2002年
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は山行報告があります。               
1 月
2 月
3 月
ホシダ初登り1/5(土)

ホシダ1/6(日)

ホシダ1/12(土)

雪の武奈ヶ岳写真1/13(日)

ホシダ1/20(日)

ホシダ1/26(土)

積雪期救助訓練1/27(日)

ホシダ1/30(水)

懇親会(静原荘)2/2(土)

ホシダ2/3(日)

京都千石岩2/7(木)

ホシダ2/9(土)

御在所岳三ルンゼ写真にリンク2/11(祝)

ホシダ2/13(水)

ホシダ2/16(土)

ホシダ2/17(日)

ホシダ2/21(木)

ホシダ2/22(金)

御在所岳三ルンゼアイスクライミング写真にリンク2/24(日)

ホシダ2/27(水) 

滋賀県。大鳥居フリークライミング3/3(日)

ホシダ3/6(水)

藤原岳フクジュソウとセツブンソウ写真にリンク3/9(土)

賀県。大鳥居フリークライミング写真にリンク3/10(日)

シダ3/13(水)

ホシダ3/16(土)

滋賀県。大鳥居フリークライミング3/17(日)

ホシダ3/20(水)

八ヶ岳冬期登攀写真にリンク3/23〜24(土〜日)

ホシダ3/28(木)

ホシダ3/31(日)31

4 月

5 月

6 月

ホシダ4/3(水)

ホシダ4/4(木)

愛宕山(ボッカトレ)つぶやきにリンク4/6(土)

ホシダ4/7(日)

金比羅・アイゼントレ+ボッカ

4/13(土)

ホシダ+散策4/14(日)

白馬主稜写真にリンク4/16夜〜21(金〜日)

御在所中尾根・一の壁4/28(日)

ホシダ4/29(祝)

 41

GWの剱岳5/3〜6(金〜月)写真にリンク

ホシダ5/9(木)

ホシダ5/12(日)

ホシダ5/16(木)

雪彦・地蔵岳・加古川ルート5/18(土)取り付き概念図あり

ホシダ5/25(土)

御在所つぶやきにリンク5/26(日)

ホシダ5/29(水)

 

 

 

52

明星山フリースピリッツとピークハント6/1〜2(土〜日)写真にリンク

千石岩6/8(土)

ホシダ6/9(日)

千石岩6/13(木)

ホシダ6/16(日)

大文字山(如意ヶ岳)6/18(木)

ホシダ6/22(土)

ホシダ6/26(水)

ホシダ6/28(金)

ホシダ6/29(土)

 

63

7 月

8 月

9 月

ホシダ7/3(水)

ホシダ7/5(金)

ホシダ7/6(土)

ホシダ7/7(日)

北岳(つぶやきにリンク)7/13(土)

烏帽子岩7/14(日)

ホシダハイキング(つぶやきにリンク)7/19(金)

烏帽子岩7/20(土)

烏帽子岩7/21(日)

北岳バットレス第四尾根mizuの報告ikuの感想写真7/26〜28(金〜日) 75

小川山クライミング8/2〜5(金〜月)

志津川バットレス8/9(金)

千石8/10(土)

美しすぎる白山写真8/16〜18(金〜日)

ホシダ8/21(水)

ホシダ8/24(土)

愛宕山ケーブルの軌道跡探索8/25(日)

ホシダ8/26(月)

ホシダ8/29(木)

ホシダ・夜懇親会8/31(土)89

ホシダ9/1(日)

ホシダ9/7(土)

金比羅9/8(日)

ホシダ9/11(水)

鳳来(つぶやきにリンク)9/14〜15(土〜日)

ホシダ9/16(祝)

ホシダ9/19(木)

シダ9/21(土)

武奈ヶ岳(京都山の子会)9/22(日)

ホシダ9/23(祝)

ホシダ9/28(土)

駒形岩9/29(日) 102

10 月
11 月
12 月
ホシダ10/2(水)

駒形岩10/5(土)

不動岩10/6(日)

ホシダ10/9(水)

小豆島10/12〜14(土〜日〜祝)

吉田、拇岳(赤いクラック)写真

ホシダ10/19(土)

ホシダ10/20(日)

ホシダ10/23(水)

ホシダ10/24(木)

ホシダ10/26(土)

駒形岩・烏帽子岩10/27(日)115

ホシダ11/3(日)

ホシダ11/4(祝)

アイゼントレ・金比羅(大枝山荘にリンク)11/9(土)

ホシダ11/10(日)

ホシダ11/13(水)

ホシダ/散策11/15(金)

アイゼントレ・金比羅11/16(土)

船山・京都北山11/17(日)写真(つぶやきにリンク)

ホシダ11/20(水)

西穂高岳写真11/23〜24(土〜日)

ホシダ11/27(水)

アイゼントレ・金比羅11/30(土)127

小赤壁(姫路)クライミング12/1(日)写真

ホシダ12/4(水)

八ガ岳・南沢・アイスクライミング12/7〜8(土〜日)つぶやき写真

ホシダ12/14(土)

ホシダ12/25(水)

滑川奥三の沢・アイスクライミング写真12/29〜30(日〜月)    135

 

 

雪の武奈ヶ岳

雪稜にリンク

2002年山行記録TOP

【 題名 】 雪の武奈ヶ岳

【 期間 】 2002/1/13(日)

【 参加 】M、K、U、NY、T、M、K、iku

【 山域 】 比良山系

【 山名 】 武奈ヶ岳(ぶながだけ)

【 形態 】雪山ハイキング

【 地図 】 エアリアマップ46・比良山系

【 資料 】

 

--------------------[ コースタイム ]--------------------

 

自宅7:00→淀(iku・NY)7:30→8:45イン谷口9:20→大山口9:42→青ガレ10:17→金糞峠10:52→11:45中峠11:50→わさび峠12:23→西南稜→13:00・13:07武奈ヶ岳13:55→ヤクモヶ原14:30→14:50北比良峠15:15→ダケ道→大山口16:00→イン谷口16:25解散

 

--------------------[ 山行記録 ]---------------------------

昨年(2001年)2月25日、なかゆみちゃんとふたり同じコースで武奈にいった。その時は車で走っているときから粉雪が舞っていた。案の定、フカフカの新雪の中をズボズボ嵌りながら雪の降るなかを喘ぎながら登った。特に西南稜は吹雪いていて、風も強く寒かった。頂上も吹きっさらしの冷たい風に我慢が出来ず、早々に下山した記憶がある。

ところが、今回はポカポカ暖かな日だった。全員待ち合わせ場所のイン谷口では全く雪がない。見上げた山は上の方が白いので雪はありそうだ。イン谷口の駐車スペースはもう車でいっぱいだった。私となかゆみちゃんは、淀でまち会わせ直行した。私たちはみんなより早く着いたと思っていたら、他のメンバーもそれぞれもうすでに来ていた。

さっそく用意をして出発。イン谷口付近は全く雪がなく、プラブーツが侘びしい。おまけに春のような陽気だ。もうすでにかなりの人たちが出発したと思える。私たちの前後も何組かのパーティーがいた。「春山のよーやね!」と言う声が中高年の女性のパーティーから聞こえてくる。それでも大山口をすぎると雪が所々積もりだし、すぐに雪道になった。私は11月の鹿島槍以来の山歩きだ。そのあと歩いていないせいか最初からしんどい。けっこうみんなのペースが速かったようだ。3時間40分で頂上までいっている。

