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2004.12.28/AM10:30/今年ももう僅か
明日からは城山なので、これで今年のつぶやきは最後となる。本当に一年一年が加速度を増して過ぎてゆく。今年も山に始まり山に終わるという一年だった。ちゃんとした集計は出来ていないが、多分今年は150日を超える山やクライミング行きになったと思う。

その結果、師走に入って帯状疱疹という病気になってしまい、今月は調子が悪い。 今日医者に行ってきて「この病気は、体調の悪化で出てくるので自己管理をちゃんとして下さい」といわれた。私はもともと、自己管理が下手だとは思う。目の前に美味しいご馳走が並ぶと、どうしても我慢が出来ないたちだとも思う。それに、痛みにはかなり鈍感だとも思う。そのために、つい後先を考えないで突っ走ってしまう。

そろそろ反省してちゃんと自己管理をしていかないと、大事になりかねない。それにもうゆっくりしてもいい歳でもある。

今度の城山は、のんびりと行こう。ぼーっと過ごすのもまたいいものかもしれない。

さてさて、来年はどんな年になることやら…?!?!


2004.12.23/PM2:30/神さまの忠告
今日は祭日である。なのに家にいる。休日に家にいることは、今年初めてだったと思う。実は今日は駒形でフィギアヘッドを登っているはずだった。

目の充血とおでこの湿疹がいっこうに良くならないので、昨日皮膚科の医院に行ったが年内休診という。しかたないので、眼科だけで済ますことにして、診察を受けに行った。「もう10日目ですが、いっこうに良くならず痛いんです」と言いながら医者の前に座る。「こんなモノがおでこに出来ていて、皮膚科に行ったんですが休みでして…」などというと、「ヘルペスではないかなぁ〜」なんて本を出して写真を見せてくれた。何と、私の湿疹と似ている。

あわてて、近くの総合病院へ駆け込んだ。担当医は診察もたいしてせずにおでこを見るなり「帯状疱疹ですね」とひとこと。水疱瘡の菌が突然疲労やストレスなどの何かの原因で出てくるのだそうだ。「脳に近いところなので、ほっておくと脳膜炎など起こしやすいから、すぐに治療しましょう」と恐いことをすましておっしゃる。点滴を受け、薬をもらって帰宅。一度に重症になったように、気分が優れず痛さも増してくる。ほんとに病は気からなのだろうか???

昨夜は寝ているときも、ちくちくと痛む夢を見た。雅子妃もストレスから掛かったと確か報道されていたような…。私も、ほんとうはデリケートなんだぁ〜、と納得。

症状は備中から帰った日あたりから出ていたと思う。13日月曜日、やけに肩がこるなぁー、と思っていた。しかしいつもと反対側の左なので変だとも思ってた。ちょうど娘が来たので、マッサージをして貰っていたら「首のリンパ腺がカチカチや!」という。確かに触ってみたら大きくて硬い。

水曜日15日になると、目が真っ赤に充血。眉毛の上に吹き出物がポツリ。しかし、駒形の、フギアヘッドを登りに行ってしまう。次の木曜日は、目も痛いので眼科に診察を受けに行った。睫毛の抜けたのが、上まぶたに刺さっていると言われ、目薬を貰って帰った。

とにかく痛いので、金曜日の夜発のアイスに行けるかどうか心配になり、リーダーに「もしかしたら行けなくなるかも知れない」と理由を書いてメールを出した。「いくさん一人ドタキャンしても影響はない」といって貰って安心する。鎮痛剤を飲んだら痛みも引いてきたので、我慢しきれずアイスに行ってしまった。しかし、たえず目の周りに不快感があった。

こんなことをしているから、罰が当たったのだ。子どものころ、私のお婆さんが何かにつけて(言うことを聞かなかったり、悪戯をしたら)「バチが当たるでぇー」と言っていたのを思い出した。私の場合はやっぱり、歳を顧みずやりすぎだったのかも知れない。

夫からは「遊びすぎ!」といわた。「遊びにだけ専念していたら疲れへんだったけど、仕事(家事)もしてるから疲れたんや!」と本心はうなずきなからも言い返してしまう。


2004.12.20/PM10:30/久しぶりのアイス


会の山行のアイスクライミングに参加してきた。総勢11名の団体である。年齢層は若い。場所は八ヶ岳の広河原沢である。2001年12月にも広河原には来ていて2回目である。この2回は、ちょうど同じ時期だが、氷の状態はかなり違う。今年は、やはり暖冬だと思う。しかし、前評判が悪かったのであまり期待をしていなかったのだが、思った以上に状態は良く登れた。

舟山十字路には車が十台前後停まっていて驚いた。(前に来たときは私たちの車しかなかった)しかし、車の台数のイメージほどには混んでいなくて十分楽しめた。とりつきまでの途中のテントは私たちのは含めず3張りあった。阿弥陀の南陵へと抜けたパーティーが多かったのだろうか。

昨シーズンは一度もアイスはしなかった。それは、踝の骨折という怪我をしたために、用心して避けていた。今年はモノポイントのアイゼンを新調した。このアイゼンは使いこなせるか不安があったが、気持ちよく刺さり取り越し苦労だった。「アイスは腕ではなく道具」だとよく言われるが、道具の重要性が占める割合は大きいと思う。

岩と遊ぶのも楽しいが、氷と戯れてのアイスクライミングも私は好きだ。最初始めた頃は、バイルを振るのも手がだるかったが、今回はそれほどだるいとは思わなかった。人工壁でのハングで少しは筋力が出来たのだろうか。そうだったら、嬉しいのだが…。

今回は年齢層が若いパーティだったので、登りが付いては行けなかった。どうしても、だんだん離れてくる。まして、久しぶりのプラブーツは重い。今年は初めてのアイゼンでもある(昨年は、多分プラブーツもはいていなかった)。しんどいなぁ〜、と思いながらの歩きだった。こんなんじゃ、これから場所によったらいかれないなぁ〜、とも歩きながら思ってもいた。

しかし、氷に取り付いたとたん元気は戻っていた。岩や氷と戯れていると時間のたつのも忘れてしまうほど楽しい。アプローチのしんどさも吹っ飛んでしまう。欲を言えば、雪景色の中で出来ればもっと素敵だったことでしょうに……!


2004.12.16/PM10:30/慌ただしい
先週末は約一年ぶりでの備中長屋坂だった。土曜日は、ぽかぽか陽気だったが、日曜日は寒かった。岩場は、顔なじみのメンバーが揃っていて楽しく過ごせた。

やっぱり、目処が付き始めているフィギアヘッドの方が気になっていて、新しいルートに取りかかる気力にかけていた。それでも、パイナップルクライシスにTが登っていたので、トップロープで登らせてもらう。

オンサイト能力が低いので、きびしいルートはどうしても最初はムーブが上手くいかない。しかし、このルートはトップロープだとかなり登りにくかった。左にトラバースしていくので、テンションが掛かるとルートから逸れて下に落ちるので戻りにくい。登るより戻る方が必死だった。それでも、何とかムーブを探りながら、上まで行ってみた。2回登ってみて、ムーブはこなせると思えたので、次はここが目標かな?

それに比べても、TTハイスクールは、核心が全く行けない。このルートは5.10dだということだが信じられない。

水曜日は、気になっていた、フィギアヘッドを登りにいった。3回目の最後は自分でも本当にもったいないことをしてしまった。いつもながら、詰めに弱い。しかし、今度こそは…。


2004.12.10/AM9:30/いつもながらの言い訳
水曜日(9日)にフィギアヘッドに登りたくて、烏帽子・駒形に向かった。メンバーは、いつものSさんと同年齢の女性Jさんが付き合ってくれた。

最初は、アップのつもりのタイムトンネルでまさかのフォール(実は、内緒だが簡単なところで良く落ちる)。それで気がついたが、下部でいつも持っていたホールドの右に明らかに右手ががっちり掛かる縦ホールドがある。前に登ったときに、こんなのなかったように思う。これに持ち直したら、この下部の核心が、いとも簡単に登れる。

みんなに「こんなん、前にはあらへんだったん違う?」と聞いてみたら、みんなも「気がつかへんだった」という。よく見ると、その縦のカチのところは、故意にえぐられたような新しい岩肌のようにも見える。もしかしたら気のせいかも知れないが、確かにそのホールドを持つといとも簡単に登れてしまう。

チッピングなのだろうか? もしもそうだとしたら、最近のことだと思う。こんなことまでして登りたいのだろうかと思ってしまう。タイムトンネルは烏帽子の中でも良いルート(★★★)なので、残念なことだ。(はっきり判る人は、連絡下さると有り難いのですが)

Sさんがジャスティスでアップ。登らないかと勧められたが、ここはパーワーが吸い取られるので、本命が登れなくなると困るのでやめておく。Jさんは、今日の目標サピエンスにとりつくが核心が難しそう。私もここの核心が乗り移れず、テンションが掛かる。何度トライしても出来ないので、長い間ほってある。(ほってある、ルートは他にも沢山ある)。ついでなので試しに登らせてもらったが、やっぱりだめだった。心ここにあらず、ここも程々で切り上げて駒形に移った。

駒形岩を見上げフィギアヘッドに目を移すと、なんと濡れているではないか。ショックを受けてしまった。土曜日の雨の名残だろう。Sさんが、ヌンチャクを掛けてきてくれるというので、ついでにタオルを渡して拭いてきてもらうことにしたが、気持はどんどん萎えていく。

トライしてみたが、やっぱり気色が悪い。持っている手や立ち込んでいる足の感触が気になって仕方がない。こうなるとへっぴり腰になってしまい、悪循環である。最初のトラバースからテンションが掛かる。結局テンションだらけの最悪の登りとなってしまった。しばらく待っていたら、Sさんが降りるときにもしっかり拭いてくれたお陰で、少し乾いてきたように見える。気を取り直してもう一度、トライした。しかし、核心のムーブが楽になったとはいえ、テンション2回で登れす。持ち越すことになった。

もう一度ぐらい挑戦したかったが、日が暮れるのが早い。隣の方で登っていた人が、登らせて欲しいと言うことなので、回収をお願いしてこの日は終了。その人は、簡単にフラッシングしてしまった。言い訳は、通用しないなぁー。

