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2001.12.30/P.M.11:30/餅つき 
今年はもう残すところ後一日。今日一日は、餅つきにに明け暮れた。とはいうものの私の子どものころの情緒は何一つない。うちの場合は、オーブンの中のプレートを外し、餅米と水をいれた鍋を差し込んでスイッチの「餅をつく」というのを押すだけだ。一時間後の鍋の中身はつきたての餅になっている。あとは丸めるだけである。お手軽餅の出来上がり。餅をついている間は他の用事ができる。

私が子どものころは、家族総出で朝早くから大騒ぎである。かまどで餅米を蒸す。出来ると石臼でつく。つく人は男性(父)。一回つくごとに、そばで女性(祖母)がひっくり返したり、差し水をする。子ども心に恐いなぁ〜、と思っていた。つき上がると、餅粉をひいた、平べったい木桶に運びその餅を手際よくちぎる(母)。そのちぎられた餅を子どもが丸めて並べる。…毎年の年末の風景である。家族が多い田舎なればこそである。ちなみに東京育ちでサラリーマン家庭の夫は、餅は買っていたそうだ。東京は、餅は伸し餅で四角いが京都の田舎の私の家は丸い。

同時代を生きていても、体験が全く違う。途中から一緒に生活するわけだから、お互いに考えややり方が違うのは当たり前ではないか。

一番のお手軽餅は、やっぱり買った餅だろう。しかしまだ自分で作ると味が違うなどと思うところは、私も古くさいのかな…。私はお手軽手作りだが、少しはこだわりの人である。

今年の年末年始は山には行かず、家族揃ってのお正月である。

今年もいろいろあったがもう残すところ後一日。

120日は山やクライミングだった。

今年の暮れには、88歳の叔父と91歳の叔母が人生の終盤を迎えようとしている。

私も、良い人生であったと最後に思えるよう、充実した日々を来年も過ごしたいと思う。


2001.12.26/P.M.9:30/今年最後のホシダ 
予想では今日も寒くなりそうだったが、ホシダに本年最後のクライミングに行ってきた。年内は28日まで年始は5日からだということだ。nさんとみずえ、そしてTMとは現地で待ち合わせ。TMは21歳の青年。一年前に柵の外でやりたそうに眺めていたのを、ホシダの常連が登らせてあげたのがクライミングを始めたきっかけだ。もう5.12を登っている。本人は「プロになる」と公言している。三人で始めていたら、国体の大阪代表になって、全国大会3位になったUちゃんがきた。今では、大阪岳連の依頼でルートセッターをしている。彼は私とほぼ同じ時期に始めた。ホシダのルートの設定をしてくれている。

ホシダは、本来プロの東秀磯さんがルートを設定していて、今でも基本的なのはそのまま残っている。しかし、東さんが忙しくあとのメンテがなかなかできないのでUちゃんに白羽の矢が当たったようだ。

ザイルに、この寒いのに長い間ぶら下がっていて大変だなぁー、と思う。

UちゃんにしてもTMにしても、ほんとに短期間であっという間に上手くなってしまった。私はといえば、この2年は大した進歩がない。未だにテン台を四苦八苦して登っている。「いやんなるね!」といったら、nさんが「私たちは、維持することが、進歩よ!」と言ってくれる。

言い訳がましいが、今年は会のHP作成と本来の山行が忙しく、5月からホシダにはあまり来れなかった。平日も水曜日に一度はいっていたが、それもいつのまにかやめてしまっていた。結果は覿面。久しぶりに復帰したら、前に登れていたところのリードが恐い。トップロープでも登れない。これじゃ、元も子もないと12月は少し頑張って9回いった。やっと前の状態ぐらいに戻れた。

これで、来年に継続していけるとやっと思える。ホントに私の年齢になると続けなくては意味がない。継続こそ力である。今年は、平日クライミングの相棒nさんもできたことだし頑張ろう。


2001.12.25/P.M.9:30/師走 
毎年のことだが、今頃になるとホントに慌ただしい。何が慌ただしいかというと、銀行や町が人でいっぱいになる。そして車の事故をよく見かけるような気もする。何となくせかせかと人が動いているように思える。別に年内にしなくてはならないこともないのに、何でもかんでも今年中に済ませておきたいという心理になるようだ。私も理に落ちず慌ただしく用事を済ませてしまおうと、今もうちのマック君に年賀状の作成をさせながらこれを書いていて二刀の刃を使い分けさせている。マックは偉い。

とはいいながらも、明日は最後のホシダだ。寒そうだが、頑張ってこよう。しばし、忙しさを忘れて…


2001.12.24/P.M.10:00/クリスマスイブ 
今日はクリスマスイブ。きっといまごろ町の中はジングルベルが鳴り響き人がいっぱいくり出しているのだろうか。全く、繁華街には縁がなくなってしまった。昼間、主婦が大勢押し寄せているデパートですら、私には最寄り駅の京阪樟葉駅前の松坂屋デパートにほんとにたまにどうしてもというときに行くぐらいである。それも、用事が済むとすぐに出てしまう。日常の買い物もあまり興味がないので、スパーに食材を買いにいくのすら面倒になってしまっている。しかし、なんの支障もきたしていない、と思っている。

この連休は、ホシダでクライミングである。昨日と今日連チャンだった。「普通のおばさんになりたい」といって引退した歌手の都はるみもすぐに復帰したではないか。デパートにひしめいているおばさんから見たら、クライミングや山三昧のおばさんはもはや普通のおばさんではない域に入っているかもしれない。しかし何かに燃えている人は、年齢に関係なく素晴らしいと自己弁護している。クリスマスイブの夜の今頃町にはいっぱい楽しんでいる人もいるんだろうな。人にとって何が楽しいのかは、個人的な問題だ。年齢にも関係ない。趣味と興味の問題だ。自分と違う志向の人は、お互いにどうも理解しがたいのだろう。

今週の水曜日のホシダの予約を小屋にしにいったら、「掃除は終ったんか?」と冗談めかして聞かれてしまった。「ばっちしヨ!!」といったら苦笑していた。

太股と腕が筋肉痛中!! (心地よい疲労感のクリスマスイブの夜)


2001.12.18/P.M.11:00/大掃除 
いよいよ今年も残すところ二週間程になってしまった。一年一年があまりに早く過ぎ去り、つい去年のことだと思っていたのがもう何年か前のことだったりしてびっくりしてしまう。山に行っているので、早く感じるのかと思いきやそうでもなさそうだ。歳と共に加速度がついてしまうようだ。今年もよく山に行った。あと何年こんな生活ができるのだろうか。しかし山は登る人が選べるという利点がある。自分に見合った山にすればかなり長い間行けそうだ。背伸びをせず、自分の等身大を自覚して…。これからは何かにつけて自分を知るべきなのかもしれない。だからといって、自分の可能性は今よりはほんの少しは大きく持っていたいとも思う。来年も、やっぱりほんの少しだけでも背伸びをしたい。するとまた違った景色が見えるかも…。

