「お四国」日誌 2003・10〜


土佐(高知県) 修行の道場
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第 13 日 10月14日(火) 雨、【34km 佐喜浜町・ロッジ尾崎

夫婦で歩くお遍路さん
(番外)東洋大師、(番外) 仏海庵
・宿で大きなおにぎり二個、道中で車のご婦人からペットボトルで凍らせた麦茶のお接待。
・頭から背中のリュックまでスッポリとカバーするポンチョは大いに気に入った。これに菅笠をかぶれば雨対策は充分。宿に着く一時間ほど前から雨が激しくなり、さすがに靴の中がグチョグチョになった。
・前回お世話になった「まるたや旅館」に着いたのが10:30、次の宿までは17.2キロある。雨の中を歩くか、ここでやめるか大いに迷った末、「ロッジ尾崎」に電話すると、「空いてますのでどうぞ」という返事。これで決まり。
・前回のお遍路で、大阪の澤田・古田のご夫婦に出会ったのはこの辺りだったかと思い出しながら歩いた。休憩中の大分の平川さんと少し話す。
・宿の部屋には海岸に打ち寄せる波の音が聞こえる。波の音も、川の音も、そして雨の音も、考えてみればみな水の音。そう、心休まる自然の音なのだ。
・沖縄の平山さんご夫婦と同宿。今回は二回目で、牟岐駅からスタート。次回は12月に来ます。今回はよくご夫婦のお遍路さんに出会っている。二人そろって家を空けることができる時間と相応の脚力と、経済的ゆとりが揃わないと・・・。
第14日 10月15日(水) 晴 【27km】 室戸市元崎山・金剛頂寺宿坊

室戸岬へ向かって

室戸岬灯台
(番外)御蔵洞 24最御崎寺 25津照寺 26金剛頂寺
・夫婦岩を通過、前回見学したので今回はパス。少し先の前回宿泊したドライブインは廃業して更地になっていた。
・ついに室戸岬へ来た。最御崎寺で平川さんと出会った。参拝のあと、灯台まで足を伸ばした。40年前に来たことがあり懐かしい。下り道で対向車の青年からバナナのお接待。下に降りたところのうどん屋さんでワカメうどんを注文、宿でいただいたおにぎりで昼食。
・金剛頂寺、ここは前回大師堂にお参りしている時に会社の先輩で故人のOさんに話し掛けられた(気がした)ところだ。Oさん以外にも既に故人になられた方々の顔と名前を思い出しながらご冥福を祈った。
・宿坊には一番乗り、奥さんが「海の見える部屋は大部屋なので一人の方は山の方になります、お客さんが来るまではどうぞくつろいでください」と気を使ってくださる。毎日素晴らしい景色を見ながら歩いているので一向に構わない。一番風呂に入り洗濯を済ませる。少し遅れて、平川さん・平山さんご夫婦到着。それぞれ歩く速さが違うので一緒には歩かないが、お互いに親近感が湧き、相談のうえ明日の宿は浜吉屋を予約した。
第15日 10月16日(木) 晴 【38km 安田町・民宿浜吉屋

昨日の室戸岬がもうあんなに遠くなった
27神峰寺
・平川さんは歩くのが遅いからと、六時過ぎに出発した。毎日そうしているらしい。
・羽根というところで、名物
「お倉まんじゅう」の看板を見て立ち寄る。出来たてで暖かい。
・中山峠から来し方を振り返ると室戸岬が遠望でき、ずいぶん歩いたものだと感慨にふける。国道の中央分離帯や家の庭にハイビスカスの紅い花が見られる。さすが南国。
・宿に荷物を置いて、先着していた平川さんと一緒に神峰寺参拝。豊富な湧水でのどを潤す。
・今日は少し強行軍。26キロ歩いた後、H=430mの神峰寺往復9キロ。もう来ることは無いだろうと、さらに山頂(H=570)まで足を伸ばした。晩酌のビールがうまい。

※お倉まんじゅうの由来は、羽根浦に昔から伝わる有名な物語「義人・岡村十兵衛、決死の救米」 に登場する岡村十兵衛を偲んで製造されるようになったとか。当時災害が多かったこの地方の奉行で、住民を餓死から助けるために藩庁へ何度も嘆願したが、音沙汰なく、結局許しを得ないまま藩の米倉を開き住民を救って自ら自殺した悲劇の奉行が「岡村十兵衛」である。
第16日 10月17日(金)  【32km 野市町・丸米旅館