しかし、気持的にはこのままずっと登っていたかった。

登れなくても、岩と遊んでいると時間を忘れてしまうほど楽しい。


2004.12.6/AM11:30/光ファイバー

うちのマンションに光ファイバーが2社繋がり、その内のケイオプティコムと契約した。これで我が家は電話も含めて最新のネット環境が整ったことになる。最初に始めたニフティーのパソコン通信で文字が画面に現れて感動してから何回目の設定のやり直しになるのだろうか? えらい変わってしまったとつくづく思う。

今回も、回線接続のやり直しからメールのアドレス変更(MLも含めて)や設定変更。HPの引っ越しなどこの2日と3日はかかりっきりだった。

光ファイバー導入にはこの煩雑さを思うとほんとうは消極的な気持も大きく、初期費用が無料などの特典が切れるぎりぎりまで実は迷っていた。

繋がったあかつきには、本当に目にも留まらぬ早さでピューと大量のデーターが行き交うのかとかなり期待して、一大決心をした。そして開通前日から、せっせとマニュアルを見、頭痛に悩まされながらも、根を詰めて頑張った。

しかし期待は大きいほど裏切られるものだ。私のイメージしていた、速いというイメージよりは遅いというのが実感だ。前よりも早いのは事実だが、ISDNからADSLになったときほどの感動はない。

こんなことを書くと反論する人も出てくるだろうが、人は何でも慣れてくると感覚も鈍くなり、感動も少なくなるように思う。たとえば、車の運転免許を取ったばかりで車に乗ると周りの車は凄いスピードを出していて恐いと思うが、そのスピードも何年かたつと遅いと思ってしまう。それと同じではないかと思う。

こうしてまたムラムラと次への好奇心が働いてしまうのだろう。


2004.11.30/AM9:30/プラス思考で

先週末2日は駒形岩のフィギアヘッドを集中攻勢で登ったが、悲しいことになかなか簡単には登らせてくれない。

今年も後残り少なくなってきて振り返ると、烏帽子・駒形にはかなり通っている。なのにここでは、成果を問われれば「おじいちゃん…」と「よってらっしゃい」と2本5.11aが登れたのみだ。今年中に5.11bのフィギアヘッドを登れればと頑張ってるが、なかなか難しい気がしてくる。しかし反対から見れば、こんなに通ったからイレブン2本も登れた、とも考えられる。

人によってはトントン拍子にグレードを上げていく人もいる。私の場合はかなり時間が掛かっていると思う。日頃は、かなり落ち込むことが多いが、そんなときは人がトントン拍子にOSやRPをしていくのを横目で眺めているときだと思う。クライミングは私にとっては苦労している割には報われないものだなぁー、と思うことがしばしばある。

しかし、その時は落ち込んだりしても、長い目で見れば必ず克服できていっていることも事実だ。人より時間が掛かると言うことだけなのかも知れない。なんでも人と比べると落ち込んでしまう。自分だけを見つめて、一手上を目指す。クライミングの初心だと思う。

そういえばだいぶ前のことになるが、「プラス思考とマイナス思考」という言葉がはやっていたなぁ〜。

初心忘れべからずかな?


2004.11.26/AM8:30/奈良の秋
今週は雑用でバタバタと過ごし、もう週末になってしまった。

日曜日(21日)は恒例の京都山の子会の11月例会で柳生街道(剣豪の里)に行って来た。ここでの風景は、私の心の奥底に潜在的に潜んでいる郷愁を思い起こしてくれ、ず〜っと昔の懐かしい友人に出会ったような気持にさせてくれる。

今回は奈良から笠置まで続く柳生街道(東海自然歩道)の内の忍辱山(にんじくせん)から柳生までである。全行程を歩くと25キロほどになるが、今回は9キロコースだった。ハイキングコースとしては、歴史の宝庫でもあり見所も沢山ある魅力的なコースだ。今回はデジカメが修理中で携帯でしか写真が撮れなかったのが残念である。

今度は奈良から歩いてみたいと思った。


2004.11.11/AM10:00/京都
昨日は、中学・高校のころの親友と京都の繁華街を、ぶらりととりとめもない話をしながら歩いてきた。久しぶりにあった彼女は、お上品な奥様風。私は、……。

ず〜〜っと、昔に制服姿でこの辺をウロウロしていたっけ。と想いながら京極を歩いていたらいたいた、かつての私たちと同じ制服姿の女の子。かれこれ、四十年前の話だ。京都の町と友人がその頃と変わっていないという錯覚を起こす。本当は二人とも違うところでいろんなことに遭遇しながら生きていたのに、だんだん昔のままのお喋りが続く。時間はどんどん逆戻りしていき、タイムスリップしてしまった。不思議な気持がする。

おばさんになった二人は、今も本質的には昔と同じだったんだということに気が付いた。ホッとした、ひとときだった。

娘の写真展を見てきた。京都の町屋をそのままカフェにしていた。帰りに、歩いた京都も、古い物と新しい物が意識的にも同居していた。変わらない京都と、変わっていく京都。京都の町も私にとってはすぐにタイムスリップできる町だ。やっぱり、京都はいいなぁ〜。

また、ふたりで歩いてみたい。


2004.10.27/PM3:30/今日は寒い
今日はホシダに行くつもりにしていたが朝からまだ小雨が降りとても寒く、とうとう1日家で過ごしてしまった。いよいよ秋本番!!これから、寒い季節になる。

今日のような、分厚い雲は秋には似合わないように思う。秋には青空が一番似合う。家の前の公園の桜の木も、色付く前に落ちてしまったのか何だか寂しい。

しかし、珍しく子どもが公園で遊んでいる。こうしてゆっくりコーヒーを飲みながら子どもの歓声を聞くのも何だか久しぶりのような気もしてくる。何となくホッとした。


004.10.25/PM6:30/ハイキング
昨日は、京都山の子会のハイキングだった。滋賀県の甲西町の岩根山(十二坊)という山に登ってきた。いつものTさんとNさんとの久しぶりの楽しい一時だった。Tさんは、「ティファ」という盲導犬と一緒だった。昨年、醍醐に行ったときのスカイはやんちゃで脱走して手を焼いてしまった。

今度のティファは最後まで、おとなしくてお利口さんだった。このティファは人が近づいてもあまり態度に変化はなく、忠実にお仕事に励んでいる。しかし、人が自分のことを誉めてくれるとニンマリ笑う(ように見える)。嬉しさと誇らしさが、寡黙な犬柄にも態度に表れる。Tさんも「犬でも人間でも誉められると嬉しいものですよ」とおっしゃる。

甲西駅からは70歳の全盲の女性Mさんのガイドをしての歩きだった。この方は年齢にしては歩くのがかなり早い。すぐに前の人に杖が当たってしまう。「手引きより前に出ては行けないと言うのが歩く原則なのにいけないわね〜」と苦笑されていた。前日は八幡市から枚方市まで15キロも歩いて体慣らしをしてきたとおっしゃる。

Mさんは、46歳で失明してから山と出合って、常念岳や薬師岳などの登山のことを話されていた。一歩足を踏み出し、山に出会えて幸せだとおっしゃる前向きな方だ。私も一歩ずつ踏み出した山行きが今の自分に繋がっている。山に行きだしたのも子育てが終わってからなど共通点も多く京都駅でお別れするまでおしゃべりに花が咲いた。

2001年3月号の「岳人」に文章を書いたとおっしゃっていたので、さっそく帰ってから探し出して読んだ。読んでみて、より一層魅力的な方だと思った。

私はまだMさんの年齢まで15年は山に行ける。クライミングも出来るかな? そんなことを思うと、ウキウキしてきた。

甲西駅さー出発

岩根小学校にあった

磨崖不道明王5M

岩根山(十二坊)頂上からの展望

素晴らしいリースの出来上がり

盲導犬「ティファ」

十二坊温泉うらら


2004.10.18/PM2:30/錫杖左方カンテ
土曜日は左方カンテを日帰りで登ってきた。いろいろ考えさせられる出来事があった。

私は女2人でつるべ、その後に3人で私たちの後に続き、私たちは2パーティーだった。8時少し前に取り付きに着いた。すでに2組は登り、もう1組が取り付きで用意をしていた。最後の男女が取り付いたので、私たちも続いて登り出した。

前をのぼっていた男女2人は3ピッチ目で懸垂にて下山。そして、私たちが核心の7ピッチ目の大テラスについたところで、その前の組みが取り付いた。3人のうち一人は腰痛で、そこに待機して懸垂で下りてくる仲間を待っていた。

行動食を取りながら休んでいると、トップの男女2人が懸垂で下りてきた。その2人は京都の山岳会の男女で顔見知りでもある。2人が下りてテラスでザイルを抜いたりしている間待たされ、あげくにザイルが抜けず苦労しる。登り返すと言うので、いつまでも待たされたくないので、私は登るから上で外してあげると言って、先に登らせてもった。ザイルは岩と岩の間の溝に挟まっておもいっきり抜くときに引っ張ったものだがら、しっかり挟まっていた。

私はそのザイルを抜いてチムニーからフェイスを登りはじめたとたん、上からザイル(10.5)が、ばさっと落ちてきた。幸い私には当たらなかったが、リード中なのでヒヤリとした。そして、私が登っている上から懸垂してくる。私はその時に下を見たら、私のザイルに投げられたザイルが落ち絡まっているように見える。その人はおりて途中の絡んだザイルをほぐして下りたが、なんの挨拶もない。私はとても怒りを感じた。お陰で、必要以上にそのピッチの壁にしがみついていなくてはならなかった。

その前の6ピッチ目を登っていた私の仲間にも、左方カンテのルート通りに懸垂をしていたトップの男女がザイルを投げたそうだ。落石するから投げないようにと、リードをしていたFさんが注意したそうだ。しかし彼らは知らん顔。そこでセカンドの男性Tさんが「落石があたるやんか」と怒ったそうです。そこで初めてこの男性がすみませんと言ったそうだ。Fさんは「女や思って、嘗めてる」とかなり怒っていた。そういえば、私の組みも女二人だ。嘗められていたのなぁー??

