−なぜ? 二度目のお遍路−


●条件が整うのを自然体で待つことにします(大阪府・ビッグジョン・63歳)
 「四国へんろ」リニューアル再スタート、おめでとうございます。心待ちにしていました。
 2001年4月〜6月にかけて、初めての歩きへんろをしました。いま、二回目に向けて時期がくるのを待っています。というのも、これだけは、自分だけでは決められないからです。自身の、出かけようという気持ちや健康状態はもちろんですが、家族のこと、特に年老いた両親のことなど、周囲の事情が後押ししてくれてはじめて実行可能だと思うからです。
 そうは言ってもまずは自身の「出かけよう」という気持ちが一番です。前回も、行ってみたいという20年来の気持ちが、退職二年目に実現したのでした。今度は二回目、前回で様子がわかっているので、ずっと気が楽です。今年の秋を目標に条件が整うのを自然体で待つことにします。
【編】真民さんの「念ずれば花ひらく」という言葉を思い出しました。想い続けるということの大切さを感じさせられます。
上記はメルマガ「週間へんろ」(#169-2003/04/02)への私の投稿です。一回目のお遍路からちょうど二年経った今年の4月、こんな気持ちが芽生えていました。しかし実際には一回目が終わった時から既に、「もう一度」という気持ちがあったように思います。

なぜなのでしょう?
・四国88ヵ所を一巡しただけでは今ひとつ達成感が得られなかった
88ヵ所だけでなく別格二十霊場も巡拝したい
・今度はもう少しゆとりを持って巡拝したい
・一回のお遍路で多くの出会いを体験できた、せめてもう一度だけ

・あんな楽しい旅を一度で止めるのは惜しい???

ひとことでは言えませんが、以上のような気持ちが入り混じっているように思います。

しかし、91歳と88歳の両親は幸い自分のことは自分でやってくれているが、老化によるもの忘れなども進行して私か家内のどちらかがいないと、「いつ帰るのか」と心細がっている。千葉にいる義母の方は義妹が定年を前に退職して施設、自宅半々で面倒を見てくれているが、二人きりの姉妹ということで家内も二,三ヶ月に一度は応援に行っている。このような状況下で、二ヶ月近くも家を空けるというのはなかなか心苦しいことではある。

家内に話すと案の定、「もう一度済んでいるではないか、なぜ二回も行くのか」と良い返事をくれない。彼女の言い分がもっともだ、ということはこちらもよくわかっているし、周囲もまず彼女の味方だろう。理屈をこねて説得しても勝ち目が無いのははっきりしている。運を天に任すしかない。

両親の前で、近所にいる弟夫婦の前で、あるいは親しくしているいとこたちの前で、さりげなくへんろの話を持ち出しては、家内が私に対する不平不満・怒りの言葉を言うにまかせた。そしてひとことも弁解をせず悪者に徹して黙って耐えた。

その甲斐あって(?)、あきらめの境地に達した彼女はやっとOKを出してくれた。有難いことに一旦こうと決めると家内はぐずぐずは言わない。必要なものをそろえるのに協力してくれ、そして気持ちよく送り出してくれた。なんと有難いことか。しかしこの話、誰が聞いても、きっとボクのことを「なんたるわがまま」と言われのがおちでしょうね。


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