山にうつつを抜かしている時は忘れていたが、家の中の汚れが気になりだした。台所から少しずつ始めている。明日も掃除に専念だ。


2001.12.15/P.M.8:30/寒さにもめげずにクライミング 
今日のホシダは、本当に寒かった。ホールドを持つ手もかじかんでしまった。体も固い。何よりも、登りたいという意欲がそがれてしまう。こんな日は人も少ない。ハイカーもほとんどいない。

一人18歳の高校生の少年が登りたくて一人できていた。初めてだという。物怖じする事もなく仲間に入り、登っていた。いまどき珍しい。またくるといっていた。やりたいと思ったことを、すぐに行動に移せるのは若者の特権だと思うが、このごろ少ないのかな…。

今日友人が京都新聞の「読者の窓」に投稿したのが載ったとメール。タイトルは「皇室典範改正女性の天皇を」だそうだ。

私の実家は典型的な家長制度が今も残っていて跡継ぎは長男男子と決まっている。そして、なにかにつけて女の癖にといわれてきた。子どものころから、今時時代錯誤も甚だしい、と思つて反発を感じてきた。

女性天皇を見てみたい、と私も思った。


2001.12.10/P.M.5:30/八ヶ岳・地獄沢アイスクライミング 
今日は、ここちよい疲労感で満たされている。美しの森の駐車場で朝を迎える。ここについたときは満天の星。朝はシルエットの富士山。そして雪と氷の世界。

荷物を担いでの登りはきつい。登攀具が入ると余計に重くなる。登っているときはなんでこんなにしんどい思いをして山に行くんだろうと思う。麻薬中毒のようにひたすら山にいってしまう。とりこにさせる魔力が山にあるとしか思えない。

アイスクライミングの魅力は、やっぱり雪と氷のバリエーションを行く楽しさにあると思う。氷も先着組みがいるとぼこぼこになっている。魅力は半減する。だれも登っていない氷で覆われた滝は美しい。ガラス細工のような氷柱も美しい。誰も踏んでいない真っ白い雪も美しい。雪を被った赤岳もひときわ雄大に輝いて見える。この風景のためにしんどい思いをして登る。そして辛さを忘れてまた山の魔力に惹かれてしまう。

いつまで、続くのだろうか。


2001.12.7/P.M.2:30/中年女性クライマー 
きのうは朝から雨だった。木曜日は朗読の日だったが、久しぶりに空いてしまった。ホシダに行くことにしたがお昼頃まで雨だったので、ぐずぐずしていたら雨も上がり娘と行ってみることにした。こんな日は誰もいないと思いきや、いたいた。それも私と同じおばさんクライマーのFさんとnさん。ふたりともほぼ同世代。他の平日常連グループもいて賑わっていた。

nさんは今年の5月に千石でも会って以来で久しぶりだ。前から話をしていて、とても私と考えが似ているなぁー、と思っていた。週に2-3回は平日に烏帽子やホシダでクライミングをしている。いつもリードである。きのうも5-6本は登っていたように思う。前向きな姿勢が好きだ。熱心な人たちを見かけると嬉しくなる。これからも誘いあわせましょうと、電話番号をお互いに教えあった。きょうもう「月曜日烏帽子に行きませんか」と誘いの電話を下さった。私は今日の夜からアイスクライミングなので残念ながらお断りしてしまった。しかし、次はぜひとも一緒したい。わたしが「来年はアイスクライミングにいけるかどうかわからないので、いけるチャンスを大事にしたい」というと、「ほんとにそうね! いけるうちにいっとかないと、来年いけるとは限らないものね」という返事。くどくど話さなくても気持ちが通じ、うなずき会えるのはホントにいいなぁーと思う。

nさんは少し私より年上だ。「あなたが追ってきていると思うとやめられないわね」ともおっしゃっていた。私は前向きにリードでチャレンジしていくnさんを見て、まだ頑張れると思えてしまう。嬉しい巡り会いであった。


2001.12.5/P.M.3:00/アイスクライミング2 
今週末のアイスクライミングにそなえて、Nさんからもらったブラックダイヤモンドのアイゼンを自分の靴に合わせて調節して、ついでに電動の研磨機で、私の丸くなった他のアイゼンも全部先をとがらせた。昨年まではヤスリでテレビを見ながらシコシコやっていたが、ビックリするほど素早くシャープになった。ニンマリ眺めながら笑っている私は自分でも薄気味悪い。

これでグッサリと氷を突き刺し、びくりともしない安定が得られるだろう…、なんて勝手に思いこんでいる。昨年までは普通の12本歯のアイゼンで先もあまり出ていなくてすり減っていたのもあって、刺さり具合が悪かった。(言い訳がましい!!)

これで言い訳は許されない。楽しみだ。昨日はなんで面白いのかわからないと書いたばかりなのに、自分で自分がわからない。???


2001.12.4/P.M.8:00/アイスクライミング 
会でアイスクライミングの講習が、八が岳の地獄谷であるので今年も参加する事にした。今回で4回目だ。アイスクライミングはホールドがどこでもいいのでやりやすいのだが、やっぱりハングになると手に力がいるので難しい。なんで面白いのか、未だによくわからない。最初は『岳人』で八ヶ岳でアイスクライミングをしているののを見て一度やってみたいと思っていた。そんな折り、会で講習会があるというで、ちょっとだけいつもの好奇心が湧いてきた。何でもチャンスがあればやってみたくなるのが私の悪い癖だ。

しかし、やっぱりロケーションが大きいと思う。同じ登るなら美しい氷を登りたいし、周りの雪と氷の世界も楽しみたい。

クライミングも、やっぱり本チャンがいいと思うのはやっぱり山が好きだからだろう。

 


2001.12.2/P.M.8:00/ホシダクライミングウォール 
この週末は、ホシダに二日続けていった。手のひらがヒリヒリする。そして腕がもう筋肉痛だ。先週と続けてのことでやっと勘を取り戻せてきた。リードもまた恐い感じが薄らいできた。やっぱり間が空くとよくないと思う。何でも同じことだと思うが、特別の才能がない限り、地道な努力と継続が大事だとつくづく思う。やり続けることはしんどいことである。人から見ても些細な進歩かもしれなくても、自分が少しでも進歩していることが確認できたときは、楽しさも出てきてまたやる気が起こる。何かにつけてこの繰り返しである。

平山ユージがNHKのある番組で子どもにクライミングを教えていて「昨日の自分より一手上へ!」と人工壁に登っている子どもに言っていたのを思い出した。そして、前回より一つでも上のホールドを掴むようにと激励していた。この自分というのが人〔他者)だったら興醒めしただろう。世界一になるために人と闘っては勝ち取ってきただろうに…。人との闘いではなく自分との闘いであると言っている。素晴らしいことだ。

