造形表現教育実践講座

第10回  子どもの絵を鑑賞する

写真1  描画鑑賞ツアー

1 描画鑑賞ツアー

理解不足が招く不安と不満

 幼稚園や保育園では、秋から2月頃までにかけて「描画展」、あるいは造形作品全般を対象とした「作品展」などが行われることが多いようです。

 先生たちは、最もその子らしさが表れていると感じられる作品を中心に、展示作品を選びます。でも、このとき、ちょっぴり作品の「見栄え」も気になってしまいます。

 決して上手に描けているとか、画面いっぱいに描けているとか、そういうレベルの見栄えでは無くとも、あまりにも幼すぎるとか、何を描いているのかさっぱりわからないような絵しか無いとかいった場合は、その子の親が見に来たときに「どう思われるだろう?」と心配になるのです。

 「なぜ、こんな意味不明な絵を描いているのかしら、発達がほかの子どもたちより遅れているのでは?」

 「画面に対して絵が小さいのは性格の反映かしら?」

 「塗りつぶしてしまって絵になっていない。欲求不満?」

 「お人形のような女の子の絵をいつも描いている。創造性が育っていないから?」

 などなど、親というものは、我が子の絵を見て、それはもう、様々な心配をされるものです。

 こうした不安もさることながら、大人の価値観を子どもに押しつけるような作品主義に毒された絵を良しとするような親から「もっと見応えのある作品を作らせてほしい」などというような声を聞かされたりもします。

 しかし、これらはいずれも、子どもの表現活動や描画活動の教育的な意義が十分に理解されていないことに起因しています。

 展覧会を目前にして、こうした親の不安や不満にたいして、下手にごまかそうとしたり、迎合しようとしたりすると、口では作品主義を批判しながら結局はそうならざるを得ない「嘘の保育」になってしまいます。

 そこで、子どもの表現と育ちについて十分に理解してもらい、こうした親の不安や不満を解消するようにしなければなりません。

 ある幼稚園では、美術館の作品を解説付きで見てまわる美術鑑賞ツアーからヒントを得て、園児の作品を鑑賞してまわる「描画鑑賞ツアー」を実施しています。

たった五分の解説だけど…

 各クラスの子どもたちの作品を担任が説明できれば、それも良いのですが、せっかくの機会ですから、年少、年中、年長と、異なる学年の子どもたちの作品にも触れられるように、学年混在のグループを作って鑑賞ツアーを組んでいます。したがって、この園の造形描画活動を指導している立場から、私がその解説役を引き受けています。

 一グループ十名、一人の作品についてのお話は約五分程度ですが、十名分の解説を聞き終わるのにおよそ一時間かかります。

 親たちは、まずは自分の子どもの絵についての話が聞きたくて参加します。私が説明し終わった後で少し質問の時間をとりますが、それでもやはり五〜六分が限度です。

 しかし、私たちの側からのねらいは、自分の子どもだけでなく、違う年齢の子どもの表現を通して育ちと表現の関係を理解してもらうことや、他の子どもたちの多様な表現の違いの良さに触れてもらい、それこそ「みんな違って、みんないい」を実感してもらうことにあります。

 このように、自分の子どもの絵の解説が聞けるのはたった五分ですが、十人の子どもの表現に触れ、そこから子どもの表現活動の教育的な意義を理解していくことにつながっていくのです。

 十人のグループを二日に分けて六クール行いますので六十名が参加できます。園の規模如何にかかわらず、これが私一人でできる限界の人数と回数です。したがって、希望者が多くなればその中かから抽選で選ばざるを得ません。この園では、年々希望者は増えて来ています。

2 親の変容と成長の機会として

参加した親からのメール

 このツアーに参加したお母さんたちからのEメールが幼稚園に届いていますので、以下にその一部を紹介します。若干表記の手直しや一部割愛をしていますが、ほぼ原文通りです。

【A】(年長&年少保護者)