暖かかったせいか雪は水分の多い雪質であまり滑りにくく、結局持っていったアイゼンもわかんも使わずじまいだった。トレースがしっかりと付いて歩きやすかった。

このルートは金糞峠、中峠、わさび峠と三つの峠への登りがある。私はいつもこの峠への登りを想像して行く前から反射的にいやだなぁーと思ってしまう。しかしなぜか今回はそんなに長く感じなかった。それは天気が良かったこともあるのだろう。しかし、しんどいことには変わりはない。雪を被った西南稜は、全く夏とは趣が異なる。穏やかな白い曲線がずっと続い                                                          ていて美しい。写真を撮りながら、のんびりと歩を進める。振り向いても、前を見ても人の列が出来ている。途中、団体で雪の中で昼食を取っているグループの声が賑やかだなぁーと思う。なのに頂上まで行くともっと賑やかだ。辺りを見回しても知らない人ばかり。ほんとに大勢の人だ。暖かいのでゆっくりしているので余計に人がどんどんたまっていってしまうのだろう。昨年は寒さに耐えきれずそそくさと降りてしまったのを思い出した。やっぱり、山は人が多いと興醒めをしてしまう。自分もその中の一人なのに、何という言いぐさか…。風もなくしんしんと降り注ぐ雪の中に佇んでいる自分を思い描いていたのだが…。残念。

すでに着いているはずのメンバーを探すと、北稜への降り口のところでもうぜんざいの用意をし始めてくれていた。Mさんの差し入れのヨモギ餅入りぜんざいを初めて食べた。なんだか季節感が違うようにも思うが美味しかった。

 

降りはヤクモヶ原のスキー場まで一気に駆け下り、つぎはロープウェイまでの嫌な登り。そして、ダケ道を大山口までまたまた一気に駆け下りた。先頭のKさんがやけに早い。と思いながら次ぎに私は付いていった。そしてみんなも付いてくる。時間的に心配していたが、お陰で予定通りにイン谷口に戻れた。

印象としては、静寂の雪山山行とは行かなかったが、賑やかで楽しい山行となった。これはこれで良しとしよう。冬山とはかけ離た武奈ヶ岳だった。

御在所岳1・厳冬期の藤内壁・三ルンゼ

御在所の写真

 2002年山行記録TOP

【 題名 】御在所岳・厳冬期の藤内壁・三ルンゼ

【 期間 】 2002/2/11(祝)

【 天気 】 雪

【 参加 】iku、T

【 山域 】 鈴鹿山系

【 山名 】 御在所岳(ございしょだけ)

【 形態 】バリエーション

【 地図 】 エアリアマップ47・御在所・鎌ヶ岳

【 資料 】日本登山大系10

--------------------[ コースタイム ]--------------------

自宅5:45→8:00ゲート8:45出発→裏登山口9:05→9:35藤内小屋9:50→10:45前尾根取り付き・1pのみ遊ぶ12:10出発→14:30ヤグラを見ながら休憩14:45→15:10中道登山道→裏登山道下山(-4.6℃)15:30→裏登山口17:13→17:30ゲート18:10出発→希望荘(風呂)→帰宅10:30

--------------------[ 山行記録 ]---------------------------

冬の御在所岳は、前から一度行ってみたいと思っていた。会のアイスクライミングの講習が数年前に氷が張っていないということで取りやめになってしまった。それ以来、藤内沢は冬にはどんな姿を見せているのだろうと毎年冬が来るたびに焦がれていた。この連休は、会の山行にアイスクライミングの講習が出ていたが、今家庭の事情で遠出が難しいのでそちらはキャンセル。いよいよ、冬型の天気ということでもあり、チャンス到来である。

冬の鈴鹿スカイラインは夏とは反対の湯の山温泉がわから入る。いつも帰りに入る温泉の希望荘を少しいったところにゲートがある。そこには通行止めの看板が出ている。道路はこの辺から雪がうっすらと積もっていた。すでに2-3台車が駐車していた。用意している間にまた2台来た。

用意が出来たので一足先に歩き始めたところ、犬連れの中高年の単独の男性と一緒になった。犬は長い紐を引きずっている。「止まれ」などという命令に素直に従っている。「賢いですね」と話しかけると「救助犬なんですよ。訓練をかねているんです」とおっしゃる。救助犬は、雪の下やがれきに隠れている人を捜すという説明も受けた。道理で賢いはずだと改めて感心した。邪魔をしては悪いので先に行くことにした。

裏登山口までかれこれ30分ほど歩くといつもの反対がわから見慣れたトンネルが見えた。そこで上着を脱ぎ、数人の登山者を追い抜き登り始める。雪は少し積もって、ちらちら降ってもいる。藤内小屋ではテーブルの上に20センチほど積もっている。その雪をスコップで落としていた。少し休んでまた進む。雪は少しずつ増えていきウサギの耳あたりではもうかなり積もっていた。

いつもの分岐から藤内沢にはいった。岩は大分雪に埋もれ夏よりも歩きやすく感じる。テスト岩に到着。右に回って前尾根の取り付きに進む。ここに入る踏み後はない。こんな日に岩に取り付く物好きはいないようだ。しかし私たちは折角なので取り付いてみた。

最初の計画では、前尾根の全ピッチ登攀をしようということだった。しかし、時間的に出発時間が遅かったのが影響したのと、思ったより取り付きまでに時間が掛かったのとで予定時間よりだいぶ遅れていた。また雪が降っていたこともあり、1ピッチのみではあるが登ってみた結果迷った末に前尾根は断念した。

私にしたら始めての冬の壁である。それもピッチグレード4級と言えば、私のアルパインのフリーでのリードクライミング登攀の実力である。夏でそのくらいだから、冬は難しいのではということは行く前から思っていた。何しろ経験不足なのでアイゼンと手袋におまけに荷物を背負っての登攀がどんなものなのか、ピンとこない。

夏には何度かリードもしている1ピッチ目のクラックに取り付いてみたところ、この1ピッチで、どんなものであるか体験できた。ヌンチャクをつかんでよじ登る。しかし最後の出口で手袋をしてではホールドが掴めない。持っても滑りそうでその上によじ登る勇気が湧いてこない。持っているという確信がない。これではもう駄目だ。時間がもう少しあれば、ゆっくりでも行けるところまででも行きたいという気持ちもあって相棒Tとしばらく悩む。しかし、無理は禁物。次への課題とすることにした。せめてもう少し金比羅のYけんででも手袋を付けてのアイゼントレーニングをしたほうが良さそうだ。

そんなわけで、急きょ3ルンゼを詰めることにした。一ルンゼに戻ると上の方に氷瀑が一の壁をバックに美しく見える。すぐに右に折れ、三ルンゼへは夏道の中尾根への取り付きをいく。すぐに藤内沢に入り登る。藤内沢を上り詰めると左の方に三ルンゼへの急登になる。かなりの積雪だ。下には前尾根のヤグラのコルガ雪を被り、孤独に踏み堪えているように見える。上には鋸岩が見え、そこを回り込むと右手に大きな氷瀑が現れる。見た目にも簡単に登れそうだと思いながらも、左の樹林帯から詰める。ここはかなりの新雪のラッセルである。樹林帯を抜けると、中道登山道に出る。どこを見ても美しい樹氷である。しばらく休憩して暖かい紅茶に一息つくが、寒くてあまりいられない。樹氷の写真を撮って、早々に裏道を下ることにした。しっかりしたトレースがついていた。前尾根で遊んだ分、遅くなってしまった。

あの素晴らしい雪景色をまた見に行きたい。今度はアイスクライミングもしたいものだ。

御在所岳2・三ルンゼ・アイスクライミング

御在所の写真

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【 題名 】御在所岳2・三ルンゼ・アイスクライミング

【 期間 】 2002/2/24(日)

