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1 月

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山行名

日・曜日

山行形態

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メモ

城山

2003.12.30〜2004.1.3(火〜土)

FC

30日31日1日は、ワイルドボアゴージ、チューブ・ロック方面。2日3日は南壁。南壁の雄峰ルート1P(5.10c)マスターでOSできた。ささやかな喜び!!

岡山・備中

10〜12(土〜月)

FC

成果は初イレブンRP出来たこと。スプリング(5.11a)。前回の昨年の11月からワンテン状態。やっとイレブンと言った感じ。

ホシダ

15(木)

人工壁

ホールドをもつてが冷たい。久しぶりのホシダはきつい。手がパンプ。

ホシダ

18(日)

人工壁

4本。グレーカンテ(5.11bc)挑戦中!!ムーブが楽になってきた。

ホシダ

24(土)

人工壁

寒波襲来に登る意欲が萎えてしまうが、グレーカンテは最後にトライ。手の感覚がなくなり、テンションと叫ぶ。手が痛い程冷たい。

ホシダ

28(水)

人工壁

少し暖かくなってきたとはいえ、午後からは寒い。ワンテン。

烏帽子岩

31(土)

FC

「斜陽」恐いというトラウマは消えていた。

2 月

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山行名

日・曜日

山行形態

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メモ

ホシダ

1(日)

人工壁

グレーカンテ、やっとRPできた。永いことかかったなぁー。

烏帽子岩

3(火)

FC

昼頃からいったが、けっこう寒かった。

ホシダ

5(木)

人工壁

雪が降った。こんな日なのに常連で賑わっていた。

ホシダ

7(土)

人工壁

寒波襲来で岩場はやめにしてホシダに行った。しかし、寒い。

ホシダ

8(日)

人工壁

まだまだ寒い。さすがにやりすぎだと思う。疲れた。

不動岩

11(水)

FC

ニューエリアで!!ここのルート正式に発表されていないのでしょうか?

烏帽子岩

14(土)

FC

よってらっしゃい(5.11a)RP.。2本目のイレブン。やっぱりうれしい!!

三上山

15(日)

ハイキング 

JR加茂駅〜国分寺跡〜海住山寺〜三上山〜JR棚倉駅、三上山付近では雪が降ってきた。

ホシダ

18(水)

人工壁

いつものメンバーで賑わっていた。新しいルートに挑戦。

烏帽子岩

21(土)

FC

特に成果なし。ゴールドフィンガー久しぶりに登る。

ホシダ

22(日)

人工壁

不動の予定が、雨のために星田へ。暖かな日だった。4月上旬の気温らしい。

烏帽子岩

26(木)

FC

平日の貸し切りクライミング。ウイングやっぱり乗越に苦労。ジャスティスTR。

烏帽子・駒形岩

28(土)

FC

おじいちゃんワンテン。サイレントティアーズ初めてリードしてみる、難しい。

ホシダ

29(日)

人工壁

雨のために、ホールドはヌルヌル。こんな日は気力に欠ける。

3 月

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山行名

日・曜日

山行形態

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メモ

京都クラックス

2(火)

人工壁

初の京都クラックス。ボルダー私には合わない。平山ユージのトークショーに参加した。

大普賢岳

5(金)

ハイキング 

雪の大普賢岳はけっこう厳しい山だったが快晴に恵まれ素晴らしい展望が開けていた。

ホシダ

6(土)

人工壁

雪のちらつくホシダでクライミング。

ホシダ

7(日)

人工壁

雪の中、連ちゃんのホシダ。我ながら良くやるよ〜!

不動岩

10(水)

FC

ナンバブラザーズ何年ぶりかにトライ5.10a(RP)。あばたもえくぼ5.10c次は何とかRPしたい。カンテあるなしではえらい違う。たいこTRで無理やり抜け、イレブンCの世界を体験。

ホシダ

13(土)

人工壁

良い天気なのに空いていた。みんなは岩に行っているのかな?

芹谷

14(日)

FC

暑いくらいの芹谷2回目。もう少ししたら今度は暑くて登れなくなりのでは。ラバンバ4回目のトライで(5.11a)ムーブが繋がり楽になる。今度は…。しかし、石灰岩のせいか掌がヒリヒリする。

ホシダ

19(金)

人工壁

登れていたはずの灰色カンテ、派手に落ちる。落ち慣れして、恐さはなくなったが…

芹谷

21(日)

FC

ラバンバはムーブが確定せずまたもやワンテン地獄仁陥る。根性無しでとても悪い癖。

ホシダ

25(木)

人工壁

ピンク(5.10d)久しぶりに登った。最初の頃、ホールドが遠いと思っていたのが嘘みたい。

稲村ヶ岳

27(土)

ハイキング 

けっこう、雪が残っていた。春はまだまだ。

ホシダ

28(日)

人工壁

前日の疲れが…。暑いほどの気温。一本登ると汗をかいてしまう季節になってきた。

 

4 月

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山行名

日・曜日

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メモ

ホシダ

1(木)

人工壁

午後から行く。4月からまた夏時間で9時半から5時まで。

パンプ

4(日)

人工壁

どしゃ降りの雨で仕方なくパンプへ。fさんに対抗して10本登る。

ホシダ

8(木)

人工壁

どうも、疲れているようで、体が重い。日陰になると寒い。

御在所・前尾根・一の壁・中尾根

10(土)〜12(月)

マルチ

10日ー一の壁。11日ー前尾根。12日ー中尾根。と御在所フルコース。

北山ハイキング

18(日)

ハイキング

京都山の子会の例会ハイキングだった。雲ヶ畑出会い橋〜直谷〜今西錦司レリーフ〜アズキ峠〜滝谷峠〜二ノ瀬ユリ〜叡電二ノ瀬駅

ホシダ

19(月)

人工壁

朝からの雨。しかし、他にもいたのには驚いた。帰るころにはかなりの雨足となった。

ホシダ

22(木)

人工壁

ホシダは平日でも常連で賑わってる。一人で参加。

青葉山

24(土)

ハイキング

昨年のGWに剣で亡くなったOさんのお墓参りを兼ねて、地元の山青葉山へ。素晴らしい眺望の山だった。

ホシダ

25(日)

人工壁

一人で午後から参加。いつものメンバーで楽しく過ごす。

ホシダ

26(月)

人工壁

夫の代休にお付き合い。少し疲れていたが、7本半登る。

小川山

29(祝)30(金)

FC

29日は、午後からスラブ状岩壁。

30日は、リバーサイド。

 

5 月

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メモ

金峰山

1(土)

ハイキング

晴天に恵まれ、素晴らしい展望。まだ雪が少し残っていた。とてもいい山だった。

小川山

2(日)

3(祝)

FC

2日は、親指岩。

3日は、リバーサイド。

芹谷

8(土)

FC

小川山の疲れか、調子が悪かった。やっぱり、続けてこないとだめだなぁー。

ホシダ

12(水)

人工壁

とても暑いホシダだった。桐の花が美しい。

烏帽子・駒形

15(土)

FC

久しぶりの、駒形烏帽子はすごい人出。斜陽5.9と熊カンテ5.10a、サイレントティアーズ5.11aはやっぱり手強い。しかし、下部のムーブが出来たのはとても嬉しい。

ホシダ

17(月)

人工壁

雨の中、簡単なところを4本。

烏帽子・駒形

18(火)

FC

タイムトンネル5.10aでアップ後おじいちゃんのぼたぼた落ち5.11a,やっと限定の上部のムーブが出来る。次回は登りたい。

烏帽子・駒形

22(土)

FC

凄い人出だった。おじいちゃんのぼたぼた落ちは最後にテンション。おしい。

芹谷

23(日)

FC

染みだしがひどかった。今チャレンジしているラバンバはビショビショ。

ホシダ

27(木)

人工壁

今年度の国体ルートが出来ていました。肩こり解消になりました。

芹谷

28(金)

FC

せっかくの、だれもいない芹谷でしたが、調子が悪かった。右腕が痛い。

烏帽子・駒形

29(土)

FC

途中で雨がパラパラしてきたが夕方まで遊べた。芹谷共に完全に嵌ってしまっている。

ホシダ

30(日)

人工壁

天気予報が雨だったせいか、岩場の予定の人がホシダに集合した感じ。腕の調子が悪いので、2本のみ。

 6 月

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メモ

芹谷

5(土)

FC

7回目の芹谷通いの結果、ラバンバをやっとRP出来た。天気が一週間続き、岩のコンディションがとてもよかった。とても嬉しい。

ホシダ

6(日)

人工壁

雨が降ったりやんだり。暑くなると意欲が欠如してくる。人が多い。

ホシダ

12(土)

人工壁

烏帽子に向かったが、雨が降ってきたのでホシダに転進。天気予報がはずれる。

烏帽子・駒形

13(日)

FC

おじいちゃんのどたぢた落ち、4本目の5.11a登れた。またまた嬉しい。

椿岩

15(火)

FC

Fさんに誘われて椿岩へ。マタニティ5.9アスレチッククラブ5.9燃えろ!ドラゴン5.10C(ワンテン),アトランタ5.11a(TR)。梅雨の晴れ間で、快適。誰もいない。

烏帽子・駒形

17(金)

FC

少々疲れていたのかいまいち結果は悪い。ウイングはかなり難しかった。

不動岩

19(土)

FC

不動の正面壁は今の私の実力ではかなり難しい。

ホシダ

23(水)

人工壁

右腕がやはりホシダでは痛い。調子が悪い。

ホシダ

28(月)

人工壁

相変わらずだ。

烏帽子・駒形

29(火)

FC

ウイング。全くだめ。自分でヌンチャクを掛けながらは大変。

7 月

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メモ

ホシダ 1(木) 人工壁

汗がしたたり落ちる。これからのフリーは苦行かな?

ホシダ 3(土) 人工壁

今日も暑かった。人も少なかった。

救助訓練 4(日) 講習

うだるような炎天下の保津峡でチロリアンブリッジでの救助訓練。TVで見たことがあるが初めての経験。難しい。

烏帽子・駒形 6(火) FC

連日の真夏日。大阪は35℃以上あったそうだ。岩が燃えている。

ホシダ 10(土) 人工壁

朝からの雨。やっぱりホシダに向かう。

ホシダ 11(日) 人工壁

不動の予定がホシダに変更。腕の調子が回復してきているのがわかる。

烏帽子・駒形 13(火) FC とにかく暑い。今登り続けていることが大切かな…
早川尾根〜鳳凰三山 17(土)〜19(日) 縦走 北沢峠からの入山。こちら側からが楽かなと思ったが結構なアップダウンが続いた。しかし楽しかった。
ホシダ 22(水) 人工壁 暑いホシダだった。登る前から汗がしたたり落ちる。
ホシダ 24(土) 人工壁 とにかく暑い中、頑張った。
不動岩 25(日) FC こぐま、TRでトライさせてもらうが全くだめ。
ホシダ 28(水) 人工壁 会の女性と。
小川山 31(土)〜 FC 31日=リバーバンクエリア

8月

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メモ

小川山

〜3(火)

FC/マルチ

1日=水晶スラブ・ひょっとこ岩/2日=2階のおばさん/3日=屋根岩3峰南稜レモンルート

烏帽子 7(土) FC やっぱり、暑い!! 気力負け!!
雲ノ平〜高天原〜鷲羽岳〜黒部五郎 10(火)〜14(土) 縦走 最終日まで天気に恵まれ、素晴らしい展望での縦走となった。とても楽しかった。
ホシダ 21(土) 人工壁 やっぱり、ホシダでは持久力が落ちていることを実感。またがんばろう!!
蝙蝠谷 22(日) FC 蝙蝠谷1999年に一度行ったきり閉鎖されてしまっていた。入山許可書をもらって、初めて行ってみた。
ホシダ 25(水) 人工壁 平日なのに沢山の人でおどろいた。
堡塁 27(金) FC 初めての岩場。関西のロッククライミングの発祥地。フリー感覚では、恐いと感じた。
ホシダ 28(土) 人工壁 右ハング、何とか終了まで行ったが、いつまでたってもこのハングが恐い。
駒形・烏帽子岩 29(日) FC 暑くて、手が滑る。駒形のサイレントに挑戦したかったが、この暑さではやる気が出ない。もう少し涼しくなるのを待とう。

9月

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メモ

ホシダ

1(水)

人工壁 残暑厳しい中、午後から常連のメンバーで楽しく過ごす。
ホシダ 4(土) 人工壁 午後から一時雨だった。天気予報が悪かったせいかホシダは満員。
駒形・烏帽子岩 5(日) FC 天気予報では悪かったのだが一日雨が降らなかった。フィギァヘッド久しぶりにTRで登ってみたが、難しい。
ホシダ 8(水) 人工壁 最近は筋トレのつもりで、一回は右のハングをなんでもありで登ることにしている。ルートへの挑戦意欲は落ちているなぁー。
駒形・烏帽子岩 11(土) FC 烏帽子も、登れないところはムーブが分かっていても駄目。
芹谷 12(日) FC 久しぶりの芹谷は蛭の洗礼。4本登る。次の課題舞姫に取り付くが難しい。
大台・サマーコレクション 15(水) マルチ いつもの相棒Fさんとおんな二人で登ってきました。完登できてとても嬉しい。
駒形・烏帽子岩 18(土) FC ジャスティスTRだが少しましかな?
ホシダ 19(日) 人工壁 久しぶりに、また灰色カンテムーブは楽だが持続力なくテンション。青ぺらルート、上まで行けず。青赤もテンション。疲れているのかな?
芹谷 20(月) FC 舞姫はまだまだ…。まだ暑い。今年の夏は上達しなかったなぁー。
ホシダ 23(木) 人工壁 ホシダもまだ暑い。右ハングなんでもありで上まで。しんどい!
ホシダ 25(土) 人工壁 疲れが残っている感じ。
芹谷 26(日) FC 小屏風に行ったが、蛭の攻撃で退散。疲れで、まったく調子が出ない。
ホシダ 30(木) 人工壁 疲れが残っていた、FさんとNさんのお誘いに誘われていったが1本簡単なところを登ったのみ。

10月

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メモ

ホシダ

2(土)

人工壁 右のハングでは初めての何でもありでRP。次からルートへ…。
ホシダ 3(日) 人工壁 芹谷についたとたんに雨。ホシダに転進。昨年の女子ジュニアの国体ルートにとりつくがハング下まで。次回頑張ろう!
ホシダ 6(水) 人工壁 一人で行ったが、けっこうたくさんの人!右ハングの灰色(5.11ab)ヌンチャクが掛かっていたのでお借りして2回トライ。ここも、頑張ったら何とかなりそう。国体ジュニアはおあずけ。
ホシダ 9(土) 人工壁 台風のためにレストを決めていたが、午後から雨がやんだために行って2本登った。ホールドが滑っていた。
ホシダ 10(日) 人工壁 晴天だった。右ハング何でもありでヌンチャクを掛けて、灰色にトライ。最後のところが、恐くて行けない。
芹谷 11(月) FC 舞姫2本TRトライ。愛用の靴レースアップが穴があいていたので靴を換えたらやっぱり乗れない。靴はお気に入りが一番。
ホシダ 13(水) 人工壁 一人で。軽く登る。右のグレーやっぱり難しい。
錫杖/左方カンテ 16(土) アルパイン 前夜発日帰り。とても楽しかったが、あまり寝ていなかったせいかとりつきまでの登りがきつい。
ホシダ 17(日) 人工壁 お昼頃から。私市駅から歩いて。右ハングなんでもありだと楽。前日の疲れで腕が利かない分、キョンの多用で切り抜け、良い練習になった。ktm
ホシダ 22(金) 人工壁 昼頃からひとりで。気になっていた店「ガラムチャイ」にてカレーを食べる。面白い店。
ホシダ 23(土) 人工壁 赤虎ルート行ってみる。最後のハング越えどうにもならず。
岩根山(十二坊) 24(日) ハイキング 京都山の子会の例会(滋賀県甲西町)総勢36名。温泉に入って帰宅。(つぶやき)
ホシダ 28(木) 人工壁 右の壁2本「赤とら」5.11c何でも掴んでとにかく上まで。国体ジュニア予選ルートは、ハングで苦戦。ムーブを探ってなんとか次の一手まで。なかなかだなぁー。人工壁はローカルな話し??
ホシダ 30(土) 人工壁 備中の予定が雨のために中止。さすがのホシダでもこの雨では右の壁は登れず。3本。
烏帽子 31(日) FC 染みだしがあるが、いつものルートは登れた。しかし滑りを感じて前向きにはなれない。おニューの靴は慣れるまでは痛い。

11月

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メモ

芹谷

3(水祝)

FC 不調が続いている。石灰岩のホールドが持つと痛い。登れないときはいつもそうだ。
ホシダ 6(土) 人工壁 昨年の国体ジュニア女子予選ルート挑戦中。ハングのムーブ解決できない。ここが恐い。
芹谷 7(日) FC 舞姫(5.11a/b)やっとムーブが繋がる。4本登る。久しぶりにラバンバも。少し前向きな気持で帰った。
星田園地ハイキング 11(木) ハイキング 雨の中星田を昔からの友人4名と歩く。沢ガニもたくさん散歩。
芹谷 13(土) FC 調子は変わらず。イレブン台となるとやはり簡単には登らせてくれないなぁー。
芹谷 14(日) FC 象の鼻が濡れていたためと疲れていたのか(言い訳)、意欲喪失。途中で少し雨が。調子が悪いと、何でこんなことをしてるんだろうかと思うのはみんな同じみたいだ。
烏帽子・駒形 17(水) FC 烏帽子は結構人がいたが、駒形は誰もいない。染みだしがあった。
ホシダ 20(土) 人工壁 昼頃から行ったので、あまり登れない。高校生の国体予選ルートが出来ていたのでトライ。5.11aぐらいか?上のほうで難しくなっている。
柳生街道(剣豪のみち) 21(日) ハイキング 恒例の、京都山の子会の例会山行。のんびりとした、懐かしい故郷を想わせる風景の連続で良いところだった。
烏帽子・駒形 27(土) FC 烏帽子でアップ後、駒形フィギアヘッド5.11bにとりかかる。出だしが恐くてTRで。
烏帽子・駒形 28(日) FC リードで取り付くが、1回目は散々たる物だった。3回チャレンジしたがやっぱりテンションの嵐。ムーブ的には解決しているのだが…??やっぱりパワーかな?

