そんな寛太の独り言(産まれたて編)

  

誕生(H12.12.14)
俺は、平成12年12月14日にこの世に産み落とされた。
できれば、平成12年12月12日と12繋がりの日に産まれたかったが、
おかあの運動不足のせいか、その希望は叶わなかった。
14日の午前3時頃に俺は、出たくて出たくてたまらなくなり、破水という技で、
強行突破に踏み切った。おかあは、「あら、やだわ!おねしょしかしら」と
ボケながらも、さすがに4人目なので冷静に破水と感じ、隣でガァガァー寝ているおとうを起こし、出産の支度をした。この時おとうは、のんきな気分で、
買ったばかりのビデオを引っ張り出し、緊迫した状況を、実況入りで
撮影するのだった。まったく、馬鹿なおとうだ!

病院に行っても、ビデオ撮影は続け、おかあの出産前の不安な気持ちを助長
させていた。まったく、馬鹿なおとうだ!

俺は、そんなおとうにあきれ、徐々に陣痛攻撃をあびせていった。
おかあは、午前8時頃から、分娩室に入り俺の陣痛攻撃と戦いながら、
助産婦さんとおとうが、おかあの背中・腰・ケツを押し、「吸ってー!ハイ・フゥー」っと、掛け声を合わせながらを繰り返し、遂に午後3:05に俺は産まれた。
3512gと中々の体格に満足。(約12時間の戦いは終わった。)
おとうは、初めて立会い出産をしたらしく、ちゃ〜んとビデオにも撮ったらしい。
他の赤ん坊の様に血まみれで出てきたら、めっぽう、血に弱いおとうのこと
だから、卒倒するところだったが、あまり血のつかなように、出てきてやった。
有りがたく思えよ、おとう!
おかあの股間から俺が出る瞬間を目の当たりにして、感動してくれるのかと思いきや、安堵感でホッとしていた様子。おかあの方は、大声を上げ、苦しみながら
産み落としたので、疲れと感動で、ボロボロ泣き、俺は嬉しかったなぁ。
こうして、俺の人生の第一歩が踏み出された。
みなさん、よろしく!!


兄貴達(H12.12.15)
俺には、既に3人の兄貴や姉貴がいた。「な〜んだ初めての子供じゃあないのか?」
「それも4人目か!この不況の時代に、大丈夫か?」と少し不安。
一番上の長男は、サッカー部のくせに釣りに情熱をかける中3。俺のことを一番面倒を
見てくれる頼れる兄貴。

ニ番目は、正に次男という性格で、ノーテンキの一言。
今は、サッカーに目覚め熱中しているが、将来の夢を聞くと何故か「サッカー選手」か「野球選手」
か「たこ焼き屋」。野球の「ヤ」の字もやっていないのに。
この兄貴にはこれからいろいろと思いやられる。

三番目は、優しそうな長女。
このおねえちゃんは俺が産まれた時は、一番可愛がられる立場を奪われ、少しやきもちを
焼かれたが、今ではすっかりおねえちゃんとしての自覚を持って、俺の面倒を見てくれる。
いつまでもその優しさを持っていて欲しいものだ。
俺の足
俺には「馬鹿なおとう」・「大きいおにい」・「小さいおにい」と3人の男が家族にいるが、
みんなサッカーをやって(やらされて)おり、俺も多分サッカーをやらされるんだろうな?
と覚悟を決めている。
馬鹿なおとうは、俺の足を見ては「これはイケル。この足首がイイ!」とほざいてる。
俺が野球をすることも知らず...。