私が昨年に左方カンテを登ったときは貸し切り状態だったので問題はなかったが、それでも、注文の多い料理店の方に懸垂して下りた。凄い疑問は、なんで登る人がいるところを懸垂で下りるのかと言うこと。これは落石を引き起こし、やってはいけないことだと思う。まして歩いて下山のルートがある。幸いにも今回は事故は起こらなかったが、投げたザイルによって落石を招いたり、ザイルが当たって落ちたりと言うことは予想が出来るはず。

そういえば、電車に乗るときに東京では必ず下りる人が下りるまで待って、乗車する人が乗っていたが、関西では乗る人も待っていなくてぐちゃぐちゃだ。私が東京から関西に帰ってきたときに、その違いに驚いたものだ。今ではそのマナーの悪さにも慣れてしまい、何とも思わなくなってしまっている。マナーの悪いクライマーだったんだと思う。今回は事故が起こらなかったから良かったものの、何かあったら問題にはなったでしょう。

少なくとも、私はこれからも登攀ルートに人が登ってきていたら、懸垂では下りないようにしようとおもった。


2004.10.8/AM10:00/またまた裏剱の紅葉が逃げてしまった…
今日は朝から雨。台風が来ていて、三連休の計画はお流れ。今年は夫と早月尾根から剱北方稜線を通って欅平への行程を計画していた。もう何年も前から、裏剱からの紅葉を見たかったので、今年こそはと楽しみにしていたのだが…。残念だ。

しかし、これから低山では紅葉の季節。近場の山にも登って秋を楽しみたい。

毎年一年の巡るのが早く感じて仕方がない。昨年の同じ頃同じようなことを書いているが、ついこの間のような気がする。連日の30度を越す暑かった夏も過ぎてしまえば、あっという間だったような…。

今年の夏は、台風と猛暑の夏だった。そのせいか分からないが、熊の餌が山には激減しているらしく、毎日のニュースでは熊の人間社会への出没騒ぎで賑わっている。私はまだ山で熊にでくわしたことはない。

山に行くということは、自然界を人間が荒らしていることになるんだなぁー、と思った。人間は麻酔銃で、簡単に熊を人間社会から追い出せるが、山や森の住民は人間には無抵抗だ。熊にそういつも出くわさないということは、日頃熊さんもひっそりと生活をしているんだと思う。

TVニュースを見ていて、たとえ麻酔銃であっても熊に向けられる銃口には心が痛む。うまく共存したいものだ。


2004.9.28/PM1:00/疲れが…
サマコレから2週間が過ぎようとしている。その時は、それほど疲労感はなかったが、そのあとのフリークライミングの調子の悪さが何よりも物語っている。疲労は蓄積されていたようだ。

とうとう、日曜日の芹谷は最悪の状態だった。前に登れていたラバンバのハングをテンションを掛けて乗越して、やっとのことで登る。その時は一本目だから仕方がないと思っていた。最後にもう一度登ってみたら、ハングを越すときに持つ右手のホールド(象の鼻)が全く保持できない。がっくり!! 何という情けなさ…。やる気の起こらない一日だった。

次の日の月曜日は、とうとう一日中頭痛で悩まされる。脱力感で何もする気が起こらない。

昨夜はアミノバイタルと疲労回復のアンプルを飲んで早めに寝る。やっと今日は、快復してきたようだ。もう、無理はきかないとつくづく思う。


2004.9.22/PM10:00/映画 「スクール・ウォーズ HERO」と「トゥー・ブラザーズ」
今日は水曜日で映画がレディースデーで千円の日「スクール・ウォーズ HERO」と「トゥー・ブラザーズ」の2本見てきた。

「スクール・ウォーズ HERO」は、最初から最後まで涙無くしては見られなかった。それは、今から16年ほど前に舞台となった伏見工業高校の校区(京都市伏見区)に住んでいた。ちょうど、私の子どもの成長期でもあった。この映画のような子どもたちは、本当にまわりにたくさんいた。そして今もいるかも知れない。愛情に恵まれなかった子どもたち。しかし、僅かだが教師や周りの大人の深い愛情で変わっていく子どもたちも見た。子どもの小学生2年の時の担任のT先生も、忘れられない先生だった。その頃の無力な自分を思いながらあふれる涙を抑えることが出来なかった。せめて、偏見でだけは人を見ないようにしたい。


2004.9.21/PM4:00/夏の成果は??
昨日は芹谷でフリークライミング。まだ蒸し暑く、人も少ない。また、3日間連ちゃんのフリークライミングだった。サマーコレクションのあと疲れているせいか、体が重い。6月に5.11a2本登った後、夏の間のグレードアップはとうとう出来なかった。夏の疲れだけが残っているようだ。

しかしこれからは涼しくなってくる。これからがフリーのシーズンだ。山はもう紅葉が始まっているのだろうか?

嗚呼、どうしてこうも山が気になるのだろう?


2004.9.16/PM4:00/サマーコレクション
今日は、かすかに残る手足の筋肉痛とともに昨日の余韻に浸っている。

サマーコレクションは、フリーを始めてからいつかは行きたいと憧れていた。しかしテン台のマルチなど自分では不可能の世界だと思っていた。アルパインで5.9というピッチグレードが出ても、その高度感とザックを背負ってでは至難の業である。

ましてテン台は5.10cまで3ピッチもあり残りも5.9や5.8など9ピッチもある。フリーでの私の最高グレードに近い。それにマルチで落ちないように登るということは、オンサイトをしなくてはならない。まして私のオンサイトグレードはかなり低い。それに普段フリーを登りにいっても、まず一日に続けて9本も登るなんてあり得ない。それにマルチのルートは1ピッチも長い。

といような理由で不可能だと自分では思っていた。しかし、最近ではフリーも僅かながらレベルアップし、もしかしたら全くのフリーでは難しいかもしれないが、何とか行けそうだという気持もしていた。

そんなおり、Fさんから機会があったら行こうと前から誘われていた。行くからには、出来るだけ自分でもリードをして登りたいと思っていたので、誘われたときにはとても嬉しかった。

おんな同士でザイルを組むのは、私は好きだ。それは自分もしっかりしなくてはという前向きの気持にさせてくれるからだ。私は恐がりなので甘えられると、とことん甘えてお気楽になってしまう。それはそれでまた楽しくていい部分もあるのだが、やっぱり達成感が違う。ザイルが前にあるのと後にあるのでは大違いなのだ。出来たらぶら下がれる状態で登りたい。落ちたくない。落ちて怪我をしたくない。特に本ちゃんでは絶対!絶対に落ちたくない。

この落ちたくないという葛藤で、いつも上手い人や男性といくとトップを行こうという気持が萎えてしまう。しかし、女性と行くと半分はしっかり自分の足で登らなくてはという自覚が生まれる。本来は、誰と行ってもそうあるべきなのだが、恐さに負けるのである。

しかし、何でも自分で達成できたことには満足が大きい。クライミングも山登りも同じだ。今回はそういった意味でも、達成感と充実感を味わえた。

これからも、この気持は忘れず前向きだ〜〜。


2004.9.10/AM11:00/夢 「アルケミスト」を読んで
娘に勧められて「アルケミスト」いう本を読んだ。羊飼いの少年が、エジプトのピラミッドに宝物が隠されているという夢を見て、信じて探しに行くというお話しだ。この本は、ストーリー自体は寓話風で単純だが、内容はかなり深い。その場に現れる登場人物の言葉や起こる出来事も、何かを示唆しているのでは、と考えれば考えるほど複雑に読んでしまう。

本来人間は夢を見る旅人なのかも知れない。一歩足を出し、夢を捨てずに旅をし続けることが、いい人生だったと思えるのかも知れないと思った。そして意外と探していた宝物は、身近で見つかるのかも知れないなぁー。いろいろ、考えさせられてしまう本だった。


2004.9.6/PM6:30/突然の地震
週末は相変わらずのクライミングで日曜日は烏帽子だった。疲れが出たのか帰りの車では助手席で熟睡。帰って食事をしてからもすぐに寝てしまった。

ところが夜中の12時前に地震で目が覚めた。かなりの横揺れでわりと長かった。1分ぐらいだったらしいが、私にはもっと長く感じられた。揺れが治まってからテレビを付けてみると、しばらくして地震の速報に番組が切り替わった。阪神淡路大震災のときの悪夢のような出来事が脳裏をかすめた。その時の揺れよりは少しましだったが、やはり本箱やタンスの扉が開き中の物が落ちたりした。

昨日は7時頃にもあったそうだ。その時は車の中で爆睡していて全く気が付かなかった。

地震といえば、1998年の穂高での地震を今でも思い出す。私は白出沢から地震と雷のなかでの下山中転んで怪我をしてしまった。苦い思い出になっている。

岩場で地震があるともっと恐いだろうと思う。

今日は一日落ち着かなかった。


2004.8.30/PM5:15/三連ちゃんクライミング
27日の金曜日から三日間小川山に行く予定にしていたが、あいにく天気予報が雨のために中止にした。かわりに3日間、天気の良かった関西で遊んだ。

金曜日は、ロックガーデンと並んで関西のロッククライミング発祥の地といわれている堡塁岩に初めていった。中央稜の右カンテを最初に登り、次ぎにカンテ横フェース横ルートに取り付くが、出だしが難しい。これが5級+だとは信じられない。最後に右クラックルートでおしまい。整備されたフリーの岩場でなれている私は、古いハーケンやリングボルトのルートを見て、グレードが低くても登ろうという意欲は萎えてしまった。

土曜日は、ホシダへ。そして日曜日は駒形・烏帽子へ。次の課題、駒形のフィギヤヘッドに挑戦したかったが、岩を持つ手の感触が滑り、これも出来なかった。やっぱり涼しくなってからかな?


2004.8.23/PM10:30/誰も知らない
「誰も知らない」という映画を見てきた。カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を柳楽優弥という主演の男の子が最年少で取ったということで話題になっていた。

さて感想だが、映画を見てるという感じがしない。作為が感じられないのがこの監督の作為かなと思った。凄い現実的な風景なのに現実的でないという不思議な感じがずっとしていた。昔に見たフランス映画のようだ。

子どもたちは、演技をしてるのだろうか? とにかく優劣では表現できにくい映画だと思った。

子どもは逞しいと思う。戦後の子どもたちもあんな風に生きていたのかな、とふと思った。子どもが、素晴らしく表現できていたと思う。


2004.8.20/PM4:40/秋の気配?
とても涼しく感じるので温度計を見た。それでも30度はあるのだが、35度近くあった連日からみるとかなり涼しく感じてしまう。今年は梅雨時から雨があまり降らない空梅雨で、早い内から猛暑がはじまり、毎日毎日暑い暑いを連発していた。ところが一旦雨が降ると、水害に繋がるほどの勢いで降る。何だか、今年は変だと思う。

フリークライミングにはまたいい季節がめぐってくる。こんな厚い夏は、やっぱりあまり頑張れない。ホシダもだいぶ行っていないなぁー。間が空くとやる気も失せてくる。明日は久しぶりのホシダで、ガンバロ!!

