高校生活での青春


今思えば私の青春?は仲間内がすべてでした バイクのHPで言うのもなんですがバイクは仲間内の次であくまでも媒体でした
小さな時から「バイク」に憧れていていつか乗ってみたいと言う男の子なら誰でも?思っていた事がスタートでした
小学生の時に団地に住んでいて学校が近くである日いつもと違う団地の中の道を通って学校に向かっていたら偶然にもバイクがありました 今思えばあれが私のバイク人生のきっかけだったかもしれません・・・ 最初に見たときは「かっこいいバイクだな〜」って純粋に思っていて気がつけば少し遠回りになるにもかかわらずそのバイクを見たいが為にいつもその道を通っていました バイクはオフ車で正直車種は覚えていません、たしか黄色いバイクだった記憶があるので今考えたらスズキのオフ車なのかなって思います 別に跨ったりそこに止まってじっくり見るような事はしませんでした(人のバイクですし当時は持ち主が現れたら怒られそうな気がして) けど頻繁にその道を通って止まっていたらうれしかったです
そして少し月日が流れて中学生 落ちていたバイクを拾って人目につかない所で跨ってエンジンがかからないので下り坂で気分的に乗った感じになって喜んでいました(笑)
さらに月日が流れて高校生 ここからが私のバイクライフの実質的なスタートになりました 高校一年の前半の私は自分で言うのもなんですがある意味超ミーハー(死語)でバイクとは全くかかわりがありませんでした 興味はありましたが当時の新曲をひたすら聴いて覚えて女の子とカラオケに行ったときに歌ったりと言う生活をしていましたがある時一人の人間に会いました、そいつの名はO氏 後に私のバイクの師匠にして私をバイクきちがい?に誘導した張本人です(汗) O氏とは自宅の方向が一緒だったのでいつも一緒に帰っていました、当時の私はバイクには非常に興味はあったのですがハッキリ言って知識が全くついてこなくて車両の名前ですら間違っているような奴でした その時は私は俗に言う「レプリカ」系が好きでしたが正直当時はレプリカとツアラーの違いもわからず初めて買ったバイクの中古車情報誌でとりあえずカウルが着いているバイクにひたすら折り目をつけていました(ビキニカウルもです(>_<)) そんなレベルでバイクが知識よりも先行して好きと言う気持ちが強かったのですがある日師匠(O氏)と帰りしなに「どんなバイクが欲しいか」と言う質問にたいして私は「FVR!!!」と答えました  ・・・そんなバイクはありません(´Д`) 勝手に作ってしまいました(汗) 師匠も師匠で「俺の知らんバイクが世の中にあった・・・」と頭の中のピストンが三発焼きついたらしいです(笑) 師匠の一言で「もしかしてVFRじゃあないの?」といわれ私もそれを素直に認めたのですがその日以来師匠に「こいつただの馬鹿だ・・・」と言うレッテルをはられましたΣ(T▽T;)!! そんなこんなで師匠にはお世話?になっていてある日師匠の自宅に泊まりに言ったときに事件が起こりました 通常高校生で友人の家に泊まりに行くというのは笑い話をして寝て起きてと言うのが普通ですが奴は違いました いきなり当時のバイクの改造情報誌の「ライダー」と言う本を取り出し私に「まずな・・・ キャブはな・・・」と永遠と語りだしましたΣ(T▽T;)!! 上記でも言いましたが当時の私はバイクの名前ですら間違うようなレベルの人間です いきなり「キャブ」の話はないでしょう(┬┬_┬┬) 完全にちんぷんかんぷんです 一方的名知識だけが増えていきます・・・(汗)
そして16歳になりとうとうバイクの免許が取れるようになりました、、もちろん速攻取りに行きましたo(^∇^o)(o^∇^)o  しかし実際問題高校生でバイクの免許を取るというのは金銭的にも大きかったです しかし私は12月生まれなので誕生日がくる頃には師匠にどっぷりと洗脳?されていましたし昔からの憧れで免許を取ると言うことは前々から予定していたのでがんばってお金を貯めました そして実際に免許を取った訳ですが実際にバイク(中型)を買うとなれば話が変わります  ・・・高いです(涙) 高校生の身分でそんな高額なお金はありません 私は親に頼むのを嫌いました だって親に頼んで結果返さない「親ローン」(笑)を組んでもなんかそれは親の制限が非常に強いと思ったからです お金もなく結果とりあえず免許だけをもったと言う結果だけが残りどうしようかと思っていたら師匠が「原付買ったら?」と私に言い出しました 正直「こいつ頭沸いてんのか(怒)」とも思いました だって実際私は中型を乗る為に中型免許を取ったのに原付免許で乗れる50CCをお金を払って買えと(・・?) 当時は正直「ありえない・・・」と思っていました しかし現実問題お金がないΣ(T▽T;)!!