 本日描画ツアーに参加させていただきました。先生のお話はとても勉強になりました。言葉では難しいのですが、私の中で受け止め方が変わったのです。

 他のお子さんの絵、1つ1つも「かわいいな」「上手だな」だけではなく、「そんなお話が続いているのだな」と描いていた時の風景が浮かび、私まで楽しくなれるとても幸せな時間でした。

 先生に、「隣の子と最後は人をたくさん描いて競っていたんですよ」と、話していただいたのですが、家に帰り幼稚園のHPに息子の絵が載っており、見つけた息子がまずしたことは画用紙いっぱいに描いてあるお友達の人数を数え、とても得意気に「二

十六人もかいたんだよ!」と教えてくれました。

 年少の娘の絵は綺麗な丸に毛がはえていて、とてもいい顔で笑っているライオンでした。描いている時の娘の顔もきっとライオンと同じようにとっても楽しく笑ってたんだろうな、と想像してしまいました。

  たくさんのお母さん方がこのツアーに参加できない事は本当に残念です。

  子どもが描いている絵についてお話を伺ったり、心配な事をお聞きしたりできるのは他には無いと思います。

今日はありがとうございました。       

【B】(年中児保護者)

 今日、描画鑑賞ツアーに参加させていただきました。先生の説明ひとつひとつになるほどと思ったり、自分の子どもへの接し方を反省したり、有意義な一時間でした。

 子どもが絵を描く時、大人の「ものさし」をあてはめて描かせてはいけないけど、放ったらかしもいけない…難しいですね。

 たかが「お絵かき」ではなくて、この時期の「お絵かき」には色んな意味があることを初めて知りました。子どもの体の成長と同じように、絵も成長していくというお話は、とても興味深かったです。

 そして、絵の中の子どもなりの「こだわり」を見つけるのが 楽しみになりました。

 

子どもとともに成長する親

 A君の描画は、「おもしろいポーズ」というテーマでの活動でした。(作品1)

 

作品1 おもしろいポーズ(5歳児)

 

 年長になり、人物の表現も、体や手足をしっかり描く子どもが多くなり、中にはまだ手足を描かなかったり、描くには描いても、いつも棒立ちで変化が無かったりする子どもがいること。

 しかしそれは、描けないのではなく、手足の動きや変化を表現する必然性を感じていないからだということ。

 したがって、体の変化や動きに興味が持てる遊びを誘い、表現したいという気持ちを引き出すことで自然に表現するようになること。

 などについて説明しながら、どのような活動が展開されていったのか、A君の活動中の様子やつぶやきを記録した担任のメモを参考にしつつ、彼が、追求したことや、楽しんだことについてお話ししました。

 このお母さんは、自分の子どもの絵の説明だけでなく、ほかの作品の説明も聞きながら、それまでの「かわいい」「上手」といった見方から、子どもが追求しようとしたことや、伝えようとするメッセージを読みとることの大切さを知り、またそれを楽しく受け止めるようになっていきました。

 解説は年長の息子さんの作品だけでしたが、年少の娘さんの絵からも、描いていたときの姿やその表情まで見えてくるようです。

 「二十六人もかいたんだよ!」と語る我が子の表現への想いが十分に理解でき、親として成長できたという喜びが感じられます。

 【B】のお母さんも、絵に表れているその子のお母さんへの思いや願いについての説明に、ほかの子どもとの表面的な比較ばかりして、絵に込められた我が子の気持ちを読みとろうとしなかったことを大いに反省されていました。

 このお母さんは、描画鑑賞ツアーを通じて、子どもの表現に、大人の「ものさし」を一方的に当てはめることも、放任しても良くないのだ、という子育てや保育の基本について理解しはじめています。

 これらのメールのメッセージから伝わってくるのは、子どもの描画活動を通してその成長を確かに感じ取れた喜びや、子どもの絵の見方がこれまでと大きく変わり、そこからさらに、自分の子どもを見る目やとらえ方も変わっていくことを実感している親の変容です。