明日も涼しかったら嬉しいのだが…


2004.8.15/PM:8:40/山を徘徊
10日から14日まで、折立から入山して雲ノ平、高天原、鷲羽岳、三俣蓮華岳、黒部五郎岳、折立へと縦走してきた。鳳凰三山につづいての縦走だが、今回はテント泊5泊6日の予定だった。結果としては4泊5日で下山した。最終日に太郎平でもう1泊する予定だったが、黒部五郎小屋で天気が崩れるというのを聞いたので、次の日折立に下山した。

久しぶりの長期縦走だった。5日の内、なか3日は雲一つない晴天に恵まれた。そんななかでの山歩きは、何もかもが美しく感動的で幸せな気分を味あわせてくれた。緑も青空では一段と映える。今回感じたのは、最近は中高年の登山ブームと言われ、山は中高年でひしめいていると思いきや、結構若い人がいたのには意外な気もした。

私はといえば、まさに中高年の山徘徊。それもテントと軽量化を計ったためにまずしい食料と最小限の生活用品を背負って彷徨い歩いた5日間だった。山を彷徨うことは、感動の連続である。これが下界での徘徊だったら、とてもこの生活条件では出来ないだろう。

たとえ満ち足りた下界の徘徊よりも、私は感動を求めてこれからも山へ行くでしょう。心配していた重荷での縦走をこなせたことも、これからもう少しこの感動を味わえる自信をもたらしてくれた。祖母岳の頂上のベンチで、ぼ〜っと風景を眺めながらいろんなことを考えていた。

また次の計画が頭をかすめる。


2004.8.6/PM:4:30/こころなしか朝晩は涼しいかな?
小川山の涼しさが恋しい。大阪は連日暑い。昨年の夏は冷夏だったようだ。しかしこころなしか朝晩が涼しいと感じるのは、気のせいでもなさそうだ。明日はまたどこかの岩場でクライミングをするという予定なのだが、なかなか食指が湧かず決めかねている。どこも暑いことだろう。

来週は、雲ノ平方面に娘と出かける予定だ。高天ヶ原温泉にはぜひ行きたいと思い、また地図とにらめっこをしている。


2004.7.21/PM:11:00/久しぶりの縦走
三連休の涼しい山から帰ったらやっぱり暑い日々が待っていた。何でこう暑いのに、汗をだらだら流しながらこんなことをしているんだろうと思いながらも今日もホシダで登ってきた。

三連休の早川尾根から鳳凰三山への縦走はほぼ計画通りにいけた。昨年2月に足を骨折して以来、小屋泊まりの癖がついてしまっていた。そのために、重い荷物を持っての縦走は少し不安もあったが、ペースとしてはかなりゆっくりめだったせいかそれほどの疲れも無く終えた。

梅雨前線が東北に停滞していた影響で、天気は雨も降ったが、初日と鳳凰三山に登る頃には晴れてきて展望もよく、とてもラッキーだった。地蔵岳のあたりでは8月下旬頃から咲くというタカネビランジが咲いていてとてもうれしかった。この暑さで開花時期が早くなったのだろうか…。暑さには閉口するが、良いこともあるものだ。山でのお花は、何もかも癒してくれる。

タカネビランジ


2004.7.12/PM:6:00/そろそろ梅雨明け
九州は梅雨が明けたそうだ。今週中に近畿も明けるらしい。いよいよ夏山シーズン到来だ。早速今週末の連休は早川尾根から鳳凰三山へ縦走の計画を立てた。

いつも北岳優先のことが多く、鳳凰三山はまだ行っていない。北岳に行くときいつもとおる夜叉神は鳳凰三山への登山口として有名だ。ここからの入山はけっこう多いだろう。最初は私もここから登って、白鳳峠から広河原に下山しようと思っていたが、2泊の行程にしてはあまりに物足りないので、早川尾根に足を運ぼうと思いついた。

ついでに甲斐駒までいけないかと地図を眺めていたら、北沢峠から入ったら、標高差が稼げることに気が付いた。同じ縦走なら夜叉神より楽ちんコースで足が延ばせる。このコースにすることにした。

この方面へ行こうと思った最初のきっかけは、会の山行で北岳バットレスと北岳のピークハントが出たのが最初だった。北岳はお花が綺麗だろうなぁー、なんてぼんやり考えているうちに行こうかなと思い立った。そのときは、昨年から土砂崩れのために夜叉神から北岳の入山口である広河原に車が入らないと言うことで、北岳には戸台〜北沢峠〜広河原とバスを乗り継がなくてはならず、面倒だなと言う気持もあり、それなら北沢峠から仙丈岳経由で北岳に行こうかなとも考えたりしていた。

それで、ネットで調べていたら、17日始発から夜叉神から広河原までバスとタクシーが乗り入れ出来ると知った。(乗用車は規制されている)それならと最初の計画が夜叉神から入山するまだ行っていない鳳凰三山に変わってしまった。

地図を見ているといろいろ想像し、計画が膨らみコロコロ変わっていく。このときが、いろんな空想の登山道を辿り、想像した風景に酔い、一番楽しいときかも知れない。一枚の地図から、いろんなものが見えてくる。特に縦走は回りの風景も位置関係が場所によって変わり、いろんな形で見えてくる。そして勝手に想像していたものが、現実に裏切られなかったりそれ以上だったら、かなりの満足感が味わえる。

そして帰ってからは、また地図と写真を見て、反芻しながら報告文を書く。これもまた楽しい。一回の山行がいろんな楽しみ方を私に与えてくれる。

だからしんどいことなのに止められないのだろう。


2004.7.7/PM:10:00/真夏日の連日
「何でこんなに暑いんや!」とぼやきながら、つい冷蔵庫のビールに手が伸びる。こう暑いと冷えたビールが冷たく感じない。

日曜日は京都岳連主催の救助訓練が、炎天下のなか保津峡で行われた。土日の予定だったが、私は日曜日のみ参加した。保津峡にチロリアンブリッジを架けての大がかりな救助作戦だ。じつさい、山でこんな大がかりな救助が行われることがあるのか、私にはわからない。しかしずっと昔、ニュースかなにかで消防のレスキューがこのようなチロリアンで救助訓練をしていたり、救助していたのは見たことがある。まるでサーカスだなぁーという感想を持っていたことを思い出していた。まさか私が体験できるとは思ってもいなかった。

京都の保津峡は昔から保津川下りというのを観光でやっていて、平日にも拘わらず、沢山の人を乗せた舟が何度も下りながら、私たちを見ていく。私は、小学生の頃家族で保津川下りを体験した。岩にぶつかりそうなのを、船頭さんの竿さばきで避け、スリル満点だったことを今でも記憶している。

川ではこの暑さで泳いでいる人もいたり、他にもカヌーやラフティングを楽しんでいる人もいた。一日炎天下で過ごしたせいか、次の日朝から私はまた疲れが出た。頭痛と目の奥の痛さに悩まされていた。もしかしたら、熱中症だったのかも知れない。半日苦しんだ。

しかし午後から調子も回復、次の日の昨日はまた炎天下の烏帽子に懲りずに行ってしまった。この日の烏帽子の岩も焼けたフライパンのようだった。フラットソールは、ゴム底なので爪先はやけるようで痛かった。

こんな日のフリーは散々だ!!


2004.7.1/AM:10:00/真夏日のホシダ
昨日はホシダに行ってきた。真夏日の暑い暑いホシダだったが、熱い熱いクライマーで熱気ムンムンであった。平日にクライミングを出来るというのは私も含めて環境的には恵まれた人たちだと思う。

特に昔のアルパインでバリバリの山屋さんが、定年退職後フリーに夢中という人をこのごろよく見かける。アルパインではそこそこの経験があって、そう言う人が一からフリーをするということは、いろんな意味で大変なことだと思う。その中でも一番大変なことは、今までやってきたプライドをかなぐり捨てなくては出来ないということだ。アルパインではベテランでもフリーでは初心者の立場に置かれてしまう。そう考えるとアルパインクライミングとフリークライミングは「似て非なるもの」かもしれない。クライミングの今までの経験がフリーではあまり通じない。

しかし、フリーが上手くなるとアルパインや沢登りも、前に登っていたところがとても簡単に感じる。それはフリーは登る能力を高めるクライミングで、いつも自分のレベルの登れないところに挑戦していってるからだろう。そう言う意味ではアルパインはもちろんだが、山全てのトレーニングとしては脚力やバランスを養え最適だと思う。

山に登るにはもう一つ欠かせないのは体力だ。これはアルパインにもかなりの重要な要素だと思う。しかし、悲しいことには年齢と共にどんどん体力は低下してくる。走ったり、ボッカでのトレーニングをしても抗せないものがあると思う。これは歳を重ねないと、わからない。

ホシダでは、山の経験がない人でも山の大ベテランでも一緒の壁を和気藹々とたのしんでいる。山は知らなくても、フリーは登れば上手くなれる。登らないと下手になる。へんにプライドがあると、やれないスポーツだと思う。そしてプライドというものが、何にもならないものだと言うことも判らせてくれた。

そういえば、朗読を習っていたときの先生が「ヌードになりなさい、上手くやろうとか上手に読もうと思わず、自分をさらけ出して思いっきり読みなさい!」とよくおっしゃっていたなぁー。

何でも、通じるのかも知れない。駄目な自分もさらけ出すことが、まず大事なんだと思う。そして、それが出来ることは素敵なことだと思う。ホシダにかぎらず、いろんな魅力ある人に出会えてよかったと、登れなかったホシダでこんなことを考えていた。

