最速の座



最初の頃は当然直線馬鹿開けの単純小僧でした ひたすら直線で全開にしてスピードメーターと格闘していた日々が続きます しかしコーナーの楽しみをしりいろいろとうまく走る練習をしました 少しずつ上手くなっていったと思います 実際仲間内全員で走りに行って爆走しても置いていかれると言う事はありませんでした どちらかと言うと真ん中かそれ以上の速さだったと思います 気がつけば私はスピードの虜になっていました より速く、誰よりも、どこに行っても、などと言う今考えたら無茶苦茶な考えでした 事実仲間内で最も速さと言う物にこだわっていたのは私だったと思います ある時N氏と埠頭(○砂)に行き数人の走り屋達に出会います 彼らは全コーナーで膝をすりながらコーナーを抜けていきます  同じところを回っているのでやはり速かったです 膝すりは写真やテレビなどで見た事はありましたが実際に見るのはここが初めてです 当時私はそこらへんにいるバイク少年と同じで「膝すり=速い」と言う偏見なレベルの方程式を心のどこかに持っていました、「できるなら自分もしてみたい」と・・・  私も仲間内と一緒にではなく埠頭で練習しました ひたすら同じところをグルグル回ります 回を重ねるごとに私のバンク角が深くなり次第にリアタイヤが滑り出します しかしなぜだかわかりませんが怖くなかったです 当時ノーマルタイヤのバイアスです(今ではもうないんですかね(・・?)) ダンロップのバイアスは私の感覚では「ズー」っと言うすべり方ではなく「ツルッツルッ」と言うなんとも文章では説明しにくい滑り方でした そして気がつけばタイヤのサイドは解けて消しゴムのカスまみれ状態です そして気がつけば他の走り屋と一緒に埠頭を走っていても遜色のないレベルまでなりバンク角だけならかなりの線まで行っていたと思います(ちなみに当時は私はバカだったんで単純に「バンク角が深い=速い」のまたしても間違った偏見方程式が完成しておりました(汗)) 走り屋の数チームから「チームに入らないか?」という誘いも数回ありました 当然断りました、私はバイクのチームには興味はありませんし私にとってチームは仲間内だけと決めていましたので(-.-)y-~ 
しかしある時いつもの埠頭でめずらしく走り屋の誰も一人もいない時に行き走っていたらやってしまいました・・・ 転倒です(>_<) 今でも覚えています、、右コーナーで時速○○○キロ 倒しこむ時に路面に砂利がまっておりそれをみて一瞬躊躇し倒しこむタイミングをミスってしました 結果曲がりきれず転倒ですorz 当然の様に血まみれコースです しかも埠頭で誰もおらず助けてくれません とりあえずその場で寝転んでアスファルトの上でタ○コを吸います この時のタ○コの味がなんとも言えないんですよΣ(T▽T;)!!(笑) とにかくバイク屋を呼びなんとか帰ります 当然修理は10万オーバーコースです(┬┬_┬┬) しかし生粋のバカな私は全くこりません その後もひたすらスピードに身をゆだねて行きます  そしてある時素朴な疑問に当たりました・・・  実際仲間内で誰が一番速いのか?と言う疑問に・・・   400は五人います O.H氏は皆が認める程の速さです、そしてS氏は当時はお世辞でも速いと言う中にはランキングされないレベルでした、そしてH氏は遅くはないのですが実際昔のやんちゃな頃を思い出すのでしょうか(汗)?たまに少々路線が違う事をしてくれます(爆) そして私は仲間内ではそこそこ速かったと思いますがまだO.H氏には一度も勝っていません そしてO氏です・・・ 正直彼は私の中では非常に速さと言う意味では「謎」の男でした 彼とは本気で走った事がないんです しかし周りからは「奴は速い」と言う事を昔から言われていたので非常に私はO氏を警戒していたのと同時にバトルをするのを非常に楽しみにしていました しかし本気でのバトルはありませんでしたが仲間内での全開ペースの上位に食い込むので遅いと言う事はないと言う事は思っていました 
そんなこんなで走りをがんばっていたらある時仲間内以外のO氏やO.H氏やS氏の中学の時の友人と出会うことになりました 一人は中学の時に「悪魔」とまで呼ばれていた男です Y氏です 彼は見た目はただのチビ(笑)ですが実際筋肉ダルマです 童顔でしらない奴だったらカ○アゲするかもしれない人物ですがカ○アゲした方は二秒後には生まれてきた事を後悔すると思います・・・( ̄  ̄;) 元超武闘派です  そしてもう一人はT.S氏です 彼は当時まさに「軍人」です 周りからは「大佐」と呼ばれていました 不用意に彼の部屋に入れば撃たれます(汗) 冗談のもみ合いで本気で落とされた同級生は数しれません  ちなみに二人ともバイクに乗っています Y氏はNSR250で89年式限定カラーのテラカラーです 当時はすでに馬力規制により250ccは40馬力と言う規制がありましたがこのバイクはそんな物はありません バリバリの規制前の45馬力です しかも驚くべきなのはその音です ノーマルにも関わらず「爆音ですΣ(T▽T;)!!」 しかも社外チャンバーの音とは明らかに違う音なんです 
今考えたらこのバイクはレーサーレプリカ全盛期の終了時に出されたある意味最も硬派なバイクだったと思います 数年後に出る下のトルクも非常にパワフルで乗りやすさを両立させた2ストレーサーレプリカとは違います 「下なんて気にするな♪(≧▼≦) だって2ストじゃん♪♪ 高回転でのパワーバンドにさえ入ったら強烈だよ♪♪♪」などと言う昔のじゃじゃ馬バイクの精神むき出しマシンです(爆)  ちなみに彼はその後ずいぶんとこのバイクにのっていました 非常に愛着があるのがわかります 腰上のO/Hもしていますし大事にしていたと思います 今では実家で少々ホコリがかぶっている状態らしいですが本人はいつの日かまたこのバイクのエンジンに火を入れ走るでしょう

