12月

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メモ

鞍馬山〜貴船 1(水) ハイキング 夫の友人を案内して久しぶりの鞍馬を歩く。子どもの小さい頃に歩いたが、もう忘れてしまっていた。紅葉は終わりかけ。
烏帽子・駒形 4(土) FC フィギアヘッド、ムーブは繋がっているが登れず。予報より少し早く2時頃から雨で、1回だけトライ。
ホシダ 5(日) 人工壁 今日は、ホシダでクリスマス音楽会があり、楽しむ。ホシダの紅葉は素晴らしい。もう終わり。
烏帽子・駒形 8(水) FC フィギアヘッドに登りたくて行く。日曜日の雨の影響で染み出しあり、一回目のトライはびびってしまう。2回目少し力は抜けたが核心でテンション。そのあと、横で登っていた人が、軽くフラッシング。実力の差をまざざまと見せつけられる。来週もぜひ行きたい。
備中 11・12

(土・日)

FC 約一年ぶりの、備中長屋坂だった。次の課題に挑戦はしてみたもののなかなか手強い。イレブン台となると、なかなか登らせてはくれない。
烏帽子・駒形 15(水) FC 駒形の太陽がいっぱいでアップ。いやはや、暖かい。そして、駒形へ。フィギアヘッドのヌンチャクを掛けに行く。下の核心でテンション。あとは上の核心まで一気に越えられたが、上で油断したのか落ちてしまい2テン。2回目は下の核心で落ちて、また下まで降りて登り返すが、また下の核心でテンション。しかたないのでそのまま登ったら、上は難なく行けた。3回目は最後まで行って、最後のレイバックから右手を取って落ちてしまう。根性無し。
八ヶ岳・広河原沢 18・19(土・日) アイスクライミング 昨年は、踝の骨折をしたこともあってか、アイスクライミングには気乗りしなくて一度もいっていない。暖冬なので、登れるのか心配だったが広河原沢では楽しめた。
烏帽子・駒形 26(日) FC とても寒い。最初駒形で、緑の光線でアップするが耐えきれず、烏帽子に移動。意地悪オヨネを登る。それからまた駒形の本命フィギアヘッドに取り付いたが、最悪の状態だった。体調の悪さと寒さの影響か?? しかし、言い訳になるので…。来年に持ち越したが、また頑張ろう!!
城山 29〜31(水〜金) FC 年内は29日が雨で静岡のジム(ビッグロック静岡)で登ってから修善寺のユースへ。31日も雪から雨で登れすレスト。30日は南壁へ。

城山フリークライミング

【 題名 】 城山フリークライミング
【 期間 】 2003/12/30(火)〜2004/1/3(土)
【 参加 】 iku、N、K、T、M
【 山域 】 伊豆
【 形態 】 フリークライミング
【 地図 】
【 資料 】 日本100岩場3 伊豆・甲信
【 天候 】
【 日程 】

12/30 晴れ 6時樟葉出発→11:00大仁駅(N待ち合わせ11:45)→チューブ・ロック→修善寺ユースホステル泊

12/31 雨 修善寺駅(M怪我のために帰る)→ワイルド・ボアゴージ→大仁駅(N帰る)→修善寺ユースホステル泊

1/1 晴れ 早朝一人で城山の頂上に立つ。一旦ユースに戻りワイルド・ボアゴージ仁→修善寺ユースホステル泊

1/2 晴れ 南壁→修善寺ユースホステル泊

1/3 晴れ 南壁15:00→1/4/1:30着

【 写真 】 写真あり

【 写真 】

タッチミー(5.11b)を登る大阪のtさんOS

城山全景

城山からの夕日

城山の頂上(元日)からの富士

城山の頂上(元日)

【山行記録】

城山は昨年2月に行ったときに落ちて骨折をした不吉な岩場である。今回は不吉なイメージを払拭すべく向かったが、またしてもアクシデントが起こった。城山の方角は鬼門なのだろうか?

12月30日 この日の城山チューブ・ロックはすごい混雑だった。その中には関西からの知り合い2組と、ラッキーにも平山ユージさんと小林由佳さんも人混みの中に含まれている。ワイルド・ボアゴージでビデオ撮影をしていた。

私は着いてすぐに、チューブ・ロックの一番簡単なイスタンブール(5.8)にMと取り付いた。M(OS)のあとフラッシュ。そのあとにチューブ・ロックの上部に行ったが全く登れるところがない混みようだった。しかたなく、唯一空いていたレインマン (5.10b)にTがとりつきOS.。登れそうなルートはここしか空いていなかったが、私は斜めにトラバースしていくルートが恐いので避けていた。だがMがTRで登ろうとした。1ピン目を外したところでいきずまり、戻ろうとして落ちてしまった。私がMのハーネスを掴んで引き戻そうとしたが失敗。二人とも下のテラスまで落ちた。Mは落ちたときに手をつき手首を痛めてしまった。いろいろ考えさせられた。

31日 Mは先に一人で帰ることになり修善寺まで送り、またチューブ・ロックとワイルド・ボアゴージの岩場に向かった。岩場に着いたとたん、雨が降り出した。しばらく小林由佳さんの登りなど見ながら待っていたが止みそうになく、どんどん雨足は強くなってきた。とうとう本降りになってしまった。殆ど濡れて登れないが、ワイルド・ボアゴージはハングになっていて登れるがルート的にはとても難しい。この日私はTRでレインホール(5.11b)を登らせてもらったが、真ん中ぐらいから全く行けなかった。その左横のファンタジーランドも被っていてホールドが悪くTPでも最初からテンションだらけ。みんなからのアドバイスでやっとへろへろで終了まで行けた。これが10bだとは信じられない。この日は不完全燃焼で修善寺のユースへ帰った。平山ユージさんの撮影も中止になり、わたしはなさけない一日となった。Nさんはこの日実家に帰るために大仁駅でお別れした。もっと不完全燃焼だったことでしょう。

1日 晴れて2004年元旦を迎えた。朝食が8時からということなので、私は6時に起きだし城山に日の出を見るべく一人でユースをでた。車を置くところがないほど一杯なのにはびっくりした。こんなに朝早いのに前日と同じように混んでいた。城山のピークを目指す。7時少し前に着いたら、ちょうど日の出の時間で歓声があがったところだった。私が一瞬見たあとに、雲の中に隠れてしまった。しかし反対側に見える富士山は朝日が当たり、いちだんと輝いて美しく見える。思ったよりも大きく見え感動ものだった。頂上には人が、沢山いた。初老の男女のグループが、御神酒で真っ赤になってはしゃいでいた。唯一今年のお正月らしい行事となった。7時過ぎにユースに戻つた。

朝食後、残った3人でチューブ・ロックに向かった。この日もかなり混んでいた。ストーンフリー(5.10c)をリードで2回登ったがRPできず、この日も落ち込んで帰ってきた。順番を待っている人がいたり、自分も待ったりしているとなかなか集中力が出てこない。言い訳しきりである。

2日 南壁に向かった。アプローチから2月の怪我をしたときのことがしきりに思い出される。最初はブルースカイ(5.9)次は鎌形ハングルート1P目(5.10a)両方ともハングを越えるのが恐くなりテンションとさけんでしまう。そしてハートルート(5.10d)をTRで。しかし最初のハングの乗越から出来ない。お尻を押してもらい、ヨッコラショとのっこす。2つ目のヌンチャクからまたまた不可能としか思えない。降りようと思ったが、使命があったのでゴボウでクリアして終了まで登った(?)。そのあと、こんなことばかりでは、はるばる城山に来た甲斐がないので、隣のスクールゾーンに目を付けた。またの名前を雄峰ルート1ピッチ目。気合いを入れてリード。かなり厳しかった。微妙なバランスと小さなスタンスに乗り込むことの繰り返しが終了まで続く。それがかなり長い距離なので最後まで気が抜けない。クリップするたびにテンションと叫びたくなる。しかしここで辞めたら、ほんとうに何しに来たのやら。下からも二人の檄が飛ぶ。終了にクリップしたときは、やれやれだった。これで、少しは満足も味わえた。もう夕闇は迫ってきていた。

3日 最後の日、再び南壁へ。ウォーミングアップでナインを登ったつもりが、フルハムロード(5.10b)だったようだ。お陰でFSできた。そのあとは、ブラウンシュガー(5.11a)をトップロープで登らせてもらったが、ムーブがわからず途中で降りてしまった。最初のハングの乗越で疲れたたため、次への意欲が途中でなくなってしまった。しかし2回目のトライでムーブがわかり終了まで行けた。次回はリードで挑戦してみたいと思った。

3時頃城山の駐車場をでたが、136号線から渋滞だった。もろに帰省ラッシュにひっかかり、帰りは10時間半掛かってしまった。帰りが最後の核心となった。

今回の城山は最初はあまりの登れなさで、どうなることかと思ったが帰りは少し前向きな気持ちになって帰ることが出来たのは嬉しい。しかし、ほんとうにクライミングは一足飛びには行かないなぁー、また課題を残した城山に行くことになるだろう。

大峰山系・大普賢岳

【 題名 】 大峰山系・大普賢岳(大峰山系の最後の冬を楽しむ)
【 期間 】 2004年3月5日(金)
【 参加 】 iiku、F、T(奈良山岳会のふたり
【 山域 】 大峰山系
【 山名 】 大普賢岳(1779.9M)
【 形態 】 積雪期ピークハント
【 地図 】 1/25000 弥山
【 資料 】
【 天候 】 快晴
【 装備 】

共同:ザイル9×20・1本、その他

個人:アイゼン、ピッケル、シュリンゲ適量、カラビナ適量、ヘッドランプ、ツェルト、行動食、地図、冬装備一式他

【 日程 】

自宅4:50→6:45(仮眠)杉の湯道の駅7:30集合→和佐又ヒュッテ8:40→9:30(休憩)笙ノ窟9:45→日本ヶ岳のコル(アイゼン装着)10:00→10:15(休憩)石の鼻10:25→小普賢岳の分岐10:40→(休憩〕→11:40(昼食)大普賢岳頂上12:25→13:20(休憩)13:35→13:55(休憩)石の鼻14:00→30(休憩)笙ノ窟アイゼン外す→和佐又山分岐15:10→15:25和佐又ヒュッテ→杉の湯道の駅16:30→20:00自宅

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【 記録・感想】

近くにありながらなかなか行けなかった、大峰山系。弥山・八経ヶ岳はだいぶ前に行ったことがあるがほとんど行けていない。昨年は5月の連休に熊野古道の中辺路をリハビリがてら歩いた。その熊野古道の中でも、桜で有名な吉野から熊野神社へ続く奥駆道は大峰の主峰を縦走する大がかりなコースである。いつかは縦走してみたいという思いはあるが、果たして…。

さて大峰に昨年から目がいっていて、10月にふらりと行きたくなり一人で和佐又ヒュッテに向かったが、結局凄い雨で和佐又山にのみ登って帰ってきた。その後も、意識の片隅にいつもあった。

そこへ突然、いつも山やクライミングに誘ってくれる奈良山岳会のFさんから、突然雪の大普賢岳に登らないかと電話があった。即答で行くことにした。私たちは平日に動けるので、日程の調節も楽だ。また、なんだかんだと打ち合わせをしなくていいので助かる。

天気は快晴に恵まれていた。和佐又ヒュッテまでの林道は所々雪が残っていたが殆ど溶けていた。もちろん冬場はかなりの積雪で凍結もするようで車は4躯でスタッドレスにチェーンが必要だとFさんTさんが話されていた。二人ともベテランでなんども冬の大普賢岳には登っているという。奈良山岳会なので当然かな? 

和佐又ヒュッテの駐車場は数台しか停まっていない。キャンプ場にもテントもなく、ヒュッテは鍵がかかっていた。平日はこんなものだろう。地図では、この近辺がスキー場なっているが営業しているのだろうか?

早速用意をして出発。平日もあってか誰もいない。雪は所々残っている。夏道登山道を15分ほど進むと和佐又山への分岐で右にとる。雪は硬く締まっていて歩きやすい。緩やかな尾根道を登っていき、一つ目の鉄バシゴを登ると岩壁の裾を巻く巻き道である。ところどころしっかりした鎖が付いている。この辺から凍っているので注意が必要だ。ピッケルを出す。右側の岩壁の上は日本ヶ岳だ。右に指弾ノ窟(したんのいわや)と朝日ノ窟と小さな洞窟を過ぎると目の前に笙ノ窟(しょうのいわや)が現れる。大きな洞穴には無数の氷柱がぶら下がり、その上は大きな高い一枚岩になっている。一緒に行ったTさんが「笙ノ岩場を見たら、いくさんは登りたくなるよ!」と言ってたのが納得。かなりいいフリールートができそうだ。ここも大きな氷柱が上の方までぶら下がっている。Fさんがボルトを発見。誰か本当に登っているのだろうか?洞穴には、氷でくるまれた仏像や祠が祭られてある。しばらく休憩する。

帰りにも笙の窟で休憩していたら、気温が上がっているせいで氷柱が大きな音を立てて落ちてくる。決して、下で休憩はしないように…。

日本ヶ岳のコルまでは雪と氷のミックス状態なので慎重に登る。コルからは左に進むが、完璧に雪の状態になる。アイゼンを付けるがしばらく行くとまた南面になるのかところどころ雪が溶けてしまっている。すぐに石の鼻である。見晴らしがとてもいい。弥山・八経ヶ岳を右に見て墨絵のような展望が開ける。気持がいい。単独の男性が一人休憩していた。

ここからが、いよいよ難所である。夏道と冬道がある。冬道は左に小普賢岳を直登して一旦下り、夏道の途中に出るらしい斜面に赤テープのマーキングがある。夏道は斜面を巻く細い登山道で、下には地獄谷に切り立っており、滑落すると絶対に助かっていないらしい。そして滑落者はかなり多いということだ。私たちは夏道の斜面を行くことにした。一歩ずつピッケルを効かせて、確実に足を運ぶ。さすがに緊張した。そこを過ぎると小普賢岳の登山道の分岐で、右にそこからは一旦下る。そして大普賢岳への登りになるが梯子と鎖の上に雪が積もった状態なので、所々かなり悪い。鎖も雪のなかなので頼りにはならない。数カ所の難所を過ぎると急登である。右から巻いて左に上り詰めると頂上である。先に行った男性が昼食を取っていた。

素晴らしい展望だ。大台のドライブウエイも見える。昼食にする。天気はいいが、山頂はやはり冷える。私はダウンを持っていたのでそうでもなかったがFさんが寒いから降りようという。名残は惜しいが仕方がない。私はいつもこの瞬間が嫌いである。せっかくしんどい想いをして登ってきたからにはゆっくりとしていたい。

降りようとしたら、もう一人単独の男性が登ってきた。挨拶を交わして私たちは斜面を下った。そして来た道を戻った。帰りは一カ所ザイルを出した。

ザイルの必要性は判断が難しいが、足下が確かでない人だと何カ所か出した方がいいだろう。滑落したときにはどうにもならないところが2−3カ所ある。夏道だと梯子と鎖でかなり補強してあるようだが、小普賢岳から大普賢岳の途中は雪も多く、隠れてしまっている。それに今回は雪が割と安定していたが、雪の状態ではかなり大変だと思う。そして厳冬期にはもっと厳しい山になるだろうということは、予測がついた。

登山道に、けっこうシャクナゲの木が見られたので今度行くとしたら5月頃が良いかも知れない。大峰もコースによったら、十分日帰りが出来る山だと思う。一人で運転していっても楽に行ける範囲だった。

しかし、24号線がかなり渋滞していて帰りはしんどい(眠い)運転となった。

 

大峰山系・稲村ヶ岳
【 題名 】 大峰山系・稲村ヶ岳
【 目的 】 大峰山系の春の息吹を感じる
【 期間 】 2004年3月27日(土)
【 参加 】 iiku、(単独)
【 山域 】 大峰山系
【 山名 】 稲村ヶ岳(1725.9M)
【 形態 】 積雪期ピークハント
【 地図 】 1/25000 弥山・洞川
【 資料 】
【 天候 】 快晴
【 装備 】

個人:ストック、ヘッドランプ、ツェルト、行動食、地図、磁石、レスキューセット、雨具、防寒具他

【 日程 】

自宅5:40→8:10母公堂8:50→法力峠9:45→11:00稲村小屋11:30→12:45稲村ヶ岳13:00→稲村小屋13:50→法力峠14:45→15:15母公堂15:40→蟷螂ノ窟16:00→洞川温泉センター17:30→仮眠(1時間)→自宅21:50着

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【 記録・感想】

今月2度目の大峰山系。今回は稲村ヶ岳に登ってきた。一緒に行きたい人がいればと思い会のMLで流してみたが、音沙汰がなく単独となった。今までに、私は単独というのが数えるほどしかなかった。山岳会に入会して8年。大勢でワイワイと山に行っていたが、最近は静かに山を歩くのがいいなぁー、と思うようになってきている。山岳会に入る前の約8年は夫と二人で…。こうして見ると、今年はまた節目のように思う。自分の山を問い直す時期なのかも知れない。

特に最近はフリークライミングばかりの日々を送っていたために、山を歩くということが少なくなってきていた。私の中ではかなり普通の山に渇望してきていた。自然の中に身を沈め、全ての感性で受け止める。やはりそれには、ひとりが相応しい。

大峰山系の峰峰は幾重にも重なり合い、俗世界からかけ離れた深い山だ。アプローチまでの、奈良の風景も素朴でいいい。日本独自の山岳信仰色が大峰は特に強い。それらが、私には魅力的なのだろう。

今回の稲村ヶ岳は、大峰を代表する女人結界の山である山上ヶ岳とアプローチが共有しているために、特に興味津々と言った気持で向かった。大峰といえば、山上ヶ岳を何かにつけて私の意識から外すわけにはいかない。

今回は「女人結界」という文字をこの目で幾つ確認出来るかという想いもあった。そのために、帰りは女人結界のレンゲ辻と清浄大橋を通るコースを計画していた。しかし、結果としては同じ道を戻ることになった。

ホシダで時々一緒に登っているKさんと前日一緒に友人の絵を美術館に見に行ったときに、稲村ヶ岳に明日登ると話すと行きたいといった。その時に私はアイゼンを一応持っていくつもりだったが、Kさんは持っていないと言うので、いいかげんなことだといけないと思い、洞川温泉観光協会(07476-4-0333)に電話をしたところ、稲村ヶ岳には雪がないという。この言葉を信じたのは確実に失敗だった。結局はKさんは来られなくなり一人で出発したが、この言葉を信じて、アイゼンもピッケルも置いていってしまった。

当日、朝食用にパンにハムとサラダを挟み車で食べられるようにして、5時半に出発。吉野あたりまでは慣れた道となったが、今回の309号線は初めて走る。309号線にはいってから、コンビニで昼食を買おうと思っていたが甘かった。洞川温泉までコンビニは全くなく、結局は昼食は買えなかった。朝食の残りのパンと家から持ってきたお菓子で代用することになってしまった。今回は、これが一番のダメージだった。