これからは出来るだけ、登れなくても愚痴や言い訳には走らないように気をつけたい、と反省もした。有りのままに…


2004.6.20/AM:6:30/健康優良
1ヶ月ほど前に受けた健康診断の結果が送られてきた。今回の受診は十年振りぐらいだろうか。各項目毎にAからFまで判定がされている。消化器の判定がC(要観察)以外は全てA(異常なし)だった。総合ではAになっている。かなり優秀だと思う。消化器のCはいつものことである。特にバリウム検査でははっきりしないらしく、胃カメラでの検査を勧められる。毎回のことで理由は分かっている。

20歳台中頃まで、東京で仕事をしていてかなりの重労働でストレスがたまり、神経性胃炎から胃潰瘍をしてしまった。その後が今でも写るらしい。そのころは運動は全くしていなくて、最終の電車で毎日帰るという生活だった。いつも仕事に追われていた。朝の通勤も満員の電車にいつも絶えられず、貧血を起こしては途中下車して休んでからまた乗り直していた。

その時のことを思うと、元気になったものだ。普通は歳と共に衰えて行くものだが、私の場合は40歳ぐらいから山に行きだしてどんどん元気になってきたようだ。

最近疲れ安いと思うのは加齢とともに仕方がないと思うが、マイペースで山に向かっていくのは体にはとても良いことをしていると思う。


2004.6.16/AM:9:30/椿岩
いつもことだが、突然のFさんから「火曜日サマコレ行きませんか?」のメール。月曜日は慢性の偏頭痛で苦しんでいて火曜日にはスッキリ元気になれそうにもないと思ったのと、いまだ自分自身サマコレに自信が持てないのとで躊躇していた。それでは椿岩に行こうと言うことで話がまとまった。

私は疲れると肩こりからよく偏頭痛を起こす。バッファリンを一錠飲むとおさまるのでいつもそうしていた。月曜日の朝、NHKの「おはようホットモーニング」という番組で偏頭痛を取り上げていた。私の場合はたまにしかおこらないのだが、番組を見てもっとひどい症状で苦しんでいる人が多いのを知った。私はこの偏頭痛が薬を飲まないでどのくらいの程度なのか見定めようと、我慢することにした。夕方まで続いた。何をしても、憂鬱な一日だった。やる気が起こらない。夕方たまりかねて一眠りして、やっと治まった。やはり薬に頼らないでいるのはとても辛いことだった。

気分もよくなり、3時間かかって椿岩に行くことにした。小岐須渓谷の駐車場には数台車が止まっていた。その一台はまだ人がいて話しかけたところ、入道ヶ岳に登ると言うことだった。マイナーな山なのかと思ったが話しているうちにそうでもないらしいことが分かってきた。まだ知らない山はいっぱいある。

この日の椿岩は、貸し切り状態だった。かなり前の冬に(2001年1月)一度夫と見に来ただけの岩場である。全く登れない頃で、トップロープでマタニティー5.9を登ったがそのころは難しいなぁー、と思っていた。それ以来だから、初めての岩場のようなものだった。マタニティーとアスレチッククラブ5.9はとても簡単に思えた。そして次ぎに燃えよドラゴンに取り付いたが、最初のハングが恐そうだったが、何とかのっこせた。しかしオンサイト能力の低い私は2回テンションをかける。もう一度登ってみると、ムーブがわかりだいぶ楽になる。なのに最後で力尽きてテンションが掛かってしまった。またもや、といったところである。続けて登るとかなり腕にも来る。

Fさんは、この岩場のルートはよくご存じで、そのままとなりのアトランタ5.11aにトップロープをするように下から指示された。次ぎにトップロープで取り付くが、全くムーブがわからず、とりあえず上までテンションを掛けながら登ってみた。石灰岩でデコボコした穴が無数にあり、ホールドだと思って持ったら甘かったりでルートを見る目が甘い私にはかなり苦戦を強いられてしまった。

しかし、芹谷の大ハングに比べたらまだ私にも登れそうな気がしてくる。ナインが3本テンが4本あるので初級者も楽しめる。

少し遠いが、また行ってみたい。


2004.6.14/PM:7:30/サボってしまった
長い間、「つぶやき」をさぼってしまった。

昨日は久しぶりの梅雨の晴れ間で、大空が広がった。空はまるで秋のよう。爽やかな天気だった。折角の晴天だったので、今度はいつ晴れるかわからないと思うと、私はどうしてもワンテンに迫っている烏帽子の「おじいさんのどたどた落ち」を登っておきたくなった。急遽烏帽子での相棒をSさんが引き受けてくださった。お陰様でやっとRPできた。これで今年になってから初イレブンの長屋坂の「スプリング」から数えて四本目の5.11aだ。

やれば出来るものだというのが、私の感想だ。それは、クライミングをやりながらも、自分がイレブン台まで登れるようになるとはずっと思いも寄らなかったからだ。最初に登った「スプリング」のときにはとても嬉しかったが、まぐれだと思っていた。何回も何回も同じところで同じように落ちて、膝の痣が大きくなってきた頃にやっと登れた。

相変わらず今回も苦労しながらのRPだったが、四本登れると少しは信じる気持も出てきて欲も出てきた。次の登りたいルートが自分の中に湧いてきている。

今までもいいかげんだったとは思わないけれども、結果が次への意欲に結びつくことがわかった。

ホシダではかなり痛い右腕も、岩でのクライミングではあまり痛まない。腕に掛かる力が違うのだろう。ホシダから気持が離れてきているのは、そのせいもあるかもしれないが、それだけでもないようだ。


2004.5.31/PM:10:30/やりすぎの弊害
木曜日から昨日の日曜日まで、4日間連続してクライミングで過ごしてしまう。結果はというと最悪。成果はない。昨日のホシダではとうとう力が全く出なかった。右手がホールドを持つと痛い。

5月の集計では14日のうち13日はクライミング。残りの一日はハイキング。13日のうち4日はホシダで9日は岩でのフリー。この頑張りの結果が、成果なしとは情けない。おまけに、腕を痛めていては何にもならない。

今日はとうとう雨。そろそろ梅雨入りの頃。お陰で久しぶりにのんびりと過ごした。朝から家事をこなし、午後からは読書で篠田節子の「聖域」をやっと読み終えた。「ゴザインタン」「弥勒」に続いて読んだがやっぱり面白かった。一日があっという間に終わってしまった。充実した一日だった。

明日から6月。こんな日が多くなるだろう。


2004.5.27/PM:8:30/十年ぶりの健康診断
昨日は半日がかりで、健康診断を受けてきた。毎年案内は来ていたが、十年ほど無視した状態だった。バリウムも久しぶりに飲んだ。前ほどの苦痛はなかった。やっぱり胃カメラよりはましかなと思う。味も少し甘みがあり、美味しいとは言えないまでも飲みやすくはなっていた。あんなに時間を掛けて沢山撮影していたのに、医者の前にあったのは、2-3数枚だけ。どうしてなんだろう。

結果は後日郵送ということだったが、内科問診では異常がないということだった。緊張していたのか、かなり疲れていて、帰ってからは肩こりがひどく頭痛がしてきた。かなり混んでいたせいかもしれない。私は人が多いところではかなり疲れてしまう。人混みでの疲れと、山やクライミングなど運動して疲れるのはどうも質が違っている気がする。前者は不愉快な疲れ方をするのに比べて、後者は心地よい疲れだと思う。同じ疲れでも明らかに違っている。

健康でいられるのも、心地よい疲れでストレスを発散しているお陰かもしれない。


2004.5.23/PM:10:30/フリー
今週末は久しぶりの晴れマーク。土曜日は烏帽子岩。今日は芹谷とフリークライミングが続く。しかし、どちらも染みだしがひどく、岩は濡れていた。今日の芹谷の最初に取り付いた「ラバンバ」は核心のホールドがビショビショだった。さすがに登る意欲は削がれてしまい、トップロープで登った。それでも滑りまくり、落ちまくる。ルート的には私の登れるのが少ないので、後は全く登る気がしなくなってしまった。そろそろRPしたいと内心思っていたルートだけにショックだった。それでも、上手い人は登れるもので、いろんなルートで取り付いては登っている。それを、見ているのも、惨めで悲しい。

こんな状態だと、フリーはつまらないものだ。その点土曜日に行った、烏帽子岩は簡単なルートが多く、こんな日にも私でも登れるルートが濡れないで残っている。フリーは、自分の登りたいルートのある岩場が楽しい。何年か前に一度だけ行った鳳来とず〜っと前に行った柏木を思いだした。その時の自分のレベルに合っていなかった。

岩場の選択は難しい。簡単すぎても難しすぎても、意欲がなくなる。一番ベストなのは自分に合ったレベルの岩場と、同じとこら辺(ルート的に)を一緒に楽しめる仲間と行くことに限る。

こんな日の芹谷は、クライミングでは満足できないものだったが、アプローチの山道にはいろんな野草が咲いていて、緑も美しいのがせめてもの救いだった。それと、偶然久しぶりに会えた人がいたのも嬉しいことだった。

また山へ登りたくなってきた。


2004.5.13/PM:5:30/ここのところ天気予報が当たる
今日は朝から雨。蒸し暑くてもう梅雨の気配を感じる。昨日はホシダに行ってきた。久しぶりに常連の顔が揃っていて、嬉しくなる。小川山の疲れでかなりへばっていたのが、やっと取れてきたようだ。最近は本当に回復に時間が掛かるようになってきた。昨日のホシダでは、桐の花がとても綺麗に咲いているのが車の中から見えていた。空に突き出るように咲いているホシダの桐の花はとても美しい。とても大きな木が、私市駅からハイキングコースを星田園地まで歩くと沢山ある。ハイキング道に平行して流れている天の川に浮かんでいる水色の花を見て、上を見上げて最初は気が付いた。それから、この時期は車で星田園地の駐車場に直行しないで、一度はここを歩いてみることにしている。以外とホシダに来ているクライマーも気が付いていない。ホシダは四季折々、草花も咲き乱れ、秋の紅葉も美しい。私が、こんなにもホシダに長く通えるのは、自然の中にある人工壁だからだと思う。パンプとかクラックスはどうも行く気がしない。まして京都クラックスの穴蔵のようなボルダーはどうも性に合わないなぁー。

ホシダでは、いつも一緒に山にもよく行くfさんご夫妻も一緒だった。最近は奈良の山に行くことも多い。fさんとは今日も奈良の山に約束していたのだが、生憎の雨の予報で中止になった。それで曇だったら桐の花とツツジや草花を見ながら、歩いてホシダへと思っていたのだが、それも中止。雨の中でのクライミングも戴けない。これからはこんな日が多くなってくるだろう。