私もマイペースであるが「一手上に!」を心がけながら頑張ろう。


2001.11.26/P.M.7:30/鹿島槍ヶ岳 
鹿島槍ヶ岳から帰ってきた。鹿島槍ヶ岳は1250メートルの高度差を赤岩尾根から登った。プラブーツでの1時間の林道歩きも辛いものがあるが、それよりも何よりもこの急な登りに私は最初から閉口してしまった。この季節に滴るような大汗とは予想外だった。天気が良いのも手伝ってか、体がかっかと火照って暑い。一人で30分ほど涼んで最後尾をゆっくりと登りだした。やっと火照りもなくなりペースも落ちついて歩けるようになってホッとした。けつこう雪が積もってきた。しかしどんどん標高を上げて行くに連れて、周りの景色も近くなり嬉しくなってくる。

この登りの辛さを忘れるときは、やはり頂上からの大パノラマだ。鹿島槍ヶ岳からの、展望は素晴らしい。何よりも雪を被った剱のアップは感動的だった。夏に登った源治郎尾根や八ツ峰、三ノ窓が雪化粧をした姿を美しく見せている。私は行く前、少し疲れがたまっていて気持ちが引いてしまっていたが、この瞬間にはやはり来てよかったと思った。遠くは白山、富士山、まで見える。日本海の水平線もはっきりと見えた。この晴天は帰るまで続いた。

山に向かうのは、こんな幸せなひとときを味わえるからだとおもう。

山は決してスポーツではないと私は思っている。だから競ったりランク付けたりするものではない。その人の体力や力の範囲で楽しめばいいものである。誰でもが目指せばエベレストに登れるのではないが、その人にあった山の頂上に自分のペースで挑めば誰でもが頂上を目指すことができる。たとえ人より一歩先に行けたとしてもそれが「いったいなんぼのもんや!」。広い大自然のアリンコの行進のようなものだ。宇宙から見れば何と小さなことか。それよりも、この大自然を一服の絵や音楽を鑑賞するように、ちまたの雑念を捨ててゆっくりと味わおうではないかと、漱石も言っているではないか。

私は、来年の夏あの美しい剱にまた会いに行こう。

そして今度は、剱から見える鹿島槍に手を振ろう。

そして、おおいに楽しもう。

高千穂平から鹿島槍ヶ岳をバックに帰り


2001.11.21/P.M.7:00/冬山の季節 
明日の夜から、赤岩尾根から鹿島槍ヶ岳である。昨年のこの連休は涸沢岳西尾根だったが全く雪がなく、プラブーツで靴擦れができてとても辛かった。とても苦い思い出である。きょうメンバーからの情報だと八方尾根に雪がついている写真がHPに載っているという。見てみたところ真っ白である。嬉しくなってきた。厳しい冬到来である。しかし正直なところ年々体力には不安を感じてきている。

いつまで山に行けるのだろうかと思いながら、毎年欲張った山行をしてしまっている。特に岩登りや冬山はそういつまでも行けないだろうなぁー。

冬山は一人では難しい。一緒に行ける仲間がいるのも幸せだ。しかしみんなと足並みが揃わなくなってきたら引退だなと思う。もう、そろそろかな…。

その時は、自分なりの山への向かいかたを見みつけたい。


2001.11.19/P.M.9:00/御在所は木枯らし 
週末の土曜日は金比羅でアイゼントレーニング。日曜日は御在所岳の前尾根だった。鈴鹿スカイラインは紅葉真っ盛りだった。前尾根を登り出すと、どんどん寒くなる。ヤグラのコルでは、冷たい風が骨身にしみる。もう岩登りの季節は終わったという感じだ。こう寒いと快適なクライミングとはほど遠くなる。体も硬直していて動きにくい。体がまだ寒さに馴染んでいないのもあるだろうが、冬よりも寒いといった感じである。

冬の御在所はアイスクライミングができるということだ。まだ冬景色は見ていない。今年はぜひとも、冬に行ってみたいものだ。2−3年前になるが、御在所でアイスクライミングの計画が出ていたことがあったが、その年はルンゼが凍っていないということでとりやめになってしまった。今年はどうだろうか。


2001.11.16/P.M.9:00/ホシダでクライミング 
昨日の木曜日、久しぶりに平日クライミングにいってきた。夕方用事があったので3本のみ登って帰った。フリークライミングは、やり続けないと上手くならない。あれやこれやの片手間ではなかなか上手くならない。6月からHP作成に力が入って、平日クライミングをサボってしまっていた。平日も週に一回行っていたときはマイペースながら少しずつレベルアップしていた。また6月以降は週末も山に向かうことも多くなり、フリーはますます遠ざかっていた。そのこともあってますます登れなくなってしまった。(ちょっと言い訳がましいなぁー)

結果は覿面である。昨日はかなりのレベルダウンである。平日によくホシダで逢っていたNさんという67才の男性は、私が最近はサボっているということもあってお会いしていないのだが、その間も続けてきていたということで格段と上手くなっているという噂。

個人差は著しいのだが、続けていればかならず進歩はしていく。やらなければ後退するという、何かにつけてもそうかもしれないが、わかりやすいスポーツだ。

今までの努力が水の泡とならぬよう、重い腰をあげよう。


2001.11.14/P.M.10:00/公園の桜が見事に紅葉 
家のベランダから見える公園の桜が見事に色づいた。昨日書いたがやはり子どものいない公園はもの悲しい。これから寒くなるとますます子どもの姿が見られないのだろうか。「子どもは風の子」とは最近は言わないのだろうか。私が子どものころは、この言葉でいつも休み時間は教室の外に追い出されていたのを思い出す。しかし部屋の中で静かに読書をする子どもがいてもおかしくはないことにふと気がついた。一応にイメージ化して「子どもらしく」と、考えたところに間違いがあったように思う。何かにつけて「らしく」という言葉で括ってしまうのはよくないことだ。「子どもは風の子」という観念的な考えも捨てた方がいいのかもしれない。

 


2001.11.13/A.M.10:00/遊び疲れ 
先週末金曜日、近くの山田池公園で視覚障害者の方と手引き、そして私たち朗読ボランティアの親睦を兼ねた「ウォークラリー」という催しがあった。山田池のまわり2キロ程をゲームをしながらグループに別れて歩いて点数を競うのである。合計点の高いチームから商品が用意されている。

子どものころは無心に遊んだが、大人になるにつれて無心というのが忘れられている。しかしこの日はみんな無邪気に点数に一喜一憂してはしゃいでいた。たまにはこういう機会も良いのではと思った。顔からこぼれる笑顔が大人でも美しく、見ているだけで楽しくなってくる。