【 天気 】 晴れ

【 参加 】iku、mizu、UE

【 山域 】 鈴鹿山系

【 山名 】 御在所岳(ございしょだけ)

【 形態 】アイスクライミング

【 地図 】 エアリアマップ47・御在所・鎌ヶ岳

【 資料 】日本登山大系10、白山書房「アイスクライミング」全国版

--------------------[ コースタイム ]--------------------

自宅4:10→6:20ゲート7:15出発→裏登山口7:35→8:00藤内小屋8:10→9:50三ルンゼ.アイスクライミング→14:00下山道14:20→15:15藤内小屋裏登山道登り口15:42→15:55ゲート→16:15希望荘(風呂)17:15→「茶々」にて自然薯料理18:30→帰宅9:30

--------------------[ 山行記録 ]---------------------------

2月11日と同じコースで今回も三ルンゼを詰めた。前回は三ルンゼの氷に誰も取り付いていなかった。しかし今回はアイスクライミングをここでしたいと思い、計画をした。自力でのアイスは初めてである。ここなら私の力でも何とかなるだろうと前に行ったときからひそかに目論んでいた。

朝3時過ぎに目覚ましを合わして前夜布団に9時頃潜り込んだが、気持ちが高ぶっていたのか階下のピアノの音が気になってか、なかなか寝付けず結局12時前頃まで起きていたように思う。しかし、3時に予定通り飛び起きた。あまり寝た感じはないが眠気はない。mizuを起こしに行ったがもうすでに起きていたようだ。真っ暗闇の中、荷物を積み込み出発。経路は1号線から京滋バイパス経由で名神の栗東で下り1号線に下りる、つぎに亀山で東名阪自動車道に乗り四日市で下りる。四日市からは湯の山温泉への表示をたどっていくと湯の山温泉方面と土山方面の分岐に出合い、鈴鹿スカイラインを土山方面にとる。夏とは反対からのアプローチである。希望荘を少しいくと通行止めのゲートである。前の11日とはうってかわって車が多く、また雪もない。いい天気だ。10台近くあったように思う。前夜から来ているはずの、UEを捜しにmizuがいったところすぐに見つかった。

鈴鹿スカイラインの乾いた舗装道をプラブーツでいく。雪が藤内小屋あたりから残っていて、嬉しくなってきた。登るに連れて、雪の量も多くなっていく。藤内沢に入った頃はしっかり積もっていて、踏み固められていた。おかげで、とても歩きやすい。前尾根の取り付きの目印でもあるテスト岩まであっという間に着いた。一ルンゼの二叉もしっかり岩の間で氷っているのが見える。藤内沢の右岸を右に入る。ここまでは他には誰もいない。しっかりとしたトレースを藤内沢に入る。そのまま詰めるとコーモリ滝の急登をアイゼンを決めてしっかり登る。そこをもう少し行くと三ルンゼである。風景は11日とはまるで違う。その辺は樹氷が素晴らしかったが、この日の木には雪は全く残っていない。所々氷っているところもあり、アイゼンとピッケルがよく効く。

三ルンゼについてびっくりした。人がいっぱいいる。すでにザイルが二本張られていて取り付いており、順番を待っているパーティーが二組みいた。腹ごしらえをしながら、私たちも順番待ちをすることにした。まだまだ、登ってきた。上からも下りてくる。上から下りてきた5-6人の人は服装が少し違っている。ダウンのジャケットなんかを着て町風である。よく見ると、テレビカメラを持っている。名古屋のテレビ局である。あとでUEの情報によると、撮られていた主役のおじさんは、アイゼンやピッケルの日本の唯一のメーカーである「カジタ」の社長さんらしい。私はカメラを社長に向けられているとはつゆ知らず、一緒に並んで登っていた。一緒に写っていたかもしれない。見てみたかったなぁー。残念。

ここの氷は、とても登りやすい。リードしてみても簡単に感じた。ただこんなに多いと上からバンバン氷が落ちてくるのでヒヤヒヤものだ。ビレーしていると、「ikuさん」と声が掛かったのでびっくり。岳連の講習会などでよくお会いするMさんたちだ。他にもテレビ局の人を案内していた人がどこかで見たことがあるなと思い、聞いてみたが「ヤマやの世界は狭いもんですよ、どっかの山でお会いしてるんですよ」とおっしゃる。その時はどうしても思い出せなかったが、帰りの車で、ホシダで大分前に合っていたご夫婦でTさんというお名前も思い出した。そういえば、そのころ三重から来ていて御在所岳でいつもクライミングをしているとおっしゃっていたのも思い出した。ホントに世間は狭い。

落ちる氷を避けながらも充分楽しむ。遊園地で遊んでいるような気持ちになるほど賑やかだ。まだ、下からも登ってくる人もいる。ひとしきり遊んで切り上げ、そのまま中道登山道の方に出る。ここからは御在所岳頂上直下のスキー場でも滑っている人が遠目に見える。団体の子ども達が通る。人はここも多い。天気はよく霊山や藤原岳の方がよく見える。記念撮影をして下山する。

そのまま希望荘により温泉で温まり、帰りは自然薯料理専門店「茶茶」で夕食をとる。ここの料理は「とろろめし」980円からあるが、一ランク上にすると茶碗蒸しがついて麦御飯が食べ放題で1350円だ。山から下りたあとだとこちらがお勧めである。私たちも充分お代わりをして満腹・満足で、ここでUEとは別れて帰路に就いた。

しかし、お腹がいっぱいになったのと疲れで睡魔が襲ってきて我慢が出来ず、とうとう栗東近くのコンビニの駐車場で40分爆睡してしまった。お陰で、無事に帰路につくことができた。

叉、御在所の冬の楽しみが増えた。今度はレベルアップして一ルンゼの二叉に挑戦したい。しかし、もう桜も蕾が膨らんできた。短い冬も終わりだ。これからは、また岩の御在所である。

希望荘のURL  http://www.kibousoh.or.jp/

自然薯料理専門店「茶茶」URL  http://www.pcs.ne.jp/~chacha/

 

 

藤原岳 のフクジュソウとセツブンソウ

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【 題名 】 藤原岳のフクジュソウとセツブンソウ

【 期間 】 2002/3/9(土)

【 参加 】iku、mizu、N

【 山域 】 鈴鹿山系

【 山名 】 藤原岳(ふじわらだけ)(1120m)

【 形態 】ハイキング

【 地図 】 エアリアマップ44・霊仙・伊吹・藤原

【 資料 】藤原町役場 TEL:0594(46)3311 

--------------------[ コースタイム ]--------------------

自宅6:35→大久保7:00→南インター7:30→9:25西藤原駅→聖宝寺/駐車場9:50出発→10:35四合目10:40→五合目フクジュソウを愛でる→六合目セツブンソウを愛でる→11:30八合目休憩11:45→12:20藤原山荘12:25→12:38頂上13:00→13:10藤原山荘/昼食14:15→15:45聖宝寺/駐車場16:00→自宅19:00着

--------------------[ 山行記録 ]---------------------------

 

1999年12月に藤原岳に登った。この日は下山した聖宝寺の庭のもみじが紅葉で美しかった。なのに上の方は雪がかなり積もっていて、粉雪が舞っていたのを今でも思い出す。

次の年の2000年、その時のメンバーが再度行きフクジュソウを見てきたと報告をしていた。藤原岳がフクジュソウで有名で、田中澄江の「花の百名山」に入っているのを知った。機会があればまた行ってフクジュソウを見たいと思っていた。