天気が気になり出したら、体調も回復してきた証拠。体は正直なものだ。

今週末の天気も悪そうだなぁー…。

 


2004.5.9/PM:11:30/雨が疲れを癒してくれた日曜日
今日は朝から雨だった。一日のんびりと過ごした。日曜日家で過ごしたのはほとんどここ数年ないことだ。ゴールデンウイークの小川山から帰ってからも疲れが残っていたにも拘わらず、土曜日は芹谷にクライミングに行った。案の定登れなかった。

ルーズハングに最初取り付いたときには、前に登ったときよりもかなり簡単に感じていたのに、狙い目のリーチの掛かっていたラバンバは最初のトライではメチャメチャだった。一ヶ月半振りだったこともあってかムーブを全く忘れてしまってる。2回目には少し思い出したので楽になったが、2カ所テンションが掛かってしまった。3回目も派手に落ちてしまう。もう手がホールドを持ち堪えられない。もうやっても無駄だなと思ってしまった。クライミングをしていると、体調がよく分かる。体が軽く感じるときは調子がいい。今回はとても重く感じ、ハングを越えるときには、腕に体重がもろに来た。行くときから車のなかでも気分が悪かった。疲れが取れていなかったようだ。こんなことを書くと言い訳がましいので気が進まない。

難しめ(自分の実力での)ルートをRPしたいときには、やっぱり続けて行かなければならないと思う。間が空くと、また一から出直しということがよくある。

GWの小川山も、結局は難しめの成果は全くなかった。しかし簡単ところは、前よりは楽にはなっているというのは実感した。小川山は遠いので、通うことは出来ないので仕方がないことだとは思う。

芹谷はやっぱり来週も行きたいと思う。

 


2004.5.5/PM:9:00/雛の巣立ち
29日から昨日の4日まで小川山に行っていた。昨夜帰ってから雛はいるかと覗いてみたら、ベランダはもぬけの殻になっていた。まだその時は半信半疑だった巣立ちが、今日ははっきりした。連休の留守の間に、巣立ちをしたようだ。その瞬間に立ち会えなかったのは残念だが、何だかホッとした。反面寂しさも感じる。今日は何度もベランダを覗いてみて、公園にでもいないかとつい目が遠くに行ってしまう。しかしどこにも鳩の姿は見えない。

今度の巣立ちは確かなようだ。鳩は帰巣本能があるらしいので、帰ってくるのではと期待もしてしまう。しかし、格好の巣となっていたラックを綺麗に掃除して、ポリタンクを押し込んで塞いでしまった。もうこれで、帰らないだろう。

今度こそ、さようなら。どこかで、元気でいてほしいものだ。

これからは、鳩を見る目も変わるだろうな…。


2004.4.27/AM:9:00/巣立ちの練習かな?
生まれて約一ヶ月。もうだいぶ、大きくなった。今日の朝、飛ぶ瞬間を見た。ベランダに置いてある灯油のポリタンクの上までの往復だった。最初は離陸に失敗。しきり直してやっと飛び上がった。低いところはもう飛べるようだ。

私は、子どもが歩きはじめた頃のことを思いだしていた。立ったと行っては大騒ぎをし、よたよた歩いては尻もちをつく。そんな様子にはらはらしながら、そんなことを繰り替えしているうちに、しっかり歩けるようになる。一緒だなぁー。「ガンバレー」とつい声援を送ってしまう。それに応えるかのように、羽をばたばたさせる。

人間と違うには、親鳩は殆どいない。ほって置かれている。勝手にベランダをウロウロして、練習のためか少し羽をばたつかせている。孤独に見える。しかし、時々は帰ってきて様子は見ているようだ。親について一緒に大空に飛び出せれば一人前なのだろう。親は付かず離れずのいい感じに思える。

人間も少しは子どもにクールに接してもいいのでは……

  


2004.4.20/AM:9:00/まだ居た・・・・・・!!!!
早朝5時頃鳴き声で目を覚ましたところ、昨夜居なくなったと思っていた雛が、ベランダの隙間にひっそりと居た。暑い日が続いていたので、風通しの良いところに移動したようだ。せっかく別れの決意をしたところなのに…。

生まれたのが多分3月28日だと思うので、まだ一ヶ月はたってはいない。飛ぶことは出来なくても歩けるようになって、少し自由の身になったようだ。そう言えば、鳩は帰巣本能がかなり強いということが、ネット上で書いてあったのを思いだした。そんなに簡単に巣立ちしたからといって、さっさと居なくなるというのも疑問だ。(それだったら助かるのだが、あとあと厄介なことになりそうな予感がする)

そう言えば母鳩も早朝に餌を運んでいたようだ。

私ももう少しお付き合いは続きそうだ。そして、もう少しで、本当に終わって欲しいものだ。

 


2004.4.19/PM:10:00/最後の写真
今日の朝、写真を撮ったときには確かにいた。なのに今はもぬけの殻になっていた。無事に巣立ちしてくれたのだと嬉しい。そういえば今日の朝見たときは、しっかりした足で立っていた。今日は一日雨だった。雨の中どこへ行ったのだろうと、余計な心配をしてしまう。雛の誕生に気づいてから約20日。やれやれと、ホッとしている半面、少し寂しいのも正直な気持。

今日は代休をとった夫とホシダへ行っていたので知らない間の出来事だった。巣立ちの瞬間は見たかったなぁー。これも残念。明日も姿を見なかったら、巣を綺麗に掃除をしよう。実は、この雛には密かに「ポッポ」と娘が名前を付けていた。ポッポさようなら!!


2004.4.17/PM:8:00/篠田節子の本
娘が置いていった篠田節子の本を読んだ。最初に読んだのは「女たちのジハード」で直木賞をとった作品だった。この本を読んだときから、けっこう問題意識を持った作家だと思っていた。最近になって「ゴザインタン」を一気に読んでしまった。私は自分の育った環境が農家で、とてもよい自然環境で子供のころを過ごしていた。しかし、中学生の頃から土地が価値をもつようになり、回りの自然がなくなるにつれて、地域の共同体は崩れ、人々の有り様も価値観も大幅に狂ってしまったのを目の当たりに見てきた。そして、過去の生き方や価値観・因習から逃れられない私の前の世代はそれを引きずりながら生を全うするしかない。私自身、いろんなものを否定的に子供のころから見て育っているのに、未だ目に見えないいろんなものを引きずっている自分を見る。悲しいことだ。「ゴザインタン」は正に私自身を問う小説だった。

そして、昨日読み終えた「弥勒」。これは尚一層の衝撃を私に与えた小説だった。途中からはあまりの重苦しさに、ページをめくるのが躊躇されてしまうほどだった。人間は絶えず、理想を求めて生活したり活動したりしている。それも正しいと思うことを理想に掲げているはずだ。しかし、これは絶対だと言うことが、この世にあるのだろうか。この本を読んで私は「ゴザインタン」を読んだときまで思っていた想いがまたぐらついてしまった。それは、私が生まれ育った回りの古い価値観を否定していたはずだが、自分自身に確信を持てなくなってしまった。

人は、いろんな環境や経験を経て自分を形成している。いろんなことを否定する自分も肯定する自分も、絶対的に正しいという価値観を持ってはいけないのではないかと思ってしまった。絶対的に正しいと過信することが、誤った行動をするのではないか。この小説のように、理想郷のためには人を殺してもおかしくないという、おかしな正義が成り立ってしまう。この世に、正義はあるのだろうか?

「小説は魔物だ。構想の段階では「私のもの」だが、書き始めれば生命が宿り、勝手に成長し暴走する。評論もジャンルも関係なく、小説の概念さえ踏み外し、隙あらば「大説」に成長しようとする。私はこの手に負えない魔物に隷属される者で、賞を頂いてもこの主従関係は変わらない。力つきるまで、何匹もの魔物の卵を産み落とし、育てるだけだ。」と「ゴザインタン」で篠田節子が山本周五郎賞を受賞したときに語ったということだ。

私は、この小説を読んでからは自分のなかにその魔物が移り住み、いろんなことに思いを巡らせていくように思える。私のなかでも勝手に成長し、暴走してしまってる。残る「聖域」も読むしかないだろう。

 


2004.4.14/AM:9:00/だいぶ子ども鳩らしく
デジカメが壊れてしまい、携帯電話で鳩の写真を久しぶりに撮ってみた。(下)生まれて3週間近くなるのだろうか?

雛の下の新聞紙は異様に汚く臭い。時々交換してあげることにした。だいぶ大きくなり、しっかりと立てるようになってきた。羽も広げている。母か父かわからないがたまに餌を運んでくる来るようだ。帰ってきてもとなりの部屋の台所の出窓の上で、安全をしばらく確認している。それから雛の元にやってくると、雛も外に出て口移しで餌を貰っている。

一丁前に足を突っ張り羽を大きく伸ばし羽ばたく。少し、可愛くなってきた。しかし、まだ毛は産毛なのか、茶色いのが混じっている。

いったい人間では何歳ぐらいなのだろうか???

   


2004.4.7/AM:9:00/母子家庭?
2−3日前から、雛が一羽でいることが多くなってきた。それまでは母鳩のお腹の下にずーっと隠れていたのに…。育児を放棄したのかなと思っていたら、時々母鳩が戻ってきていて、餌は与えているようだ。

窓を開けて覗いても、親鳩はいないので平気になった。もぞもぞと良く動くようになった。少し立ったりもしている。産毛だらけの雛を見ていると、ほって置いて大丈夫なのかな? 餌は足りてるのかな? あんな汚い(糞だらけ)ところでかわいそう、なんて人間母の方が過保護。

じっと、手を出さずに見ているだけに徹しているのは忍耐がいる。ここで、人間母が手を貸すと、鳩も自立できないだろう。

私の目的は、二度と家のベランダで巣作りをしてもらわないこと。そのためには巣立ちまでソォーット、ソォーット……

鳩の世界に立入禁止である。

しかし、窓を開けたときの臭いは何とかならないかなぁー。せめて消臭剤でも買ってきて置かせてもらおうかな??