309号線をひたすら走り河合で洞川温泉の方に左折。温泉街を通り抜けて、さらに行くと観光協会で教えてくれた有料駐車場が洞川ミュージアムのところにあった。しかし、もう少し進むことにした。ゴロゴロ水(日本100名水ということだ)の近くにゴロゴロ茶屋という喫茶店がある。もしかしたら、食べ物があるかもしれないと思い、駐車場に車を入れる。車が数台停まっていて、後からも入ってくる。大きなポリタンを出してある。ゴロゴロ水を汲みに来ているようだ。ここは一日駐車千円ということだが、ここに車を置くことにして用意をして歩き出した。すぐにゴロゴロ水と五代松鍾乳洞が右手にある。五代松鍾乳洞は落石のために立入禁止という、看板が出ている。ゴロゴロ水はしっかりした柵があり重厚な鍵がかかっていた。そう言えば9時に開くのを待っていると駐車場で言っていた人がいた。

自動車道をもう少し行くと、右手に登山道があった。そのすぐ先が母公堂だ。その前に、駐車スペースがあり、2台車が止まっていた。私は、車をここまで移動するために、また戻った。この駐車場は、500円と書いてあったが、お金をどのようにして払えばいいのかわからず、結局無料で停めさせて貰った。

しきり直して、登山道に入る。早速目の前に女人禁制についての看板ある。一部マスコミで、女人禁制は解かれたと報道されているが、まだ解かれていないといった内容である。この母公堂から稲村ヶ岳に登るのには女性でも何の差し支えもない。いきなりの急登である。30分ほどで洞川ミュージアムからの登山道の出会いに出る。そこから法力峠までは、杉の植林の鬱蒼とした変化のない道を行く。視界がないのでとても長く感じる。所々で雪が残っている。法力峠を過ぎると、弥山方面と、稲村ヶ岳が木々の間から見える。ここからが、とても長く感じる。稲村小屋に近づくにに連れて雪がかなり積もっている。すでにアイゼンを持ってこなかったのは失敗だと感じ始めていた。稲村ヶ岳の紅い屋根が見えた。人は誰にも出会わなかった。トイレは使用できない。もちろん、小屋も閉まっている。

ささやかな昼食を取っていると、年配の男性が単独で登ってきた。9時に母公堂を出発してきたという。しばらく話していると、アイゼンをつけた男性が稲村ヶ岳方面から降りてきた。「もう登られたのですか?」と話しかけたら、大日山のトラバースが危なそうなので、大日山手前から引っ返してきたと言うことだ。

私は先に行くことにした。トラバースのところで後からきた男性が追いついた。どうも左から巻くようだ。私は最上部の岩をホールドにしてシュルンドの上を歩いていった。男性は下の方に降りてからトラバースに入りまた登るというルートを取った。(奈良の方で共通の知り合いがいて話が弾んだ。Sさんとおっしゃる。帰ってからメールを頂いた。稲村小屋に帰るまで、同行していただき心強かった。)

所々凍っていて、ストックでカットし靴で蹴り込んで慎重に進む。かなりの緊張感がある。トレースはない。やっのことで大日山の反対側に到着。やれやれである。そのまま左に稜線まで登り稜線伝いに左に進む。ずっとかなりの雪である。シャクナゲの木が雪の中から出ている。展望台の柵が見えた。頂上である。展望台に上がると展望が開ける。

弥山方面から左にこの前にいった大普賢岳方面、その続きに大峰を代表する女人禁制の「山上ヶ岳」が見え、その先に大天井ヶ岳まで続いている。だいたいの検討がつくが、どれが何というかは、よくわからない。山の名前は置いておいて、しばらく眺めに心が奪われる。この至福の喜びがあるから、山に登れるのだろう。ずーっと居たい気持になる。帰りのトラバースを思うと、ぼーっともしていられず、そこそこで下山することにした。大日山の前まで来ると、トラバースを終了したパーティーの声が聞こえる。装備に抜かりなく、ザイルを出したようだ。京都市役所の方らしい、若い男女4-5名のパーティである。少しお話しして別れる。帰りのトラバースは恐さはだいぶなくなっていた。

稲村小屋でSさんとは別れ、一人で下山する。来た道を戻るのは、楽しいことではない。事務的に足を運んでいるといった感じだ。帰りも誰とも出会わず、静かな山だった。母公堂では、若いカップルが写真を撮っていた。靴を脱いで、かたづけていたらSさんが下りてこられた。少しお話しして別れ、私は帰り道の蟷螂ノ窟を見学して洞川温泉センターで温泉に入り帰宅。

蟷螂ノ窟は鍾乳洞の洞窟で修行の場でもあるらしい。中に入るには許可がいるように書いてあり。少し葛藤したが、外からの見学で終わった。洞川温泉センターは、とても綺麗なこぢんまりとしたいい温泉だった。

帰りの24号線はかなり混んでいて進まず、眠くなってきた。コンビニで1時間ほど仮眠してスッキリ。4時間半ほどで家についた。

稲村ヶ岳はまだまだ春は遠かった。もう一度お花の季節に行ってみたい。

 結界(広辞苑から引用)

1.僧侶の仏道修行に障害のないように、一定の地域を定めて、衣食住などに制限を加えること。

2..戒律において、僧の過失を少なくするために一定の区域を制限すること。

3.寺院の内陣・外陣または外陣中に、僧侶の座席を分かつために設けた木柵。

4..内外を区劃し、出入りを禁ずること。禁制。

5.帳場格子。

 

御在所岳クライミング三昧の三日間
【 題名 】 御在所岳・一の壁・前尾根・中尾根
【 目的 】 大峰山系の春の息吹を感じる
【 期間 】 4月10日(土)〜12日(月)
【 参加 】 iku、H
【 山域 】 御在所岳・藤内壁
【 山名 】 鈴鹿山脈
【 形態 】 クライミング
【 地図 】 1:25000地形図 御在所
【 資料 】 日本100岩場、日本登山大系10
【 天候 】 27日・晴天 28日・晴天
【 装備 】 キャメロット(2組使用)・ナッツ(使用しなかった)

個人装備=登攀用具 ヌンチャク類(適)・安環カラビナ・スリング〔適〕・ハーネス・クライミングジューズ・ヘルメット・エイト環・ATC・ザイル9ミリ(各自1)・ヘッドランプ・防寒具・雨具・食料・温泉での着替え(車に残置)・タオル・洗面具等

【食料】

食料各自・小屋泊(2食)2泊・行動食3 食分   予備食1食分

【小屋費】 小屋4000×2泊
【集合】  JR四日市駅 集合
【 日程 】

10日(土)自宅6:30→四日市10:00→登山口→藤内小屋→12:50一の壁16:30→藤内小屋泊

11日(日)起床・藤内小屋8:00→8:30前尾根(午前中)(8:40〜13:00)→14:30藤内小屋泊

12日(月)起床・藤内小屋7:00→中尾根(8:45〜11:20)→藤内小屋→下山→希望荘温泉→JR四日市4:00→帰宅6:20

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【感想】

御在所は、毎年行っている山域だ。前尾根は回数を忘れてしまったほど登り、中尾根はこれで6回目となる。私はクライミングに対しても山に対しても、気持の上では遊びなので、気に入っているところは何回行っても嬉しい。御在所が何回行ってもいいと思えるのは、スケールの大きさとロケーションの良さという点で近場では類を見ない山域だからだろう。

今回の計画は、私のHPを見ていてくださっていた女性から昨年の11月に、御在所に行く約束していたパートナーからキャンセルされてしまい、どうしても行きたいのでパートナーを捜している、という内容のメールが来た。これから季節は御在所は雪なので、4月頃お付き合いしてもいいですよと返信した。

その後、メールのやりとりが始まった。クライミングに積極的に取り組み、女性で自発的に山に向かっている人だなぁー、というのがおいおいわかってきた。クライミングに対しても、しっかり自分の考えを持っていらっしゃる。初対面でもだいじょうだろうと思った。そして、4月の登攀が現実のものとなった。

そして、当日お会いして「私は何回も登ってるので、トップでもセカンドでも好きなようにしてください。」といったら、即座に「全部トップでも良いですか?」といわれた。さすが自分から行きたいと言ってこられただけのことはあるなぁーと感心した。Hさんの自発性と積極性をこれからは見習いたい。

というわけで、Hさんとは3日間クライミングづくしの毎日を一緒に過ごした。

そして何よりも3日とも晴天に恵まれたのと、Hさんのリードも安定していて安心してられたのとで、私は心底クライミングを楽しめた。

しかし3日目の中尾根へのとりつきを1ルンゼの高巻き薮こぎで行ってしまったのは、良い経験にはなったが、やっぱり「急がば回れ」で素直に行けば良かったと後悔した。

山行報告は、Hさんが以下詳しく書いてくださったので私は省略した。

 

鈴鹿 御在所岳 クライミング

 

2004年4月10〜12日

                    

【出会い】

「日本100岩場」の御在所のルート図を見ると、実際の岩の写真にラインが引かれてあり、ヨセミテチックな美しい花崗岩であることがよくわかる。2003年11月に御在所を登りたいと思って、東京の友人と計画した。

しかし彼女の属する会の先輩の方から、「御在所はアルパインというほどじゃないよ。」とのアドバイスがあったそうで、キャンセルされてしまった。

 それからの私は、御在所に登りたい思いがつのるばかり。確かに新幹線代がかかるしな、東京から付き合って欲しいというのは無理というものだ。

そんな時、知人のホームページからリンクして「いくさんのお部屋」を見た。いくさんの会が東京雪稜会と名前が似ていることも親近感を覚える。感動したのは、「山岳会に入っても若い女性には男性から声がかかるけれど、(ある年齢になると)誰も連れて行ってくれないから、自力で行くしかない。」というくだりだった。こんな女性もいるんだな〜。そして御在所をホームゲレンデとしていらっしゃることから、思い切ってメールでパートナーをお願いした。こうして雪解けを待ってのクライミングが実現した。

 

【4月10日】

東京発7:36発ひかり〜快速みえ 名古屋〜四日市9:58着

いくさんが車で迎えてくださり、湯ノ山温泉のトンネル横アプローチ道へ。約1時間で藤内小屋へ着く。受付して、12:50一の壁着。

ここは広沢寺をよりワイルドにしたようなフェース・クライミングだ。すべて1ピッチのルートながら、40mのスケールがある。いくさんは私を東京からの客人として、これから3日間で16ピッチをすべてリードさせてくださった。

 

1ルート「級:初めての岩場で岩質も形状もつかめず、W級でもびびる。60mシングルロープなので、1本登るごとにロープをたたんで歩き下降する。

 

2ルート「級:前のW級より少し難しい。でも岩質に慣れてきた。

 

コンテスト5・10a:核心はちょっとのハング乗っ越し。例によって「落ちるかも〜。」を連発しながらなんとかオンサイトした。登れてしまえば10aはないような気がする。

 

左ルート」級:のはずだったが、核心のハングの上から、ペツルのボルトが近距離で交錯していて、左に行ったなら前の10aのルートといっしょになってしまう。ルート図を出して見てもよくわからない。ランナウトを覚悟して右のクラック通しのラインを行ってみた。結果的に10mくらいランナウトして、左ルート〜右ルート〜ダイレクトルートW級をつなげて右上してしまった。終了してみると、55mもロープを伸ばしていた。60mロープでよかった。

 

 

 

【4月11日】前尾根 P7〜P2の7ピッチ

 

藤内小屋8:00発 取り付き8:30 登攀開始8:40 終了13:00 兎の耳というフリーの岩場を見物して藤内小屋着14:30

 

 計画段階では、「100岩場」の写真ルート図を見ると各ピークに5.9のクラックのルートがあるように見えて、それらをつなげてクラックのマルチ・ピッチになるように思えた。しかし詳細を検討していくと、クラックは側壁にあり、わざわざ回り込んで行かなければならなかったり、ノーマル・ルートが自然なラインであることがわかった。余裕あるならクラックのラインを選択できるかもというところに落ち着いた。

 

1ピッチ:P7ノーマルルート」級 1mの距離でフィンガー・クラックがあり、上部で5.9のクラックと別れる。今回サブザックを持参せず、アプローチでロープ等を担ぐザックが必要とのことで、私は東京から全荷を入れて来た50Lザック(中身はほんのわずか)、いくさんは40Lザックを担いでの登攀となった。50Lザックを背負ってのリードなど初めてで、とても5.9のクラックから行く気になれない。上に抜けてからペツルのボルトが側壁に2本打ってあり、バルジ状(少しハング)になっており、このザックを背負ってこれを越えて行く気になれない。それが正しいかもわからず、巻いてただの歩きになってしまった。

 

2ピッチ:P6リッジルート「級 これもクラシックなライン。クラックはワイドなので持参したギア(キャメロット#0.3〜3)では無理。終了後、しばらくコンテで歩く。

 

3ピッチ:P5ノーマルルート「級 易しかったが、壁を抜けた後、岩は茫洋としてどこを行ったらいいのかわからなかった。右に歩くくらいの易しいクライミングをしていくとペツル2点の終了点があり、とりあえずそこまでフォローを迎える。

 

4ピッチ:P4すべり台「級〜上部ルート」級 私はビレイ点から素直に直上すればよいかと思ったが、いくさんが私をわざわざ」級に登らせようとして、偵察に行ってくださりこのラインをつなげる。上部のクラックのラインでは結構必死のものがあった。

 

5ピッチ:P3 Aスラブ 易しいスラブ。V級ながらランナウト。

 

6ピッチ:P3 B〜Cスラブ 55m 易しいスラブ。無理やり通常の2ピッチをつなげた。ライン取りやランナーの長さに迷って、リードするのが遅いこと。

 

前尾根全体に言えることだが、フォローの上がって来るスピードが速くてルベルソの操作が追いつかず、一部肩がらみビレイになった。ここでも昨年夏、ヨセミテで自分がその形でビレイされ、終了してからびっくりしたことがそのまま実践されてしまった。

 

7ピッチ:P2「やぐら」「級 快適なクラック。「楽しい〜。快適〜。」終了後、クライムダウンでやぐら取り付きに降り、東面の前壁ルンゼを降り登山道に出た。

 

裏道登山道を下る途中に、「天狗の踊り場」というどこにでもある名前の場所がある。ここは御在所をホーム・ゲレンデとして世界に旅立ち、ヒマラヤやその他の地で遭難死した多くの岳人の墓碑がある。御在所がいかに多くの岳人を輩出してきたかがわかる。

 

この晩は日曜日とあって、藤内小屋の泊まり客は私達ふたりだけだ。小屋番の佐々木さんは69歳になるのに、1回に50kgの歩荷をして材料を担ぎ上げ、小屋を新築中である。奥さんの美味しい手料理とお風呂までいただいた。普通1泊2食4000円のところ、労山の会員だと、1割引で3600円!!

 

また、若い頃御在所をホームゲレンデとされていた森正弘さんが自らギターを弾き歌っている自作自演の歌もテープで聴かせていただいた。同世代のフォークソング(ちょっとだけ上)が懐かしい。

 

【4月12日】中尾根 5ピッチ

 小屋発7:00 取り付き8:30 登攀開始8:45

 

東京出発前は、森正弘さんの名ルート、カリフォルニア・ドリームの最初の3ピッチを登ってみたかった。しかし現地で情報を聞くと、5.10aとしてはだいぶ辛い、フリクションがない等であきらめた。中尾根は、前の日に小屋の前で会った某ガイドさんによると、「名ルートや。女性では一の壁をトップでやらはる人はおるけど、中尾根でトップをやらはる人はあまりおらへん。」(大阪弁になってる???) 少しびびる。いくさんによれば、中尾根をオール・リードできれば日本のクラシック・ルートはどこへ行っても大丈夫と言われたとのこと。私は全然そうは思わない。クラシック・ルートの多くには草付きという嫌らしさがあると思うから。

 

そのガイドさんのアドバイスを参考に、アプローチは通常の2ルンゼを行かず、荷物を取り付き近くにデポーして空身で登るために、1ルンゼ右股の入り口に踏み後を求めてみたが、激しいやぶこぎになった。沢の高巻きとしても、落ちたら一発アウトになる危険さもあった。

 

1ピッチ:P4 」級+ 15m 瑞垣山の十一面岩末端壁を思わせるワイルドできれいな岩だ。チムニーのリードは今回初めてだ。ある程度外にホールドもあり、ハーケンも打ってあるので、なんとか突破できた。雪稜会に入る前、小川山の屋根岩3峰南稜神奈川ルートでチムニーが登れず、ゴボウになって引っ張り上げてもらったことを思い出す。チムニーへの恐怖感がこれで10%くらい払拭できたような気がする。距離的にこの上までロープを伸ばせるが、クラックにロープがスタックしそうなので、ピッチをきった。

 

2ピッチ:P4 「級− 10m チムニー さっきより易しい。終了して、3mコンテで上がる。

 

3ピッチ:P3 」級− 20m またもチムニー。入り込んでしまうのは簡単だが、出るには身体各部を駆使して、いろいろ工夫が要る。ハーケンが適度にあるけれど、錆びているし信用できないので、キャメロットをセットする。少しはランナウトするし、落ちたら絶対無傷では済まない。去年の夏に平澤さんがヨセミテ国立公園のトウラミ・メドウズで「僕は怖い時こそ楽しもうと思っているんです。」と鼻歌を歌ってリードしていたのを思い出す。別にそれを意識したわけではないが、怖さを紛らわすためにいつの間にか「ふん、ふん、ふん。」と鼻歌が出ていた。終了後、ツルムのコルへ20m懸垂下降する。コルは風が吹き抜けて、寒かった。

 

4ピッチ:P2 。級 25m ガバなホールドを使ってちょっとしたハングを乗っこし、左トラバースし、かなり寝ているスラブにしっかり走ったハンド・クラックを行く。易しいからカムなどは要らないよと言われて持たずに行ったが、キャメロットがしっかり効くライン取りであり、結果的に15mはランナウトした。非常に美しいフェース。

 

5ピッチ:P2 「級+? 25m 易しいクラック交じりのフェースを行き、ペツルのボルト2点にクリップした後、最初の核心となる。とてもV級とは思えない。直上に詰まって右のクラックを探るが、そこも安定して行けるとは思えない。いくさんにルートを聞いたりしながら、再び直上ラインを試みなんとか突破した。しばらく行くと、ルート図では5m×5mくらいの場所に、左右V級、直上X級となっている。右寄りにペツル2本あったので、とりあえずそれにクリップし、さらに右にハンド・クラックがあり、ジャミングがバッチリ効いた。でも左上しているので、足はジャミングで行くのはいささか怖い。ランナーも各60cm伸ばしているので、いくらぺツルでもこれで落ちたくない。ついにあきらめてハーケンに足で乗り、A0になった。どうやらトポのX級ラインをはずして、もう少し難しくしてしまったらしい。フォローもかなり苦労されている。

 

この上にはP1があるが、脆くてあまり登られていないとのことで、省略した。

 

 ツルムのコルへ同ルートを2ピッチ懸垂下降。さらに雪が少し残ったガリーを30m懸垂し、かなりやばい岩場をクライムダウンして、少し登り返し取り付きへ戻った。雪解け直後とあって、谷川なみに悪い下降だった。中尾根は関西における内面登攀の秀逸ルートだ。100岩場の写真のトポを見ただけでは、こんな名ルートがあることさえわからず、やはり現地の方の御案内で行けて幸せだったと思う。

 

【感想】

 私は、年末の伊豆海金剛スーパーレインとこの御在所中尾根を通して、マルチピッチ で自分の限界あるいは経験したことがない形状などに対する精神的な対処法が少し培われたような気がする。スーパーレインの3ピッチ目が自分の精神的、技術的力量の95%とすれば、中尾根は形状も含めて70%というところだろうか?

