とうかいどうよつやかいだん
東海道四谷怪談



【見どころ】
そりゃもういっぱいありんすが、わっちの勝手な思い入れで言わせてもらうと、
いのいちに伊右衛門色悪ぶり。最初はすごく惚れてるのよね、お岩に。
それがだんだん冷めてきて、お岩の顔が醜くなった途端にガラリと心変わりしちゃう。
この役はね〜、役得だと思うよぉ。誰だって、とまでは言わないけど(爆)
演じる役者がカッコよく見える役。ついじっくり見ちゃう(笑)
直助権兵衛も悪くねぇけど、「深川三角屋敷」の場は端折られることが多く残念。
一般的な見方で言えば、ほんとはお岩。じっと耐えて耐えて耐えてきたのに、
男の不実に耐えきれなくなって、ついに噴火したらあとはもうカオス。
怨念のたぎるままに流れ出るままに奔流となってすべてを呑み込む、ってな感じ?
お岩を演じる役者が与茂七、小平と三役を早変りするのも見もの。
戸板返しの場面では、お岩から戸板を返したら瞬時に小平になって、と忙しい。
その他にも、大詰の提灯抜け仏壇返しと、この芝居は仕掛けもいっぱい。
なお、やたらと出てくる鼠だが、お岩は子年の生まれということで、
お岩の化身と思って見てもらえればいいと思う。
また、隠亡堀の場での伊右衛門の台詞「首が飛んでも動いてみせるわ」は、
演じる人によって言う時と言わない時とあるらしい。原作にはない。
それから、幽霊の出てくるシーンの人魂は、焼酎火という本火である。

【あらすじ】
塩谷(忠臣蔵での浅野の名前)の浪人四谷左門にはふたりの娘がいた。
姉のお岩民谷伊右衛門という、やはり塩谷浪人の女房になったいたが、
伊右衛門が相当なワルなのを知る父親によって家に連れ戻されている。
妹のお袖佐藤与茂七という、これまた塩谷浪人と夫婦なのだが、
今は離れ離れになっていた。

「浅草境内」「地獄宿」「浅草田圃」
妹のお袖は、昼は楊枝屋で働き、夜になると按摩の宅悦がやっている
地獄宿(いわゆる売春宿)で、おもんという名で客をとっていた。
父の左門は不器用で世渡り下手、姉のお岩は身ごもっていて動けない。
自分が何とかしなければ、食べていけない、生きていけない。
すべては生活のためなのだ(かわいそ〜。悲惨だぁ)
とはいえ夫のある身。客に事情を話して勤めだけは許してもらっていたのだが。
(不義密通じゃ、そら客も腰が引けるわな。でも、それって騙りと変わらねぇんじゃないだろか?)
そんなお袖に岡ぼれしたのが、直助という、これも塩谷ゆかりの小者。
地獄宿で彼女に迫るが、あと一歩というところで、夫の与茂七が登場し、
横合いからかっさらわれた格好になって腹の虫がおさまらない。
一方、お岩の夫伊右衛門は、女房と復縁したくても、
父の左門に過去の悪事を知られているから、その存在が煙ったくてならない。
そこで、ワルのふたりは考えたわけだ。邪魔なヤツは消しちまえ、と。
真っ暗闇の田圃道。直助は与茂七の提灯を目当てに切りつけ殺し、
あげくに死人の面の皮を剥ぐという残酷さ。へへ、こうすりゃ誰だか分かるまい。
(役人も身元確認から手間取るこたぁ間違いないわえ、ふっふっふ。てな感じ?)
と、その時、伊右衛門が血まみれの左門を追いかけてきてとどめを刺した。
このふたり、実は旧知の間柄。互いににんまり(←ヲイ! なんちゅーヤツラだ・・・)
そこへ、父を探すお岩と、与茂七を追うお袖がやってくる。
見れば、あたり一面が血の海で、
父と与茂七(の着物を着てる他人なんだけどね、ホントは)が事切れているではないか。
思いもかけない惨事に気も動転する姉妹の前に、
さも今駆けつけましたという顔をして伊右衛門と直助があらわれる。
伊右衛門はお岩とよりを戻し、直助はお袖と仮の夫婦になって
ともに仇を討ってやろうと約束する(まぁ、いけしゃーしゃーと・・・)