2004.4.4/AM:9:00/昨日の京都
昨日、京都博物館のお茶室で「桜を愛でる会」というのを昔の友人が企画してくれて行ってきた。京都東山七条は思い出の地。少し早く行って散歩してきた。あれから40年近く過ぎるとかなり様子が違っている。しかし、三十三間堂や智積院、日吉神社、などの神社仏閣はなんら変わらない。いろんな風景が懐かしく、昔の思い出とダブってくる。

博物館の茶室は穴場だ。広い庭園に素晴らしい茶室である。紅葉の木も多く、秋もまたいいだろう。夕方からは二次会に向かうが、京都は凄い人出だった。祇園の花見小路を通り四条まで。とにかく人人…。「祇園祭以上の人出」というのが感想。車も殆ど動いていない状態だ。今日車で京都に出たら、果たして目的地に着くのだろうか?

祇園では、都おどりの開催中。木屋町の店はどこも満員御礼。高瀬川添いの桜は満開だが、愛でるという状態ではない。

京都人なら、こんな日に外に出ないはず。

私も、都会の桜にはうんざり!! 


004.4.2/PM:4:00/雛を撮影
新聞を外に出すために窓を開けたら、母鳩は恐がって飛び立った。いつも母鳩の下にいるために、なかなか見られない子鳩の姿をピンぼけながら撮影できた。

死んで外に放り出されていたもう一羽の雛はベージュ色で小さいかったが、もうグレーの毛がだいぶ生え、両手を合わせたぐらいの大きさになっている。以外に大きくなるのが早く感じる。そして死んだ雛は、夫が公園に丁重に葬ってくれた。

あとどのくらい巣立ちまでにかかるのだろう。待ち遠しい。鳩もこんなところに巣作りをしたために、かなりの神経を使う羽目に陥っただろうが、私も同じ。

自分の部屋なのに窓をガラリと開けられない。昨年は、公園の桜を眺めながらパソコンに向かっていたというのに…。

何で、こんなに鳩に気を遣わなくてはならないのだろう。せめて新緑の美しい季節には、窓を思いっきり開けたいものだ。

4日の撮影


2004.3.29/PM:11:00/ショックな出来事
鳩の卵を発見してから三週間。日曜日見たときにはすでに雛が生まれていた。ショックなことに一羽が巣の外で死んでいた。いったい何がおこってしまったのか? もう一羽は母鳩の下に隠れていてよく見えないが、多分元気なんだろう。死んでしまっている、雛を何とかして土に埋めてやりたいのだが、刺激的なことをしていいのかどうかわからずためらっている。

だからといって、いつまでもほっても置けないし…

今頃になってもっと早く巣作りに気づくべきだったと後悔しきりである。


2004.3.20/AM:1:00/要注意!!
木曜日sさんにホシダに誘われて行くつもりだったのが、朝からの雨でひよってしまった。昨日の金曜日は天気も良かったので、思い立っていってみた。だいぶハイカーがふえてきた。やっぱり春だな〜。

灰色のカンテRPしているのに今日は2回も派手に落ちてしまった。ムーブ的には楽になっているのに、ホールドを持つ手がスッポリと抜けてしまう感じだった。ギャリーが多いので集中できなかったのかな、とその時は思ったりしていた。

帰ってきて、風呂上がりに体重計に乗ってみて、やっと原因がわかった。ここのところ何を食べても美味しい。おまけに数日前には会のメンバーの送別会があってよく飲んで食べた。

「暴飲暴食はクライミングの敵」ということはよくわかってはいるはずだが…


2004.3.16/AM:9:30/母は強し
一個の卵発見から一週間。卵は次の日には二個になっていた。母鳩は卵の上に座って毎日毎日じっとしている。一体何を考えて日々を過ごしているのだろうか? 父鳩はあまり見かけない。親父は出かけると鉄砲玉? 新婚の時にはあんなにベタベタだったのに…

こんな風景は人間親も一緒かな?

この鳩のマイホームがあるベランダは新聞と灯油の置き場所になっていると前に書いたが、昨日は思い切って新聞を片づけるためにベランダに踏み込んだ。あわてて逃げていった隙に、ベランダにまき散らした枯れ木の掃除と、下に敷いてあるチラシが外に放り出されていたのを、「こんなことしていいのかな?」と想いながら、もう一度チラシを敷き直してみた。ベッドメーキングである。占拠されたと言え、私の家である。大家としては清潔に使って欲しい。

掃除が終わると母鳩はしっかり戻ってきて、元の卵の上にどっかり座り、あとは一点を見据えて微動だにしない。動揺している様子は全くなさそうだ。

それからは、この母鳩の態度がガラリと変わった。

窓を開けても微動だにしなくなった。前のように人間を恐れてはいない。これはもうなめられてしまったなぁー、と思う。

母は強い。こうして既成事実を積み重ねて、いつのまにか「居て当然」というように思わせたいのだろうが、そうはいかないよ!!

私も、雛が巣立った後のチャンスを待っているのだから…

それにしても、とんと父鳩見かけないなぁー


2004.3.8/PM:1:30/鳩の巣作り
昨日7日、ホシダから帰ったら、「お母さんが、掃除もしていないから鳩がベランダに卵を産んだよ〜!!」と娘が大騒ぎをしている。家のマンションはベランダが2つあって、小さい方は灯油を入れるときと新聞を片づけるときしか行かない。そ〜つと覗いてみると、カラーボックスの下段にチラシを敷いて(けして鳩が敷いたのではありません)木の枝が少しばらまかれ、その中に卵が一個あるではないか。なのに肝心の親がいない。「あれ〜、子育てを放棄してるよ〜」なんて言っていると、隣の台所の出窓に多分母鳩だろう、見張りをしている。そして続けて観察していると、たまに戻ってきて卵を温めている。感心! 感心! もう一羽お父さん鳩だろう姿を見かける。仕方がないので、しばらく居候をさせてやることにした。この頃の、子供に虐待する人間親より偉い!!なんて感心して見ている。

今日の朝、その事をすっかり忘れ、がらりと窓のサッシを開けてしまった。「しまった!!」と思ったと同時にバタバタと羽音がして、残されたいたのは可愛そうなたまごのみ。

それからは、私の部屋の窓は開かずの窓となった。時々居間側からレースのカーテンをそ〜っと開け、盗み見をしている。

先ほど見たら、母さん鳩はじっと卵の上に座っている。そこへ小枝を口にくわえた父さん鳩が来ては巣を少しずつ大きくして住みやすくしている。見ていると微笑ましい。

写真を隙間からそっと撮ってみた。

しかし、巣立ちにはどのくらいかかるのだろう。しばらくは私が居候をしているように片身が狭い。そういえば忘れていたが、娘も今居候中だった。

どうしたもんだ????


2004.3.4/PM:9:30/エルニーニョへの道
2日(火)京都クラックスで平山ユージのスライドショーがあり、行ってきた。エルニーニョへの挑戦までの過程のスライドと、いろんなエピソードを交えてのとても楽しいひとときだった。

改めて精神力の強い凄い人だとおもった。「ユージ★ザ・クライマー」も読んでいたのと、城山では同じユースで泊まって間近にみていたのもあって、私はかなり近親感をかってに持っていた。

スライドを見ながら「恐かった」という言葉が何度も出る。それも近親感を覚えた一つの理由なのかも知れない。ボルトが遠くてランナウトしそうなときや核心の一手がわからないなどいろんな時に「恐かった…」と説明が入る。

「あれ〜、私と一緒やん…??」なんて、不謹慎なことを心の中で思ってしまっていた。違うのはルートのレベルが月とスッポン以上。でも「同じ人間なんや」と当たり前のことを考えてしまっていた。

しかし、凄いのはどんなに困難に思えても、行けるという確信を持って、成功を信じてホールドを取りに行くことだ。それの連続が凄い記録となったのだろう。

その点では、私は自分のことを「腰抜けだなぁー」反省した。一挙には自分を改革は出来ないが、これからは少しでも見習ってお尻を引かずホールドを取りに行こうと反省した。

そして最後に子供と一緒の写真を数枚写しながら、「子供に癒される」と言う。

最後の一枚は奥さんと子供そして「有り難う」だった。かっこいい。平山ユージは本物の強い人だと納得した。前にも増して、ファンになってしまった。


2004.2.29/PM:10:30/4年に一度しかない日
2月が今日で終わりである。おまけに今日は閏年の日。朝からどしゃ降りだった。残念ながらこんな日はどこへ行っても駄目だろう。朝から雨足が弱まるのを待って、それでもホシダに向かった。私市駅の近くで歩いていた常連のM氏を拾い着いてみると、もう昼前だというのにさすがに誰もいない。しばらく雨を眺めながらピトン小屋でぼ〜っとしていると、S氏がやってきた。4人でやっと取り付いたはいいが、ホールドは濡れてヌルヌルで気持ちが悪い。そのうちに全員で十名ほどになり、晴れ間ものぞいてきた。こんな日は、やっぱりインドアがいいなぁーと思う。

ちなみに2月は13日フリークライミングをした。凄いな〜、と自分でも感心してしまう。しかし相変わらず急激な進歩は望めないが、イレブンに足を踏み込めたのは努力の成果だ。それでも私にとってイレブン台はかなり難しい。やっとナインとテンのはじめが楽に登れるようにはなった気がするぐらいだ。

骨折した足首を気遣って、今年はアイスクライミングは自重した。その分フリーに専念。春にはもう少しレベルアップできれば嬉しい。


2004.2.18/PM:9:30/今日はホシダでクライミング、そしてぶつぶつ・・・・・
今日はホシダに行ってきた。このごろホシダがマンネリ化してきて岩の方が面白いと思う。灰色カンテがRP出来て、また新しいルートに挑戦しているわけだが少し飽きてきたのかな?