御在所を関西の人は「アルパイン・クライミング」ととらえている。でも関東の人はあまりそうでないようだ。私はそのあたりの区別がさっぱりわからないので、いつも山行計画書はアルパインでもフリーでもなく、「クライミング」としている。

ある人は二子の中央稜は山岳地にないからアルパインに入らないと言う。二子山というのは山岳ではない?アプローチが長くなければアルパインじゃないとも言う。では明星は?アプローチ何時間からアルパイン?標高何mから?お手上げでカテゴリー分けできない。

とにかく私は、この乾いて崩れない快適なクライミングが楽しかったし、この手のクライミングをこれからもやりたい。20歳台の人が1年でやることを実際に5年かかっているけれど、できるだけ自分の技術を高めて、得た技術で行ける所に行きたい。

そして、今回良きパートナーと出会えたこと。:最近あることからある方にアドバイスを受けた。「クライミングは最初にパートナーがあるのではなく、岩があるべきです。本当に登りたいルートがあるなら、誰とでも行けるはずです。」と。計画挫折の11月から約5ヶ月、どうしても御在所に登りたいというモチベーションを蓄えて、最良のパートナーを得ることができた。今までは、付き合っている仲間の関係から登る場所が決まってくるということも多かったが。

初対面、見ず知らずの者に「アルパイン」に付き合ってくださったいくさんには本当に感謝でいっぱいです。

青葉山
【 題名 】 山仲間Oさんが愛した京都府舞鶴の山
【 目的 】 偲ぶ
【 期間 】 2004年4月24日(土)
【 参加 】 iku、mizu
【 山域 】 若狭
【 山名 】 青葉山
【 形態 】 ピークハント
【 地図 】 1/25000 青葉山、東舞鶴、高浜
【 資料 】
【 天候 】 晴天
【 装備 】 個人:ストック、ヘッドランプ、ツェルト、行動食、地図、磁石、レスキューセット、雨具、防寒具他
【食料】

【費用】
【集合】
【 日程 】

京阪樟葉駅8:00→10:30着・松尾寺/登山口10:45→11:40西峰(昼食)12:10→1東峰12:30発→13:40松尾寺14:10→Oさんのお墓参り→帰路

【 写真 】 写真へ

【 記録・感想】

oさんが剣で亡くなられてから、一年である。本当に早い。まだ信じられないままでいる。もしかしたらまたどこかでひょっこりとお会いできるのではと錯覚を起こしそうだ。この間の御在所の藤内小屋でも、とても雰囲気のよく似た人に出会った。2002年4月にみずえと3人で中尾根を登ったときのことやいろんなことも思い出していた。

私自身、一つのけじめのためにどうしてもお墓参りをしたかった。みずえは仕事で告別式に行けなかったことを悔やんでいたので、この誘いに応じてくれた。

前日にOさんの奥様から「明日は天気が崩れそうで、寒いようですから…」と電話を頂いた。「雨だと様子を見ます」とお返事をしたが私の心の中では、時間は一時間遅くしたが行く決意はしていた。

当日早朝、また電話を頂いて「いい天気のようなので、来てください」と電話を頂いた。青葉山に登ると話していたので心配してくださっていたようだ。

青葉山は自宅から近いということもあって、Oさんは日ごろ何かにつけてアイゼンやボッカトレーニングに登られていたらしい。関西百名山にも、低山ながらあげられているということもあり今回是非登ってみたかった。そして登ってみて、この山の魅力がとてもよく理解できた。

樟葉駅でみずえを拾う。風邪気味で熱っぽいという。しかたなく往復私が運転することとなった。松尾寺には2時間半で着いた。以外と近い。寺の下の方に、大型の駐車場の看板がある。ここに入れたが、もう少し上まで行くことにして車を進めると寺の前で有料駐車場に(400円)に誘導されてしまった。かなりの急坂を上らなくてはならないので、とても恐かった。少し下にある大型車の駐車場に入れなかったのを後悔したが、後の祭りとなった。

松尾寺は西国霊場29番札所で、由緒ある立派な寺である。山門も本堂もかなり大きく古く立派な建造物にはおどろいた。(http://www.saikoku33.gr.jp/dai29/  参照)境内も広く、右手から裏に回ったところに八重桜が咲いている。その向こうに登山道に続く石段がある。案内板がでていてわかりやすい。2パーティーほど、抜かして行くとお花の名前を話しながら行く女性4名と男性1名のパーティーに出会う。いろいろ花の名前を教えて貰う。帰るまで覚えていたのは、イカリソウとルリソウぐらいで、いつもながら花の名前が憶えられない。

ずーっとかなりの急登である。お花の写真をとりながらも。1時間ほどで西峰についた。1パーティー食事をしていた。展望台からの眺めがいいと教えて貰い、岩の上に立つ。眼下に海が広がる。地平線まで見える。ず〜っと遠くにうっすらと、能登半島も見える。青い海と湾の緑と空のコントラストが美しい。昨日は雨だと言っていたのが、全く嘘のような晴天だ。これもOさんが歓迎してくれているんだと、勝手な解釈で二人とも納得。本当に素晴らしい。こんな風景と登山道に咲いている四季折々の花が見られるのなら、トレーニングもさぞ楽しいことだろう。そういえば、登り道でアイゼンを履きピッケルを持った5−6人のパーティーが下るのとすれ違った。地元の山岳会の人なのだろうか、と思った。

展望台から下りて、昼食をとっていたら人がどんどん登ってきて、いっぱいになる。展望台も数珠繋ぎになっている。先に来てよかった。食事の後東峰に向かう。ここも沢山花が咲いている。特にイカリソウが多く、真っ白から淡いピンク小豆色がかった色まで色んな種類がある。ツツジはまだ蕾だったが、新緑も美しく、スミレが岩に群生していたり、楽しませてくれる。

ここの岩は、小さな石をコンクリートで固めたのが浸食したようにデコボコしていておもしろい。クライミングルートが出来たらホールドが沢山ありそうだ。岩場に取り付けられた階段を上ると、20分ほどで東峰に着く。青葉神社が祭られていて、ここを青葉山と呼ぶようだ。海への展望はあまりない。ここから引き返す。戻ってきた西峰は相変わらず人が多く、途中でお花を教えて貰ったパーティーの女性にブランデー入りの紅茶を戴く。しばらくお花談義をして下山する。青葉山は、低山ながら素晴らしい山だった。

松尾寺にお参りして駐車場を後にし、Oさんのお墓に向かう。奥様が迎えてくださった。新しいお墓を見て、やっと実感が湧いてきた。そのあと、Oさんが作りかけていらした山への想いが詰まった小屋が、御兄様の手で完成されていて、そこに案内して下った。ドア一つでも手に入れたときには、嬉しそうに奥様に話されていたそうだ。なかには、山の道具や本など全てが置かれていて、奥様の思いが伝わってきて胸が詰まり、何も言えなくなる。私たち雪稜のメンバーと行った山での写真も飾ってくださっていた。

残された人の悲しみを思うと、私もこれからの山行きを改めて問い直さねばならい。

ご冥福をお祈りします。

小川山クライミングツアーと金峰山
【 題名 】 6回目の小川山
【 目的 】 クライミングを楽しみながら上達する
【 期間 】 2004年4月29日〜5月3日(木〜月)
【 参加 】 iku、mizu、T、H
【 山域 】 奥秩父
【 山名 】
【 形態 】 フリークライミング
【 地図 】
【 資料 】
【 天候 】 快晴
【 装備 】 クライミング道具一式、生活用具一式
【食料】

【費用】
【集合】
【 日程 】

29日6:00自宅出発→1:00頃廻り目平着テント設営→スラブ状岩壁

30日リバーサイド

5/1日 金峰山(ピークハント)iku/M

2日 親指岩・八幡沢左岸スラブ

3日 リバーサイド

4日 廻り目平8:00出発→帰宅2:00

【 写真 】

【 記録・感想】

今回で6回目の小川山となった。このGWの時期は2000年と2回目である。このときも家族で行った。もう4年が過ぎるのだなぁーと思うとほんとうに早い。その間の成果を問われれば、たいしたことも無いような気がする。しかし遅々たる進歩ながら確実な成長はあるとは思う。それは2000年小川山では全てTRでしか登れていない。最近は、自信がないルートは危ないのでTRをさせて貰うが、おおかたはリードでのクライミングを心掛けている。

★4/29 初日は、アップということで昨年夏に行ったスラブ状岩壁に行くことになった。昨年もとりつきに至るまでに迷ってしまったのに、また今回も迷ってしまった。季節が違うと風景が違う。今回は林道に金属のプレートが敷かれていて、そこの枯れた沢筋を右からはいるということを記憶してきた。今度は間違えないだろう。

ここは簡単なルートが主のスラブでアップにはもってこいだ。昨年の夏も登っているので、復習のようなものだ。

【ルート】 かわいい女5.8・ウルトラセブン5.7・Song of Pine5.9・高い窓5.10b・穴があったら出たい5.10a/b

かわいい女は昨年RP済み、ウルトラセブンとSong of PineはFL。高い窓は左トラバースでワンテン。1回落ちると度胸が据わる。穴があったら出たいは1ピン目が遠くて恐いと思いTRにしたが後悔。すぐに逃げ腰になるのは私の弱点。

★4/30  TさんとHさんが狙っているルートがあるためリバーサイドへ。

【ルート】ブラックシープ5.9+・マダムバタフライ5.10b・ランデブー5.11a

最初に取り付いたブラックシープは2度目のRPだったがかなり今回は余裕が持てた。マダムバタフライはまたまたランナウト恐さにTRをしてしまう。TRでも核心でテンション。ムーブがわかりにくい。ランデブーはTRながらこの日はテンションだらけ。ムーブも解決できず。ハチャメチャで何とか上まで。

★5/1  Mと金峰さんへ。TとHはセレクションへ

★5/2  Mは帰り、Tはレスト。私とHは親指岩と八幡沢左岸スラブでクライミング。

【ルート】小川山レイバック5.9・ブラック&ホワイト5.10a

この日は最高の人出だった。前のこの時期はもっと空いていたような…。今回の目標の一つ、小川山レイバックに私はHさんと行くことになった。それは雪稜に入った頃、一歩も上がれなかった悲しいルートで、いつかは屈辱を晴らさねばと考えていた。Hさんに先に行って貰って、1回目はTRで様子を見て、次ぎにリードをと目論んでいた。

しかし、悲しいことに一番に着いたのは良かったが、後続に次から次へと人が来る。これでは1回のぼれればいいほうだ、と思ってしまう。ビレー中はまだリードをしようか迷っていたが、オールNP経験がないので自信が持てずプロテクションを外しながら、TRにさせて貰った。

登り始めると、レイバックとステミングで結構上手く登れる。しかしテラスから上で被り気味を直上しようとして失敗。右のフェイスの壁を使えば立派なスタンスが取れ楽である。テンションをかけてから気が付いた。

本心は、もう一度登りたかったが、下で列をなしている人たちを見たら諦めざるを得ない。

八幡沢左岸スラブに移動した。ここは、スクールの講習会をやっていてどのルートもTRが張られていた。雑談をしながら、待つことにした。ここは2年前に来たときに1度TRで登っている5.10aにしてはかなり難しいブラック&ホワイトと細かいスラブのジャーマンスプレックス5.10bがあり、今回は登れるのではとかすかな期待があった。結果、考えは甘かった。

ブラック&ホワイトを講習の人の間に割って入らせてもらった。「TRを使ってください」といわれるのを丁重にお断りして、リードで取り付く。下部が左から行くのは何かが違うと想いながら、落ちてしまう。何回試しても落ちる。恥ずかしながら、TRのザイルをお借りすることにして取り付く。下部は上手くいったが、上部のスラブでテンションが掛かる。左足に立ち込むのが核心なのだが、バランスが取れない。右足を5センチほどあげてみて解決した。すると、スクールの先生が次ぎにお手本を見せてくれた(スクールの人に)。下部は右から登った。それでやっと自分の間違いに気が付いた。久しぶりに取り付くと全く忘れてしまっているものだ。

Hが肩を痛めたのでこれで中止してテン場に戻り、この日は午後からはくつろぐことにした。

1日の金峰山の帰り、京都山岳会のOさんの車に似たのがあるのに気が付いた。Oさんたちはこの連休は鳳来に行くと言っていたのでまさかと思っていた。この日Tさんと車を見に行って確信が持てた。テントに名前が書いてあるのではと捜していると、会の名前の書いてあるエスパースを見つけた。やはりそうだった。夕食の用意をしているところに、Oさんたちがクライミングの帰りに立ち寄ってくれた。夜に訪問してひとしきり楽しく過ごさせて戴いた。

★5/3 TとHが狙っているルートがあるので、再びリバーサイドへ。

【ルート】アウトオブバランス5.9・ランデブー5.11a

この日は一本目、アウトオブバランスをRP (昨年も登ったような?)そしてランデブーへ。TさんがRPした。私はTRで2回登り、ムーブだけはやっと繋がった。次回はリードで挑戦しなくては…。

Oさんたちも加わって賑やかになる。上部は最初に1組み取り付いていただけで、後は幸運にも私たちの貸し切りとなる。京都山岳会のみなさんはとても上手い。素晴らしい登りで次々とクリア。お陰で和気藹々と楽しくクライミングをさせていただいた。

Oさんたちは夕方帰られる。私たちは泊まる予定なのでゆっくり出来、マラ岩に移動する。ここには昨年にTRでトライしていて是非登りたい、レギュラー5.10b/cがある。しかしすでに掌はヒリヒリしていて足も重い。私は今回諦めて、先にテン場に帰り風呂に入り、夕食の準備に掛かっていた。暗くならないうちに二人とも帰ってきた。やはりTさんも手が痛く辛かったらしい。

★5/4 明け方から雨がテントを打つ音がしてきた。小雨なのだが撤収を決めた。帰るころにはかなり降ってきた。帰路に就く。朝8時頃と出発が早かったせいか、高速も全く混まず2時頃には家に帰れた。

今回も総合的には、なかなか伸び悩んでいると自分でも思ってしまうが、フリークライミング自体が簡単なものではない。私の場合は、継続していること自体に意義があると思ってこれからもやっていきたいと思う。

結果としては5日間レストもしないで行動したが、これは私の体力ではかなりきつかった。3日のリバーサイドからマラ岩に行く登りで足を上げるのも辛く感じるほど疲れていた。帰ってからも、しばらく足が浮腫み疲れがなかなが抜けなかった。だんだん無理がきかなくなっていくなぁー、と実感する。

何回行っても小川山は手強いし、登れないルートばかり。食い散らかした状態だが、フリーとはそもそもそういうものなのだろう。

また、行かねばならない…

 

金峰山ピークハント
【 題名 】 金峰山(日本百名山)
【 目的 】 気晴らし山行
【 期間 】 2004年5月1日(土)
【 参加 】 iku、mizu
【 山域 】 奥秩父
【 山名 】 金峰山/2599m
【 形態 】 ピークハント
【 地図 】
【 資料 】
【 天候 】 快晴
【 装備 】 日帰りハイキング用具
【食料】

【費用】
【集合】
【 日程 】

金峰山荘前7:40→砂防提8:40→登山口の道標(休憩)8:55→10:55金峰小屋→頂上11:15〜13:00→登口の道標14:35→テン場15:25

【 写真 】 写真へ

【 記録・感想】

6回目の小川山にして、やっと金峰山に登れた。廻り目平の樹木は白樺が多いがまだ新緑には早い。登山道の途中から群生していたシャクナゲの木にまだ蕾も無い。山登りとしては少し寂しい季節だと思う。

朝7時40分出発。少し行くと象徴的な五丈石が尾根筋に飛び出して小さく見える。目的地はこの目印ですぐに分かる。前に続く尾根筋が林道の終点から取り付く登山道であるのは一目瞭然。沢沿いの林道歩きが約1時間。右手に砂防提がある。そこに車が一台泊まっている。廻り目平の奥から通行止めになっている。あとで小屋の人の車だというのが分かった。そのまま奥に進むと、やっと「金峰山登山口」頂上2時間30分の道標がある。

ここから登山道になる。30分ほどで最後の水場と書かれた案内があり水が汲める。登るにつれて雪が登山道にも残っている。最初は端の無いところを選んで登っていたが、そうはいかなくなってきた。所々凍っていて、うっかり乗っかってしまうと滑る。シャクナゲの群生もあり、もう少し時期をずらすと綺麗だろうなぁー、と思う。最後は急登を登ると金峰小屋に着く。そこからは、なだらかなお椀を伏せたような形の山が左に見えその上が頂上だ。大きな石がごろごろ転がっている上を登っていくと20分ほどで頂上だ。

晴天の頂上からの眺めは素晴らしい。遠くには八ヶ岳、鳳凰三山が雪を被って見える。瑞牆山のごつごつとした山肌もよく見える。下の方には廻り目平と周辺の岩場も美しく見える。

お湯を沸かして、カップラーメンを食べる。とても美味しい。1時間半以上いたことになるが、いつもながら頂上でのパノラマを見ていたら時の経つのを忘れてしまう。出来ることなら、ずっといたいと思う。

シンボルの五丈石はとても大きい。前に鳥居がある。記念写真を撮って、下りることにする。帰りは特に滑りやすくとくに要注意だ。以外と早く着いた。

やっと登ることが出来た金峰山はとてもいい山だと思うが、わざわざここだけ登りにも来ないだろう。小川山でクライミングのついでにと思いながらなかなか登る機会が無かったのが、今回登れて本当に良かったと思う。

早川尾根から鳳凰三山縦走

【 題名 】 鳳凰三山縦走(早川尾根から鳳凰、夜叉神へ)
【 目的 】 久しぶりのテント泊縦走で体力強化とお花と展望を楽しむ
【 期間 】 2004年7月16日(金)〜19日(月)
【 参加 】 iiku、K(雪稜)
【 山域 】 南アルプス
【 山名 】 栗沢山/2714m・アサヨ峰2799.1m・鳳凰三山(地蔵岳2764m・観音岳2840.4m・薬師岳2780m)
【 形態 】 縦走
【 地図 】 1:25000地形図・鳳凰山、仙丈ヶ岳、夜叉神峠

山と高原地図 甲斐駒・北岳

【 資料 】 高山植物(小学館)、週間「花の百名山」、週間「日本百名山」他
【 天候 】 4/17晴れ・夜雨 4/18朝雨・曇・晴れ 4/19早朝少し雨・晴れ
【 装備 】