光る海
(番外)八流山極楽寺
・海沿いの自転車専用道路を歩く。途中に遍路休憩所があり、「ご自由に利用してください」と書いてある。冷たいお茶・りんご・みかん・サツマイモなどを用意してくれている。お言葉に甘えてサツマイモとお茶をご馳走になった。
・琴ヶ浜は美しい浜でよく整備されている。坂本竜馬の妻お龍とその妹の銅像があった。
・昼食は「Woody Notes」というドライブイン、日のあたるテラスでトマトピザを食べた。このところ弁当ばかりだったので、久しぶりに落ち着いた昼食になった。すぐ下の広い砂浜に釣り人がたった一人、浜辺に寄せる白い波、海面がきらきらと太陽の光に輝いている。人口過密な都会との落差。自分のしていることはなんと贅沢なことだろう、家族への感謝の念を覚える。
・予定通り四時に投宿、風呂と洗濯を済ませ近くのスーパーへ買いものに出た。
・みかん・粉末ポカリスエット・おつまみなどを買い、缶ビールを飲んで外に出ると日は既に暮れていた。もう宿では食事の用意も出来ているだろう、と歩き出す。突然身体が宙に浮いた。「おっ!なんだこりゃ」、左胸に強い衝撃、「アッ、これはひどい、明日からの歩きは無理かも」、一瞬の間にそんなことを考えた。車の通りも無くあたりは真っ暗で、水深5センチほどの底を手探りするも宿で借りたつっかけの片方とメガネが見つからない。部屋に帰り懐中電灯を持ち出して引き返し、両方とも見つけた。
・スーパーの駐車場を出たところから30mほど続いていた溝ぶたが突然なくなっていて、そこに落ちたのだ。運悪くそこに鉄のパイプ。
・宿で聞いた病院へ、左胸部肋骨4本骨折と肺挫傷。トホホ・・・。4日間入院、迎えにきてくれた娘の車で自宅へ。残りのお遍路はまた改めて・・・・。

ここに落ちました
ここから第二回「PART2」です
第17日 2004/6月22日(火)  【22km 高知市・サンピア高知

毘沙門の滝
28大日寺、同奥の院、 29国分寺、 (番外)毘沙門堂、 30全楽寺
・昨年の怪我以来八ヶ月、お遍路の再開となった。台風6号が去って動き始めた列車に乗って昨夜高知入り。宿は前回と同じ丸米旅館とした。
・前夜泊めてもらった息子から「嵐の日の出発、心に残る遍路旅になりそうですね」のメールが届いた。そうありたい。


・気持ちのいい朝の目覚め、ムスコも元気よくテントを張っている。
・今回はみなさんから「溝に落ちないように!」と言われているので、側溝や水路が特別気になる。実際水路や側溝は多い。
・国分寺へ向かう途中、「へんろいしまんじゅう」の看板を見つけ、出来たてのヌクヌクを1個食べてみた。これはというものがあればなんでも試してみよう。店を出たところでおばあさんに呼び止められ、遍路石のある場所を教えてもらった。ありがたいことです。
・もう穂が出かかっている田んぼの上を白鷺が飛んでいる。日差しは強いが風が心地よい。
・毘沙門堂のある毘沙門の滝は、雨の後ということもあるのか水量が多く見事なものだ。滝の飛沫が風に乗って飛んでくる場所で、コンビニで買ったそうめんとサンドイッチの昼食。
日陰で涼風があり、あまりに気持ちがいいので少し昼寝をした。
後で聞いた話だが、この滝には長さ2メートルもある蛇が守り神として住みついているという。
・30番で遍路を終え、近くにある重文の『関川家住宅』を見学した。
第18日 6月23日(水) 曇りのち 【32km 土佐市・喜久屋旅館

浦戸大橋
31竹林寺、32禅師峰寺、33雪渓寺、34種間寺
・宿を出る時、お遍路は4回目という横浜の小野沢さんと一緒になり、どちらが誘うでもなく今日1日行動を共にした。なかなか勉強家で話題も豊富で話し好き。
・31竹林寺では少し雨がぱらついた。《ほろほろと山吹散るや瀧の音》という芭蕉の句碑に出会う。
・32から33へは、前回「渡し」を利用したので今回は浦戸大橋を渡った。歩道は両側に申し訳程度に付いていて、人が一人やっと通れるだけの巾しかなく対向者があるとどちらかが車道に下りねばならず、危険この上ない。
・高知競馬のある春野町を通り、仁淀川を渡って土佐市に入った。
第19日 6月24日(木) 曇りのち小雨 【26km 須崎市・みっちゃん民宿

