン=ジャック・カントロフ、ミクロス・ペレーニ、ピエール=ロラン・エマール等のアーティストを招聘して、京都市交響楽団および日本の優秀な室内楽奏者たちとの共演を企画している。また、東京室内歌劇場や関西歌劇団等のためにモーツァルト、チマローザ、ストラヴィンスキー、プーランク等のオペラの演出を行っており、1984年、プーランク作曲の「ティレジアスの乳房」(東京室内歌劇場)の演出でジロー・オペラ賞を受賞している。
 近年、ソプラノ奈良ゆみが出演するモノオペラ「人間の声」(プーランク作曲、京都コンサートホール、1999年)や「ソロヴォイス」(京都芸術センター、2002年)の演出を手がけている。2003年に京都オペラ協会総監督就任。2000年には日本人歌手三浦環(1884年~1946年)の生涯を批評的に扱った書物「Le tour du monde en deux mille Butterfly」(「お蝶夫人二千回」)を出版し(Le Bois d’Orion社)、また2002年に日本の愛唱歌20曲の歌詞を仏訳した歌曲集「Chants du Japon」(「日本歌」)を出版(Notissimo社)。
 日仏文化交流に寄与した功績に対し、1997年フランス政府から芸術文芸勲章シュバリエ章、2007年教育功労勲章オフィシエ章を受勲。


[インタビュー]

Q1. どういうことがきっかけで、オペラの演出を手がけるようになられたのでしょうか?

A1. 30代でオペラの仕事を依頼されたのがきっかけです。やってみて気がついたのですが、日本の芸能の研究をしていた自分の根っこはオペラでした。ここ10年ほどはオペラの仕事に力を入れています。2006年のモーツァルトイヤーに向けて、2003年からダ・ポンテ3部作を演出してきました。フランスのオペラも手掛けています。


Q2. これまで演出されたオペラの中でお好きなものは?

A2. いつでも自分が今手掛けている作品が一番好きです。


Q3. では、今一番お好きなのは「蝶々夫人」ですね。

A3. そのとおりです。「蝶々夫人」については研究をし、論文を書き、本を出版しました。かつて「蝶々夫人」を歌って世界的に名声を博した日本人プリマ三浦環についてのオペラ台本を書いたこともあります。つまり、これまで「蝶々夫人」の周りをぐるぐる回っていた訳ですが、今回初めてその中心へ踏み込むことになって、最高の気分です。わくわくしています。年齢的にもそろそろ仕事をまとめる時期ですから、自分のすべてを注ぎ込みたいと思っています。そういう意味ではこれまで演出したオペラとは違うかも知れませんね。それに、「蝶々夫人」の演出を依頼されて、とても光栄です。日本の公演では通常、「蝶々夫人」の演出を外国人には頼まないでしょう?


Q4. オペラの演出をするに当たって一番大切だと思うことは何でしょうか?

A4. オペラの演出は自然が一番です。すべてのことは楽譜と台本に書かれています。私は台本と舞台の間を結ぶだけです。演出とは二次的な仕事であって、傑作は傑作。オペラのスコアに書かれているものをそのまま引き出すことこそが「演出」だと考えています。最高の演出は演出を感じさせないものです。


Q5. 「蝶々夫人」の演出上のコンセプトをお聞かせいただけますか?

A5. 「蝶々夫人」は蝶々さんのモノオペラであると思います。蝶々さんはイタリア語のイゾルデですね。その点、能に似ています。そこで、舞台は中央に本舞台があり、左右に橋がかり、花道を配し、本舞台の後ろには雛壇を置くといったシンプルなものを考えました。蝶々さんはいわゆる能におけるシテです。あとはワキやワキヅレである人達がシテをもり立てながらオペラが進行します。


Q6. 「蝶々夫人」の世界は外国人から見た日本であって、日本人には違和感がありますが。

A6. 30年以上日本に住んでいますから、私も海外で欧米人が演出する「蝶々夫人」には違和感を覚えます。蝶々夫人はジャポニズムの極致と言えますが、西洋でやると所作などはどうしても無理があります。
無理といえば、「蝶々夫人」の子役については、以前から無理があると感じていました。何しろ蝶々さんの子供は2歳のはずですからね。で、ちょうどこの徳島には人形浄瑠璃の伝統がありますから、今回はあえて子どもを人形で表現することにしました。先日人形浄瑠璃の人形遣いの方々にお会いし、人形の所作を見せていただきましたが、それは素晴らしいものでした。


Q7. 蝶々さんの子供に人形を使うというのはこれまで誰も考えなかったのでは?とても楽しみです。ところで、主要な配役の歌い手さん達はいかがですか?

A7. 乗松さん(蝶々夫人)は大変素晴らしい!「蝶々夫人」に乗松さんを得たことは本当に幸せです。竹内さん(ピンカートン)も関西の若手では一番のテナーだと思います。練習第一日目にこの二人に「愛の二重唱」を演出したのですが、練習ということを忘れて思わず感動しました。二人とも国際的に十分通用するでしょう。安永さん(スズキ)もしっかりとした声で素晴らしいし、鈴木さん(シャープレス)も将来性を感じさせるバリトンですね。主要キャスト4人が粒ぞろいなのですから、とても楽しみです。


Q8. 「オペラ徳島」の印象はいかがですか?

A8. オペラ徳島の皆さんは本当に和気あいあいとされていますね。杉尾ご夫妻のオペラにかける情熱とそれを支える皆さんの善意のボランティア精神には本当に感心しました。だから10年も続けてこられたのですね。素敵な練習場所も確保されているようで、うらやましい。


Q9. 最後に、徳島の聴衆へメッセージをお願いします。

A9. 日本の第九についての研究を通して、何度も板東に足を運びました。そして今回この徳島で私の人生の集大成とも言える「蝶々夫人」を演出します。不思議なご縁を感じます。すばらしい歌い手やスタッフに囲まれて最高の舞台になるに違いありません。どうぞ足をお運び下さい。






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Madama Butterfly Interview
第10回公演「蝶々夫人」 インタビュー