いつも、クライミングで一緒のNさんを誘った。彼女の家の庭は花だらけと言うほど花好きだと言うことだったので二つ返事だった。最終mizuと三人だった。今回は、花を愛でるという目的があったので、間際まで日程が定まらず、慌ただしい計画となった。この日は、まだ早いのではと心配だったが、先に延ばすと恐ろしいほどの人出だと聞いたのでこの日に決めた。

近鉄大久保駅で、Nさんを拾う。名神で関ヶ原で下り、藤原町に向かう。前に駐車した藤原駅の駐車場に車を止めていると、駅員が出てきて「ここに車を止めないように」と言われて、聖宝寺の駐車場に移動する。有料で300円である。ウロウロしている間にもう登り始めているパーティーを数組見る。用意をして登り始めた。団体の何組かを抜かしていく。五合目辺りで明るい日差しの中に出た。前を見ると、人が数人登山道をそれて入っている。すぐにフクジュソウを見ているのだと理解できた。もう少し行くと群生している。お日様に当たったフクジュソウは黄金色にtいている。感激だ。日頃花好きの母が言ってる「花を見て怒る人はいない」という言葉を思い出した。みんな嬉しそうだ。しばらくフクジュソウのお花畑で休憩をする。

しばらくすると、今度はカメラを地面に向けて何やら撮っている数人がいる。カメラの向いている先は一輪のセツブンソウだった。これも私が一人で歩いていたならとても発見できなかっただろう。それほど地面に同化してしまっている。出来上がったアップの写真を見ると、わりと堂々としてみえるのだが、本当に小さくて地味な花だ。

これで、もう十分だった。頂上に向かう足取りも軽くなった。雪がかなり残っている登山道を進む。頂上の藤原山荘の前にも人は沢山いた。ザックをそこにおいて、頂上に向かう。そこにも人はいっぱいだ。天気がよくて視界がいい。雪を被った伊吹が左に見え、その横にうっすらと青空の下に、白山、御嶽山らしい山が見える。周りの景色にしばらく見とれ、下山するのがが惜しく感じる。

名残を惜しみながらまた藤原山荘に戻り、昼食にする。ラーメンを作った。たかがラーメン、されど山のラーメンは美味しい。隣では駐車場で出会ってその後も何度か前後したSさんがすでにうどんを作っていらっしゃる。そちらも美味しそう。

のんびりと、ひとときを過ごす。山荘の横の方にもフクジュソウが数株咲いている。時間のたつのは早い。気が付いたら2時をまわっている。

いそいで下山を始める。Sさんは、登りは藤原駅に近い方の登山道(表)から登られて、花は全くなかったとおっしゃっていた。私たちも、もう一度フクジュソウを見たいので行きと同じ聖宝寺の方から下山することにした。Sさんも一緒である。そのとき撮られた写真をメールで送ってくださったのでHPの表紙に載せた。

もう一度花を楽しみ、大満足で駐車場に戻った。

帰りの名神はすいていたが、1号線と24号線が渋滞だった。

藤原岳は、なだらかな曲線の美しい山であった。

★最初に計画したときには、鞍掛トンネルを少し行ったところのコクルミ谷から入ろうと思い、藤原町役場に電話で問い合わせをしたところ、その道は通行止めと言われた。しかし写真を送ってくださったSさんはその道を通って西藤原駅までまで来られたという。確かに通行止めの看板は出ているが、片道は通れてみんな通っているそうだ。

 

八ヶ岳・冬期のクライミング

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2002年山行記録TOP

【 題名 】八ヶ岳・西壁・冬期のクライミング

【 期間 】 2002/3/23〜24(土〜日)

【 天気 】 曇〜雪・ガス

【 参加 】F、Y、iku

【 山域 】八ヶ岳

【 山名 】

【 形態 】冬期クライミング

【 地図 】 2万5千地図/八ヶ岳東部・西部、エアリアマップ17・八ヶ岳/蓼科

【 資料 】日本登山大系8・冬期クライミング(白山書房)・日本のクラシックルート(山と渓谷社)

--------------------[ コースタイム ]--------------------

23日 自宅5:30→6:40天理駐車場7:30出発→12:30美濃戸13:10→15:50行者小屋テント泊7:30就寝

24日 4:10起床6:10出発→7:15分三郎道の赤岳主稜取り付き付近7:30→8:10行者小屋8:30→9:30石尊稜取り付き1ピッチのみ登攀12:00(-15℃)→13:00行者小屋14:00→15:20美濃戸16:00出発→村営樅の木荘で風呂→23:30天理23:45→自宅12:45

--------------------[ 山行記録 ]---------------------------

今回の山行は何かにつけて、記念すべきものとなった。それは、初めての冬期登攀とメンバーが女性ばかりということだった点である。しかし、私以外の二人はかなりの経験をしているらしい。

今回の計画は、ホシダで時々お会いしていた奈良山岳会のFさんからの「突然なのですが、一緒に山に行かせてもらえたらと思って連絡させてもらっています」という突然のメールで始まった。そして、何時何処へということになって「赤岳の主稜に今月中、メンバーはー女性3名」という返事であった。突然のことではあったが、すぐに資料を調べてみた。その結果、私は二つ返事で行くという返事のメールを3月の18日に出した。まだ冬期の登攀はしたことがなかった。行くんだったら、ベースや取り付きまで比較的近いのと、入門ルートがあるということで八ヶ岳と前から思っていた。そして20日の水曜日ホシダでお会いしてすぐに具体的に決まってしまった。装備等は至って簡単、Fさんがおおかたテントなど用意をしてくださり、私は個人装備のみである。食料はそれぞれ個人で。こんなに簡単に決めた山行は初めてのことだろう。この点でもおおいに気に入った。私が楽だった分、Fさんが大変だったのだろう。

23日の待ち合わせは、奈良の天理で、初めていくところである。天理教の信者さん用の大きな駐車場が無料でいくつもあるということなので、車で行くことにした。朝7時の集合である。天理市について、びっくりしたのは本部の建物の大きさだ。寺院と旅館をミックスしたような建物がかなりの敷地に沢山建っている。すごいなぁー、というのが感想だ。

ここからは、荷物を移して私の車で交代に運転して美濃戸に付いた。美濃戸口には全く雪はない。しかし、美濃戸周辺は雪が残っている。車で美濃戸まで入れた。荷物を分けて出発した。行者小屋への道は氷っていて滑りやすい。登り始めたとたんに滑ってしまった。アイゼンをつけた。南沢は真っ白だ。樹林帯を抜けると、木々も樹氷で真っ白である。高度を上げるたびに、気温が下がっていくのを感じる。行者小屋に着いたころにはかなり寒かった。さっそく、テントの設営にかかるが、手もかじかんでしまう。すでに10張り弱のテントが張られていた。隣のテントからの情報で「この辺の雪は水を作ると木の屑があって適さない、小屋の屋根から落ちた雪が綺麗だ」とアドバイス。雪を取りに行く。さっそく、水を作り食事の用意である。それぞれ持参の食事を済ませ、しばらく歓談のうちに寝てしまった。やっぱり寝付くのは私が早かったようだ。その後も雪がちらついていたが、雪の降る音が夜中まで聞こえていたということだが、熟睡していた私は全く気が付かなかった。あまりに早い時間帯だったので、他のテントからの話し声や、歌声を聞いてはいたのだが…。

24日4時過ぎに起きてテントの外を覗くと曇っている。雪はやんでいたが新雪が積もっている。しばらくしてもう一度テントから首を出して空を見上げると、星が見え嬉しくなってきた。しかし、それもつかの間の出来事で朝食を済ませ外に出ると、また空はどんよりとしている。