「浪宅」「伊藤家」「浪宅」
伊右衛門の元へ戻ったお岩だったが、産後の肥立ちが悪く病の床に。
そんな女房が煩わしく、生まれた我が子も疎ましく、日増しに冷たくなる伊右衛門。
それでも、父の仇を討ってもらいたくて、お岩はじっと我慢していた。
そこへ、隣の伊藤家から乳母のおまきがやってきて、
誕生祝いとして赤ん坊には小袖を、お岩には血の道の妙薬をくれた。
お礼を言いに伊藤家に出かけた伊右衛門に、主の喜兵衛は大金を差し出し、
孫のお梅の婿になってくれと言い出した。しかも、先刻届けさせた薬は、
実は顔を崩れさせる毒薬で、お岩が醜くなれば別れてくれるだろうと企んだこと、
と白状する親バカ状態。どうせ、お岩が疎ましくなっていたところだ。
ついでに高家に仕官できるのなら、それも悪くなかろうと伊右衛門は承諾した。
家に帰ってみると、喜兵衛が言ったとおり、お岩の顔が醜く変わっていた。
途端に邪険になる伊右衛門。婿支度に金がいるからと、
お岩の身ぐるみを剥いで、赤ん坊の蚊帳まで持って行ってしまう。
その上、途中で会った宅悦に金を渡し、お岩に間男を仕掛けてくれと頼む。
仕方なくお岩を口説こうとした宅悦だったが、拒絶され実は・・・と打ち明ける。
怒ったお岩は伊藤家に怒鳴り込もうと身だしなみを整えはじめるが、
髪を梳けば大量の抜け毛。しかも、その中から血がしたたり落ちるではないか!
びっくりして止めようとする宅悦ともみ合ううち、
はずみで小平(伊右衛門のところで働く小者)の刀で喉を切って死んでしまう。
そこへ帰ってきた伊右衛門。これ幸いと、女房の仇として小平も殺し、
お岩と小平を不義に見せかけ戸板の表裏に打ち付けて川に流そうという算段。
一騒動がすんだ頃、喜兵衛らに付き添われて、お梅が嫁入りしてきた。
いよいよ床入り。が、しかし、そこにいたのは死んだはずのお岩!
首を討つと、その首はお梅だった。喜兵衛を起こしに行くと、今度は小平!
驚いて討てば、その首はやはり喜兵衛。げげっ。お岩の怨念の仕業か・・・。

「隠亡堀」
事件がもとで伊藤家は取りつぶされた。
残された喜兵衛の娘お弓おまきとともに隠亡堀で非人の暮らしをしていたが、
おまきは鼠に導かれるようにして、あやまって堀にはまってしまう。
その後で、やってきたのは、今は権兵衛と名を変えて鰻掻きをしている直助
鰻のかわりにかかった、べっ甲の櫛(実はお岩の母の形見)をふところに。
そこへ、伊右衛門が母親のお熊と連れ立ちやってくる。
昔もらった高師直のお墨付きがあるとはいえ、今の状態では仕官もならぬ。
伊右衛門はすでに死んだものと見せかけようと卒塔婆を立てに来たのだ。
その卒塔婆を見つけ憎き仇が死んでしまったと嘆き悲しむお弓を見た伊右衛門は、
この女を生かしておいてはヤバイと、後ろからお弓を掘に蹴り落としてしまう。
これで伊藤家は残らず滅びたことになる。
そろそろ暮れた。伊右衛門が帰ろうとしたところに戸板が流れてくる。
見ればお岩の死骸、そして裏には小平の死骸。ともに恨めしい口をきく。
伊右衛門がギョっとして切りつけると、たちまち骨になって落ちた。