それにつけてもこの頃の子どもの顔が無表情になってきているように思う。整然と並んで登校する子どもが、なぜかうつむき加減で暗い顔をしているように思える。前の公園でもとんと子どもの声を聞かない。今の子どもは、満身笑みで遊んでいるのだろうか。部屋でむすっとして、ゲームをしているのなら私は気持ちが悪いなあー。それともゲームで満身笑みの表情をしているのだろうか。ただ単に遊び方が違ってきただけのことなのだろうか。私の思い過ごしでなければいいのだが…。

山に行っているときは、私は無心になっている。その究極は岩登りしてリードしているときではないだろうか…。ということは、私にとっては究極の遊びなのかもしれない。この歳なっても夢中で遊べることは幸せなことである。

贅沢な遊び疲れを感じながら…


2001.11.7/A.M.12:00/京都北山の続き 
北山の原点から始まって続いてきた山登り。しんどい辛いことを続けられる魅力はどんなところにあったのだろうか。それは絶えず未知の世界へと続いていたからかもしれない。これからの冬山のシーズン。まだまだ未知の世界に出会えそう。八ヶ岳の水色の氷は幻の世界か、もう一度確かめなくては…。

山に登りながら、自分の中の未知の世界と可能性を今も捜し続けている。

体力の衰えに抗しながら、もがきながら…

ますますの、しんどい辛いを味わいながら…

好奇心が続く限り…


2001.11.6/A.M.11:00/京都北山 
山へ行き始めてからの最初の頃の記録をやっと整理し始めた。1989年ぐらいのからtが記録を残してくれていた。そのころは京都北山を徘徊していたが、靴擦ればかりして、膝が痛くなって歩くことは辛いことだった。行く前はいつも辛いことを思い「いやだなぁー」と思っていた。しかし、ほとぼりが覚めるとまたいってしまう。しかしいろんな時期があったにしろ、今まで続いたということは北山に何らかの魅力があり、すぐに苦しかったことを忘れてしまう浄化させるものがあったのだろう。産みの苦しみも後になったら忘れてしまう。苦しい辛いことも何かで吹っ切れるのだろう。山は私の心まで浄化してくれているのだろうか。

私にとって山の原点は北山の徘徊にあったようだ。


2001.11.5/P.M.5:00/冠山ハイキング・そしてホシダ 
土曜日は福井と岐阜の県境の山冠山に登ってきた。登山口の冠峠は国道417号線でかなり上の方まで行っていて、1時間の登りである。冠峠からよく見えて、烏帽子から名前の由来が来ているというのがよく分かる形をしている。納得の山である。登山と言うにはかなりお粗末な歩きだが、国道417はドライブコースとしては最高である。奥深い山の中を走っている。紅葉も山一面で素晴らしい。頂上からの眺めも素晴らしい。雨が降ってなかったら冠平の草原でゆっくりできてよかったと思うが残念である。

登山道に咲き忘れたかのように、一輪のイワウチワが淡いピンクの花を付けていた。今頃孤独に耐えながら咲いているのを見ると、頑張って! と声援をおくりたくなる。

日曜日は、恒例のホシダクライミングである、久しぶりに全面開放されていて、かなりのハングに久しぶりに挑戦したために、腕は筋肉痛である。


2001.11.2/P.M.11:00/語り芸花舞台 
私は、趣味で朗読をしているのは前に書いたことがある。今日は4人のプロの公演を聞きに行った。たなかやすこ、西垣瑩子とあめんぼ座(私の朗読の先生)、平野啓子、新屋英子さんである。

みんなプロとして活躍中の人達で、とても上手い。新屋英子さんは、在日朝鮮人のオモニに成りきった一人芝居である。観客の一人でもある私の友人は、本人が在日朝鮮人だと思い込み涙が出てきたといっていた。そう思わした演技は凄いと思う。

私は、昔一緒に仕事をしていた友人にMさんという在日の友人がいた。その人は日本名を名乗っていた。ある日話があると呼ばれ喫茶店で在日であると告白され、本名を聞いた。私はそのときは、「それがどうしたん?」なんて言い、Mさんの置かれている立場まで思いが至らなかった。今も東京に行ったら会ってくる。そのあとピアノを習っていた先生もパクさんという在日の男性の先生だった。私はこのお二人に出逢わなかったら、強制連行のことも、創氏改名のことや指紋押捺も、また何でこんなにたくさんの在日朝鮮人の人がいるのかも知らないままでいたでしょう。人との出逢いは、私にとっては宝物である。

人の立場になって考えられるようになりたい。


2001.10.28/P.M.1:00/不動でクライミング 
昨日は、最初滋賀の千石岩でクライミングの予定だったが、急きょKさんが不動に行くというメール。結局不動に変更。不動は南向きで一日中日があたり冬場でも快適クライミングができる。私は数える程しかいっていないが、12月にも行ったことがあるが暖かかったと思う。きのうは半袖で過ごせるくらい暖かかった。

ニューエリアのみ。公開もしていないらしく、正式のトポはない。ところが、クラックスで手に入れたという人から手書きをもらっていた。それを見て5.10a、5.10bをリードして気をよくしていたら、そこを開拓したという女性が来ていて、そこは5.9、5.8といわれガックリ。ちっとも実力アップしない自分にいやになってしまう。

ところで、帰りに今岳人に「登山技術新論」を書いている人でMさんに会った。一人でアイゼントレということだった。やっぱり、見えないところでやっているんだと感心した。もうひとり、プロのガイドのmさんも来ていたそうだ。私は会わなかったがM さんが言っていた。この二人は会が所属している京都山岳会の、(もう一人『山渓』に連載中のTさんと三人で)「御在所での岩登り」とか「八が岳の冬講習」の講師をしてくださっている。今年は参加していないが、昨年御在所の時に参加してお会いしている。

Mさんは、気さくな方でアイゼンに手作りのプレートを付け、他にも自分でいろんなものを工夫しては手作りされていて見せてくださったりでいろいろ話がはずんだ。

私もミーハーだなと改めて思った。


2001.10.24/P.M.15:30/紅葉の美しさと思いで 
高い山はもうすっかり冬景色でしょうか。やっとベランダから見える公園の桜の葉が色づきはじめてきた。春はピンク色に染まるのに…。よく春と秋とどちらが好き? なんて聞かれるが私はずっと前から、多分子どもの頃から秋の色が好きだった。ピンク系統よりオレンジ系統がすき。春の色はピンク、水色、藤色、という寒色系のイメージが私にはある。反対に秋は黄赤、オレンジ、黄色、緑と暖色系だ。なぜか秋の色に哀愁と郷愁を感じてしまう。田舎育ちの私は田圃の実りの色や柿木の実の色。そしてそこで遊んだ記憶も思い起こすのだろう。