めげずに取り付きに向かって、文三郎道を登りはじめた。文三郎道はどんどん急登になり雪は深くなる。昨夜の雪は5センチほど積もっていただろうか、きれいな風景である。とりつきは赤岳沢を詰めるのと、今回の文三郎道のかなり上の方から取り付くのと二通りある。沢にはトレースはなかった。左の方に西壁が迫り、あきらかに写真で見ていたとりつきが見える。大きな岩を通り過ぎて少し行ったところである。そこから、沢をトラバースするととりつきである。先行の男性二人が沢に入るところであった。雪が降りは始め、風が少し出てきた。その風に乗って、ガスが視界を遮っていく。うっすらと、グレーの網トーンをかけたようになってきた。見た目にも、岩には雪が大分着いている。Fさんもかなり揺れ動いていたようだ。先月も天気が悪くて登れなかったらしくて、敗退を決意してからもかなり迷っていた。私も経験がないことなので判断をゆだねるしかない。基本的には青空の下でのクライミングが希望だったが、天気だけはどうにもならない。結局無理せずにあきらめることになった。しかし、このまま終わるのも残念だということで、石尊稜に転進することになった。行者小屋に戻り、今度は赤岳鉱泉小屋方面に向かった。ほとんど赤岳鉱泉近くまで下ったところから、ルンゼに入る。石尊稜は二人とも登攀経験があるようで、とりつきまでは難なくいけた。しかし最後は、かなりの急登でもある。

先客パーティーが3組あった。すでに女性ばかり4-5人のパーティーは時間がないとのことで、1ピッチのみで下山にかかっていた。もう一組の男女は懸垂で1ピッチを下りるところ。もう一組男性3人が取り付くところであった。用意をしながら待っているが、なかなかである。しびれをきらせて、Fさんが先行パーティーのセカンドが取り付いたらすぐに登り始めた。しかし、なかなか動いてくれない。Fさんがアドバイスをしているが、本人もかなり苦労しているようだ。雪も降ってきて、寒さも身にしみる。そのうちに、女性2名を含む3人のパーティーが、沢筋を直登してきた。そして、すぐに左横を登っていったがいやらしそうだった。私たちを含めて全部で5組取り付いていた。

終了点は先行が使っているので、Fさんは少し下でピッチを切り、登るように指示。先行の三人目が登るのを待って私が取り付く。雪が付いているのでホールドがなかなか掴めない。アイゼンの先で立つ微妙なスタンスで登る。石尊でのここが核心で、「日本のクラシックルート」では3級+になっていたが、こんな感じかと納得した。登ると上は満員状態。不安定な足場でセルフを取り待機する。そのうちにYさんが登ってきて、ますます満員御礼状態である。先着は懸垂の用意をしている。雪がだいぶ降り出し、この先は雪稜歩きだということもあり、また時間的にも無理があるのでここで私たちも下りることにした。私たちも次ぎにそのザイルを使わせてもらって懸垂する。雪はますます降り、また寒いしでもう登攀意欲は待っている間に削がれてしまっていて、妙に私は納得してしまっていた。

取り付きに戻ってからも立木にザイルを通して懸垂の用意をFさんはすでにしてくれていた。そのまま、みんな次から次へと下りた。ザイルをかたづけて沢筋を下り、中山峠へ向かったが、さすがにこの登りはきつい。行者小屋に帰ったときはすでに1時ごろであった。これでテントを撤収して帰ればいい時間である。

Fさんは、まだ諦めきれないのか「この日もう一泊してあした赤岳主稜を登攀してから帰ろうよ」とさかんにいっていたが、明日がいい天気だという保証はない。後ろ髪を引かれる思いはみんなにあったが下山することにした。

帰りに私の不注意で、ハプニングがあった。美濃戸で駐車していた車に乗り込み、未熟な私が運転して出発。少し行って凍りついた雪でスリップし、横の雪の積もった路肩に突っ込んでしまった。バックで戻ろうとしたが、タイヤがすべつて空回りしてしまっている。そこに、赤岳鉱泉の主人が若い男性を乗せて偶然通りかかった。運転を交代してもらい、歩いていた登山者も押すのを手伝ってくれてやっと動いた。どうなる事かと思ったが、みなさんのお陰で助かった。私は電話でJAFを呼ぼうと思っていたが、「こんなところには来ませんよ」と赤岳鉱泉のご主人の連れない言葉。スタットレスでもチェーンを巻くようにといわれた。まだまだ運転も新米だなぁーと反省しきり…。何かとご迷惑を掛けてしまった。

天候のせいとは言え、また赤岳主稜に登攀出来なかった二人はとても残念そうだったが、私は石尊稜をたとえ1ピッチでも登れたことは、とても良い経験になった。厳冬期ではなくても、状況によっては厳しいということも身を以て体験できた。何よりも私にとっては、冬期登攀など自分がするとは思いも寄らなかったので、次へのステップとしてもとても良い経験になった。これで、来期には八ヶ岳の中山尾根や小同心、またジョウゴ沢でのアイスなど簡単なところにもチャレンジする足がかりともなった。もちろん、赤岳の主稜もぜひ登ってみたい。

今回のメンバーもこれに懲りずにご一緒していただきたいと思う。

奈良山岳会の、お二人の女性に感謝しつつ…

白馬主稜

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【 題名 】白馬主稜

【 期間 】 2002/4/19夜〜21(金〜日)

【 天気 】 20日/晴れ 21日/曇〜山頂粉雪〜雨

【 参加 】 Aグループ/L.ko、K、M、O

     Bグループ/L.O、T、NY、NK、iku

【 山域 】後立山連峰

【 山名 】 白馬岳(しろうまだけ)(2932m)

【 形態 】バリエーションルート

【 地図 】 2万5千地図/白馬、白馬町、エアリアマップ2・白馬岳

【 資料 】日本のクラシックルート(山と渓谷社)

 

--------------------[ コースタイム ]--------------------

 

4/19日(金) 自宅21:00→22:00京都駅集合22:30出発

4/20日(土) 3:30二俣駐車場(仮眠)6:15起床・出発8:00→9:30猿倉→10:30白馬尻10:50→14:30/7峰Aグループ・雪洞泊/Bグループ出発15:00→16:15/3峰Bグループ泊/就寝20:30

 

4/21日(日) 4:00/Bグループ起床・6:20Aグループ合流・出発6:30→7:30/2・1のコル→8:35白馬頂上9:00→10:30白馬尻近く10:40→11:20猿倉11:30→12:30二俣駐車場12:40→自宅21:40

 

--------------------[ 山行記録 ]---------------------------

 

まだ緊張感が抜けていなかったのか帰った次の日の朝、疲れているはずなのに早く目覚めてしまった。まだ夢うつつの布団の中で「白馬主稜…」を何度も何度も反芻していた。この二日はあっという間の出来事であった。いつも下山して思う、「山での風景は夢の世界」というのが今回ほど強く思ったことはない。京都雪稜クラブに入会してから何度も、「白馬主稜…」という言葉を耳にしていた。私がいけるとは思っていなかった。それは、未知なる禁断の果実のように美味しいということは想像できるが、実際には食べることは出来ないもの。そういうものとして聞いていた。「日本のクラシックルート」(山と渓谷社)の最初に出てくる写真を見て、綺麗だな…と思っていた。そのころこんな日が来るとは夢にも思えなかった。

計画が出されるやいなや、当然のように参加を希望した。そのために、ボッカ2回も課された。体力的に自信のない私としては素直に従うしかない。

それからというもの、「日本クラシックルート」と地図が夜枕元に置かれ、たえず眺めていた。先月に行った八ヶ岳からの腰痛も気になっていた。医者に痛み止めももらってきておいた。万端ととのい当日を迎えた。