「深川三角屋敷」
一方、お袖は、直助に身体は許さねどもともに暮らし、洗濯を小商いにしていた。
裏の法乗院に、戸板に打ち付けられた男女の死骸が運びこまれたとの噂話。
お袖のところに持ち込まれた着物は、どうやらその男女が着ていたものらしい。
直助が隠亡堀で拾った櫛を金にかえるため出かけようとしたら、
女の着物を浸けた盥の中から手がにゅうと出て直助の足首をつかむ。
直助もこれには仰天。盥の中に櫛を落としてしまう。
お袖が、盥の中を探り、着物を絞ると水が血汐に変わりしたたり落ちる。
気味が悪いが、姉の身に何かあったのでは、と案じるお袖。
そこへ按摩の宅悦がやってきて、お岩の櫛に目を止め、事件の話をする。
姉の身にとんでもないとこが起きていたことを知り驚くお袖に、直助は、
父親、与茂七、お岩の三人の仇が女手ひとりで討てるのかい? と水を向ける。
こうなったら直助に加勢してもらわねば。お袖は、守ってきた操を捨てる
寝静まった頃、たずねてきた男。なんと死んだとばかり思っていた与茂七だった。
お袖は我が身の因果を嘆き、わざとふたりの夫に刺されて命を捨てる覚悟。
そのお袖が持っていた実の親の形見の品というのを見て、びっくり仰天は直助だ。
な、な、なんと、お袖は血を分けた実の妹(あらま近親相姦)だったのだ!
その妹と契ったとあってはもはや畜生、生きてはいられぬ、と自害して果てる。
南無阿弥陀仏。

「夢」「蛇山庵室」
美しいお岩がいた。その美しさに魅かれてお岩を抱くが、化け物に変わる
なんと恐ろしい夢・・・。伊右衛門はお岩の亡霊に悩まされ続けて、
すっかり弱り果てていた。念仏を唱えてもらっていないとうなされてしまうのだ。
そして、またしてもお岩の亡霊があらわれる。赤ん坊を抱いているので、
伊右衛門があやそうとすると石の地蔵に変わってしまった。
お岩の亡霊は、伊右衛門の母親お熊やワル仲間の長兵衛までもとり殺す。
あらためてお岩の怨念の強さを思い知らされた伊右衛門を、忍び寄った捕手が囲む。
逃げようとした伊右衛門を、駆けつけた与茂七が討ち取るのだった。

【うんちく】
四世鶴屋南北の作で、文政八年(1825年)初演。怪談狂言の傑作である。
「忠臣蔵」の世界と関わりを持つ登場人物が出てくるが、
歴史の表舞台の復讐劇の、その裏で起こったもうひとつの復讐劇を描いている。
初演の時には「忠臣蔵」と併行上演されたという。
二日がかりになるけれど、一度そういうカタチで見てみたい(疲れちゃうかなぁ)
なお、南北は、これを書いた時、70歳を過ぎていたらしい。
枯れる、などとは無縁のじじい。エネルギッシュでよござんす。

お岩のモデルは、四谷に住んでいた下級武士田宮又左衛門の娘。
大坂出身の浪人伊右衛門を婿に迎えたが、伊右衛門の上司にあたる伊東喜兵衛が
妊娠した妾を伊右衛門に押し付けるためにお岩を離縁させた。
あとから事実を知ったお岩は狂乱したあげく、行方知れずとなった。
そののち田宮家は変死者が続出して断絶。近親者がお岩稲荷を建てたという。
お岩とともに戸板に打ち付けられる小平のモデルは、小幡小平次という歌舞伎役者。
女房の情夫に殺され沼に沈められ、死霊となって祟りをなしたとされる。
直助権兵衛にもモデルがいて、はじめは直助と名乗っていたが
主人殺しで逃走中には権兵衛と名前を変えていたという。鈴ケ森で処刑されている。