【 個人装備 】シュラフ、カバー、マット、個人食器一式(コッヘル、ローぺ、ナイフ、ライター、スプーン箸等)、カモノハシ、ヘッドランプ(換え電池)、換え靴下、防寒服、雨具、スパッツ、ストック、ザックカバー、タオル・洗面、帽子、薄手手袋、新聞紙、ガムテープ、細引き、地図、花の本、磁石、お金、時計、医療品、携帯、カメラ、ガス小、ヘッド、筆記用具、(ぞうり)、保険証、温泉セット

【共同 装備 】共同装備:テント一式、マット、ペグ、共同コッヘル、牛乳パックかベニア、計画書 (IKU)  

【食料】

【食料】17日 朝食(各自)昼食(行動食)夕食:かやくご飯・チンジャオロース・豚汁(IKU)18日朝食:蕎麦(IKU)昼食(行動食)夕食:カレーと春雨スープ・ふくしん漬け(K)19日朝食:お茶漬け(K):昼食:予備食ラーメン(IKU)

【費用】
【集合】
【 日程 】

7/16(金) 夜京都発21:20(樟葉駅集合・I、K、IKU)

7/17(土)温泉ロッジの市営駐車場3:10着仮眠温泉ロッジ市営駐車場発のバス6:34発→6:50着広河原(乗り換え)→7:20着北沢峠7:33発→北沢長衛小屋7:45→8:20着仙水小屋8:30発→8:55着仙水峠9;05発→10:30着栗沢山11:20発→0:45着アサヨ峰13:00→15:30着早川小屋テン場泊

7/18(日)早川小屋テン場7:45→8:15広河原峠8:40→8:35白鳳峠9:30→高嶺→0:40地蔵岳13:20→15:00観音岳15:15→薬師岳15:45→16:41南御室小屋テン場泊

7/19(月)南御室小屋テン場6:20→6:55苺平→9:05夜叉神小屋11:00→11:20夜叉神の森バス12:00→温泉ロッジ駐車場/温泉→帰路22:30帰宅

【 写真 】 写真へ

【 記録・感想】

明けても暮れても、フリークライミング中心の生活である。そんな生活もこの暑さでは成果も期待できず、嫌になっていた。

そんなとき、北岳の企画が会の方で出た。バットレスの4尾根はもう2回登っているし、山でも歩きたいなぁーとふと思った。参加する人数も少ないようなので、車に便乗させてもらえる。そしてこの三連休は夫も出張でいない…。

広河原までの入山が、夜叉神から通行止めになっていて2年目になっている。戸台から北沢峠に入るのだろうか、と思って地図を眺めていたら仙丈ヶ岳から北岳に入ることを思いついた。帰りに北岳の組みと合流して帰ればよいなぁー、とか久しぶりにテントで縦走もしてみたいなぁーと思い出した。昨年の骨折以来、重いザックでの山歩きはしていない。小屋での泊まりばかりで少し自信も喪失している。

これは、いい機会かもしれないと思い積極的にプランを練り始めた。そこでネットで肩の小屋のHPを見てみると、17日から広河原まで開通という文字が目に入った。南アルプス市の観光課に問い合わせしてみると、車は規制されるがバスとタクシーは17日始発から広河原に入ることがわかった。

これで予定は急遽夜叉神からまだ登っていない鳳凰三山に登り、広河原に降りようと決めた。しかし、北岳組の日程は前夜発の山中2泊である。これに合わすと、時間をもてあますことになる。もう少し先にある早川小屋あたりまで足を伸ばそうかな、と考えているうちに逆からの縦走を思い立った。

この方が標高差約600メートルほど稼げる。そして、早川尾根も縦走できる。それなら、甲斐駒経由では行けないだろうかと欲張った考えもしたが、今回は無理をしないでおくことにした。

会のMLで流したところ、kさんからの参加の申し出があり、二人で行くことになった。

鳳凰三山は花の百名山に入っている、お花でも楽しみな山だという。下調べもバッチリ。楽しみにしていた。

当日、京都駅の待ち合わせに行くつもりで準備をしていると、もう一人参加者が増えたというリーダーからの電話があった。そのために予定が変わり、京阪沿線のもう一人と私たち二人は樟葉駅で待ち合わせ、女三人で9時20分ごろ私の車で先に出発した。

温泉ロッジには午前3時過ぎに着いた。案内の人が沢山出ていて吃驚した。下の市営駐車場に案内され、そのまま仮眠に入った。5時半頃に、京都駅から出発した後続組みの電話で目が覚めた。バス停に人が並びだしていた。私は眠れなかったのともう始発に乗らなくてはならないのとで、起きて用意を始めた。凄い人出で、こんなにも沢山の人がバス停に並んでいて乗りきれるのかと心配していたが、5:34発の始発バスが3台出ていて全員乗れた。

発車前に、場違いなスーツ姿で正装した人が並び、セレモニーが行われた。テレビの取材も来ていた。この光景は、登山者の雑踏の中では異様に思えた。私の乗ったバスの車掌さんの声も、心なしか興奮してはずんでいるようであった。

始発は、次の北沢峠へのバスに乗り継ぎもいいので、私は何がなんでも始発に乗ることにしていた。広河原での乗り換えにもずらりと並ばなくてはならず、少しうんざりしてしまう。北沢峠にバスが着いたら、バスの横をよくフリーでお会いする大阪のクライマーの顔が見えた。その時はまだバスの中なので、声が掛けられずやり過ごした。

北沢峠では今度は広河原に向かうバスに乗る人が列をなしていた。これだと北岳方面は凄い状態だろうなぁーと想像が出来た。

綺麗なトイレで用を済ませ、仙水峠に向かう。すぐに北沢長衛小屋だ。早速、タカネナデシコとオトギリソウ、クルマユリが出迎えてくれる。テン場にはテントが結構沢山張られていた。緩やかな谷筋の登山道を登っていくと、仙水小屋に着いた。ここで休憩をしていると、バスのなかで見えた大阪のクライマーの男性が水を汲みに来た。どこへ行くのかと聞かれ「鳳凰三山の縦走」だと応えると、「山にも行くんですか?」と聞かれる。私は、本当は山に行くためにクライミングをしているのに、変な質問だと思ってしまった。「本当は山が好きなんですよ!」と何だかちぐはぐな応え。

このパーティーは4名で仙水小屋のテン場をベースにクライミングをするらしいとわかったが、私は赤石沢ダイヤモンドBフランケ赤蜘蛛ルートとか、冬の黄連谷ぐらいの名前だけしか知らないので、ルート名を聞いてもピンとこなかった。仙水峠で休憩をしながら、目の前の摩利支天のクラックを示し、親切にルートの説明をしていただいた。帰ってから調べたが、家にあるクライミングのルート集には載っていなくて、ネットで「摩利支天中央壁独標ルート〜上部ジェードルルート」だということがわかった。このメンバーの中に、私より少し年上の女性がまじっている。フリーでもよく顔を合わしていて、年齢も近いこともあって親しみを勝手に感じていたが、こうしていろんなルートに行けるのは羨ましく思った。

そのパーティは、そこから谷筋を取り付きに向かった。風が強いので、大丈夫かなとは思いながらも、そこでお別れして私たちは反対の登山道を栗沢山に向かった。

樹林帯の登りが続き途中からはハイ松になる。登り切ると栗沢山である。ここには、すでに北沢長衛小屋から尾根ルートを登ってきた人が数組いて、そのうちのご夫婦にグレープフルーツをいただいた。

甲斐駒ヶ岳が目の前に見える。記念写真を撮ってもらうべく頂上に立つと、風が強い。かなり長い間過ごした後、強風の中アサヨ峰に向かう。アサヨ峰への登りはちょっとした岩稜である。頂上には2組すでにいた。ここからは大パノラマだった。遠くには目指す、地蔵岳の尖りが目を凝らすと豆粒のように見える。ずいぶん遠い。その右の方には、紛れもなく富士山のシルエットが浮かぶ。気持ちの良い眺めで、いつまで見ていても飽きない。

ここからはこの日最後の行程で、早川小屋までの快適な稜線歩きだと思っていたが、何回ものアップダウンを繰り返していて、これがなかなかたどりつかない。もうこれが最後の登りだろうと思ったら、また下って登る。いい加減にいやになってきたころ、下の方に小屋の屋根がチラリと見えたが、そこからもけっこう長い。うんざりした頃にやっと人の声が聞こえてきた。相棒のKさんはかなり疲労していたようすだ。

小屋のベンチで奈良から来たという人が、ビールを飲んでいた。その人の話だと、仙水小屋に泊まる予定だったが、予約していなかったので断られたとぼやいていた。山小屋で予約がいるというのは、少ないと思っていたが…。テントはすでに5張りほど張られていた。その後にも、増えて10張り程になり、狭いテン場はいっぱいになった。栗沢山で先に行った単独の男性と、アサヨ峰で出会った単独男性は、もうテントを張りビールを飲んでくつろいでいた。

テント設営をしてすぐに食事の用意をしたが、kさんは全く食べられなかった。そのままかたづけて、早いが寝ることにした。夕方から雨が降りだしていた。

降り続いていた雨は朝になってもやまず、気分的には滅入ってしまう。取り敢えずは、まだ広河原峠と白鳳峠のエスケープがあるので、小降りになったすきにテントを撤収して出発することにした。天気が悪いと、出発もぐずぐずしてしまう。

下りだして15分ほどで広河原峠にはついた。雨に濡れた樹林帯は朝の冷気とともに気持が良い。次の白鳳峠ではまだ広河原にエスケープ出来るので、駒を進めることにした。ペースはゆっくりではあるが樹林帯の登りに入る。Kさんは回復したようだ。そして下ると白鳳峠に下る。ここでしばらく休憩して、広河原に降りるかどうするか相談する。

鳳凰方面から降りてきたカップルに様子を聞くと、視界は殆ど無いと言うことだった。しかし、タカネビランジの花が美しかったという話をされた。私は、この花が見たくてもう行こうと心で決めながら、Kさんに「ボッカのつもりで、もう少し頑張らへん!   ここからだけが急登で、後は大したこと無いから…」とかいいながら誘導していた。

ガスの中、高嶺に向かって樹林帯の登りである。シャクナゲやゴゼンタチバナなどお花の写真を撮りながらゆっくり登り出す。高度を上げると、下の方からガスが晴れて視界が出てきた。下界は晴れている。しかし、その上にはまだ厚い雲がおおい、行くての山々はガスに覆われている。ガスの流れの中、樹林帯の中から地蔵岳のオベリスクが見えた。しかし、まだまだ遠くて小さい。高嶺のピークは気がつかないうちに通り過ぎたようで、白砂の稜線に出た。早速タカネビランジが出迎えてくれた。写真で見たのは濃いピンクだったが、とても淡いピンクで可憐である。本来は8月の開花と高山植物の本では紹介されているが、猛暑で開花が早まったようだ。ラッキーだった。このあたりから薬師岳の下りまでの間、所々で見られた。特に多いのは、地蔵岳のあたりと薬師岳の下りあたりだったようだ。

白砂の稜線は、奇岩がいろいろあって面白い造形を為している。タイツリオウギも咲いていた。ガスの中の奇岩も幻想的なムードを醸しだし、この稜線は退屈しない歩きとなった。

小一時間ほど、稜線を登ると左に地蔵岳が見える。ここまで来ればやれやれだ。しかし時間はもう1時前である。稜線上にザックをデポし、いったん賽の河原まで下る。賽の河原には、お賽銭を積まれたお地蔵様がたくさん並んでいる。この「お賽銭、もったいないなぁー」とつい心の中で思う。しかし、記憶が確かではないが剣岳でも古銭が発見されたらしいから、いつの時代も変わらないんだなぁーとまた思う。

大きな岩を積み木のように積み上げたオベルスクは魅力的だ。頂上の大きな岩にザイルが巻かれ、3メートルほどフィックスされている。登れそうに思ったが、ここから見える観音岳への登りを思うと、時間も迫っているのでやめておいた。帰ってから、ホシダで前に登ったというN島さんにその話をしていたらクラックの左右に足場が彫られていて楽に登れると言うことだった。

稜線を上り詰めたところで観音岳の頂上に出る。ここもお賽銭が積まれた観音様が2体祭られていた。岩の上に登ったが、北岳方面には黒い雲が覆っている。しかし薬師岳の向こうの方角の遠くに、富士山のシルエットが浮かぶ。若い男性2名がいただけで静かな頂上だった。写真を撮ってもらい、薬師岳に向かう。

薬師岳の頂上は、だだっ広い。やはり北岳方面の頂上は雲に隠れている。下るとすぐに薬師小屋である。ここには人が大勢いた。そのまま、樹林帯をこの日の泊地である南御室小屋に向かった。

小屋では、かなりのテントが張られ、すでに宴会モードにはいっているパーティーが何組かいて賑やかだ。私は5時までには着けてホッとした。すぐに簡単に夕食を済ませ、お喋りしながら眠りにつく。この日早川小屋を出発して、朝のうちは天気のことやKさんの体調など心配していたが、鳳凰三山では晴れ、Kさんも元気が出て来て、メインのここまでの行程を終えてホッとした。次の日は、夜叉神峠を経て夜叉神の森に下山するのみだ。

6時20分予定より早めに出発。30分強の登りで苺平に着く。苺平は何もない樹林帯のただの峠だった。次の杖立峠も同様である。そこからは下るのみ。途中で富士山が目の前に大きく現れる。嬉しくなり、30分ほど休憩する。富士山が現れると嬉しくなる。そして「富士山や! 富士山や!」と言って指さす。本当に不思議な山だとつくづく思う。この下りの樹林帯は何組か登ってくる人がいて本来は登りに使うのが一般的だが、やはり下りに使って正解だったと思う。下りは余裕があるから、展望はゆっくりと楽しめる。

風景を眺めながら樹林帯を下ると、オオバギボウシ・ヤナギラン・クガイケイソウなどのお花畑が現れる。嬉しくなって写真を撮りながら歩いていると、夜叉神峠だ。沢山の人がいる。三脚を立てて写真を撮っている人もいる。やっぱり中高年が多い。どうも北岳に被さっている雲が取れるのを待っているようだ。ここからは北岳・間ノ岳・農鳥岳への稜線が素晴らしい眺めだ。ここで予備食のラーメンを作って食べ、のんびりと過ごす。しかし残念ながら、北岳の頂上だけは、この3日間姿を出さずじまいだった。

一気に掛け降りると、夜叉神の森だ。ここまで来ると暑い。私はたまらず、人の迷惑も顧みずタイツを脱いでショートパンツのみとなる。11時前の広河原からの始発のバスに乗る。偶然、北岳組も一緒だった。山中、携帯が繋がらずちゃんと会えるか心配していたが、やれやれである。

少し下ったところの市営の温泉に入り、帰路に就く。ここの温泉には立派なクライミングウォールがある。一度登ってみたいものだ。

前から鳳凰三山には登りたいと思っていた。今回の山行は、北沢峠から早川尾根も歩き鳳凰三山へと欲張った分、けっこう長い縦走となったが、収穫も満足度もおおきかった。何よりも富士山を含めた展望が素晴らしかったのは、良い思い出として残るだろう。そしてテント泊縦走がいつまで出来るだろうかと、誕生日を前にして自信を無くしていたが、もう少し頑張れそうに思えた。

また、山に登りたくなっている。

第七回 小川山クライミングツアー

【 題名 】 7回目の小川山
【 目的 】 クライミングを楽しみながら上達する
【 期間 】 2004年7月31日〜8月3日(土〜火)
【 参加 】 iku、T、H(2日まで)
【 山域 】 奥秩父
【 山名 】
【 形態 】 フリークライミングとマルチ
【 地図 】
【 資料 】 日本100岩場
【 天候 】 31日曇小雨  1日2日快晴  3日曇にわか雨
【 装備 】

【食料】

ナーナーズへ買いだし。

【費用】
【集合】
【 日程 】

7/31日 6:40自宅出発→10:50小淵沢駅でHさんを拾う→廻り目平13:30→

7/31 リバーバンクエリア 

8/1 水晶スラブ・ひょっとこ岩

8/2 2階のおばさん岩

8/3 屋根岩3峰南陵レモンルート    

【 写真 】 写真へ

【 記録・感想】

関西の烏帽子岩はこの連日の猛暑でフライパンと化し、スラブ上のフラットソールのゴムをも溶かし、爪先は火傷をしそうである。そして、ホシダでは登る前から、汗がボタボタとしたたり落ち、終了まで行く気力も萎えてしまっていた。と書くとたいそうに聞こえるが決してオーバーだと思えないような暑さが続いていた。

最近では、フリー自体に意欲も目標も無くなってきていた。そこで涼を求めて小川山へとくり出した次第である。

やっぱり、小川山は涼しかった。半袖では寒いくらいだ。長袖長ズボンが必要だ。快適なクライミング環境にあった。おまけに、なぜか空いていた。土日も関東圏の車はあったが、台風で出そびれたのか関西圏の車はほとんどない。不思議な現象だ。平日は全く貸し切り状態だった。

今回は御在所で4月に一緒にクライミングを楽しんだHさんと3人で2日まで楽しんだ。3日は夫のTと屋根岩3峰南稜レモンルートをつるべで登ってきた。

Hさんは、関東の人でかなり小川山には足を運んでいるようでルートにとても詳しい。それだけではない、廻り目平のクライマーはお知り合いだらけだ。

前置きはこれくらいにして、本題に入ろう。

7/31(土)廻り目平でテントを設営して、2時頃からリバーバンクエリアに向かう。ここはゲートにはいる前のミラーのところをゲートに向かって左に踏み後を辿り、堰堤から西股沢を渡渉したら左に見える岩である。

この日は小雨がぱらついていた。すでに3人1組のパーティーが取り付いていた。Hさんの初イレブンだったシートタイム5.11aに取り付くが、テンションが掛かる。秋の訪れ5.10aとプテラ5.9とチコリータ5.10dはフラッシングできた。ここの岩場は、どれもお買い得か???

8/1(日)朝から快晴。水晶スラブに向かう。「日本100岩場」に載っているここのツイスト5.10aとアバタもエクボ5.10cの間に、越境者5.10aというルートが新しく出来ているが、本には記載されていないとTが言う。事実は越境者と思われるルートは新しいボルトのような気もする。しかしHさんは数年前からこのボルトはあり、ツイストだと思って登っていたという。どちらかは定かではないが、一応越境者ということにしておく。FL狙いでトライしたが、核心で右に間違えてルートを取り落ちてしまう。後の松ノ木に当たる。もう一度トライしてRPした。

そして、その横のアバタもエクボという大坂の不動岩のルートと同名同グレードに取り付く。見た目にちょっと登れそうもないような細かいスラブだったのでTRで取り付くが核心で何回もテンションの末、何とか上までいけた。しかし、その後もう一度トライしたが、前に乗れていたところがつるつる滑って乗ることが出来ず諦めてしまった。Hさんが言うには12クライマーでも難しがっているルートだという。仕方がないなぁー。そのあとHさんがNPの練習に何度かTRで練習してRPで来たクラックのルートを、私もTRでカムを回収しながら登らせてもらった。ルート的にはそれほど難しくなかった。この無名クラックルートは5.9ぐらいか…。??