塚地峠からの眺め
35清滝寺、36青龍寺、同奥の院
・宿に荷物を預けて35清滝寺へH=130のちょっとした山登り。宿の女将さんが手作りの地図で丁寧に道順を説明してくれ、散歩中の地元の方が途中まで道案内をして下さった。境内で昨日宿が別になった小野沢さんに出会った。湧水でのどを潤し、釣鐘をつく。
・宿に帰って朝食後、水路沿いの道を36へ向かう。途中、H=190の塚地峠を越える。前回通らなかったが、頂上付近は見晴らしがよく、ホトトギスがしきりに鳴いている。やはりしんどくても《トンネルより峠道》と思った。
・峠入口の休憩所で大阪の自転車遍路さんと話す。ここは三年前に貝細工の人形を作る須崎のおばあさんに出会った想い出の場所。
・青龍寺奥の院近くに国民宿舎「土佐」がある。ここの露天風呂からの眺めが素晴らしいと、小野沢さんが推薦する宿だ。しかしまだ12時を過ぎたばかり、今回はパスすることにした。
・36からは前回と道を変えて《横波スカイライン》を歩いた。《みっちゃん民宿》はスカイラインの途中にあって「四国遍路」を書いた辰野和男さんも利用している。一時間ほど遅れて小野沢さんが到着して夕食は一緒になった。奥さんも話し好きでにぎやかなひとときを過ごした。これもお遍路の楽しみの一つ。
第20日 6月25日(金) 曇り 【32km 土佐町久礼・福屋旅館

焼坂峠入口
D大善寺
・宿を出てしばらくすると小雨が降り出した。傘を宿に忘れてしまい、連絡を入れると奥さんが車で届けてくれた。相変わらずのチョンボ振り。ケータイが役に立った。
・小野沢さんとは途中で別れて先を行く。それにしてもこの時期、歩いているお遍路さんは少ない。角谷トンネルを避けて峠越えの回り道をした。元の国道への合流点でトンネル経由の小野沢さんと出会った。足の調子が悪いので国道を行くという小野沢さんと別れて焼坂峠を越える。この峠道も好きな道の一つ。国道への合流点でまたまた小野沢さんと一緒になり、今夜の宿のある久礼坂まで一緒に歩いた。
第21日 6月26日(土) 曇り一時雨 【34km 佐賀町拳ノ川・佐賀温泉

峠は深い霧の中

「雉子男さんありがとう」
37岩本寺
・朝トイレに入ったら大きなヤモリが天井から落ちてきて床を這いまわる。ヤモリも驚いたのだろうがこっちも驚かされた。朝食は八時からというので断り、6:30に出発。近くのコンビニでサンドイッチとおにぎりを買ってソエミミズの入口近くで食べた。
・朝食中に三年前にも出会った奥代さんというおばあさんが取りたてのトマト他をお接待してくれた。彼女はもう何年も近くの作業場で農作業をしながら、道行くお遍路さんにお接待をしてくださっている。彼女の表情はなんともいえずさわやかである。
・今から越えようとする山は深い霧に包まれている。それに今日の降水確率は70%。それでも自分の天気運にかけて峠道(ソエミミズ遍路道、H=409)を目指した。峠の頂上付近でぱらぱらと雨が降り出したが大した降りにはならず無事七子へ下りた。
・登り道では「雉子男さん」の俳句札が何枚も木からぶら下がっていて、わたし達遍路を励ましてくれているようだ。
  
樹の元に男神あり秋の山
  柿の秋二人づれなり遍路道

・国道に出て知合いの川村さん宅に立ち寄り、よく冷えたスイカ・奥さんが時間をかけて煮込んだという梅・冷たい麦茶をご馳走になりながら昔話や知人の近況について話した。遍路中のこういう時間はまさにオアシスそのものだと、ありがたくお礼を述べて岩本寺を目指した。
・岩本寺で小野沢さん、坂出の植田さんに出会った。道を間違えて遠回りをしている間に抜かれたらしい。途中まで植田さんと話しながら歩いた。宿は三人一緒で、にぎやかに談笑。宿からビールを一本ずつお接待していただいた。
第22日 6月27日(日) 曇りときどき晴 【25km 大方町・ネストウエストガーデン・土佐

四ケ村溝の水車
なし
・6:45出発。小野沢・植田の両氏は既に出発したらしい。昨夜のうちに、3時に土佐入野駅で知人の山脇さんと会う約束をして、宿も既に決めている。距離も25キロと少ないので休憩を多くとりながら歩いた。
・佐賀漁港を過ぎてしばらく行くと、太平洋が目の前に開ける。午後から晴れ間が多くなり猛烈な暑さ。浮鞭の海岸に出ると、海から吹く風が有難い。子供達が浮き輪を持って海に入っている。この暑さ、海に入ったらどんなに気持ちがいいだろう、という思いが頭をよぎる。
・予定通り、山脇さんと会って中村市内から四万十川河口を車で案内してもらった。四ケ村溝の水車や四万十川が海にそそぐ場所の風景が印象に残った。夕食では、スマガツオとウツボのたたきが特別うまかった。
第23日 6月28日(月) 晴ときどき曇り 【21km 土佐清水市下ノ加江・安宿

大文字
なし
・四万十大橋を渡り、うどん屋「田吾作」で昼食。中村市から土佐清水市に入った。途中に「大文字送り火」があった、なるほど、小京都中村だ。
・今日も暑い。ドライブイン「水車」近くの休憩所は風があって涼しく、自販機の冷たい飲み物で一息ついた。今日のオアシスはここ!


