れんじし
連獅子

【見どころ】
獅子は我が子を谷底へ突き落とし、自力で登ってきた強い子獅子だけを育てる、
という伝説とゆーかお話を舞踏化したもので、石橋物のひとつ。
最初は狂言師として出てきた右近左近が、後に獅子の精に姿を変えて
豪快な毛振りを見せてくれます。こういう獅子物は、
いかにも「歌舞伎を見た!」という気にさせてくれるところが大好き。
それと、この演目は実の親子が親獅子・子獅子を演じるときには、
なおさら感慨深いものがあります。だって、歌舞伎界の親子って師匠と弟子だから、
芸事に関してはすごく厳しいみたいなので、その姿がだぶるんですよねー。
と、ちょっと歌舞伎に慣れてくると、そんなことも思いますが、
ビギナーさんは素直に見たままを面白いなぁと思ってくだされば、それで十分。

【あらすじ】
「それ牡丹は百花の王にして 獅子は百獣の王とかや
桃李にまさる牡丹花の今を盛りに咲き満ちて 虎豹に劣らぬ連獅子の
戯れ遊ぶ石の橋〜」で、い手獅子を持った狂言師右近
い手獅子を持った左近が出てきます(左近は前髪があるので子どもという印です)
ふたりが踊るのは、親子の獅子のさま。親獅子が子獅子を谷に蹴落としても
子獅子は必死で駆け上がってくるという、あれ。
ところが、何度か突き落とされているうちに、子獅子は疲れて
眠くなっちゃったんでしょうなぁ、なんと下でひと休み。
そうとは知らないから心配になった親獅子は谷底の川面を覗き込む。
「水に映れる面影を見るより子獅子は勇み立ち 翼なければ飛び上がり
数丈の岩を難なくも駆け上がりたる勢いは 目覚ましくもまた勇まし」
と、親獅子の元へと再び駆け上がってくるんですね。
この親子の獅子の舞いをしていた右近と左近に獅子の精が乗り移って
後ジテの舞いになるんですが、その着替えの間に、
宗論(しゅうろん)」と呼ばれるユーモラスな間狂言が入ります。
修業のために清涼山へと向かう法華僧浄土宗の僧が道連れとなって、
互いに相手に負けじと張りあうさまがとてもおかしい。
やがて山嵐になって、ふたりの僧が逃げ去ったあと、いよいよ獅子の登場です。
先にい頭の親獅子が悠然と出てきて、後にい頭の子獅子が続きますが、
子獅子は花道七三のあたりで立ち止まると、そのままの姿勢を保ちながら
すごい勢いでいったん揚幕の方に引っ込みます(この辺は鏡獅子と同じ)
で、再び出てきて舞台に進み、親子揃っての毛振りとなります。

【うんちく】
幕末につくられて明治期に洗練され今日のカタチになったそうです。
現在の演出は明治34年(1901年)に共演されたものが伝わっているとか。
なんと、作詞は河竹黙阿弥なんですね! もう数回見てますけど、
これ書く段になって、はじめて意識した次第なり(苦笑)
それから、獅子が出てくる前の演奏なんですが、しーんと静まり返った中を、
鼓がポン。しばらく間があって太鼓がコン。・・・ポン・・・コン・・・。
これって、どうやら山びこを表現しているらしいでする。
そう言われれば、なるほど!なりよ。ぜひ耳を澄ませて聞いてみてくださいね。