けいせいはんごんこう
傾城反魂香
【別の名前】
どもまた
上演される段の名前が 通称「吃又」
【見どころ】
現在上演されるのは「吃又」と呼ばれる場面だけ。
この場の主人公は又平という絵師で、生まれついての吃音なんですねー。
だから「吃又」なんつー俗称があるみたい。
で、この又平と女房のおとくのうるわしい夫婦愛が奇跡を呼ぶ、ってゆーのが
見どころになってるの。演じる役者がいいと感動いたしまする。
特に、おとくは三女房と言われる役だとか。言葉の不自由な夫に代わって
そりゃもーよく喋ります。お喋りなヒロイン(?)って珍しいかも。
又平の演技については、なんでも名優とうたわれた六代目菊五郎が
芸術家の苦悩に重点を置いて演じたものが今に踏襲されているらしいです。
んー・・・。もうちょっとくだけててもいいと思うのはわっちだけか?
ありえない奇跡が起きるわけだから、劇画タッチでもいいのになー、なんて
思ったりいたしまする(おとくが面白いだけになおさらなのだー)。
【あらすじ】
大和絵の一派である土佐派の総帥土佐将監光信の家に近郷の百姓たちが押し寄せた。
弟子の修理之助が何の騒ぎかと尋ねると、薮の中に虎が逃げ込んだと言うではないか。
ばかな、日本に虎など、と修理之助はあざ笑うが、その騒ぎに
将監と北の方が奥からあらわれて、逃げたと言うなら探させよ、と言う。
すると、百姓たちの言う通り、薮の中に虎がいた。それを見た将監は、
それが狩野元信の描いた虎に魂が入って抜け出たものだと見破った。
(つまり絵、ってことね。実際、絵なんだけどさー。笑)
「自分にその虎を消させてほしい」と修理之助は師に願い出て、見事に消す。
将監はその力をほめ、その場で土佐の苗字を名乗ることを許した。
日も暮れはじめた頃、修理之助の兄弟子にあたる浮世又平が
女房のおとくといっしょにやってきた。又平は生まれついての吃りで
思うように話せないため、おとくが夫に代わり次々とあいさつの言葉を述べたてる。
北の方が修理之助に苗字が許されたと知らせると、又平はぜひ自分にも、と
不自由な言葉に身振りもまじえて、おとくともども哀願する。
しかし、将監に冷たくはねつけられ、又平夫婦は悲嘆の涙にくれる。
と、そこへ、狩野元信の弟子の雅楽之助が、元信の姫君の危急を知らせにくる。
又平は姫君救出の討手にと志願するが、将監は取りすがる又平を振り払い、
画の道で功をなせ、ときつく叱りつけた(そりゃそーだろー、やっぱし)。
望みは切れてしまった、と又平夫婦は不幸を嘆き、死ぬ覚悟を決める(えー?!)。
おとくは「この世のなごりに」と手水鉢に自画像を描くことをすすめ、
又平は心を込めて最後の絵を描いた。そして描き終えた又平が手水鉢から離れ、
おとくが「別れの水盃を」と水を汲もうとしてビックリ!
なんと手水鉢の表と裏に絵があるではないか。又平の絵が石の裏側まで抜けたのだ。
「かかぁ、抜けた!」「はいっ!」
ふたりは腰が抜けるほど驚き、また喜んだ(ここは思わず拍手が来るとこでする〜)。
将監が奥から出てきて、手水鉢の絵を見て賞賛。土佐の苗字が許されることになった。
また、姫君救出の役も改めて命じ、新しい着物に大小の刀も渡してくれた。
いそいそと夫のしたくを手伝うおとく。又平は見違えるように立派な姿になって、
おとくの打つ鼓にあわせ、旅立ちの祝いの舞いを舞う。
又平の言葉もするするとよどみなく出てくるではないか!
いよいよ又平の出立。おとくも喜びの涙にくれ、夫を見送るのであった。
【うんちく】
宝永五年(1708年)人形浄瑠璃で初演。近松門左衛門の作。
歌舞伎では享保四年(1719年)が初演。室町時代に活躍した狩野派の絵師
狩野元信の150年忌をあてこんだ時代物で、
上・中・下からなる三段物の原作は、どうやら御家騒動物になっているらしい。
しかし、現在上演されるのは、通称「吃又」と呼ばれる場面だけ。
なお、主人公の又平は、浮世絵の始祖と言われ、俗に浮世又平と呼ばれる
岩佐又兵衛がモデルだとか。ふーん・・・誰それ?(苦笑)