 この描画鑑賞ツアーに参加する前と後とで、親たちの子どもの絵を見る目、そして子どもそのものを見る目が確実に変わっているのです。

まとめ

先生による活動レポート 

 この描画鑑賞ツアーを実施するに当たって、難しいのは、やはり成長の進度が比較的遅い子どもの作品を前にしての説明です。

 同じ学年の子どもたちでも、四月生まれから三月生まれまでの一年間の月齢の差があり、その差で説明がつくようなケースもあります。しかし、五月生まれの子どもが必ずしも十月生まれの子どもより成長が早いか、と言えばそうとも言い切れないのです。また、年長になっても、一見して三歳児の絵との区別が付かないような子どももいます。

 心身の発達や成長の進度の差のようなものが、絵という目に見えるかたちで残ってしまうだけに、親が神経質になるのも仕方がありません。

 それだけに、こうした子どもたちの育ちの差をどう受け止めていくのか、というところがきちんと説明されなければ親は納得できません。そのためには、それぞれの子どもがこの一年間あるいは、それ以前からどのような絵を描いてきたのか、あるいは生活や遊びの中で見られる育ちについて、その概要だけでも分からないと説明ができないのです。

 そういう意味では、担任が解説出来れば一番良いのでしょう。私自身、頻繁に訪れて指導しているとは言え、ひとり一人の子どもを総て把握しているわけではありません。ですから主任の先生に同行してもらい、さらに担任の先生が書いてくれた子どもの活動レポートを参考にさせてもらいます。

 レポートには、(1)その題材を設定した理由、(2)ねらいと活動主題、(3)子どもの活動を引き出す声掛けをどのようにしたか、に続けて、(4)その子どもがどのように活動したのか、その中でのつぶやきや様子が詳しく書かれています。

 また、必要に応じて日常の生活や遊びの様子などを付け加えてくれる場合もあります。

 たとえば描いた絵を塗りつぶしてしまうと心配いているお母さんに、なぜせっかく描いた絵を塗りつぶしてしまうのか、その理由を説明し、それが決して心配することではなく、途中でやめさせるよりも、むしろ人の何倍も楽しませてあげることが大切であることをお話しします。こうした説明ができるために、レポートが大きな役割を果たすのです。

 お母さんは「家では、絵が消えないうちにはやく止めさせるようにしていました。これからは思う存分遊ばせてあげたいと思います」とおっしゃりました。 

 大人から見て理解しにくい子どもの行動の意味が分かってくると安心されます。さらに、親としての正しい関わり方、その子なりの育ちの受け止め方が分かればさらに安心できるのです。

 それにしても、担任のレポートには感心させられます。四十人近くいる子どもたちひとり一人の活動をきちんと見ていなければとてもこれだけ書けません。

 ある先生に「これだけのことをひとり一人書いていくのは手間がかかって大変でしょう?」と尋ねたことがあります。すると「いいえ、これを書きながらその時のことを思い出したり、その子の育ちを改めて実感出来たりしてとても楽しみなのです。」と返ってきました。

 こういう先生の確かな保育と子どもの見とりがあって初めて成立するのがこの描画鑑賞ツアーなのです。

 本当の保育をしているからこそ、子どもや親の前で嘘をつかなくていい。美辞麗句で飾ったおだて文句でもなければ、苦肉の策の慰め言葉でもない、率直にひとり一人の子どもの良さに目を向け、その子らしい表現を引き出し、受け止めているからこそ堂々と説明出来るのです。

 子どもの日常生活は、展覧会や行事のためにあるのではありません。展覧会直前になって、指導講師が来て「ここにもう少し色を塗らせろ」だの「間に合わなかったら教師が手を加えろ」だのと言われて大慌てしているなどという風景がいまだに見られるそうです。

 こんな無意味な、いや反教育的な急場しのぎの取り繕いをしなくても良いように、日頃から嘘のない本当の保育を積み重ねていかなければならないのです。だからこそ、親も先生も、子どもとともに育っていくことができるのではないでしょうか。

協力 千里敬愛幼稚園

 

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