稲の刈り取りの田圃で野球をした。もともと6軒しか家がないので子どもが少ないのもあるが、たいがいは男女一緒、年齢も関係なしで遊ぶ。その野球は私たち子どもの間では「たいこベース」と呼んでいて、ベースは本塁の他は一つである。たまに隣の村から遊びに来ていて人数が多いときは二つベースをつくる。大きなヒットやホームランが出てボールを追いかけて走るとズボッと泥濘に入り込んでしまう。回りは稲刈り後の秋の風景である。

柿木は年中登って遊んでいた。「ままごと」では柿木がそのまま家になる。各枝はそれぞれの個室という設定だ。菓子箱などを枝に紐でくくりつけて、ものを入れたり、人形を寝かせたりしていたのを思い出す。葉っぱや竹の子が食器になったり、化粧品の空き瓶に花の汁を搾っていろんな色の水を作って入れたり…。

彼岸花やセイタカアワダチソウをいっぱい積んで帰ってお婆さんに捨ててきなさいと叱られたこと。「何で」と聞くと「彼岸花は火事になる」と言われていたのだけ思い出す。セイタカアワダチソウはなぜそういわれたのかその時は分からなかったが、最近娘がセイタカアワダチソウにアレルギーだと医者に言われたと言ったので、「それでか」とその時は納得したのだが、今ネットで調べたら濡れ衣と書いてある。(*1) 彼岸花も根に毒があると聞いていたがやっぱり同じじことが書いてある。(*2)

やっぱり、郷愁の秋である。

 

(*1)身近な植物では、一年の最後を締めくくるのが本種である。この花が終わると、季節は一気に冬へと進む。かつて花粉症の原因植物として悪名をとどろかせたが、それは濡れ衣であった。美しい花を、素直に楽しみたい。

学名:Lycoris radiata var. radiata

 別名:マンジュシャゲ(曼珠沙華)

 花期:秋

http://www.city.ichikawa.chiba.jp/shisetsu/haku/sizen/zukn/0510.htm

 

(*2)秋の彼岸頃に咲くのでこの名前になっています。田舎道の脇に群生していたりしますが,町中でも空き地や家庭の庭等に見かけます。

 真っ赤な色が火を連想させるので,子どもが取ってきて母親に「そんなもの取ってきたら家が火事になる」などとしかったりしますが,それは,彼岸花に毒がある(リコリン)ので,子どもがそれに触らないようにとの親心もあったのかもしれません。

前橋市にて Sep 12, 1998

 敷島公園を散歩していたら,白いヒガンバナが咲いていました。ショウキズイセン(鍾馗水仙)とヒガンバナの交雑種だそうです。雨上がりで空が暗く,できあがった写真は怪しい雰囲気で,ちょっと凄みがあります。

 前橋市「敷島公園ばら園」にて Sep 13, 1997

 白いのはシロバナマンジュシャゲ(白花曼珠沙華)という種のようです。

分類:キク科

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/higanbana.html

 

 


2001.10.22/A.M.8:30/雪彦 
昨日からの雨が外では降り続いている。秋雨というのだろうか、これから一雨ごとに寒さが身にしみていき、冬山シーズン到来ということだろう。年々冬山にいくのが億劫になっている。しかし、いまだに八ヶ岳のジョウゴ沢を詰めた時の水色の氷の世界が思い出される。白一色の世界も美しいが、氷のあのときの水色は雪景色とのコントラストが何といえないメルヘンの世界に足を踏み込んだような錯覚を感じた美しさだった。もう一度確認しに行きたいものだ。

土日曜は雪彦にいった。これで4回目である。地蔵岳東稜は三回目。今回は前にフォローで登った正面壁をリード…、とひそかに思っていたのだが、次の日曜日は雨なのと前に一度行った取り付きへの道で迷い、地蔵岳東稜へ出てしまった。そこでもう少しいったところの三峰で雨の中、あぶみ登攀の練習。そこでは、タイヤを落として姫路山岳会の人たちが落ちた人をビレーヤーが止めるという練習をしていた。

われわれは雨なのでそこそこに引き揚げ、雪彦温泉へ。いつもながら、山からの帰りの温泉は最高…。

雪彦は、紅葉が少し早かったのが残念。しかし、ハイカーでか駐車場は満員だった。


2001.10.18/A.M.11:30/夏目漱石「草枕」 
 [山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。……

……こう山の中へ来て自然の景物に接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥れて、旨いものが食べられぬくらいの事だろう。

 しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅の画として観、一巻の詩として読むからである。画であり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲けする了見も起らぬ。ただこの景色が――腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴わぬのだろう。自然の力はここにおいて尊とい。……」

漱石の「草枕」からの引用である。もう一度と読み直してみたい。

山に登るのはなぜか?

いつも人に聞かれたり、自分で自分に問うたりする。

この本に私の答えがひょっとしたら見つかるかも…


2001.10.16/P.M.11:30/言葉 
言葉はいろいろ表現したり、気持ちを表す。しかし言葉の真実を理解するのは難しいとこのごろ感じる。それは、言葉を発した側と受け取った側に意識が違うからだと思う。誉める言葉は、誰にも気持ちの良いものとして伝わる。批判的な言葉は不愉快にさせる。ところが気持ちのいい誉め言葉は、時として偽善になる。言葉に深い意味を込めるほどややこしくなる。が、反対に理解を深めることにもなる。単なる伝達事項としての言葉は、重宝なものなのだが…

昔若かったころは、もっと一生懸命話をしたような気がする。今は話せば話すほど理解しあえないことがわかってしまっている。やっぱり情熱がなくなってしまったのだろうか。

それとも、人と人は話せば理解し合えると信じていたからなのだろうか。もしほんとうにそうだったら、戦争は起こらないでしょうに。言葉で何とか理解し合えないものでしょうか。

東北のおみやげ甘口の美味しい白ワイン「まほろばの貴婦人」を味わいながらほろ酔いで。ブツブツ。。。

*まほろば:「古事記などに出てくる言葉で、周囲が山に囲まれた実り豊かな平地で住みよい美しい所。という意味で…」とワインのラベルに書いてある。


2001.10.14/P.M.8:30/夜露に濡れながら 
昨夜は、ホシダのクライミング仲間と星空の下で宴会。そのまま野宿。夜露に濡れたシュラフにくるまった状態で朝目覚めたが意外と寒くなかった。夜露でこんなにもビショビショになったのは初めての体験だ。しかし、星空を眺めながら眠りにつくのも悪くはない。

今日は、みんなでそのままホシダに直行した。涼しくなったせいか少し賑わってきていた。工事はもう終わり、落石のあったあたりの岩場にはネットが張られていた。あと検査が終了次第、閉鎖されていた半分も解放されるということだ。


2001.10.12/P.M.11:30/山形山と温泉の旅 
昨夜山形の温泉と山の旅から帰った。温泉は、上山温泉、蔵王温泉、朝日鉱泉、温海温泉。山は朝日岳、鳥海山である。月山は予定日が雨になり中止した。山行については、また報告を書くことにしたい。