歯が生えた。
歯が生えて、口の中がなんだか、落ち着かなくて、何でも口に入れては、かじっている。
アホな「壮太にい」は、いつも俺の口の中に自分の指を入れてくるので、思いっきり噛んでやる。
「壮太にい」は、「いったぁ〜ッ!」と云いながらも嬉しそうに笑っている。
俺にはそんなおにいの気持ちが判らない。
初めての怪我(H13.05.16)
おかあが、胃腸炎という病気で入院したので、おとうが俺の面倒を見てくれた。
入院期間は1週間だったが、出勤前に俺を託児所に預け、定時に会社を出て、俺を迎えに来て、
家に帰り、夕飯・洗濯・風呂入れ・俺へのミルクやり・寝付けとおかあ代わりとして頑張っていた。
でも、近所の人達が何かにつけ、手伝ってくれ、おとうもずい分助かっていたみたいだ。
そんな時に、車のチャイルドシートの金具が熱くなっていることも知らずに、俺の左大腿部をその金具
に座らせたので、思いっきり泣いてやった。おとうもビックリして、抱いてくれたが、その時は、
火傷とは気づかなかったので、処置が遅れ、水ぶくれになってしまった。
まぁ、おかあの代理で頑張っていたので、許してあげよう!
立っちまった。(H13.06.16)
げんにいが、無理やり俺を立たせてしまった。まだ、生後6ヶ月だぜ!
立てるわけないじゃん!でもやってみればできるもんで、必死にベビーベッドにつかまりながら、
頑張った。また、馬鹿なおとうが調子に乗って写真を構えているので、仕方なく笑ってやった。
俺も調子に乗って片手だけになったりなんかして...。
この家族につきあうのも楽じゃねぇな!
自由なマシンを手に入れた(H13.07.26)
近所のおばさんU(まさいさん)から、歩行器を借りた。これで、俺も自由の身になり、どこへでも行ける。
あっちにおいしそうなジュースを飲んでいるおねえがいれば、駆け寄り、「ジュースをくれ」と云い、
こっちにおもしろそうなおもちゃ持ったおにいがいれば、「俺にも貸せ!」と言い、
むこうで暇そうなおかあを見つけては、「だっこしろ!」とねだり、
あっちでサッカー雑誌を見ている馬鹿なおとうがいれば、「どのページでもいいから食わせろ」と云い、
あらゆる所に走って行ける。
これは多分おとう達、大人の人が羽根を手に入れたら、こんな気分になるんだろうな。

が、しかし、この部屋、障害物が多く、移動できる範囲が限られている。
おかあ、部屋をもっと綺麗にしてくれ!
チョロキューが俺の髪の毛に絡まる(H13.07.30)
なつねえが俺と遊んでくれていたのはいいが、何を思ったか、おもちゃのチョロキューを俺の
頭の上で走らせやがった。
当然、ゼンマイ仕掛けのチョロキューは、俺の頭の上で勢い良く回転し、髪の毛をくるくる巻き取り
「ギューッ」と音を上げ止まった。
俺は、あまり痛みはなく、なんか重いものが頭の上でいつまでも残っている違和感だけが残った。

なつねえは「大変なことをしたっ!」と思い、おとうに相談し、俺とチョロキューの
分離大作戦がはじまった。
ゼンマイはまだその余力を残しているみたいで、ジワリジワリと髪の毛の巻き取り攻撃を持続していた。
無闇にチョロキューを離せば、髪の毛も引っ張られ、俺が泣くので思うように作戦は進まなかった。

ここで冴えていたおとうは、このままでの分離作戦は危険が伴うので、チョロキューを分解し、
タイヤを外し、シャフトに絡まった髪の毛を軸方向に抜く方法の
「チョロキュー分解タイヤ外し髪の毛スルスル抜き取り、そのまんま大作戦」を決行することにした。
作業は慎重に進められ、無事チョロキューと俺の髪の毛は元に戻った。
産まれて初めておとうに感謝した。ありがとよ!おとう!

今では、そのチョロキューも生死のハザマを共に戦った戦友のように
俺のお気に入りの一つになっている。
これはなんでしょう?(H13.09.06)
手の平にたたずむマッチ棒の火薬部分の大きさの黒い物体。
これは、俺の一つ上のおにい(そうたにい)の鼻くそです。ってのはウソで耳くそです。
立派なのが取れたので、馬鹿なおとうは、早速パチリ。

ところで、「鼻くそ」や「耳くそ」ってのは、正式名称は何っ呼ぶんだぁ?
例えば皇室のお方達(雅子さまとか)は、どういう風に呼んでいるんだぁ?
「殿下、右の鼻孔から鼻クソがお見えあそばしていますわよ!ホホホホホ」などと云っているのだろうか?

インターネットの大辞林第二版で調べてみたが、
・はなくそ:鼻孔中で鼻汁とほこりがまじって固まったもの
・みみくそ:耳のあなにたまる垢(あか)。みみあか。

なるほど、みみくそは、「みみあか」と呼ぶとしても、はなくそは、「はなあか」とは呼ばないよなぁ?
「あかはな」なら、トナカイだしぃ!日本語って難しいなぁ!

ネコと対決。(H13.10.14)

俺、こんなに間近に人間以外の動物を見るのは、初めて!
そのネコも、俺のことを珍しそうに遠めから眺めていたが、ゆっくりこっちに近寄ってきやがった。
至近距離1m程度になった時、恐怖心が襲ってきて逃げたい。逃げたいけど歩けない。歩けないけど逃げたい。こんなストレス・ジレンマによって、人間って成長していくのだろうか?
でも、早くこの猫なんとかしてくれ!おとうっ!
人生最初の対決。完敗。