その後、以前Hさんがトライしてたという、水晶スラブの隣のひょっとこ岩の精神カンテ5.10aに、私も次ぎに登らせてもらいFLできた。このルートは核心がレイバックで足がないところを登らなくてはならず、少し恐い。

この日はこれでテン場に戻った。

8/2日 晴天。この日はHさんが最終日である。兄岩を目指すが、日が当たらず寒そうなので、上の方のおばさん岩に向かう。2階のおばさんは小林姉妹が開拓したルートが2本ある。最初はお姉さんの私がおばさんになっても5.9にとりつくがカンテ添いのいやらしいルートでズルリとテンションが掛かってしまった。もう一度登る気力もなく、隣の母子草5.10cに取り付く、これもけっこう難しくテンションが何度も掛かってしまう。もう少し落ちるのを恐がらずにのびのび登れば良かったと反省。あとでもう一度取り付くが、最後になっていたので疲れていたのか、最初の一歩からホールドが持てなくなってしまっていた。

由佳ちゃんの子どもをなめんなよ5.10abは「子どもをなめませんので、どうか登らせてください」と呪文を唱えて登ったせいか、FLできた。さんざんひどい目にあっていたところなのでとても嬉しかった。

次ぎにお買い得イレブンと言われている、レール・デュ・タン5.11aにTのオンサイトの後にTRで取り付いたが、最初がやっぱり遠く、取れてもかなり力がいる。足の置き場が安定すればもう少し楽にはなるとは思うが、今の私には辛いルートだ。

8/3 朝から曇り空だ。朝食後まずはテント撤収に掛かる。この日は5月に来たときに登り損なっていた屋根岩3峰南陵レモンルートに登る予定だ。すぐに帰られるようにすっかり片づけて、ギアを入れ替え用意が出来て、出発するころは9時15分ぐらいになっていた。パノラマコースの林道の花やチョウチョを楽しみながら、取り敢えずセレクション方面を目指す。

林道の終点には、大きなボルダーがある。そこを右に折れる。左に入る登り道があるが、一本目からはソラマメスラブを経て行ける。今回はセレクションに寄ってから行ったので、2本目の登り道にはいった。道成に登っていくと、見覚えのあるセレクションがある。セレクションは、1998年に未熟な中高年4人で挑戦して1Pで敗退した。その後、2000年5月に夫と娘でリベンジを果たした。スラブやチムニーなどバラエティーに富んだルートで面白かった記憶がある。記念に、とりつきの写真を撮る。このとき9時50分。

Tが今年の5月にセレクションを登ったときに、レモンルートのとりつきを見てきたというので安心して後について歩いていたのが大失敗。とりつきが見つからない。Tはザックを置いて、捜してくると行ってしまいなかなか帰ってこない。しばらくして上の方から見つかったと言いながら降りてきた。

案内されていった岩は、今でも何という岩か名前がわからない。11時不信感を持ちながらも怪しいこの岩の簡単なところにルートを取り私が登る。フレークにフレンズと木でプロテクションを取り、進むと左からのスラブのフリールートと合流。そのルートのボルト添いにしか登れない。これが5.6であるはずがない。仕方がないので、終了まで行くことにした。けっこう難しい。終了にザイルを通してその先を見るとこの岩はそこで終わりである。何ということだ。しかし、ここからは見晴らしが良く、ずっと上の方に紛れもなく3峰が見えるではないか…。そのまま降りてきて、改めてとりつきに向かう。人任せは、やっぱりいけないとおおいに反省した。

11:45本当のとりつきから、私がリードで登り始める。ずいぶん遠回りをしたものだ。つるべでということなので1P目は私がリードである。5.6のフェイスということでかんたんだった。しかしボルト2個より上はランナウトする。岩でプロテクションを取る。上り詰めると太めの立木2本見える。2本目にピッチを切る。

2P目5.7はTがリード。ダイクトラバースで右にトラバースしスラブを直上する。私はフォローなのでか特に恐いという感じはない。

3Pは5.7のスラブのあと歩き。このスラブは全くプロテクションが無く緊張した。右の立木にプロテクションを取る。そのあとも木にシュリンゲが2カ所ほど巻き付けてありプロテクションを取る。肩で少し休憩して腹ごしらえをする。

次の4PはTがスラブから登るが、ライン取りを迷っているような声がブツブツ聞こえる。木でピッチを切っていた。

5P目をそのままつづいて私が行くがどこを登って良いのかわからない。大きな猫のような形をした岩の左をウロウロ!! 「登るとこあらへん!」という私の声に檄が飛ぶ。とても胴体は登れない。前足から登るが、こんなところで落ちたら恐いし、どうもルートではないようで、クライムダウンする。仕方なく後足と岩の付けのあたりの隙間に指を入れたらホールドになり引っかかり、スメアで登る。しかしこれはルート外れ。4P目のラインが左に寄っていたようだ。

頂上は広々としている。眺めがとてもいい。下の方に廻り目平の駐車場が見える。左には屋根岩2峰が下のほうに見える。気分がいい。曇空で少し小雨が降ったりしていたが、問題もなく登れて良かった。岳人に載っていたので、かなりの期待があったのだが、クライミングとしては、少し簡単だった。セレクションの方が軍配が上がるかなと思った。

少し物足りない気もしたが、お預けになっていたルートなので行けて良かった。懸垂で下降時間も入れて3時間弱のクライミングだった。

今回の小川山全般では、新しいエリアに行けて良かった。イレブン台は登れなかったが、テン台はけっこうフラッシング出来満足している。

次回は、イレブン台にも果敢に挑戦していきたいと思っている。小川山は、関西に比べたら辛口だと思いこんでいたが、今回で少しイメージが変わってきた。

晴天に恵まれ、涼しく楽しい小川山だった。

3日は誕生日。屋根岩3峰の頂上で、こんなこといつまで出来るんだろうとふと思った。

雲ノ平ゆったり縦走

計画・記録/mizu

【 題名 】 雲ノ平ゆったり縦走
【 目的 】 山を楽しむ〜高天原で温泉に入り、心と体を洗濯〜
【 期間 】 2004年8月10日(火)〜14日(土)
【 参加 】 mizu(L)、iku
【 山域 】 北アルプス
【 山名 】 祖母岳・祖父岳2825m・ワリモ岳2888m・鷲羽岳2924.2m・三俣蓮華岳2841m・黒部五郎岳2839.6m・赤木岳2622m・北ノ俣岳661.2m・太郎山2372.9m
【 形態 】 縦走
【 地図 】

1:25000地形図・「有峰湖」「薬師岳」「三俣蓮華岳」

 山と高原地図36「剱・立山北アルプス」

【 資料 】 高山植物(小学館)、週間「花の百名山」、週間「日本百名山」他
【 天候 】 8/10曇 8/11/12/13快晴 8/14曇のち雨
【 装備 】

【 個人装備 】個人:シュラフ、カバー、マット、個人食器一式(コッヘル、ローぺ、ナイフ、ライター、スプーン箸等)、カモノハシ、ヘッドランプ(換え電池)、レスキューセット、換え靴下(シャツ)、防寒服、雨具、スパッツ、ストック、ザックカバー、タオル・洗面、帽子、薄手手袋、新聞紙、カムテープ、細引き、地図、花の本、磁石、お金、時計、医療品、携帯、カメラ、ガス小(1)、ヘッド、筆記用具、(ぞうり)、保険証、温泉セット         

【共同 装備 】テント一式、(マット)、ペグ、共同コッヘル(1)、牛乳パック(1)、ベニヤ(1)、ガス小(1)、計画書

【食料】

行動食6食、朝食1食、

【費用】
【集合】
【 コース・タイムと食事 】

◆8/10(火)

4:56自宅出発→8:30富山IC→9:52〜10:36折立→11:04〜11:15休憩→12:14〜12:30三角点→13:00〜13:15石張ベンチ休憩→13:40〜13:50ベンチ休憩→14:40太郎平小屋→15:00太郎兵衛平テン場→15:50食事(豚キムチ・山菜おこわ・たまごスープ)→19:00就寝

◆8/11(水)

4:00起床(お茶漬け・佃煮・梅干し)→5:51太郎兵衛平テン場出発→6:10〜6:25太郎平小屋→7:00 2074m沢出合い→7:30薬師沢左沢出合い→7:38〜7:50ベンチ休憩→8:30〜9:05薬師沢小屋→9:30〜9:35休憩→10:48〜10:52休憩→11:05〜12:00アラスカ庭園→12:40祖母岳分岐→12:50〜13:28祖母岳頂上→13:35祖母岳分岐→14:30雲ノ平テン場→16:00食事(親子丼・佃煮・たまごスープ)→19:00就寝

◆8/12(木)

4:00起床(納豆そば)→5:25雲ノ平テン場出発→5:42〜5:55雲ノ平山荘(テン場代支払い)→6:00高天原分岐→6:15〜6:25 2576mピーク→7:12高天原峠→7:57高天原山荘→8:15高天原温泉→8:35〜9:05夢ノ平・竜晶池→9:15〜10:14高天原温泉→10:27〜10:55高天原山荘→11:38岩苔小谷水晶池分岐→11:43〜11:46水晶池→11:50〜11:55水晶池分岐→12:50〜13:05お花畑→14:08岩苔乗越14:55〜15:05祖父岳頂上15:48雲ノ平テン場→16:30食事(スパゲティ・スープ)→19:00就寝

◆8/13(金)

4:00起床(お茶漬け・佃煮・梅干し)→5:40雲ノ平テン場出発→6:05〜6:17祖父岳分岐→6:40祖父岳頂上→7:15〜7:23岩苔乗越→7:32水晶ワリモ分岐→8:36〜9:10鷲羽岳頂上→10:08〜11:08三俣山荘(ラーメン・コーヒー)→12:08〜12:50三俣蓮華岳頂上→13:10黒部乗越→14:20黒部五郎テン場→16:00食事(カレー・ふかひれスープ・リンゴ)→19:30就寝

◆8/14(土)

3:30起床(きのこリゾット)→5:00黒部五郎テン場出発→5:50〜5:55休憩→7:00黒部五郎岳カタ→7:10黒部五郎岳頂上→7:17〜7:23カタ→8:04〜8:20休憩→9:35赤木岳→10:00北ノ俣岳→10:15神岡新道分岐→10:40〜10:55休憩→11:40〜12:40太郎平小屋(ラーメン)→14:00〜14:15三角点→15:10〜15:50折立ヒュッテ駐車場→16:20〜17:20白樺ハイツ(温泉¥600)→23:10帰宅

【 写真 】 写真へ

                  

              mizu
 
 「日本最後の秘境」と呼ばれる雲ノ平は、前から行ってみたいところだった。「アラスカ庭園」「アルプス庭園」などという名前が付いているのも興味深く、一体どんなところなんだろう〜と以前から気になっていた。毎年夏には、いくさんとアルプスのバリエーションに行っているのだが、今年はまだ計画が出ていなかったので、今回は雲ノ平の縦走に誘うことにした。いくさんからは高天原の温泉のリクエストがあっただけで、あとのコースは自由に計画を立てさせてもらった。

◆8/10(火)
 本当は朝4時出発予定だったのだが、寝坊してしまい、ほぼ1時間遅れになってしまった。毎度のことながら、どこかでずっこけてしまう…。「どうせ今日は太郎平までの予定なので、ゆっくり行こう」と気を取り直して出発。平日ということもあってか、高速は快調に車が流れ、当初の予定通り折立に着くことができた。
 折立に続く有峰林道は1800円。ところどころ工事中で道が悪く、「これで1800円なんて高いなぁ」と二人でブツブツ言いながら運転。最終日、往復で1800円と分かってちょっと納得。高速を降りてからコンビニに寄りそびれたため、折立ヒュッテで何か食べるつもりでいたのだが、折立ヒュッテは食べる所どころか無人で閑散としていた。ヒュッテと名前が付いているので、すごく賑やかなペンションのようなところを想像していたので、とてもがっかりした。しょうがないので、ギリギリしか持って来なかった行動食を食べて腹ごしらえをする。その間にも、数パーティの登山者たちが疲れたなかにも満足気な表情を浮かべて登り口から降りてきている。「この道を登り切ったらどんな山々が迎えてくれるんだろう」とちょっとワクワクした気分で、ヒュッテにある計画書入れに計画書を押し込み、わたしたちも出発。
 しばらくは深い緑に囲まれ樹林帯を登っていく。ゆっくりゆっくり登るので、いいペースで足が前に出る。第一目標の三角点もそう遠く感じなかった。三角点を過ぎると、周りの風景も次第に「アルプスに来た!」という感じになってくる。コバイケイソウなど高山植物がたくさん迎えてくれる。時期が遅いのでお花が少ないのが残念だが…。そして、上に登るほど、木道や石張りの道、大きなベンチがあちこちに出てきて、登山道が整備されていたのは、びっくりした。しかし、石張りの道は足への負担が大きく、とっても歩きにくい。太郎平小屋に向かう最後の登りは緩やかなのにきつかった。
 13時を過ぎたあたりからガスが出てきて一瞬雨が降ったが、テン場に着くころにはまた青空が見えていた。テン場は太郎平小屋から薬師の方向に木道を歩いて20分ほど。いくさんは小屋でビールを買ってテン場に向かう。テン場は静かで、水場もトイレ(紙有り!)もしっかりあり、快適だった。17時30分くらいまでは小屋から係の人がテン場に居てくれて、テントの受付も済ますことができた。ちなみにビールやジュースなども少しだが売っていた。
 テントを張り、お腹が空いていたわたしたちはさっそく食事をし、早々に寝た。

◆8/11(水)
 3時頃、出発する人の足音で目が覚めたが、起きられず、4時に起き、結局出発は6時近くになる。今日もいいお天気で、気持のよい太陽の光が、緑をキラキラ光らせている。今日のコースには薬師沢小屋からの急坂があり、気合いを入れて出発する。テン場から小屋へ行く途中、遠くの方に槍の姿も見えた。
 薬師沢小屋まではほとんど下りと平地ですごく歩きやすい道だった。しらびそが立ち並ぶ木道を歩いたり、草原に囲まれたりと、とても気持ちがよかった。淡いピンクや青、黄色など色とりどりの植物も緑に色を添えている。
 薬師沢小屋に着くと、赤木沢に行く人、沢帰りの人(上ノ廊下帰り?)が数パーティいた。ここでトイレを借り水分補給をして、しばらく休憩。そして、いよいよ急坂に向かう。隙間だらけで揺れる吊り橋を渡る(これはかなりこわかった〜)とすぐに梯子を降りて沢に出て、高天原峠に向かう大東新道と別れて雲ノ平に向かう急坂を登っていく。ここもゆっくりゆっくり登っていく。想像していたよりも登りにくい道ではなかった。緑の木々が多くて森林浴が気持ちよく、また、木々に囲まれて陰っていたからかもしれない。
 次第に急登がなだらかな登りになり、また木道が出てきて、思ったよりも早くアラスカ庭園に着いた。ちゃんと「雲ノ平アラスカ庭園」という道標が立っており、這松に囲まれて大きなベンチがいくつかある。なんでアラスカなのか、アラスカに行ったことのないわたしには分からないが、薬師岳を始め、赤牛、水晶、三俣蓮華、黒部五郎、そして笠までもが見渡せて、山々に囲まれた「庭園」というのは納得できた。ここで、腹ごしらえをしながら、ぼ〜っとゆっくりする。いくさんは誰もいないのをいいことにベンチにゴロンと横になってお昼寝。とても穏やかな時間が流れ、気付いたら1時間もそこに居た。時間はまだたっぷりあったが、そろそろ雲ノ平に向かうことにする。
 雲ノ平山荘に行く手前に祖母岳という小さな丘のような山がある。エアリアマップを見ると往復30分。分岐に重いザックを置き、身も心も軽くなって祖母岳に登る。頂上は広々とした草原になっており、やはりここにもベンチがある。ベンチに寝転がってゆっくりしている先客が一人いた。ここにいると景色だけを眺めながらゆったりした時間を過ごしたいという気持ちになるのがとてもよく分かる。青空とどっしり構えた山々、様々な色をした緑の草原。とても静か…。
 ここからは、向かいの祖父岳の麓に雲ノ平キャンプ場が小さく見えた。見るとすでにいくつかテントが張ってある。名残惜しいがテン場に向かって出発。雲ノ平山荘を素通りしてテン場に向かう。雲ノ平は「秘境」と言われているが、わたしのイメージする「秘境」とは少し違っていた。「秘境」というとジャングルっぽい未踏のイメージが浮かぶが、雲ノ平は木道がきれいに整備されており、どちらかというと、山々に囲まれた「楽園」、「弥陀ヶ原」という印象を受けた。
 テン場は工事中だった。重機があちこちにあり、工事の音と共に作業着を着た人たちが木道やトイレなどを作っている。そのため、水は山から引いてきている一カ所のみで、トイレはリースのコンテナが3つあるだけだった。太朗兵衛平のテン場とのギャップが大きく、ここに2日間滞在するかと思うと、なんだか悲しくなった。おまけに大学のサークルの学生が大勢いて、とてもうるさかった。しかし、2日もいると不思議とそんな環境にも慣れてしまっていて、テン場を出る時は少し後ろ髪が引かれる思いだったのだが…。