今回の旅は夫の出張に併せての事で、車での走行は往復2200キロにもなった。私の76歳の母と、母家のお婆さん86歳も温泉巡りの一週間で、上山温泉、蔵王温泉の2泊と最後の温海温泉1泊は同行した。3日目からは日帰りで、朝日岳と鳥海山に夫と登ってきた。

その中でも特筆すべきは、鳥海山の下山中でもうほとんど下の方で出逢った70歳の男性である。その人は山口県から来ているという。目的は新潟でフルマラソンに参加するために来ていて、もうすでに走ってきたあとだが、このまま帰るのはもったいないので鳥海山に登りにきたという。こんかいの記録は3時間40分だったそうだ。そこまでは「あーぁ、そうなんですか」と感心しながらも聞き流していた。それまでに運動らしい運動はしてこなかったが、50歳からマラソンを始め142回フルマラソンを完走。最高タイムは2時間57分とさらりと話されたのには仰天してしまった。私が「凄いですね!」というと、「な〜に、もっと凄い人はいっぱいいますよ」ととても謙虚。「鳥海山の登り口の駐車場で出会った人は、滋賀から来て北から百名山を片っ端から登りながら南下していっていると言っていましたよ。その人は60歳代の中頃です」とおっしゃる。

その時の私は、前日の朝日岳の日帰り11時間半の行動後の鳥海山の下山中であったため、もうヘロヘロ状態であったのだが、急に恥ずかしくなりしゃっきりとしてしまった。

世の中には、ほんとに凄い人がいるもんだ。凄い人ほど、話を聞いていても謙虚で偉ぶらない。私もまだまだ…。しかしこれからも頑張れるような気がした。フレー、フレー…。


2001.10.4/A.M.8:30/千石岩
京都の大文字山の裏あたりに当たるのだろうか、山中越えという京都から大津に抜けるのに山をこえていく道がある。その途中からいく千石岩というフリーの岩がある。JRだと西大津からいける。山の名前は皇子山。皇子カントリークラブのそばである。岩の上からは琵琶湖が一望できる。きのうは天気も良く一段と眺めが良かった。先客が二人いた。前に宇治の志津川の岩場で会った人で、憶えていてくださった。昼頃帰ってしまったので私たちの貸し切り状態だ。

ここは、トップロープが張れていい。

この季節なのに蚊が多くていやになる。なぜか、私が集中攻撃にあってしまった。私の母は全く蚊には刺されない。糖尿病のせいだと思うが蚊の嗜好はどのような基準にあるのか興味をもった。

いよいよ、明日から東北である。紅葉はどうでしょう。


2001.10.1/P.M.10:00/久しぶりの雨
朝から滝のような雨。沢での水は快適(気持ちいい)なのだが、雨に濡れるとどうしてこうも不愉快なのだろう、とふと考えた。

話は変わるが、雨のせいか一段と今日は涼しく感じる。もう長袖の人がほとんどだ。まだ家のタンスは夏物が占拠している。半袖、サンダルで歩いていると恥ずかしい。扇風機もまだ居間に陣取っている。このごろ、季節を先取りするよりも、季節の後からついていっているという気がする。若い頃は、何かと先に歩いていたように思う。

季節が駆け足で走り去り、一年が目まぐるしく早いのは、山に行っているのが多いというせいだけではなさそうだ。


2001.9.30/P.M.12:30/烏帽子岩
きのうは、久しぶりに烏帽子岩でのフリークライミング。誘ってもらわないと近場のホシダに行ってしまい、なかなか岩場に行かなくなってしまっている。先週の錫杖では、やっぱり岩でのフリーが上手いと有利だとつくづく思った。

岩では人工壁と違い、ホールドも細かく微妙なバランスが要求されたりする。上手い人の華麗なるムーブを見てはため息がでてくる。いつかイレブンを私でも登れるようになれるんかしら? 

トップロープで5.11bを登らしてもらったが、ヌンチャクを持ってのA0を2回。おまけに、テンションだらけ。「ここはアルパインちゃうよ」という声が聞こえてきたようで恥ずかしい!。

とにかく、土井さん(社民党の党首)ではないけれど「やるっきゃない!!」という心境だ。(ちょっと古いかな)


2001.9.28/A.M.8:40/子どものつぶやき
朝日新聞のくらし欄に「あのね-子どものつぶやき-」というコーナーがあって、私はいつもニンマリと、子どもの感性の鋭さにびっくりしながら読んでいる。

ちなみに、今日気に入ったのは「お顔の中にはね、ハッピーが隠れててね、笑うと飛び出してくるんだよ。3歳」

昔愛読していた松田道雄の育児書に、たしか「母親は詩人でなければならない」というようなことが書いてあったような気がする。今頃うなずいている。(話はそれるが母親と限定しているところがちょっと古い。もしも今もそうなっていたら、育児者は…ではいかがでしょう)

歳を取るとよく「今の若いもんは…」という人がいるが、今の子どももこんなに素晴らしい感性を持っているのなら、人間って時代でそう変わらないんではないかと思える。

それよりも、大人になると素直な感性が薄れていって見えなくなっていくのだろう。

ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出した。


2001.9.25/P.M.2:00/錫杖・三ルンゼ
昨夜、錫杖の三ルンゼを登攀して帰つた。

今回は、大人数で行ったために、前の人が落とす石を避けながらの恐ろしい登攀だった。私とペアの女性は2歳の子どもをご主人に預けての参加だった。これで女性同志の登攀は2回目、二人目だ。前向きな女性は、同姓として拍手を送りたい。それと、理解のある男性にもより大きな拍手を送りたい。

お陰で対等な関係のクライミングとなり、厳しさも増幅したが充実感はとてもあった。

私がトップで行って、落ちるかどうかというぎりぎりの場面もあり、またルートを外してしまい、その時の対処も自分で判断しなければならないことも多く、いい経験になった。

*山に登るということは、甘えたい気持ちとの戦いかもしれない。


2001.9.21/P.M.11:30/山ネットとかざぐるま
今日は、私のやっている朗読の会の行事で視覚障害者とガイドの方との「交流会」というのがあった。そこで、山にしょっちゅう登っていらっしゃるO氏が来られていた。ハイキングには一度ご一緒したことがあるがとても健脚である。

山ネット(インターネットの視覚障害者と健常者の山の会)とかざぐるま(大阪の視覚障害者の山の会)とから山に行っていると言うことを話されていた。

http://www.normanet.ne.jp/~windmill/index.htm(かざぐるま)

http://member.nifty.ne.jp/yamanet/(山ネット)

今日の「交流会」で、「何年か前に目が見えなくなって何も見えなくなったと思っていたら、鳥の声や水の音、人の声などに敏感になり、今まで見えていなかったものが見えるようになった」と話されていた人がいて印象的だった。