そういえばピアノをやっているときにもそんなことがあったなぁーと思いだす。自分の実力以上の曲を長い期間練習してやっと弾けるようになったときに、次の曲が与えられその曲に向かう。それがまた難しいとうんざりしてくる。いわゆる、譜読みの段階がかなり根気がいる。楽譜を鍵盤に写していく作業が、とてもつまらない。とても音楽とは思えない状態だ。難しい曲ほど困難な作業となる。毎日繰り返しているうちに少しずつ、メロディーがイメージできてくる。そうすると今度は出来るだけ詰まらないように(なめらかに弾けるように)練習あるのみである。モーツアルトのソナタなど10ページもあったりして、弾いていたときには半年ぐらい掛かっていた。時間がたつと、最後には一応音楽らしくなってくる。好きな曲の時には耐えられるが、嫌いな曲は試練だった。私の場合は、ハイドンとベートーベンのソナタが試練だった。だからほとんど弾いていない。

あたらしいルートに取り付いたときは、譜読みをしているようなものだと思う。ムーブが解らないのを手探りで模索する。何度も何度も落ちながら、ムーブが繋がっていく。最初取り付いたときには、「こんなルート行けるようになるのかしら?」と思う。しかしだんだんムーブが繋がり、テンションの数が減ってくる。そしてRPで完成だ。

この譜読みの時が、全く先が見えず辛い時期だと思う。もう投げ出したくなるのだが、なぜか麻薬中毒にかかったようにまた取り付いてしまう。

しかしルートにも好みがあって、取り付いても努力する気力も湧かないルートもある。なかなか登れないと投げ出してしまうこともある。難しくても克服したいと思うのは、やっぱりルートも面白いと感じているからだろう。

それにしても登りたいと思うルートは、このごろ岩の方に多いなぁ〜。ホシダのルートももう少し登れるようになるとまた楽しくなるのだろうか・・・。


2004.2.10/AM:9:30/忘れられません!あれから一年!!
昨年(2003年)の2月9日城山でフリークライミング中にフォールして内踝を骨折して一年が過ぎた。「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」というが私は何かと思い出す。

この一年、前にも増してフリークライミングに力を注いだ。ギブスが取れて足が動き出したときに、まずは人工壁のホシダで登ってみたいという衝動があった。こんな思いをしてもなおクライミングをしたいということが、自分でも不思議なことだった。

しかし、しばらくは恐くてトップロープでしか登れなかった。とくに岩場では恐かった。いまでも恐い。また怪我をするのではという思いがいつもある。

この一年はいろんなことを考えながらやっていた。怪我というリスクを負いながらもなお登るということは、やっぱり好きなんだろう。あらためて自分と向き合うことができたことは「怪我の功名」と成り得たと思える。


2004.2.2/PM:7:30/ホシダクライミングウォール
土曜日は、烏帽子岩で日曜日はホシダに行ってきた。

5年通い続けてやっとレッドポイント出来たルート、ホシダの灰色カンテ。限定して5.11b/cとついているが甘いという人もいる。3年ほど前の女子の国体の予選ルートとして出来た。

当時はこのルートを登っている女性を見ていて凄いな〜と思いはしても、私はそのルートに取り付くことすらあり得ないと思いこんでいた。

このホシダ通いの5年の間にいろんな人を誘ったり、また誘われたりして相棒となったが、今は殆どが続いていない。一緒に行ける人は限られている。私の山岳会の人も一度は足を運ぶが続かなかった。一時はビレーヤーが欲しくてよく誘っていたが、もう誘うことは辞めている。

なのにホシダには常連がいる。毎日来ている人もいる。私がホシダに行くようになる前から来ていて、その頃からかなり上手い人もいる。行くと必ず常連の誰かがいる。

永い間続けているのは、やっぱり好きなのだろう。ただグレードだけを追ったり、人と比べていたら続かなかっただろう。私が今の山岳会に入りクライミングをやり始めた当時、フリーを時々一緒にやっていたOさんが、最近ガイドとしてデビューした。お祝いメールを送ったら「僕は一生クライミングバカです。多分いくさんも!?」と返信がきた。当を得た言葉に思わず苦笑してしまった。

ホシダには「クライミングバカ」がいっぱい。自分の課題のルートを落ちても落ちても登り続けている。そしてレッドポイント(ザイルに体重をかけることなく上まで登り切ること)すると、子供のように満身の笑みを浮かべて喜び合う。やっていない人から見たらやっぱりバカに見えるのだろうか?

そんなことはない。何かにつけて、バカになれるほど夢中にさせるものがあるということは幸せなことだし、素敵だと思う。

 


2004.1.21/PM:11:30/映画「解夏」
「解夏」と言う映画を見てきた。なんと原作はさだまさしの小説だ。さだまさしが小説を書いていたのもまったく知らなかった。涙が自然と頬を流れる。最近泣くような映画を見た記憶がない。歳と共に涙もろくなるというのは嘘だと私は思っていたのに…。不覚だった。

難病のベーチェット病のために失明していく青年の苦悩を描いている。ベーチェット病についてはよく知らないのだが、若い男性がかかる病気で現実にけっこう症例があるようだ。

タイトルの「解夏」(げげ)とは禅宗の「行の終わり」の言葉だという。お寺で青年がであった僧に病気で失明すると話すと、僧は失明するまでは行で失明したときが解夏だと説明する。行は苦しく辛いが、解夏(失明)を迎えると辛さから解放されると説明する。この映画の中では、かなりの説得力があった。そうかもしれないと思った。


2004.1.20/PM:1:00/同級生はかなり昔の友人なのに・・・・
私は30数年前にグラフィックデザイナーとして一人立ちするために、親の猛反対を押し切って家を出て東京に向かった。その頃も、いろんな芸術家志望の若者が東京に出てきていて、貧乏な共同生活をしていたりした。本当にみんな一応にお金がなかったが、夢だけはいっぱい持っていたように思う。アルバイトをしながら自分の将来に「いずれは…」という期待と希望をもって頑張っていた。

当時は後輩も続々と東京に出てきた。しかし殆どが帰ってしまった。私は5年ほどは東京にいて仕事もがんばっていたが、結婚して子供が出来て京都に帰ってきた。

娘も私と同じような道をたどり、東京でアシスタントをして修行をし、京都に帰ってきている。そして3月に大阪で写真の個展を開く。関西でカメラマンや広告の仕事をしている私の同級生に久しぶりに個展のお知らせの電話をしてみた。親バカだが、まだまだ駆け出しなので応援したくなる。

たまに会っている人もいるが、ほとんどご無沙汰の人が多い。卒業以来の人もいる。なのに私のことを憶えていてくれて、おまけに協力をしてくれるという。個展の開催を一緒に喜んでくれいるのが電話でも伝わってくる。

こんなことでしか連絡もしないのに…。また人の優しさに触れた。


2004.1.14/PM:10:20/映画の水曜日
今日は映画を娘と2本見てきた。横山秀夫原作の「半落ち」とディズニーのアニメ「ファインディング・ニモ」である。どちらも楽しめた。

「ファインディング・ニモ」は子供がかなり多かったが、子供と言うより大人への教訓的なメッセージが読みとれた。小さな子供は退屈だったようで、あちこちで泣き声などが聞こえてきた。

ディズニーのアニメは私が子供のころから見ている。小学校の講堂で、白雪姫を見たのが記憶に残っている。その跡に「眠れる森の美女」も講堂で見たような…。確か白黒映画だったと思う。

そのあと映画館では「ダンボ」や「百一匹ワンちゃん」を見た。これはカラーだった。私の子供たちの世代では「ピーターパン」や「不思議の国のアリス」などがあった。このときもかなり進化していて、画面がとても綺麗になっていた。

今日の「ファインディング・ニモ」を見てさらに技術的には進歩していると思った。

相棒となったもの忘れの激しいドリー、何だか最近の私を見ているようで、思わず苦笑してしまった。(クライミングのルート名がなかなか憶えられない)

「半落ち」は役者が揃っていたなぁー。これからの老後の生活を考えさせられてしまった。健康に老いを迎えたいと思った。


2004.1.13/PM:11:20/イレブンへ
この連休は、三度目の備中に行って来た。

前日の木曜の深夜から金曜の早朝に掛けて、嘔吐が続き一睡も出きず苦しんだ。原因は朗読の会で木曜日に新年会があってフルコースに牡蠣の料理が出たのが大当たりかと思っていたが、20数人いた誰もが大丈夫だったので違うようだ。(牡蠣はけっこう嫌いな人がいてその人の分も食べてしまっていた)

そのあとにも思いを巡らしていたら、夕方に山岳会の集まりに行くときに車に残っていたお正月の城山の帰りに口を開けたお茶を飲んだのを思い出した。

このお茶は、最近某メーカーから緑茶から抽出したカテキンが脂肪を燃焼させるというので2本買って城山に持って行き、そのうちの残り1本だった。350ミリリットル180円と値段が高いので、口を開けていたがだいぶ残っていて「もったいない」と思って何気なく飲んでしまった。一緒にクライミングをしているKくんに城山でも古いお茶は腐りやすいので飲まないようにと注意されたばかりだったのに迂闊だった。

とにかく原因は分からなかったが、最悪の夜だった。

前文が長くなってしまったが、それで出発の日も布団の中で行こうか辞めようかと葛藤をぎりぎりまで繰り返していた。

しかし重い腰を上げさせたのは、ワンテンまでいったスプリング(5.11a)への未練である。このチャンスを逃したら次ぎにいつ備中へ行けるかわからない、と思ったとたんガバッと起き出していた。

この執念を神さまも哀れと同情してくれたのか、やっとイレブンが初めてちゃんと登れた。私にとっては、このHPにも書いているが夢の世界である。ましてや怪我をしてから一年もたたにないうちに…。ほんとに人から見ればささやかな夢だと思うが、私にしては5年の積み重ねの結果である。備中羽山の、私は永遠に触ることもないだろうルートを見ていると、ほとんど自己満足の世界だが…。

私にとって2004年は記念すべき年となった。素直に嬉しい!!


2004.1.5/PM1:30/新年を迎えて
年末を八ヶ岳にのぼり、そのあと城山で5日間のクライミング。お正月らしくなく新年度を迎えた。元旦の朝6時に起き、一人で城山に登って朝日に染まる富士山を眺めたのが、唯一正月らしい気分にさせてくれた。

富士山という山は、不思議な山だと思う。ラストサムライで見た画面いっぱいの富士山にも何だかジ〜ンと来るものがあった。私の場合は、べつにナショナリズムを富士山に感じるわけではない。ただ純粋に美しいと感じる。城山から見た富士山は雲の上に他のどの山よりも高くそそりたって、ピンクに輝いていた。

人として生まれて美しいものに感動しないというのは不幸なことだと思う。

私の場合は感動を求めて、今年も山に向かうのだろう。

無理のないように…