中村市は「土佐の小京都」といわれ、応仁の乱の難を避けて、京の都から当時の波多(はた)に下向した一条教房(イトジョウノリフサ)が京の都をモデルに都市計画をしたとされる。
 市内はもとより周辺部には「一条通り」「祇園」「京町」「鴨川」「大文字送り火」など京都に因んだ地名・伝統行事がある。
 中村の文化、経済に尽力した土佐一条家の遺徳を偲ぶ郡民によって文久2年(1862)に建立された一条神社は「イチジョウサン」と称され市民に親しまれている。

第24日 6月29日(火) 晴 【26km 土佐清水市足摺岬・民宿足摺八扇

足摺岬
38金剛福寺
・川(下ノ加江川)と山にはさまれた宿の朝、ウグイス・ホトトギス・カラス・トンビなどの鳴き声が夜明けと共に聞こえてくる。
・前回と同じく大岐の浜の長い海岸線を歩いた。窪津漁港の「大漁屋」で弁当を買って昼食、冷房の効いた店内の片隅で食べさせてもらった。
・休憩所で大阪の自転車遍路さんに再会。その先で打戻の小野沢さんに再会し、もう会うことはないでしょうと別れの挨拶。
足摺岬周辺散策。宿では三重県からの三人連れのお客さんと一緒に夕食。食事中、宿の親父さんの講談調の楽しい話が一時間ほど続く。
第25日 6月30日(水) 晴 【26km 土佐清水市竜串・民宿とさや

岬西岸の遍路道
なし
・4:20、日の出を見ようと灯台のところへ出かけた。夜明け前の海を灯を燈した漁船が行く。眼下には岩に砕ける白い波、灯台の灯が光の線となって回転している。とてもいい雰囲気だ。日の出の方は雲が厚くてダメ、雲の薄いところが少し赤味がかったのが見えただけ。近くの白山洞門などを見ながら海岸線を散歩。
・遍路をはじめて一番暑いと感じた。主に海岸線を歩くので、時折の風と海の眺めが暑さを癒してくれる。
・足摺黒潮市場で、清水鯖の棒寿司を買って昼食。すぐ先のスーパー入口で、またも大阪の自転車遍路さんに出会った。
・何度も休んだので、宿に着いたのは五時、今日の暑さには参った。夜中に蚊の来襲あり、その度に何度も電灯をつけて奮闘す。
第26日 7月1日(木) 晴 【9km 土佐清水市大津・民宿叶崎

竜串
なし
・午前中休養、竜串で海水浴でもと思ったが、台風8号の影響で4mの波。グラスボートは欠航、海底館も休館で観光客の姿もなく売店のオバチャン達は手持ち無沙汰の様子。海岸を散歩して水族館見学。
・昼食後、叶崎へ向けて出発。大きな波が打ち寄せて磯で砕ける眺めは圧巻、感動モノ。歩くにつれて少しずつ変る景色を楽しみながら歩く。
第27日 7月2日(金) 晴 【22km 大月町・安岡旅館

叶崎

山田鮮魚店
なし
・窓のすぐ下でコケコッコーという鳴き声がして目がさめた。最初の鳴き声につられてあちらこちらでコケコッコーが続く。間で猫の鳴き声も混じる。時計を見ると3:30.
・叶崎の灯台見学、観音様のお参り。足摺岬のように有名ではないが、この付近の雄大な景観はわたしの好きな場所の一つ。
・前回立ち寄った月山神社は今回パス、国道321を大月町へ。3年前にパソコンの話をした山田鮮魚店を覗いたら、オバチャンがいて、冷えたスイカをご馳走してくれた。代わりにというわけでもないが、家の方に干物を送ってくれるよう注文した。(参照;パソコンおばちゃん)

・宿近くで「暑いのに大変ですね」とねぎらわれ、自販機のドリンクお接待。たしかに今日も暑い、しかし少し暑さなれしたのか二日前ほどつらくはない。昼食をとった道の駅では、参議院選挙の候補者と一緒になった。
第28日 7月3日(土) 晴 【27km 宿毛市・ホテルアーバン宿毛

浜木綿
39延光寺
・宿を出るとき、昼食にと焼おにぎりのお接待を頂く。道の駅では高知の男性から「ビールをお接待したい」と言っていただいたが「歩行中は・・・」と辞退、揚げたてのじゃこ天を頂いた。
・昼前にホテル着、荷物を預けて延光寺へ。午後からの暑さがすごく、かなり体力を消耗し、三度も自販機の世話になった。缶ビールとおつまみを買ってホテルに帰り乾杯!
これで土佐が終わった。明日は松尾峠を越えて伊予へ。


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