大分前のことだが、ハイキングに行ったときに「花が咲いているよ」と全盲の女性がおっしゃる。私はきょろきょろして「咲いてませんよ」というと、「上、上…」とまたまた言われたので上を見ると木にいっぱい花が咲いていたことを思い出した。

中馬さんと行った白山で録音したテープを帰ってから何度か聞いているが、音からいろんな物が見えてくることに気が付く。

目で見えているもの(自分の見ている物)だけがすべてではないということを教えられた。感性は柔軟でより豊かでありたいとも思った。


2001.9.19/P.M.10:30/映画「千と千尋の神隠し」
今日は、ホシダにクライミング。今日のホシダはとっても暑く真夏のようで、またぐうたらと過ごしてしまった。団体のハイカーが目立ち、笛の音で集合したり、歩き出したりしていたのにはビックリした。それも整然とだ。行進するみたいにして、歩いて楽しいのだろうか。

帰ってから夜は映画「千と千尋の神隠し」を見てきた。千尋が神隠しにあって体験した世界はまさに現実の社会? そういえばあの湯婆婆(ゆばーばー)、知っているおばさんにそっくり。私もどこかにいそう。可愛い子には千尋(ちひろ)の谷が必要なのかな? 

 


2001.9.18/P.M.8:30/平日ホシダクライミング
明日は水曜日です。しばらくお休みしていた平日クライミングを再開したいと思います。明日はホシダにいきます。しかし近場の岩にもいきたいと思います。千石岩は、トップロープも張れるのと近いので有力候補です。他は金比羅かな、Yケンの頭から紅葉を眺めるのもいいかもしれません。

みなさまの、ご参加をお待ちしています。

 


2001.9.17/P.M.11:30/剱の紅葉
岳人10月号を見ていたら、裏剱の紅葉の写真がとても美しい。この写真の時期はいつだろう。しかし本文最後に「美しい紅葉に出合えるのは、5年に一度と言われている。それもはかないもので、一風吹けば裸木となる。霜や雪によって一夜にして変色することもある。一回で美しい紅葉に逢えるとすれば大変幸運な人であろう」と結んである。

何年か前に、やっぱり雑誌のグラビアに惹かれて涸沢の紅葉を見に行ったことがある。ハズレだった。10月の最初の連休あたりは紅葉目当ての山行を毎年計画するが、なかなか幸運の人になれない。

それでも、一度裏剱から紅葉の八ツ峰やチンネと三ノ窓あたりを見てみたいと思った。そして、チンネからも下界の紅葉を見てみたい。


2001.9.16/P.M.8:30/ホシダはハイカーで賑う
今日は、やっぱりホシダにいってきた。いつもの常連のSさんやMさん、楽しいMさん夫妻…、備中が流れてもじっとしてはいなかった。またルートが変わっていた。わたしはホントに調子が悪い。簡単なルート3本のみ、それもトップロープである。前は簡単に届いていたのに、ホールドが遠い。歳をとるにつれて進歩より、サボると後退が大きいと思い知らされた。

しかし、これはクライミングだけではない、何をやっても当てはまる。

ホシダは、秋の気配が感じられる。トンボが舞い、バッタがはねる。それを小さな子どもが追いかける。私も子どもと一緒になり、バッタを捕まえた。萩はピンクの可憐な花をつけ、咲き乱れていた。

ホシダは、賑わっていた。


2001.9.15/P.M.6:30/せっかくの備中雨で中止
今日は折角の祭日(敬老の日)なのに一日ぐうたらと過ごしてしまった。こんな事は珍しい。夏の山行の疲れがでてきたようだ。

予定では、備中のクライミングへホシダの仲間と行くことになっていた。備中は、結構難しくて私のレベル(5.10台の初め)では登るところがないときいていたが、最近ロクスノに紹介されていた長屋坂、デッケン下は書いてあるグレードよりも2ランクほど下がると、Iさんが教えてくれた。反対に日本フリークライミング集に載っているエリアは2ランクほど上がるらしい。いちどどんなものか行ってみたいとは思っていたのだが、雨で中止になってしまい残念だった。

Iさんは、来週の連休に備中でお祭りがあり、ジャパンカップもあるそうなので行くとおっしゃっていた。

明日はせっかくだから晴れたらホシダにでもいってみようかな。


2001.9.14/A.M.8:00/忙しい日々
剱のチンネ左稜線の報告を載せた。文章を書くのは難しい。山の報告は、特に読み手に伝えるには難しい。自分は行っているので書きながらいろんなことを思い出しているのだが、行っていない人や山に関係がない人にでも読んでもらえるような文章とはどんな書き方なのだろう。今まで自分の記録として残してきた文章をHPに公開したのだが、単なる自己満足なのかもしれない。しかし、たまに「読んだよ!」とか感想とか言ってくださるととても嬉しい。

昨日は、朝から朗読のレッスン、テープ雑誌の発送、所属山岳会のミーティングと夜中まで走り回った一日だ。日々いろんな事を消化しながら過ごしているが、次から次へとまたやらなくてはならないことが出てくる。

テープ雑誌も。返却されたテープに点字での手紙や感想がはいっていたり、電話で批評を下さったりということがある。「送られてくるのを楽しみにしています」なんていうこと聞くと、忙しくてもやりがいがある。また自分が思いも寄らないおもしろい本などに出くわしたりと自分の世界も広がる。

やっていることはすべて自分の潤いになっているのだが、今は週末の山やクライミングが私の生活の活性剤になっているのかもしれない。


2001.9.11/A.M.7:00/この花な〜に
白山の花で名前が解らないので教えて欲しいという「この花な〜に」という問いに、4日オオバユリと私が書いてしまったところ、一緒にいったたけちゃんと、Kさんにメールで訂正していただきました。その前にはちゃんと教えてくださった方がいたのですが、私のミスで単なる書き違えをしました。早速「白山のお花」コーナーに転記しました。ありがとうございました。これで、この花のことを私は忘れないでしょう。

漢字で書くと「大姥百合」で、花の咲く前に、葉が散ってしまい、花だけになるので「歯のないうば(姥)」を連想して名付けられたとの事でした。それにしても花の名前は難しく、そして随分蔑視の混じった名付け方に反感を感じられる方も多いのではないでしょうか。差別用語撤廃の動きの中で論じられてもいいのではないでしょうか。また、花の時期に完全に葉がなくなるわけでなく、「歯のない姥」を連想してと言うのも事実無根で問題があると私は思います。(たけちゃんより)

この花のネーミングは単なる駄洒落として笑えるかもしれませんね。歯のない姥は蔑視になるでしょうか。でも花の立場としてはもっといいネーミングにしてほしかったでしょうに…。「人間って勝手だな…」(オオウバユリのつぶやき)