いつものように、出発は前夜発。当日はいつもながら、家事にいそしむ。京都駅午後10時集合。二俣の駐車場につき、そのまま車で仮眠。少し寒かった。6時15分テントで寝ている、koさん達を見に行くと、入り口に東京からの鶴さんがすでにいてkoさんと話していた。みんなを起こして、出発の用意をする。

ここから猿倉まで、長い舗装路を歩かねばならない。足の裏をすぐに痛めてしまう私は、運動靴で行くことにした。プラブーツを持たねばならないのも辛いが仕方がない。9名中3名は運動靴だ。高度計を見ると800メートルとなっている。白馬頂上は2932メートルでその標高差2130メートル登らなくてはならない。考えただけでもぞ〜っとする。猿倉まで自動車路は除雪されていて、ダラダラとした登りである。進むに連れて、道路脇の雪は背丈ほどになる。

1時間半ほど歩くと猿倉である。運動靴をプラブーツに履き替え、運動靴をデポする。ここからは雪上を歩く。地図には砂防工事専用道路と書いてあるが、最初しばらくは道路らしいところに雪が積もっているという感じだが、後は大雪渓の沢筋にはいり沢を渡る。渡ったところが

白馬尻である。向かって右が白馬沢との分岐になっている。ここで休憩。ここから八峰への急登である。とにかくしんどい登りである。とても暑く途中の休憩時に半袖シャツになる。水がほしくなるがひたすら足を前にだす。八峰から七峰への登りは雪が途切れていて灌木の中を登らなければならないところもある。しかし、雪の上にはしっかりとしたトレースがついていて歩きやすい。ただ登りのステップが大きく足を思いっきりあげねばならないこともあり辛い。トレースの横にはしっかりとピッケルの穴が深くあいている。階段を一段一段登っているようだ。ただ違うのは、両側が急傾斜で左が大雪渓、右が白馬側に切り立っていることだ。ちょっとぐらついても、結果は想像できる。慎重を要する。

七峰は少し広くなっている。そこで休憩をとる。ここからは、曲がりくねったリッジが頂上まで見渡せる。koチームは、今日の行程はここで切り上げ、雪洞泊と決めた。テント泊の私たちは、Oさんが四峰にテントを張れる場所があるというので、もう少し進むことにした。足の方は、かなり疲れてきていたが、もう一踏ん張り頑張ることにした。そこからも雪稜の上り下りである。今まで六・五峰のピークを踏んで四峰についた。四峰は五.六峰に比べたら少し広いがかなりの斜面である。ここにテントを張るとしたらかなりの整地が必要だ。Oさんは「三峰の勘違いだった。三峰に行けば必ずテントが張れる」とおっしゃる。私たちは、信じて重い足を引きずりながら進むことにした。

三・四のコルからは本当に切り立っていてナイフリッジ状になっている。雪はかなりゆるんでいて怖い。慎重に一歩を出す。先に行った平さんの「テン場があった!」という声を聞いて、ホッとした。登ったところが、キジ場になっていて、その向こうにちょうど一張り張れそうである。スペースはテントを張ると両脇がいっぱいぐらいである。今夜の寝床は雪稜の上。それだけでも私にとっては感動ものである。これで、風でもあったら恐ろしいだろうと思いながら静かな山容を眺めながら整地してテントを張った。やっと、一息つき熱い紅茶をすする。ポカリ入りの紅茶はレモンティの味がする。このときの、紅茶は誰にとっても格別の味わいだったようだ。ぼっこりした。無線で七峰のkoチームと連絡を取る。もう食事も終わって、寝るところだという。

落ちついてから、ゆみちゃんが用意してくれた豪華メニューのチラシ寿司である。トッピングに錦糸玉子、穴子、絹さやまである。お吸い物つきである。量も余るほどある。koチームはメニューを聞いてしきりに羨ましがっていた。朝食もお粥に、焼きたらこや佃煮、漬け物つきですごかった。こんなところで、こんな豪華な食事とは…。嬉しい反面、少し複雑。しかし、朝食のお粥は食べやすいし美味しい。また前日にアルファー米を作って置いたので早い。

この雪稜上のテントで私は熟睡できた。

次の日後続隊がここまで来るまでの時間を考えのんびりとしていたら、やけに早く登ってきた。

早朝で雪がしまっていたので歩きやすかったようだ。天気は前日とは打って変わって、どんよりとしている。急いで、テントを撤収して二峰に向かう。ここからはすぐだった。一峰の取り付きでザイルを練習のために出すことになった。急な斜面ではあるが、今までのに比べて特別難しいとは思えなかった。上には真っ白な雪庇が被さっている。そこが頂上であろうということは想像できたが、まだ半信半疑である。それほど、前日の行程に比べたらあっけなかった。このころからガスが出てきた。私が登ったのは最後の方になったのだが、頂上では全く視界がなくガスがかかり、雪が舞ってきた。頂上は雪が溶けていて岩肌がむき出しになっていた。全員揃ってから記念写真をとり、下山した。

大雪渓は、かなり急である。昨年、針ノ木にいったとこき、大沢小屋のおやじに、「日本三大雪渓(針ノ木、剱、白馬)のなかで一番急なのは針ノ木だ!」と自慢していたのだが、季節も違うせいもあるかもしれないが、ここの方がかなり急に思えた。キックステップで慎重に下りていった。大分、下りてからだったか、先頭を下っていた私の横をkoさんが、尻セードですーっと気持ちよく下りていった。私は恐がりなのでいやだったのだが、あまりに気持ちよさそうなので、まねてみようとお尻をついたとたんにすーっと勝手に滑ってしまった。速度が思っていたより速かったのと気持ちが動揺したのとで、ピッケルを離してしまい、そのまま転げるように落ちてしまった。加速度がついてますます止まらない。「たすけて〜!、とめて〜!」と叫んでしまった。koさんが、私のピッケルの紐を掴んでくれてやっと止まった。本当に情けなく怖い出来事だった。尻セードを甘くみていた。簡単ではなかった。これは、もっと練習が必要だ。

それから、しばらく下りると、NK、Oさんがスキーで気持ちよさそうに滑ってきた。Oさんもである。羨ましいが、怖そ〜なのでこれからも私はスキーはしないだろう。

白馬尻近くに戻ってきた。休憩しながら、前日登った主稜を目で追う。猿倉まではますますガスが濃く、視界もない。下りはじめてすぐに雪は雨に変わっていた。猿倉ではかなり降っていた。1パーティー二人がさきにいた。運動靴に履き替え、長い地獄の舗装路を雨の中、とぼとぼと歩き出す。ほんとに長かった。ザックの重さが肩に食い込む。もう少しの辛抱とたえず自分を励まし歩き続ける。遠くに二俣の駐車場が見えたと時は、この上なく嬉しかった。片付けもそこそこに温泉にむかった。

今回は、私にしてはいっぺんにレベルアップした山行だった。「雪=しんどい=危ない」という公式をいつも頭で思ってしまう。しかし、今回の白馬主稜はこれからもいけるチャンスはそうないだろうと思うと、この公式が頭に浮かぶより先に行きたいと思った。結果としては、ほんとうにいって良かった。ゆっくりのペースでの計画だったので、私にしてはとても嬉しい。あんな、見事な雪稜を歩けたことは、良い思い出になることだろう。

しかし、リッジを歩いていても雪壁を登っていても、かなりの緊張感を持っていたことも事実である。一歩一歩慎重に行動していた。それは岩登りでのザイルというような安全を保障するものがなかったからである。不安定な足場に立つとき、これは崩れないだろうかと不安がかすめる。これはもっと経験すると、薄れてくるかもしれない。確かに、絶対安全だという山はないのではあるが…。