◆8/12(木)
 この日は待ちに待った高天原温泉の日。雲ノ平山荘に寄ってテン場代を払ってから行く。今日は荷物が軽いので嬉しい!しかも温泉まではず〜っと下り。いくさんはルンルンで下っていくが、それでも、下りが苦手なわたしのためにゆっくりめに降りてくれているような気がする。次第に樹林帯になっていき、だいぶ下ってきたなぁといった感じ。帰りは、降りた分また登らなければならないかと思うとちょっと憂鬱になる。高天原峠を過ぎたところで、雲ノ平のテン場で会ったおじさま方と出会う。なんと4時にテン場を出発し、もう温泉に入ってきたとのこと。彼らからは硫黄の香りがプンプンする。それにしても早い!!わたしたちも岩苔小谷の沢を渡り、高天原山荘に着く。少し傾きかけたどことなく味わいのある山荘。山荘の前で写真を撮って、さっそく温泉に向かう。温泉は沢の横にあり屋根付き囲い付きの女性用一つ、男性用一つ、そして上の方に簾のみの露天の女性用が一つと全部で3つあった。
 とりあえず、先に夢ノ平、竜晶池に行くことにする。ここまで来ると誰に会うこともない。鳥の鳴き声しか聞こえず、あとは遙か上空で静かにヘリコプターが飛んでいるだけだ。青い空に緑の草木がすばらしく、ワタスゲやリンドウなどあちこちに咲いていた。絵の中に入り込んでしまったような感覚。
 竜晶池は水草が生えた割と大きな池だった。水草の隙間の水面に青空と薬師岳が写っていてとてもきれい。なぜかとても大きなトンボが飛んでいた。
 温泉に戻ると温泉上がりのご夫婦がいた。女性用も誰か入っていたようなので、わたしたちは一番上の女性用露天に入ることにする。全くの露天風呂は初めての体験。簾があるだけなので、ちょっとドキドキ。ま、一番上にあるから誰からも見られないかと考え、思い切って入る。お湯は白く、湯の花が浮いている。ちょうどいいお湯加減。3日ぶりのお風呂なので気持ちいい〜!!ただこの露天は屋根が付いていないから、強い日差しが直接当たる。じりじり肌が焼けているのが分かった。いくさんの大きな帽子を借りて、のんびり浸かることができた。貸し切り状態で堪能できた。
 さっぱりした気分で高天原山荘に引き返す。タオルも体も硫黄の臭いがする。山荘で牛乳を買って休憩。お風呂上がりの牛乳はやっぱり最高!
 昨日の夜から、せっかくなので温泉の帰り道は、行きと同じ高天原峠経由ではなく、岩苔小谷、岩苔乗越、祖父岳の方を通って帰ろうかと話していた。山荘の人にも聞いてみると、岩苔乗越に出る道は、時間はかかるがお花がすばらしいとのこと。それを聞いて、わたしたちは即決した。
 乗越への道の出だしは、森林浴が気持ちよく、歩きやすい道だったが、上に上がるにつれ、風が通らず、直射日光がきつくなってきた。ジリジリ肌が焼ける。おまけに蚊が非常に多く、少しでも立ち止まるとすぐに噛まれてしまう。途中にある水晶池にも寄ったが、そこでも蚊の大群が押し寄せる。いくさんはなぜか平気だったみたいで、「トリカブトの群生がきれいーっ!!」と感激していたのだが、わたしはすぐに退散してしまった。
 暑さと蚊に耐えながらしばらくはずっと登りだが、2時間近く歩くと急に視野が広げて、目の前一面お花畑となった。今までの疲れも吹っ飛び気持ちが軽くなる!いくさんと二人、はしゃいで写真を撮る。
 しかし、本当のしんどさはこのお花畑を過ぎてから乗越までの登りにあった…。温泉に入ったせいか、行動食が少なかったせいか、最後の登りはかなりヘロヘロになってしまった。軽いはずの背中のザックも5日間のうちで一番重〜く感じた。乗越から祖父岳への登り、テン場へのくだりも最後まできつく感じた。祖父岳を下っている時、明日、この登りを登れるかどうか不安になってしまった。
 やっとこさ懐かしの雲ノ平テン場に戻る。いつの間にか大学生の団体がテントを撤収していて少し静かになっていた。靴を脱ぎ、疲れた足を解放すると少し元気が出てきた。この日の夕食はスパゲティ。たらこマヨネーズというかなりこってりなスパゲティだったが、とっても美味しくけっこういけた。
 夜中、一人トイレに行った際、空を見上げると、隙間のないくらい空一面に星が輝いていた。大きな流れ星も3つ見た。こんなにはっきりと流れ星を見たのは初めて。寒さのせいだったのか分からないが、なぜか気付いたら自然に涙が出ていた。思わず心の中で願い事をしてしまった。

◆8/13(金)
 この日は黒部五郎まで行く。昨日だいぶ疲れていたので、雲ノ平から見える鷲羽、三俣、黒部五郎の稜線のデコボコを見ると大丈夫かな〜と心配になったが、朝日と共に出発する。歩き始めるとぐっすり寝たせいか思っていたほど疲れは残っていなかった。昨日あれだけ長く感じた祖父岳のくだりだったが、祖父岳の頂上もあっという間だった。見覚えのあるケルンだらけの頂上に着く。そこから乗越まで下り、水晶への分岐を経てワリモ岳に向かう。稜線に出ると風が吹き、少し肌寒いので長袖を着る。ワリモは割物って書くようだが、登山道は割れたような石だらけ。だからきっとワリモ岳って言うんだよ〜と話ながら登っていく。すると突然ワリモ岳の頂上が現れた。道標がなかったら素通りしてしまいそうになる頂上だった。
 鷲羽岳は本当に鷲が羽を広げたような形をしていてかっこいい。頂上直下の道にはエアリアマップに危険マークがついていたので、怖がりなわたしはちょっとビビっていたが、なんてことのない道でほっとした。頂上に着くと、すでにたくさんの人がいて、頂上から見える風景をみんな思い思い堪能していた。(三俣山荘から空身でピストンしている人が多かった。)ここから見える頂上は本当に素晴らしかった。雲一つない青い空をバックに富士山も槍も見える。雲ノ平も祖父岳も。そして三俣も黒部五郎も見える。すぐ下に見える鷲羽池もエメラルドグリーンでとってもキレイ!わたしたちも景色を十分堪能し三俣に向かって下山開始。この下りはとても長かった。さすがは鷲の羽に見えるだけある。三俣山荘から鷲羽を見上げると「こんな所を降りてきたのか〜」と思わせる。
 三俣山荘では、待ちに待ったラーメンである!今回、行動食は少なかったので山に入ってからチマチマ食べて空腹を満たしていたわたしは、小屋でラーメンを食べるのをと〜っても楽しみにしていた。ラーメン一杯1000円。あっという間にたいらげてしまう。ぜいたくにもコーヒーまで飲んでしまった。気分もすっきり。1日がようやく始まったような気分。
 いくさんと二人、とっても元気になって三俣蓮華の頂上へ向かう。途中、振り返ると鷲羽を筆頭にワリモ、水晶がど〜んと目の前に見える。どこにいても存在感のある鷲羽岳。なんだか好きになってしまった。途中出会ったおじさまに「九州から来られたんですか?」と声を掛けられる。いくさんが「九重山」と大きく書かれた一張羅のTシャツを着ていたからだ。いくさんは「みんなに九重部屋って言われるんですよ〜」と答え、笑いが起こる。そんな具合で登っていくうちに、三俣蓮華の頂上に着いた。百名山なだけあってかものすごく人が多い。団体さんもいる。頂上では、高天原でもお会いし、ワリモから一緒だった単独の登山者から乾燥マンゴーをたくさんいただいた。とっても美味しかった!ここからも槍がよく見えた。太郎兵衛平からず〜っと槍が一緒だ。大きく見えたり小さく見えたりする。入山した当初、景色を眺めてみて分かる山は、槍だけだったが、地図を見ながらぐる〜っと一回り歩いて来たことで、だいぶ多くの山を識別できるようになってきた。また少し山が身近になったような気がする。
 もう今日の行程はほとんど終わったような気持ちで三俣を後にし、黒部五郎に向かう。が、またまた甘かった…。すぐに着くだろうと思っていただけに、黒部乗越を過ぎてから黒部五郎小屋までの下りは、これでもかというくらいあるように感じた。
 黒部五郎の小屋とテン場はとても雰囲気のいい所だった。工事中だった雲ノ平と比べるとこっちの方が想像していた雲ノ平のテン場に近かった。
 今日の夕食は、昨年の夏合宿で川島さんが絶賛していた山岳シリーズのカレー。簡単にすぐに作ることができた。おまけにお肉もちゃんと入っており、美味しかった!ちょっと高めだけれど、軽量化を考えると持っていく価値あり。一袋を二人でちょうどよかった。カレーを満喫している時、秦谷さんにそっくりな人がテン場を横切っていくのが見えた。いくさんにそれを言うと「秦谷くんに似た人なんていっぱいいるよ〜」との答え。妙に納得してしまい、目の前にあるカレーをほおばる。しばらく後で小屋のトイレに行ったら、今度は竹村さんにそっくりな人に出会う。でも竹村さんにそっくりな人はわたしを見ても無反応。あれっ?違う人なのかなぁ、と思い声を掛けるのが躊躇された。でもやっぱりそっくり!!なんとなく気になったので、下の方のテン場を見に行くと、河原さんがいた。あのおヒゲは間違いない。「河原さ〜んっ!」と声をかけると、やっぱり雪稜夏合宿の沢班だった。総勢7名で賑やかだ。いくさんと一緒におじゃまし、チーズとワインをいただいた。
 4日間、文句なしのお天気だったのだが、明日から崩れてくるとのこと。ラジオを聴いてみたが、上手く電波が入らず、小屋で情報収集。明日は太郎平にもう一泊してゆっくり帰る予定だったが、朝一時間早く起き、黒部五郎から折立まで一気に降りることに決める。

◆8/14(土)
 この日は折立まで降りてしまうつもりだったので、早く目が覚める。順調に5時に出発できた。空を見るとやっぱり雲が厚い。お天気が崩れるとわかると気分も暗くなってくる。5日目のため疲れも少し溜まってきたような気もする。黒部五郎へは、稜線からと五郎カールからとの道があるが、小屋の人の話では稜線からの方は時間がかかるとのことなので、カールから行くことにする。
 カールまでは、なだらかな良い道が続く。途中で笠雲がはっきり見えた。天気が崩れることを確信する。それでもしばらくは雨は降らなかった。五郎カールから稜線までは急登。しかし、高天原からの帰りの岩苔乗越への急登を思うとあっという間に稜線に出たように思う。
 稜線に出ると風はきつく、ガスがかかっており霧雨のような雨が降っている。分岐にザックを置き、レインウェアーを着て頂上に向かう。10分ほどで頂上に着いた。当然、視界はゼロ。歩いてきた稜線が見えるかな〜と楽しみにしていただけに、とっても残念。道標の前で写真だけ撮って、すぐに下山する。
 分岐から急坂を下りていると、雨が止んできて、す〜っとガスが晴れて稜線が見えた。それだけで、なんだか嬉しい。しかし、しばらく行くとまた雨足が強くなってきた。いくつもの小さなアップダウンのある稜線を、黙々と歩く。太郎平から黒部五郎に向かう登山者とたくさんすれ違う。こちら側から入る人の方が多いのだろうか?まだかなぁ、まだ着かないかなぁと思いながら、景色も見ず(見えず)、レインウェアーの帽子をしっかり絞り、前に進む。太郎平の小屋でラーメンを食べることを楽しみに…。
 まだ中俣乗越にも着いてないと思っていたら、道標が見えてきた。「赤木岳」と書いてある!「もう赤木岳まで来たん!?」といくさんと二人で嬉しくなる。少し元気も出てきた。赤木岳に「雷鳥が多い」という看板があったが、北ノ俣岳の頂上を過ぎてすぐに、雷鳥2羽に出会った。わたしたちを見て怖がる様子もない。わたしは雷鳥を見たのは初めてだった。高所の山の中で、厳しい天候の中でもたくましく生きていける雷鳥をちょっと尊敬の眼差しで見てしまう。
 北ノ俣岳も過ぎ、太郎平までもう少しで着くと思っていたら、ここからが長かったー。太郎平に近づくにつれ、木道が作りかけのまま置いてあった。もう少ししたら、きっとまた綺麗に整備されるんだろうなぁと思う。ようやく見覚えのある太郎平の綺麗なトイレ(水洗!)が見え、小屋に到着した。
 小屋の前にあるベンチで待望のラーメンを作る。気温と雨のせいか、なかなかお湯が沸騰しなかったが、暖かくてとても美味しかった。山でのラーメンは最高!わたしたちがラーメンを作っている間にも、折立からどんどん登山者がやって来る。こんなにお天気が悪くても山に入る人がけっこういるんだなぁと改めて感心する。
 山から帰るのは寂しいが、お腹も満足し、下山を開始。見覚えのある道をひたすら下る。当たり前だがず〜っと下りのため、三角点を過ぎてからはかなりきつかった。膝がカクカク。やっとこさ折立ヒュッテに着いた。駐車場に行くと、今日の朝に黒部五郎に居たなんて嘘のように感じられた。山の中と地上は本当に別世界。
 白樺ハイツというアパートのような温泉に入り、帰路につく。ここの温泉は帰り道にあり、ゆったりしていて割とよかった。おススメ。

 今回、わたしは純粋な縦走というのは初めてだった。(昨年キレットに行ったのだが、メインは滝谷クライミングだったので…)おまけに計画も好き勝手に立てることができ、貴重な経験となった。何も考えずに静かに山を満喫できる山歩きも、たまにはいいなぁと改めて思える山行になった。快晴が続いたのもよかったと思う。本当に幸運だった。ただ、いつもの山行では行動食が余っていたので、今回はいつもより行動食を少なくしたのだが、少し足りなかったのが反省(その代わりキレイに行動食は無くなったのだが)。想像以上に山では食べていたことに気が付いた。
 帰ったら体脂肪がいつもより4%強も減っていてビックリ。その代わりか足が信じられないくらいパンパンにむくんでいた…。

【 iku感想】

久しぶりのテント泊での長期縦走となった。しかし、タイトルの「ゆっくり」というのを信じたのと相棒がわがままが効く娘なのとで、気分的にはお気楽山行となった。おまけに、計画もお任せコースで私は参加するのみで、とても嬉しいルンルン遠足気分である。

雲ノ平と高天原は前に裏銀座を縦走したときに、下に見える緑の絨毯のような丘を見て、いつか行きたいと思っていた。そして山の奥にある温泉の高天原にもぜひ行きたいと思っていた。

写真の整理をしながら、「こんなんとちゃう! もっと綺麗かった! お花畑の花が写っていない! 富士山が見えていたのに無い! ブツブツ…」文句ばかりが出てくる。どうしていつも写真を見るとガッカリするんだろう。私の目はもう老眼の域に入り、おまけに近視である。よく見える上等の目をもっている訳ではない。なのになぜ、そんなに綺麗に見えていたのか? 

そこで気が付いたのだが、人はものを見るとき「心」でも見ているということだ。芸術作品や音楽もそうである。感動というのは人間に与えられた感性だと思う。そして人それぞれ感性も違っている。

「ただこの景色を一幅の画として観、一巻の詩として読むからである。」

漱石の草枕の一節である。

まさに私にとっては今回の目に映る風景は一幅の画であり、一巻の詩だった。帰る日まで感動の連続だった。そして時間の許す限り、ゆっくりと観賞できたのも幸せな気分でいられる理由だと思う。

久しぶりの蝙蝠谷

【 題名 】久しぶりの蝙蝠谷

【 期間 】 2004年8月22日(日)

【ルート】哲学の道5.10c(2トライ)

     コーナー5.10b

     もういいでしょう5.9-(3トライ)

【感想】1999年4月に蝙蝠谷には一回だけいったきりだ。その後入山禁止になってしまったので、ますます行く機会はなくしてしまっていた。1999年の時には対岸の岩場の「ホッカロン」や「おいでやす」など5.9ぐらいのルートにトップロープで取り付いていた。それでもホッカロンは難しかったのをいまでも記憶に残っている。

入山禁止が解かれたが、許可証の交付を受けないとクライミングは出来ない。今は右岸の岩場のみである。右岸の岩場は初めて見たが、かなりの迫力がある。最初は、哲学の道に取り付いたが全くだめだった。テンションを1ピンごとに掛けながら、何とか終了まで辿り着く。そしてもう一度今度はトップロープで取り付いたが、全くムーブも出来ず途中で下りてきてしまった。5.10cにしては難しいと思った。

次ぎに「コーナー」にとりつきこれは、何とか恐がりながらもFL出来た。

そして次ぎに5.9だという「もういいでしょう」にオンサイト狙いで取り付いたが、2ピン目の上から落ちてしまう。え〜〜っ!! という感じだ。信じられない。気を取り直してもう一度取り付くがまた落ちてしまう。実はここが核心ではない。もう一度トップロープで登ったが、核心は上にあった。これが5.9-だとは…。

このルートを作ったHさんが横にいらした。そして「このルートは、ここも登れないと蝙蝠谷に来る資格はないというので、もういいでしょうというルート名をつけた」とおっしゃる。わたしはガックリ来てしまった。何年たっても、たいして上手くなっていないんだと、失望感でいっぱいになってしまった。ただ、思いっきり落ちた割には恐怖心が残らなかったのがせめてもの救いだった。そして、もう一度哲学の道と併せて登ってみたいと、いまでは思う。どこでも課題ばかり作ってきてしまう。

1995・サマーコレクション

【 題名 】 「1995・サマーコレクション」9ピッチ・5.10+・285m
【 目的 】 大台有名ルートに挑む
【 期間 】 2004年9月15日
【 参加 】 F(奈良山岳会)・iku(京都雪稜クラブ)
【 山域 】 奈良県・大台ヶ原山・千石ぐら
【 山名 】
【 形態 】 クライミング/マルチ 
【 地図 】 1:25000地形図 大台ヶ原山
【 資料 】 ロクスノ
【 天候 】 晴れ・曇・霧
【 装備 】

【食料】

【費用】
【集合】
【 日程 】

自宅3:45 /道の駅杉の湯4:30-5:00/大台ヶ原駐車場6:00-6:15/取り付き7:30-8:00 /5ピッチ目終了11:00- 12:00/終了14:00-14:30/大台ヶ原駐車場15:10-15:30/杉の湯16:10-16:30/自宅20:00

【 写真 】 写真へ

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【感想】
かすかに残る手足の筋肉痛とともに、今も余韻に浸っている。
サマーコレクションは、フリーを初めてからいつかは行きたいと憧れていた。しかしテン台のマルチなど自分では不可能な世界だと思っていた。私の乏しい力では、たとえ5.9というグレードでも、アルパインではその高度感とザックを背負ってでは至難の業である。
まして5.10台は最高5.10+まで3ピッチもあり、残りも5.9や5.8など全部で9ピッチもある。核心はフリーでの私の最高グレードに近い。それにマルチで落ちないように登るということは、オンサイトをしなくてはならない。まして私のオンサイトグレードはかなり低い。そして普段フリーを登りにいっても、一日に立て続けに9本も登るなんてまずあり得ない。それにマルチのルートは1ピッチも長い。
といような理由で不可能だと自分では思っていた。しかし、最近ではフリーも僅かながらレベルアップし、もしかしたら全くのフリーでは難しいかもしれないが、何とか行けそうだという気持もしてきていた。
そんなおり、Fさんから機会があったら行こうと少し前から誘われていた。行くからには、出来るだけ自分でもリードをして登りたいと思っていたので、誘われたときにはとても嬉しかった。
自分もしっかりしなくてはという前向きの気持にさせてくれるから、私はおんな同士でザイルを組むのが好きだ。私は恐がりなので甘えられると、とことん甘えてお気楽になってしまう。それはそれでまた楽しくていい部分もあるのだが、やっぱり達成感が違う。ザイルが前にあるのと後にあるのでは大違いなのだ。出来たらぶら下がれる状態で登りたい。落ちたくない。落ちて怪我をしたくない。特に本ちゃんでは「絶対! 絶対!」に落ちたくない。
この落ちたくないという葛藤で、いつも上手い人や男性といくとトップを行こうという気持が萎えてしまう。しかし、女性と行くと半分はしっかり自分の足で登らなくてはという自覚が生まれる。本来は、誰と行ってもそうあるべきなのだが、恐さに負けるのである。意気地なしである。
クライミングに限らず何をやっても自分の力で達成できたことには満足感が大きい。今回はそういった意味でも、達成感と充実感が味わえた。これからも、この気持は忘れず前向きだぁ〜。