2001.9.10/P.M.11:00/剱の岩に思う
昨夜剱の岩場から、帰ってきた。先月(8/16〜19)いったばかりなので、行ってしまった私自身、自分に呆れている。先月は、自分の力で楽しんだ源治郎尾根だったが、今回のチンネ左稜線はしっかりしたメンバーと一緒の岩登りだった。今の自分の力(未熟さも含めて)をいろんな形で確認した結果となった。前者は、初めての場所のバリエーションでの自分の実力を確認したし、後者は本格的なアルパインでの自分の力を確認した。安全のために自分の力がどの程度であるかということを、ちゃんと自覚しておく必要がある。自分の力のみで行くときはレベルダウンをした設定にし、しっかりしたリーダーが一緒の時はレベルアップをする。

今回のチンネ左稜線は、私のあこがれのルートの一つである。本ちゃん経験の浅い私は、いくらそのルート自体が登れても、アプローチや取り付きを思うと自分の力ではいけないところが多い。体力的にも不安もある。

そんなルートに誘いがあるととても嬉しいし、またありがたい。

次は熊ノ岩からのあの眺めを楽しみながら、行きそびれてしまった八ツ峰でのクライミングも思うぞんぶん楽しみたい。

☆先月の剱で出会った青年に、また剱に行ってきたとメールを出したら「剣は逃げませんからまだまだチャンスはありますよ」と返事をもらった。「私にとっては、剱どころかいろんなところに早くいっとかないと、どんどん逃げて行っちゃうよ。悲し〜。若い人はまだまだチャンス到来です。」と返事を出した。


2001.9.5/A.M.8:00/秋の空
すっかり秋だ。運転していると、空が違っているのに少し前から気が付いた。真っ青な空にモクモクと湧く雲だったのが、いつの間にか薄い感じの箒ではいたような雲や、ウロコ雲になっている。そういえば、今年の夏は朝からあんなにうるさかった蝉もいつの間にか静かになっている。しかし私はまだ、虫の声は聞いていない。こうして、考えるとやはり夏は激しく秋はもの静かだ。知らず知らずのうちに概念通りのものの見方をさせられてしまっているのだろうか…。

空の話に戻るが「女心と秋の空」という「ことわざ」がある。私はこれしか知らなかったが、家にある故事ことわざ辞典(新星出版社、1983年発行)にはこの「女心…」が載っていなくて「男心と秋の空」が載っていた。そこに『男の方からも「女心と秋の空」という』と書いてある。「はぁ〜ん、男心も秋の空なんだ、知らなんだ…」と私は勝手に納得してしまった。いったい、秋の空は女心なのか、男心なのか???

立場が変われば見方も変わるといういい例かも知れない、とまたまた納得してしまった。しかし「男心…」もあって、よかったよかった。


2001.9.4/A.M.8:40/花の名前
白山の花に名前がわからないと写真を載せたのですが教えてくださいました。砂防新道の登りにいっぱい咲いていた百合に似た花は、オオバユリというそうです。一本の茎にいっぱい花がついているためか、百合のお上品さには欠ける気がします。もう一つのクロユリに似たのは、やっぱりクロユリの変種(二倍体)だそうです。これは見られたのが、珍しいのかも知れません。詳しく知っている人がいらしたら教えてください。

昨夜、いろいろネットで遊んでいたら、山ネットという視覚障害者の登山とハイキングのネットを見つけました。

そこに、今年の4月に大阪で視覚障害者のご夫婦が走っているときに車ではねられ、お二人とも無くなったという三島さんご夫妻の追悼HPがありました。

前に、新聞で記事を見ていた後に中馬さんの教え子だと聞いていたので読ませていただきました。ひたむきに走ってこられた人生を素晴らしく思いました。ご冥福を改めてお祈りします。

  山ネット  http://member.nifty.ne.jp/yamanet/ 


2001.9.2/P.M.8:30/山に行くエネルギー
何をやっても持続してやり続けるのには、エネルギーがいると感じた。それは山に行くことだけではない。しかし、体力がいる山は特に歳とともに、よりエネルギーが必要だと思った。ホシダで今まで見かけていた人を急に見かけなくなったりする。仕事が忙しかったり、他の事情が出来たりと言うこともあるが、スランプだったり何か他のものにはまってしまったり理由はいろいろだろう。やめてしまうのは簡単だが、何かをやり続けるのは大変だ。何でも十年二十年の単位で続いている人をみたら、私はそれだけで尊敬してしまう。

特に自分で才能が無いと気づいても、それでもマイペースででもやっていけるエネルギーを私は持ちたい。そのためには、楽しく山に向かわねば…。


2001.9.1/P.M.6:30/今日のホシダはガラ空き
今日から九月。とたんに涼しくなった。長かった夏休みも終わり、朝ホシダに向かうときには始業式帰りの子供たちの列に出会った。私にも早く夏休みが終わりホッとしたいと思っていた時期があったことを思い出した。今は母も廃業。娘からも「いくさん」と呼ばれ一緒に山やクライミングを楽しんでいる。あと妻と奥さんも廃業して、お友達家族になりたいなぁー。

今日のホシダはがら空きだった。隣のかつての岩場から落石があったため半分でフェンスが張られて半分しか使用できない状態が昨年の秋から続いていたが、岩場をネットで岩を覆う工事をしている。今年の10月頃からはまた全面使用できるようになるらしい。

やっぱり、ホシダでは登れなくなっている。垂壁に簡単なルートが出来ていた。これからまた、頑張るぞー。


2001.8.31/A.M.8:30/涼しくなりました
今日の朝は、とても涼しく感じた。もうすっかり秋の気配。夏の間は、山中心の生活でホシダにはいけなかった。フリーの恐さは、もともとが大したことがないのに努力を怠るとますます登れなくなることだ。ホシダの愉快な仲間ともご無沙汰している。そろそろ、重い腰をあげてフリーも頑張ろう。

みずえは水曜日IさんとTちゃんと千石にいってきた。千石はトップロープが張れるのでここもいいなぁー。

フリー、上手くなりたい。


2001.8.30/朗読のテープ雑誌 
今日は朗読での雑誌である「テープ雑誌」を録音してきた。私の趣味のひとつでもある。聞き手は視覚障害者の人で、図書館から発送してもらっている。私の会が作っているのは文芸雑誌系統で、小説やエッセイなどを入れている。小説の登場人物の配役を決めたりしてラジオ劇風に構成している。私たちのしているのは朗読劇というジャンルだ。今回は私は山本周五郎の「藪の影」という小説の主人公由紀である。武家の嫁としてのけなげなしおらしい古い女として描かれている。私とは正反対である。夫は正義感と友情に篤く、友の罪をかぶりながらも人には言わずすべて自分の中に納める。そんな夫に最初は不信感を持っているが黙って付いていく由紀。しかし、最後には夫の心の広さに触れ、自分の心の狭さを反省する。感想は、やっぱり男性の小説だと思った。男性の目から見た、理想の女性像とは…????

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