「白馬の主稜…」本当に行けてよかった。まれにみる嬉しい山行だった。

 

 

 

御在所岳中尾根・一の壁

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【 題名 】御在所岳中尾根・一の壁

【 期間 】 2002/4/28(日)

【 天気 】 曇・晴れ

【 参加 】(中尾根根)O・iku・mizu

(前尾根)ko・T・N・O・M・他2

【 山域 】 鈴鹿山系

【 山名 】 御在所岳(ございしょだけ)

【 形態 】クライミング

【 地図 】 エアリアマップ47・御在所・鎌ヶ岳

【 資料 】日本登山大系10

--------------------[ コースタイム ]--------------------

ko家6:30→8:40着駐車場9:00出発→9:20藤内小屋→10:00前尾根取り付き→10:50中尾根→13:10終了→14:00一の壁15:20→16:00駐車場→希望荘・食事→帰宅8:40

--------------------[ 山行記録 ]---------------------------

会山行で、御在所に行くことになった。

雪の御在所三ルンゼでアイスクライミングをしたのが、ついこの間のことのように思えるのに、もう岩登りである。今回は急だったのと白馬の疲れもまだ残っているような気もしていたのでどうしょうか迷った。

mizuを誘ったら、行きたいというので中尾根を登りたいと思った。Oさんも御在所に一緒に行きたいと白馬の時に言っていたのを思い出し、急遽電話したところ参加することになった。全部で10名と多人数となった。

Oさんと私とmizuは中尾根。他は前尾根ということでパーティが別れた。Oさんは中尾根は初めてだと言うことなのでトップを譲った。mizuもそろそろ中尾根のリード経験をした方がいいと思ったが、まだ自信がないというのでちょうどよかった。

これで私は4回目というのに、取り付きを迷ってしまった。一ルンゼも藤内沢も雪の時に通ったときとは様子が一変してしまっている。テスト岩を少し一ルンゼ側に登りすぐに右に入る。藤内沢の上段についている踏み跡を藤内沢と平行に辿る事になる。途中で、藤内沢に出る道と分かれるが、左を登る。こんなところあったかなとういような短い岩をよじ登ること数回へて、木にテープが巻き付けてあるところまで行くと左にロープが垂れている。そこをよじのぼると取り付きだ。ここが下に藤内沢まで切り立ち、高度感がありいやらしい。ここにはピンクのツツジが咲いていて、Oさんに「アケボノツツジ」という名前だと教わった。葉っぱはなく、花は肉厚で下を向いて咲いていた。綺麗な花だと思った。

先行は、男女の1パーティのみ。前尾根パーティーは順番が5番目だったことを思うと空いている。用意をして、1ピッチ目からOさんは難なくリードをこなす。次はmizu、最後は私という順番である。

中尾根からは前尾根の他のメンバーがよく見える。手を振ったら、他のパーティーが手を振ったのであわててしまう。ずつと前尾根はよく見える。カメラを持ってくれば良かったと後悔。

今回、2ピッチ目が最後の方でザックが引っかかり後に引っ張られ怖い思いをした。チムニーなのでザックが邪魔だ。

前回リードしたときには、4ピッチ目の中頃で、ついアブミを出してしまい、おむすび岩も5級のところは避けて、左に巻いてしまったが今回はセカンドということもあり、直登できた。これは大きな収穫である。

最初にこの中尾根をセカンドで登ったときは、かなりスケールの大きなハイレベルな岩だと思っていたが、今回はそんなに大変な岩場だという思いは無くなってしまっている。

三年近く前のことである。この年月の努力の賜かもしれない。それにセカンドというおまけも付いている。緊張感はトップの時とは大違いだ。中尾根のトップはとても怖い。このくらいのところのトップは余裕でこなせるようになりたい。次の課題としよう。

時間的に余裕があって終了したので、一の壁を一本登って下山。前尾根パーティーはすでに下山していて待っていた。ヤグラを登ると言っていたが、混んでいたらしい。

 

ゴールデンウイークの剱岳

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【 題名 】ゴールデンウイークの剱岳

【 期間 】 2002/5/2夜〜6(金〜月)

【 天気 】 3日/晴れ、夜・雨 4日/雨 5日/明け方雨・曇のち晴れ 6日/晴れ

【 参加 】 CL.ko、SL.Mけ、K、kuma、kaku、NY、take、T、a、S、iku

【 山域 】立山連峰

【 山名 】 剱岳(つるぎだけ)(2932m)

【 形態 】残雪期、ピークハント

【 地図 】 2万5千地図/剱岳、十字峡、エアリアマップ4・剱・立山

【 資料 】 日本雪山登山ルート集(山と渓谷社)

--------------------[ コースタイム ]--------------------

5/2日(木) 自宅21:15→22:30京都駅集合23:07出発

5/3日(金) 立山IC3:10→4:00立山駐車場(仮眠)5:30起床・出発→6:40立山駅8:07発→8:14美女平8:30→9:15室堂・荷物遅れる出発9:55→みくりが池10:10→雷鳥沢10:30→11:55別山乗越(剱御前)12:10→12:30剱沢・テント・テーブル設営・滑落停止訓練・就寝21:00

5/4日(土) 起床7:00/食事終了9:30・一日中雨・停滞/就寝21:00

5/5日(日) 起床5:00出発8:00→前剱10:20→カニのタテバイ11:30→12:10剱岳頂上12:45→カニのタテバイ13:15→平蔵谷のコル14:00→剱沢出合14:20→テン場16:00

5/6(月) 起床5:00・出発7:20→8:00別山乗越8:15→みくりが池温泉・休憩9:40→10:10室堂・バス10:40→12:10美女平12:40→立山駐車場12:25→13:15厚生年金休暇村風呂14:00→小矢部川SA食事15:50→杉津SA(Kチームと合流)話はずむ17:30〜18:00→五条20:10

--------------------[ 山行記録 ]---------------------------

 

大好きな剱にゴールデンウイークに行けるのはとても嬉しいことだった。夏にしか行ったことが無く、一目雪の剱を間近で見たいと思っていた。会の合宿が剱に決まったとき即座に参加しようと思っていた。そして密かに源治郎尾根を登れることを楽しみにしていた。

しかし、結果としては4日は雨で停滞となり行動日は5日のみで、剱の別山尾根から登り平蔵谷を下るというコースになった。今年はどこも雪も少ないようで、先に入山して八ツ峰で登攀していた会のメンバーに聞くところによると、源治郎は殆ど雪が付いていないと言う。八ツ峰の壁もフラットソールで登れるらしい。それならと諦めもついた。帰ってからの情報でも、温暖化の影響か今年は特に雪が少なかったらしい。

いつもの会の山行と同じで5月2日の夜中に京都駅を出発した。今回は会の合宿と言うこともあって、剱沢のテン場で待ち合わせの2名と併せて総勢13名の大所帯となった。2台の車での分乗で出発。最初はゴールデンウイークなので、混雑を予想していたがすんなりと行けた。

立山に3日の4時に着き、駐車場の車の中で仮眠後ケーブル乗り場に早めに向かったにもかかわらず人でごったがえしていた。1時間半ほど待たされる。出発前から混雑は予想されていたので、私は気にならなかった。美女平ではバスに比較的順調に乗れたが、室堂で荷物(ザック)が大分遅れて待たされた。いつも観光ポスターなどで見ていた、室堂近くの道路脇の雪の壁はかなりの高さにはなっていたが、例年よりも雪はすくなかったせいかそれほどの感動はなかった。しかし、室堂はかなりの雪である。夏とは一変した風景である。夏と同じなのは、人、人、人…という熱気である。軽装の観光客がかなり目立つ。びっくりしたのはスーツ姿で今にも会社に向かわんというような出で立ちの人がいたことだ。私が子ども頃、旅行に行くのに父親がスーツを着ていたのを思い出した。みくりが池と雄山の雪景色にスーツ姿は異常に思えた。