さて、本題にはいるが、Fさんはこのサマコレを前に登ったことがあるらしい。私は初めてのルートでマルチピッチとしては自己最高グレードだ。本来はフリールートなので、気持的には完全フリーを目指したい。しかし私は、オンサイトは5.10cを一本あるのみ。多分核心のピッチは、無理だろう。それで私は前もってトポを眺めながら、この核心のリードを避けたいと密かに思っていた。それで「つるべ」ということになると、1ピッチ目は私になる。「よしこれで、出来るだけフリーを目指すぞ」と意気込んでいた。
奈良県川上村の道の駅「杉の湯川上」で朝5時に合流。一台の車で大台ヶ原の駐車場に向かう。大台ヶ原のドライブウェーは快適で、雲海に浮かぶ山並みが墨絵のように美しい。雲海の上は青空だった。
さっそく準備をして、シオカラ谷への登山道を下る。石畳の終わったところの右側に2個目の看板があったので、私はそこで下調べしておいたアプローチへの道に入るのではと思い立ち止まったが、Fさんはどんどんいってしまう。行き過ぎではないのかという声で、彼女も引き返した。看板が道を塞ぐように立っているのでここではないような気がするという。しかしFさんもとりあえずここを右に水平道をはいる。台風などの影響か細かい枝などが散乱していて荒れて見える。本来なら、赤テープがあるはずだが見あたらず、水のない谷筋の横を下降する。するとFさんの前を鹿が…。「ケーン、ケーン、…」と鳴き声が響き渡る。さすがに奈良の山だなぁー、と思う。右にトラバースながら下りていくと苔で一面覆われた岩がごろごろするガレに入り、右に壁が見える。このまま下降したら、取り付きに行けることは分かっていたので先に進んだ。壁の下に近づくとしっかりした踏み後が見つかり、そのまま取り付きに着いた。もう少し水平道を進めば、ルンゼへの赤テープがあったのかも知れないと、帰ってから思った。とにかく、無事に取り付きに着けてやれやれである。

さっそく、1ピッチ目(5.5)のリードを私からつるべでと申し出たところ、Fさんは快く承諾してくださった。8時ちょうどのスタート。開拓者の名刺大より少し大きめのプレートが、登り切ったところの右の壁の2ピッチ目のビレー支点のボルトに挟んである。

2ピッチ目(5.10)はFさんがリード。ビレー支点の左からボルトダラーである。見ていると出だしが少しいやらしそうである。私はフォローなので、細かいホールドを駆使して何とか行ったが最後の乗越で苦戦してしまう。Fさんの「落ちんといてや〜」の声に、さっそくここでくじけてA0で乗越してしまう。やっぱり恐がりな自分を改めて嫌になるが、落ちるのはもっといやなのでこれをきっかけに、その後もA0を使ってしまった。

3ピッチ目(5.10-)は私の番。ここは2ピッチ目と比べるとだいぶ楽な気がした。トポでは50メートルとなっていたが、ほんとうに長いルートだった。疲れ切ってしまった。目の前に少し立ち気味の壁が続いていてそのまま行くのかとも思ったが、とにかくしんどいのでピッチを切ったが正解だった。

目の前の壁は核心の4ピッチ目(5.10+)だった。ここは15mと短いが上部は難しい。Fさんがリードで行ったが最後の核心の小ハングでかなり苦労しているように見えた。私は、フォローだったので気分的には楽だった。最後の乗越しもよく見ると左気味にホールドが見つかった。しかし、ここでもとっさにヌンチャクを掴んでしまった。後悔! 自分に甘い。小さなテラスで、水を飲んでいると急に雲行きが怪しくなってきた。下の方から、ガスが速い勢いで上がってくる。これは雨になるかも知れないない。取り敢えず、次のピッチのテラスまで行って雨だったら懸垂で下りようかと話す。

私は次の5ピッチ目(5.8)を急いで登る。登ったところに1本目の立木があるが、これをやり過ごすとボルトがまだ一個ある。奥の太い目の立木が目に付き、そこまでいき終了点を取る。Fさんが登ってきた頃は、全く視界がないほどのガスだった。上からポツリポツリとビレーをしている私のところに落ちてくる。てっきり雨だと思っていた。しかしそれは岩からの染みだしが落ちていたのだった。勘違いをしていた私が「雨が来てるよ」といったものだから、そのまま、Fさんは下の立木まで下りて懸垂での下降の用意をし出した。私も懸垂で下りてみる。しかしどうも雨は降っていないようで、また上の木まで登る。次がトラバースするので懸垂で下りるとなると、ここからが下りやすいとFさんがいう。「行こうか、行くまいか」ふたりで恨めしげに空を仰ぎながら、あれやこれやとハムレット並みに悩む。そんなことを、しているうちにも時間は刻々と過ぎてゆく。こうなれば、少し待って腹ごしらえでもして、様子を見ようということになった。小一時間が経過したところで、少し明るくなったので行くことにした。

6ピッチ目(5.6)は、踏み後を少し下っていくトラバースだ。そして木の間のルンゼ状をよじ登る。Fさんは、ザイルをどんどん延ばしていく。おかしいなぁー35メートルとトポには書いてあるのに、ザイルが5メートルも残っていないので声を掛ける。「ここでピッチを切るわ」という声。私が続く。おかしいなぁー、と思いながら右上の壁を見るとボルトが見える。そしてレッジの上にもう一本。「ここみたいやでぇ〜」といいながら下を見たら、ボルトが2個並んで支点になっていた。やっぱり、行き過ぎていたようだった。私も少し下りる。

7ピッチ目(5.8)は私の番。レッジによっこらしょっと乗越し右に進むとザイルが延びない。「えぇ〜、どないなったんや???」と私。「おりんとあかん!」というFさんの声。下を見たらヌンチャクのカラビナにキンクしたザイルが巻き付いていて、動きがとれなくなってしまっている。しかたなく、次のボルトにテンションを掛け下りて解除して登りなおす。そこからが、フレークのトラバースが待っている。気を取り直し眺めてみると、フレークはガバで、足も細かいスタンスがちゃんとある。一呼吸をおいて取り付くが、ピンを掛けたとたん、セルフを取り休憩してしまう。あかんなぁ〜、情けないなぁ〜、と思いながら最後は木をつかんでのっこす。やれやれ。さっそく、Fさんに来てもらう。トラバースの写真を取る。今回このルートが、一番スリルがあって楽しかったし、印象に残っている。

8ピッチ目(5.9)はFさん。高度感のある快適カンテとあるが、フォローの私はあまり印象には残らなかった。

9ピッチ目5.9最終ピッチで、私が行けるのでとても嬉しい。最後の乗越しが難しいということだったが、すぐにガバが右手に見つかり、右足を上げると一気に乗っ越せた。一足先にヤッター、という気分だった。木で支点を作りビレーの体制にしているときにも、横の壁から反響したFさんの「登ります!登ります!」とはっきり聞こえてくる。「ちょっと待ってくださ〜い」という私の声は、どうも聞こえないようだ。はやる気持が伝わってくる。私は、出来るだけ力を使わない体制で、カメラとともにハングを越える、Fさんを待つ。笑顔が覗く。もう嬉しくて嬉しくて仕方がない。
何とも言えない、気分だ。「チョー、気持ちいい!」(アテネオリンピック水泳金メダリスト北島選手の言葉を借りた)という、言葉がピッタリ来るなぁーとふと思った。このときには視界はまたなくなってしまっていた。

人っ子一人もいない平日、おばさんクライマー二人でサマコレを独占して登れたことに二人とも酔いしれていた。このルートの登り方としては、本来はフリールートなのでまだまだ未熟な登り方しか出来ていないという反省点はあるが、それはこれからもよりフリークライミングに精進して、再度オールフリーで挑戦するということにして、今回は私たちの実力では大満足な結果だったと思えた。お互いにパートナーとしても、自立した関係でいられたことも達成感が大きかった要因になったのだろう。私の最高グレードのマルチだった。

足取りは疲れて重いが、心は爽快でガスで見通しの悪い千石尾根を駐車場へと向かった。
よき相棒、Fさんに感謝!

錫杖岳烏帽子岩前衛壁・左方カンテ
【 題名 】 錫杖岳烏帽子岩前衛壁・左方カンテ
【 目的 】 大台有名ルートに挑む
【 期間 】 2004年10月15日(金)夜発〜16日(土)
【 参加 】 F/T/I(奈良山岳会)・Y(奈良山岳会)/iku(京都雪稜クラブ)
【 山域 】 北アルプス
【 山名 】
【 形態 】 アルパイン クライミング  
【 地図 】 1:25000地形図 笠ヶ岳 
【 資料 】 日本の岩場(白山書房)アルパインクライミング(山と渓谷社)日本のクラシックルート(山と渓谷社)
【 天候 】 晴れ
【 装備 】

【食料】

【費用】
【集合】 天理教駐車場
【 日程 】

10月15日 天理駅21:20集合→天理教駐車場22:00発→
10月16日 槍見温泉駐車場3:00着仮眠5:00起床6:00出発→7:50着取り付き
登攀(私たち二人つるべ8:30→11:15待ち時間も含む)
後の三人パーティーはリードも交代していたためか時間が掛かった(8:45→12:45)→
13:30発→駐車場16:20着

【 写真 】 写真へ ★下山ルート図へ


【感想】

(ピッチの切り方参考のトポはアルパインクライミング(山と渓谷社))
「錫杖にいかへんか?」といつものホシダクライミングウォールでいつもの通りいきなりFさんに誘われた。「どこ登るのん?」「私らだけやったらそんな難しいとこはいかへん、左方カンテや」とクライミングの合間に話が進む。「1ルンゼも行ってみたいなぁー」と私。「いくさんはYさんとつるべやさかいに、Yさんがよかったらそうしたらええやン」…
と言うようなわけで、急にいつもの通りことが運んでしまう。私たちのホシダでの井戸端会議である。後は、待ち合わせの場所と時間ぐらいで話が出来てしまう。Fさんは普段も忙しいお人で、その合間をアクティブにクライミングに向かっていらっしゃる。そんなFさんは私にとっても刺激的な存在で、尊敬もしている。これもいつもの通り、計画は日帰りで忙しい。しんどそうだなぁー、と少し引いてしまっていた。しかし、昨年同時期に見た素晴らしい紅葉にも心引かれる。昨年は家族で行ってお気楽のオールフォローだった。今度はつるべで行くことになるだろう。少しずつ気持が前向きになってきた。
15日の夜天理駅にFさんご夫妻が迎えに来てくださり、いつもの待ち合わせ場所天理教の駐車場に向かう。メンバーは5名、Tさんの車でゆったりと出発。今回は全く運転しなくて良かったので、とても嬉しい。槍見温泉駐車場に16日3時頃に着く。仮眠は2時間。これは辛い。朝食を済ませ、6時に出発。とても寒かったが歩き出すとすぐに暑くなってきた。寝不足のせいか、足が重い。何とか、重い足を必死で上げながら取り付きに8時前に着く。
すでに2パーティー先行していて男女の1パーティーが用意をしていた。私とYさんが4番目に続く。
1ピッチ目(3級+)Yさんリード 後発3人を残して私がフォーローで行く。Yさんが前にリードしなかったピッチを今回リードになるようにした。特に問題はない簡単なルート。
2ピッチ目(4級)私リード 上に先行パーティーがいたので少し前でピッチを切る。凹角を行くのだがガバだらけでぐいぐい行ける快適ピッチ。上に先行者が見え、手前でピッチを切り、Yさんにビレー点を通り越してそのままピナクルの下までザイルを延ばしてもらう。そこで少しの待ち時間の後私もピナクルの下まで行く。ちょうど前の女性が3ピッチ目の核心を乗越そうとしているところで、かなり苦戦をしている。
3ピッチ目(5級)Yさんリード 前の女性が乗越せるまで少し待つ。Yさん「なんや難しいと思っていたら、大ガバやん」といってひらりと乗り込む。フォーローの私、「ほんとそのとおりやん」と思う。
4ピッチ目 (2級)Yさんのビレー点から今度は私が右に回り込みバンドを行くと先行パーティ男女がいて先に行くように言われる。二人を通り越して木でビレー点をとり、Yさんに来てもらう。ふと上を見ると上にちゃんとした5ピッチ目のビレー点があった。そこまで行っておけばよかった。またYさんに私を通り越してそこまで行って貰う。ここで、前を通り越した男女パーティーは下山すると言うことだ。5ピッチ目のチムニーにはその前の3人パーティーの3人目の人が登っていた。
5ピッチ目(4級+)私がリード 一段高くなったところからチムニーである。足を一段上げると右のボルトに手がとどき、これで一安心。ザックがいったん挟まり抜けにくい。そこを無理やり左の壁の外に左足を出し乗り込むとチムニーから出られる。それで右の壁と左の壁に両足を交互に突っ張るとテラスに登れる。しかし、私はこのテラスからもう一段上に登るのに迷ってしまった。右に行っても上にもホールドらしい物はない。しょせん4級なんだからそんな訳はないと左の方に行っても分からないで、ウロウロする。右の岩角に両手をレイバック気味に置いて体を左に振ったら、難なく登れた。結果としたら、どうと言うことはなかった。上はわりと広いテラスになっていて、先行3人パーティーが5ピッチ目にとりついていた。そのパーティーのビレー点の右横の木で終了点を作る。
6ピッチ目(4級+)Yさんリード 左側のフェイスを登る。細かいカチホールドがしっかりある。一見壁が立っているので、見た目には難しそう。しかし大丈夫!! またもや、フォローの私はビレー点を通り過ぎて次の7ピッチを行く。
7ピッチ目(3級)バンドを私が行く。わりと左手が張ってきていたので、テラスで一休みできると思うと、ホッとした。
8ピッチ目の広いテラスに出る。先行パーティが登っていて、そのパーティの一人が腰痛でリタイヤしたと言って座っていた。ザイルをあげて、Yさんを迎える。次は核心ピッチなので小休止をして行動食を取りながら歓談する。そうこうしているうちに、上からザイルが落ちてきて若い男性が下りてきた。京都の岳連系の山岳会の人でお会いしたことがある。続いて下りてきた女性も見たことがある。少し話す。登る用意をして待っていたら、その彼らのザイルが挟まっているようで落ちない。登り返すようなことを行っているので、また待たなければならないようだと困るので、私が登って外してあげることにして登りはじめた。
8ピッチ目(5級A0/5級+) フリーで行けそうだとも思ったが、A0で抜ける。上はチムニーで乗越したところの岩の隙間にザイルが挟まっていた。ザイルを外して左の壁にクラック2本走っていて左のクラックを足場に登り出す。右のクラックの上の方にもボルトがあるが、左のカンテのほうにもボルトはある。簡単そうなの で左の方向に行き登りだしたとたん、上からザイルがバサリと落ちてきた。ムム、何じゃ!!という感じ。幸いにも当たらなかったが、良い気持ちはしない。すぐに上から人が下りてくる。それもこれから向かっていこうとしているところをだ。何や?何や! 何という無神経。その人は私が目に入っているような様子は微塵もなかった。下で私のザイルに乗っかっている自分のザイルをほぐして下に垂らしている。一言も言葉が発せられなかったのは、よっぽど寡黙な人なんだろう。私は、無事にザイルを抜くまで、そこでしばらくただひたすら壁にしがみついていた。なんとも後味の悪いピッチとなった。壁からザイルが無くなったのを確認し気を取り直してまた体を動かす。フェイスの細かいホールドを拾い左カンテから乗っ越すとテラスとなる。懸垂をする人はここを終了点としている。ここからは、雪の被った焼岳がお椀を伏せたように見える。そういえばここに立つのも3回目だ。
9ピッチ目(4級)Yさんがリード。いよいよ最終ピッチだ。トポには10ピッチ目灌木帯2級があるが私たちはここで最終とした。左のもろいフェースから右の樹林帯に入っていく。木で終了点を取る。フォローの私はまたビレー点を通り越し上のテラスまで行きザイルを引き揚げYさんを待つ。時計を見ると11時15分だった。2時間45分の登攀だった。握手で喜びを分かち合い、窮屈なフラットソールから足を解放してくつろぐ。後続のトップもしばらくしてから登ってきた。私たちは灌木帯をもう少し上の広場まで登ることにした(トポ10ピッチ目)。穂高連峰の大パノラマが開けた。頂上にはうっすらと雪が積もっている。槍ヶ岳の小槍や白出沢の上には奥穂小屋まではっきりと見える。二人でとりとめのない話をしながら、素晴らしい眺めに酔いしれる。上部の岩峰左の方には、1ルンゼを登攀して詰めてきた3人が見える。いつもながら、来て良かったと思えるひとときだ。

順番に全員が集合し、くつろぐ。みんなの顔も笑顔で溢れている。そこへもう1パーティー2人が上ってきた。記念写真を撮ってもらう。そして、踏み後を上の岩峰に向かう。(下山道は別に作成した資料を参照)
烏帽子岩の下部では、先ほど右の稜線で見かけたグループに出会う。御在所でよくお会いするMさんのガイド登攀だった。烏帽子岩から西肩までの巻き道は落ちたら絶体絶命のトラバース。慎重に行く。そして、西肩から谷筋に降りると初冠雪の雪が残っていた。急勾配なので滑らないように慎重に降りる。すぐに熊笹の中に突入。熊田笹を持ちながら降りる。クリヤ谷のクリヤ舎の少し上あたりに出合う。いつものビューポイントで錫杖にお別れをする。朝に見たときよりもこころなしか紅葉は美しく見える。
4時20分駐車場に着き、新穂高温泉「ひがくの湯」(0578-9-2855・タオル・バスタオル付800円)温泉に向かう。この温泉は6時に終うので要注意である。前も時間切れで入れなかったことがある。露天風呂なので、寒かった。
Yさんお薦めの飛騨定食を楽しみにしていたが、こちらは時間切れで間に合わなかった。残念だった。Tさんが車をとばしてくださったおかげで無事に電車に間に合い帰れた。感謝!
今回は奈良山岳会のメンバーの中に私を入れていただいたが、とても気持ちの良い山行だった。最初は、日帰りと言うことで迷っていたが、天気にもメンバーにも恵まれ、時間的にも日帰りにしては余裕も持て参加させてもらって良かったと思った。それと、昨年行ったときには、各ピッチの岩の記憶が全くなかったが、今回はしっかり印象に残っている。それは、お気楽フォローとリードの違いだと思う。どちらでも、私は楽しい。