そしてもう一人のT.S氏はVFR400、通称V4です

400と言う車体なのに非常にコンパクトで特に印象深いのがV4特有の「V4サウンド」です 直列エンジンでは決してでない独特のサウンドが当時のライダーの少年達の心を虜にしました
当時では非常に完成度が高く評価されていました





この2台と一緒に走る事も数回ありました  当時私はゼロヨンにハマっていました、築○で毎週の様にひらすらバイクで参加しておりました 現在大阪のそういう場所は非常に少なくなりましたが当時は南○90Rでは毎週数多くの走り屋達が走っていて横のトイレ前T時コーナーでは車の走り屋達が多くいました、そして築○ゼロヨンです ギャラリーは毎週土曜の夜には百人を超えています ギャラリーのなか無数の車たちが順番待ちで並び自分の順番がきたらいざ勝負です 様々な車がいました、2Lターボの180SXやシルビア、ランエボ、スカイライン、GT-R、RX-7、スープラ(70.80両方)たまにGTO、セダン系などなどたくさんいました、スタート時にはバーンアウトしまくりであたり一面煙まみれです 深夜の埠頭を煙と爆音で染まった昼とは明らかに別世界になります 正直バイクは少なかったです(汗) しかし大勢のギャラリーの中を走るのもなかなか楽しかったです   大佐達とも一緒にゼロヨンにいき大佐がVFRでバーンアウトを調子にのってしまくりでパンクすると言う笑える思いでもありました(о^∇^о) 

私はいろんなところで走りある目的を持つようになりました・・・ 「俺達のチームを有名にしたいΣ( ̄□ ̄;)!!」です! 私は正直この仲間内のチームが大好きです 本当に最高です 井の中の蛙かもしれませんがこれ以上の物はないと思っていました(ちなみに今もです(о^∇^о))  しかし我々のチームは無名です 当然といえば当然です 別に走り屋みたいな事をしている訳じゃないし暴走族でもない、チームと言いましたが実際は親友の集合体です しかし私は周りにもっと俺達の事を認識させたいと言う事を思ってしまったのです その媒体で考えたのがみんながはまっている「バイク」です まさに井の中の蛙ですが実際私達は最初の説明でも書いていますがどちらかといえば「カミナリ族」です 街中を爆走していました 実際街中ではほとんど負けた事はありません(今考えたら恐しい事です、みなさん安全運転を心がけましょうm(__)m) それを私は誇りに思っていました 「俺達は速いと」(汗)(勘違いです) そして私は手っ取り早くスピードで有名になろうと思い仲間内を様々な有名走りスポットに誘います まさに気分はあいララのケンジ君状態です(笑) しかし仲間内はその話に乗ってきませんorz  幾度となく誘いましたが全くダメでした、そこである日私は理由を問い詰めました すると「負けるのがいやや・・・」的なことを言われましたΣ( ̄□ ̄;)!!(怒) 負ける理由としては同じところを日々走っている奴にはそのステージでは勝てないと言う理由らしいです  今から書くのは私の勝手な言い分です これを見ている仲間内には本当に申し訳ないですがあえて書かせて頂きます   当時私はその言葉を聞き脱帽しました 「・・・情けない」とorz  だって私の言い分ですが「仮に負けたとしても構わない、しかし練習して必ず相手に勝つΣ( ̄□ ̄;)!! 」でした 最初からは勝てるとは思っていません しかし私は自分達ももっと速くなり最後は勝つという事、負ける事が怖くて勝負できるか!?と言うのが私の言い分でした 勝負するステージにすらたたないのは負ける事よりも下です まさかよりにもよって仲間内からそんな言葉が出てくるとは思いませんでした(┬┬_┬┬)  そして私は一人遠征をしました(延性といっても実際は近場です) 気分はあいララのスターダスト兄弟です(爆)(一人ですが〜・・・orz) いろんな走りのスポットに行きました 「俺達を周りに知らしめる」と言う理由だけに・・・   「俺達の名前を後世に刻む」為に・・・   正直自分が人に自慢できる唯一の物だったんで今考えたら「負けん気の強さ」でした


愛機の復活


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