写真1 白と黒とでパンダを描こうと言うけれど…白と黒が混ざったら灰色になっちゃった!と楽しそう…。先生はとっても「残念!!」。でも、まだまだ塗りたくるのが楽しい時期ですから。

 

 

描画1 K児(5月上旬)「なぐりがき?」

 

描画2 K児(5月下旬)「見え始めた形」

 

描画3 K児(7月上旬)「おかあさんとぼく」

 

描画4 K児(7月中旬)「めいろ」

 

描画5 K児(10月中旬)思いつくままに次々と描いて並べます

 

 

描画6 K児(1月中旬)絵の中にお話が出てきました

描画7 K児(3月上旬)様々な形に興味を持って描く

 

造形表現教育実践講座

第9回 絵は子どもからの手紙

1 絵を塗り潰してしまう子どもたち

心ゆくまで描かせてあげたいと思うけれど…

 「せっかくかわいい絵が描けていたのに…」と先生はとても残念そうです。3歳児のクラスで二色の絵の具を使うはじめての題材で「パンダ」がテーマでした。

 はじめは白と黒を上手に使い分けて描いていたのですが、そのうちに、数人の子どもたちが、二色が混ざって灰色になることを発見すると、それがおもしろいらしく灰色に塗りたくっていくことに夢中になっていきました。(写真一)

 「しまった!もっと早くに取り上げておくべきだった!」と後悔しましたが、時はすでに遅し、です。

 次の機会に先生は、「今度こそは…」と絵を回収しはじめます。「わぁ、かわいい絵が描けているね、先生にちょうだいね!」急に有無を言わさず画用紙を取り上げられたその子は「まだ描くぅ!!」と不満そうです。そして先生も困惑します。

 「こんな時はどうすれば良いのでしょう?せっかく描けているのに塗りつぶしてしまうのを見逃すなんて、もったいない。園展に出す絵も必要だし…」

 「でも、まだまだ描きたい!と言う子どもの気持ちもわかるし、思う存分満足できるまで描かせてあげたい気持ちもあります。」

塗りつぶすのは、間違いでも、失敗でも無い!

 「なぐりがき」や「塗りたくり」を描いている段階の子どもに、無理に何かを描かそうとする事はあまり無いと思います。

 しかし、「なぐりがき」や「塗りたくり」からは一応卒業し、人物なら人物を、描くには描くのだが、そこで止まらず、そのまま描き続けて、結局塗り潰してしまうような場合があります。このような場合が、最も先生を迷わせ悩ませるところでしょう。

 ちょうど良いところで先生がさりげなく別の画用紙と交換してあげたり、別の場所に自由に続きを描いて良い紙を用意しておいたりする等によって絵を確保する工夫をする先生もおられます。それも一つの方法でしょう。

 しかし、先生から見れば無意味な塗りつぶしによって一枚の絵を失う事のように思えるかも知れません。しかし、一枚の絵が残る以上に大切な経験をしているのだとも考えられます。どうしても必要な場合を除いては、やはり、暖かく見守ってあげるのが一番良いでしょう。その方が実は、自ら絵を描くようになる近道なのです。幼児にとって、今やりたいこと=今やらねばならない事なのだと心得ておきたいものです。

2 絵の手紙の実践から

遊びとしての描画活動

 ここに紹介する一連の描画は、B6用紙にカラーサインペンを使って描いたものです。この幼稚園では、三歳児から五歳児まで、五月頃から翌年三月までの約一年間にわたって、ほぼ毎週、全部で三十枚ほどの「絵の手紙」

を描いています。今回は、この実践で、比較的変化の見られたK児(三歳)のものを七枚抽出しました。

 テーマも特に決めることなく、初めのうちは、その時自分が描きたい「もの」や「こと」を描く自由想画に近いものですが、先生が絵のお話を聞いてやることを積み重ねる中で、自分が伝えたいことを描く「絵の手紙」の要素が強くなっていきます。

 描画1は三月に入園したばかりのK児が五月上旬に始めて描いた「絵の手紙」です。一見ただの「なぐりがき」に見えますが、よく見るとその線の塊の下にはなんらかの形が見られます。描いて遊ぶ中で偶然できた形なのか、描こうと試みてできた形なのか、この段階ではわかりません。いずれにせよ、描いた形には執着しないで、そのまま上に重ねてどんどんと線遊びを続けています。まだまだ感覚運動的な遊びを楽しんでいる段階です。

 その数週間後に描いた描画2では、さらに明確に形が見え始めています。この頃より先生がお話を聞いてやるようにすると、自分で描いたものについて「めろん」とか「むし」とか説明してくれるようになります。描いたものに意味づけをしていく段階です。

そして「先生、お母さんを描いたよ、僕も描いたよ」と嬉しそうに持ってきてくれたのが描画3です。見事に頭足人のような形が描けています。入園後、始めて人物らしい人物を描いた記念すべき「作品」に、驚きと喜びを感じた先生は、次はどんな絵を描いてくれるのだろう?と期待していました。

