せっしゅうがっぽうがつじ
摂州合邦辻【見どころ】
言いきっちゃうと、この芝居は主人公の玉手御前を見る芝居でやんす。
なんつーか、異常な愛情?が面白いでする。一見、中年の女に見えるんですが、
ほんとは玉手御前って20歳前後とゆー設定らしいんですね。
で、いくつも違わないってゆーから、俊徳丸は15〜16歳ってとこでしょうかねぇ。
最後に継母としての義理を立てるために恋を仕掛けたとかいう真相を語るけど、
ほんとはどうなの!と詰め寄りたくなるような狂気の恋が見どころですな。
俊徳丸へのくどきとか、最後のもどりとか見せ場が多く、
役者さんもやりがいのある役だろうなぁと思いやす。
【あらすじ】
河内の国安左衛門には息子がふたりいた。
弟の俊徳丸が正妻の子という理由で正式な跡継ぎとなっていたが、
妾腹の兄の次郎丸がそれを嫉み、一派と計って御家横領を企んでいた。
そんなある日、俊徳丸は継母の玉手御前に恋を打ち明けられてビックリ。
俊徳丸には浅香姫という許嫁がいたし、なにより玉手は父の後妻、
年はさほど離れていないとはいえ応じられるわけがない。
はねつけられて逆上したのか、玉手は俊徳丸に毒酒を飲ませた。
俊徳丸の美しい顔は醜く崩れ、目も見えなくなってしまった。
そんな我が身を恥じ、また継母の邪恋から逃れようと、俊徳丸は家出をする。
それを追って、玉手もまた高安の家を飛び出した。
一足先に家出していた俊徳丸は乞食小屋で病身を養っていたが、
浅香姫と再会し、ともに玉手の実父である合邦道心の庵に身を寄せる。
という前段が、もともとあったうえでの一幕です。
「合邦庵室」
合邦と妻のおとくは娘の行為を恥じ、娘はもう死んだものとして回向していた。
が、その夜遅く、どうやってかぎつけてきたのか、玉手御前がやってきた。
あのような噂は嘘だろうと母親がたずねても、玉手は否定せず、
何としても俊徳丸と夫婦になりたいと無茶を言う始末。
恋に狂った玉手には父親の嘆きも諫めの言葉もてんで耳に入らない。
玉手が追ってきたとなると、もうここも安心できないと思った俊徳丸は
高安家の忠臣入平の手引きで浅香姫といっしょに逃げようとする。
が、これに気づいた玉手が、恋人たちの間に無理やり割り込み、
まとわりつき離れようとしない。「えぇ情けない母上様」という俊徳丸の言葉にも、
「道も法も聞く耳もたぬ」とまで言いきった(おー!)。
そんな娘の姿に堪えかねた合邦は、駆け寄ると玉手の脇腹をブスリ!
我が子を殺すとは仏門にある身で情けないと嘆く合邦に、玉手は苦しい息の下で、
恋の真相が、実は継母としての義理を通すためと打ち明けはじめた。
俊徳丸が家督を相続しなければ、次郎丸に殺されることもない。
そう考えついて、わざと恋を仕掛け(へ、なんでだ?)毒酒を飲ませ病気にしたと語る。
さらに、寅の年、月、日、刻の揃った生まれの自分の生き血を飲ませれば、
俊徳丸の病気も治ると言う(なんか、妹背山と似てるなぁ・・・)。
そうとは知らなかった(そんな自分勝手なこたぁ誰だって分からない。苦笑)合邦は、
泣きながら娘に許しを乞う。俊徳丸も義母の手をとり、身を捨てての行為に感謝する。
玉手の生き血を飲まされた俊徳丸は、もとの美しい姿に戻り、目も見えるようになった。
やがて満足の笑みをたたえながら、玉手は静に息絶えるのだった。
【うんちく】
初演は人形浄瑠璃で、安永二年(1773年)。
歌舞伎に移植されたのは明治になってから、と遅いらしい。
もともと原作は上下二巻(っつーと巻物なのか?)の短いものらしいが、
それでも現在上演されるのは二巻目の切、つまり最後の一幕がほとんどなんだそうな。
継母の邪恋をテーマにしたこの芝居の背景には、
能の弱法師だとか、愛護の若伝説だとかがあるっつー話だ。
で、思った方がいるかもしれない。「しんとく丸に似てない?」と。
わっちも思ったよ。けど、結局、詳しいこたぁよう分からん(苦笑)のだが、
弱法師や愛護の若伝説なんかが混ざり合って
「しんとく丸」って巷説ができたのかも、と勝手に推察しており。
で、その辺のがゴチャゴチャと混ざり合って、この芝居ができたのかなぁ、と。