と言う現実にぶつかり中古車店で比較的安い所でヤマハのメットインJOGを買いました かくして私の想像だけではなく実際に「エンジン」がついた乗り物人生がスタートしました  ちなみに師匠は後日TZR50を購入しました(ミッション・・・こ、この野郎)(汗) 50CCでも当たり前ですが当然チャリンコより激しく早く非常に楽しかったですo(^∇^o)(o^∇^)o 数日乗っているとある日師匠が「キャブのO/Hしてみ〜ひんか?」と言ってきました 師匠と付き合っているうちに多少なりとも知識として自分の中にいろいろ入ってきましたのでO/Hがどんなものかと言う事と何をする事かは理解していました しかしあくまでも「知識のみ」での話です 師匠の話を聞くと簡単に言ったら「エンジン(バイク)にいい事」との事なので速攻でトライしました しかし手段は今考えたらめちゃくちゃです キャブを外しキャブクリなんて物はないので自宅の洗面台で全バラのキャブレターをハブラシでシコシコと磨いただけです 今考えたらジェットもガスケットも新品にしていないしなによりガソリンの通路に対して全く洗浄していないと言う自己満足?前回なんちゃってO/Hでした まあ今思えば楽しかったし経験と言う意味ではよかったと思います・・・( ̄  ̄;)   そして数日たって師匠が私に進めてきたのがシリンダーヘッドの研磨・・・ 本当に今思えばなんて事を進めてきたんでしょうか(汗) 完全にサンプル、人身御供状態です(・・;) しかし純粋な?私は師匠の「速くなる」と言う言葉を単純に信じレッツトライ(≧▼≦)   結果変化わからず(汗) と言うより研磨の失敗だったんでしょうね 耐水ペーパーの荒めで下に平らな場所を選んでひたすら擦るΣ( ̄□ ̄;)!!  いくらヘッドといえども相手は金属です そう簡単には削れるわけありません  まあとにかく私はこうして2ストバイクはオイル補充が必要とかプラグ交換とかも必要とかと言う基本を一切飛ばして何度もキャブの全バラやエンジンの腰上の全バラを実際に経験して行きました・・・ (くれぐれもマネしないで下さい(汗))  まあとにかくそんなこんなでいろいろとやっている時に事件が起こりました・・・  ライダー、いや道路に出ていると必ずしも付きまとってくる嫌な事   そう「事故」です(涙) ある時別の知り合いの所に遊びに行っていて帰りしなにやってしまいました 人生初の交通事故を・・・ 内容はあまりにも恥ずかしいので伏せます(勘弁して下さい(T_T)) とにかく事故りました 大腿骨の骨折です 最初に事故った時は骨折した足が麻痺して痛くなく自分自身が骨折している事に気づきませんでしたので正直私は逃げようとしました(汗)(人はひいていません、あくまでも私だけが怪我をしました)しかし私は事故って痛くないので人生最大の打撲だと思いおそらく足は打撲で動かないから手で動こうとしました  なんと足が伸びましたΣ(T▽T;)!! すぐさま骨折と理解しその場で倒れました(汗) その後救急車で運ばれレントゲン、なんと確かに骨折ですが普通骨折と言えば二つに折れると言うのが定番ですが私はなんと三つに骨が粉砕していました(>_<) 手術後さらにアクシデント発生Σ( ̄□ ̄;)!! ふっついていないのになんと足をついてしまい左右の足の長さが変わってしまいました・・・ (かなり説明は短縮していますがそれなりに酷いと言う内容で書きました なぜこんな書き方をしたかと言うとこれからバイクにのる人も乗っている人も再度理解してほしいんです 今回私は自分以外に危害をあたえていませんが事故と言うのは非常に恐ろしい物です 簡単に人の人生を変えてしまいます みなさんこれだけは理解して下さい) 
いろいろありましたがなんとか退院〜 入院中に自分のJOGを師匠に貸していましたので返してもらうとなにか変・・・(・・?)  「音」です 「パーーーー」と言う2スト特有の吸気を上げた時にでる音! なんと奴はTZR50用のパワヒルを私のJOGに取りつけしていました 師匠に事情を聞くと「あったから付けた セッティングはバッチリや」と言う回答が・・・( ̄  ̄;) 回答になっていない・・・   とにかく当時のコヤンキーに流行っていた原付の「パーツク(吸気音)使用」が私の愛車になってしまいました・・・(汗) ちなみに私はヤンキーではありませんm(__)m   しかし実際にこれにのってみると激しく楽しい(≧▼≦)!!!(笑) 音が違うので運転している本人もその気になります ちなみに私はこの使用で乗っていて0スタートでアクセル全開にしたらひっくり返りました 吸気とはこれほどバイクが変わる物なのかと理解しました(汗)  

初めてのバイクメンテ


TOPページへ