 しかし、つぎに見せてくれたのは描画4でした。「あれれぇ?またなぐりがきに後戻りしたのかな?」と心配に思ってK児にお話を聞いてみると、どうやら線遊びしながら迷路を描いて遊んでいたことがわかったそうです。

 個人差はあるものの、このように、何らかの形を描き表して、それを先生に見せたい、見てもらいたい、という気持ちが育ってくる一方で、まだまだ行為や感触を楽しみながら遊びたい気持ちも残しているのです。

 いずれにせよ子どもは、「作品を残そう」などとは一切考えず、ただただ遊びとして線を描き、絵を描いているのです。先生の方が「作品」として完成させようなどと焦ってしまうのは、子どもの描画活動における「なぐりがき」や「塗りたくり」のような感覚運動的な遊びの意味を十分に理解していないからでしょう。

コミュニケーションとしての描画活動

その後、夏休みを挟み、伝達の意欲が線遊びへの欲求を上回るようになると、円形だけでなく、直線や四角など、様々な形態を描き表すようになります。K児の場合も、この頃から、彼なりのお話の世界が広がるようになります。経験の記憶や自分なりの思いや想いを伝えようとしはじめるのです。(描画5〜描画7)

 描画6では、ウルトラマンと怪獣がビルの狭間で闘っている様子が描かれています。

 描画7では、身の回りにある様々なものの形に興味を持って描き、それぞれの特徴を表現しようとしています。「言葉」をどんどんと獲得していくこの時期には、それと同時に描画表現のための「言葉」もつぎつぎと獲得していく様子がよくわかります。

 こうして、絵の中で饒舌にお話を語り始める子どもたちですが、その時に、適切に子どものお話を聞いてやりながら、お話を引き出し、広げてやる聞き役の存在はとても重要です。

 もし、子どもの描き表したものを先生が勝手に解釈したり、一方的に決めつけたりしたなら、子どもは、たちまち表現意欲を損なっていくことでしょう。自由に描かせているのだからと放っておくのも子どもの呼びかけに返事をしないのと同じです。

 せっかく話しかけているのに、返事をしてくれなかったり、見当違いな反応を示されたりする事が重なっていくと、話しかける意欲も無くなってしまいます。

 子どもの、「また、絵に描いて伝えたい」という気持ちを育てていくことが一番大切なことなのであり、そのためにも、子どもの「伝えたい気持ち」を、しっかり受け止めてあげることの積み重ねが大切なのです。(第3回「子どもの絵を聞く」参照)描画活動は、コミュニケーション活動なのであり、絵は子どもからの手紙なのです。

まとめ

 絵画と言うと、どうしても「作品」をイメージしてしまいます。しかし幼児の場合は、はじめから何かを描いて表そうというような意識の無い段階から描画活動は始まります。それは、ものづくりにおいても同じであることは前回(第8回)で述べた通りです。

 たとえば三歳児以下の子どもたちに向かって先生は「お絵かきしましょう」と言いますが、子どもの側では「お絵かきしている」と言うより、手から伝わってくる感触や、視覚的な刺激を楽しんでいるのであり、運動の痕跡を楽しんで遊んでいるのです。ですから「なぐりがき」や「塗りたくり」などは、「絵を描いている」のではなく、絵の具や筆という材料や道具で遊んでいるのです。

 描いたり塗ったりする行為が楽しいので、夢中になって遊んだ結果が「なぐりがき」や「塗りたくり」です。このような造形的な遊びを通して、絵の具と筆で何が出来るのか、どのような性格なのか、材料を知り、技術を獲得していくのです。それはまるで、出会い、触れ合い、深めあっていく友人関係のようなものです。(これは、第一回で分類した題材群における「C:新しい材料や技法との出会いや行為そのものの楽しさ」にあたります。)

 やがて、自分で描いた形に、何か身近なものの形を見立てて遊ぶようになり、自分の描いた絵によって他者とイメージを共有したり、他者にお話ししたいことを伝えたり出来る事に気づいていくのです。

 時には想像の世界に遊びながら、そのお話しを広げ、想いに色と形を与えて想像画を描くでしょうし、時には自分の想いや願いを聞いて欲しい気持ちで経験画を描くでしょう。子どもの描いた絵の話を聞いてやるということは、このように子どもの「絵で伝えたい気持ち」と「その気持ちを実現する表現力」の成長を、さらに確実に促していく働きを持ちます。

 「子どもの絵の話を聞く」というときに、もちろん、子どもの話を百パーセント受容することを意味します。しっかり受け止めてやりたいものです。「嬉しかった!」という気持ちで描いた絵には「嬉しかったね」と一緒に喜んでやる。「僕すごいの見付けたよ!」と驚いたことを描いている絵には「すごいの見付けたね!」と一緒に驚いてやる。こうした共感的理解を十分に示してやることです。ただ「綺麗に描けたね」とか「上手ね」「素敵ね」といった褒め言葉は必要ありません。こんな抽象的な褒め言葉ばかりで、子どもの絵をおだてているだけでは、子どもの「絵で伝えたい」気持ちは育たないのです。

協力 千里敬愛幼稚園

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