雪の中を われわれ一行は、いよいよ出発である。一列に繋がった渡り鳥のように、遙かに見える別山乗越に向かう。スキーヤーも多いような気がした。雷鳥沢のテン場にもテントがたくさん張られていた。称名川の橋も雷鳥沢も一面真っ白で多少の凹凸としてしか感じない。

夏でもしんどい登りである。黙々と下を向き歩を進める。

別山乗越まで来るとやれやれである。室堂から2時間と思ったよりも早かった。ペースも、数珠繋ぎの列のお陰でゆっくりで私は助かった。なのに室堂から2時間と思ったよりも早く意外だった。ザックを下ろし一息つくと、小屋から真っ黒に日焼けした逞しい見るからに山男という風体の人が出てきた。顔を見てすぐに分かった。京都アバンティ・クライミングスクールの 山岳プロガイド森中龍一郎さんだ。インターネット(http://www04.u-page.so-net.ne.jp/pa2/bomber/)や岳連の講習会でお馴染みだったので声を掛けてみた。気さくに握手を求められ、剱の情報を教えて下さった。別山乗越から、室堂の方を見るととても美しい。剱も大日岳の方もとてもよく見える。あとは剱沢の方に下るだけだ。

テン場には12時半に着き、早速テント設営や雪を掘って椅子とテーブルをみんなで作った。紅茶で一息ついた。その後全員で、滑落停止の練習をした。食事は、米を持参のかやく御飯と豚汁である。米は無洗米であらわなくてもよい。外で、雪の椅子とテーブルで剱を眺めながらの食事は格別美味しかった。

 

夜から雨が降り出した。朝になっても止まない。私たち女性5名はエスパースの冬用のテントで寝たが、シュラフカバーが濡れていた。起きようとしたら、すでに水がかなり溜まっている。しかたなくコッヘルでかい出した。そのあとジャンボテントに全員13名、寿司詰め状態で一日過ごす。とにかく腰が痛い。

とうとう我々のテントには穴を開けて水を流し出す。しかし次から次ぎへと溜まってしまう。何とも情けない状態だ。次の日に期待して寝たが夜中になってますます雨と風が強くなる。

4日は明け方まで雨が降っていた。5時起床。朝食後ジャンボの方に向かって大声で予定を聞くと本峰登攀をするという返事。しかし雨は止んではいるようだが風は強い。私はてっきり撤収だと思っていたのであわてて準備に掛かる。外に出て見るとガスで視界は全くない。風はまだふいている。一列になり8時に出発。剱沢をトラバースして少し行くと剣山荘である。この左の入り口横から裏の方に回ると直登である。登り切ると別山尾根にでる。すぐに一服剱そして武蔵のコルに下る。ここは急な下りでけっこう厳しい。目の前の急な雪壁を登ると前剱である。この辺りからは岩肌もかなり出てくる。そして平蔵谷のコルを越えるとカニのタテバイである。そこを登り少し行くと早月尾根との出合いにでる。もう頂上は目の前だ。

天気は快晴になり、頂上は素晴らしい展望である。しばらく雄大な眺めに酔いしれる。下山は平蔵谷からという。私はこのときに、剱沢の登りを思ってうんざりしてしまった。元来た道を戻りたかった。平蔵谷の下りは快適であった。しかし想像したとおり剱沢の登りは地獄だった。マイペースでのんびりと登ることにした。振り返ると、昨年娘と登った懐かしい源治郎尾根も間近に見える。雪が付いている様子は全くない。夏はみどりで美しかったのに、黒々とした岩肌で迫ってくる。今回は登れなくて少しは残念だったが、それほどの思いもない。またチャンスは巡ってくるかもしれないが、何が何でもという気持ちも薄れてきた。それよりも果てしなく続く剱沢の方がげんなりとしてくる。テン場に着いたのは最後になってしまった。

これで、停滞を余儀なくされた今回の合宿も埋め合わせが出来た。

雨が入らずに寝られるということは、何という幸せなことか。

 

6日4時半起床。テントを撤収して帰路に就く。別山乗越からは剱に最後のお別れを告げる。雷鳥沢の下りでは、スキーで下りている人が結構いたが怖くないのだろうかと思ってしまった。下りきるとまた室堂まで登らなくてはならない。夏でもここからの登りはかなり辛い。最後の踏ん張りである。

室堂からはすんなりとバスもケーブルも乗れ、立山には思ったよりも早く着いた。高速も渋滞もなく帰れた。

 

会の合宿という性質上仕方ないのだが、人数があまりに多い。しかし残雪の剱に登れたことはとても幸せだ。昨年の穂高に続き、よいステップとなった。今はいろんな山に次から次へと行きたい。

 

山を放浪! 憧れるなぁー。

 

雪彦山・正面壁・加古川ルート

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【 題名 】雪彦山・正面壁・加古川ルート

【 期間 】 2002/5/18(土)

【 天気 】 朝/雨のち曇りのち晴れ

【 参加 】いく、N

【 資料 】日本登山大系10

【地蔵岳の正面壁取り付き】

東屋から遊歩道を下る。鉾立山の分岐を鉾立山の方(右)へいく。二つ目の鉾立山の分岐を左にいく(地蔵岳の方)。虹の滝があるが前を通り過ぎる。しばらく行くと地蔵の正面壁の展望台に出る。そこをもう少し進むと左にしっかりした、下りる踏み後が付いている。下りきった小さな谷筋を右手からよじ登り、壁(ロープがフィックスしてある)を巻き込むように進むと取り付きにつく。

【概念図と地蔵岳の東稜取り付き】

【地蔵岳の正面壁取り付き】

 

 

--------------------[ コースタイム ]--------------------

自宅5:00→待ち合わせ場所の東屋7:30

1回目 正面壁取り付き9:20→地蔵岳終了12:20

2回目 正面壁取り付き13:20→16:30

--------------------[ 山行記録 ]---------------------------

 

会の山行で雪彦が出た。正面壁を前からリードしてみたかったので便乗して行くことにした。パートナーはここのところホシダで一緒にクライミングをしているNさんである。Nさんとの本チャンは初めてである。前に何度か加古川はフリーで登っているというので大船に乗った気分だった。私は1999年にセカンドで1度登っている。このときに、それほど大変だったという記憶はなかった。しかしトップは初めてのことなので気は抜けないとは思っていた。最初からオールフリーで行くつもりのNさんは、アブミを持ってきていない。自信のない私はしっかり持ってきていた。そして、あらゆるところで活用した。

昨年10月に東稜を登った。そのとき次の日は正面壁を登ろうと思い、2回目なのに取り付きを捜して迷ってしまった。雨も降ってきたのでその時は三峰でアブミの練習をして帰り、正面壁には行けなかった。今回は、Nさんがしっかり取り付きを憶えていた。登山大系の概念図を見ても本当に分かりにくい。(地図を付して説明を書いておく)

会のメンバーのTさんがNさんを拾って家に5時に寄ってくれることになっていた。時間になったので家の外に出たところ、すごい雨なのでびっくりした。もうすでにNさんを乗せたTさんの車は横付けされていた。「これから晴れるでしょう」というTさんの言葉を信じて出発。というよりはもうすでに前夜に行っている他のメンバーのこともあり、とにかく行かなくてはならないという気持ちだった。こういうときは、気持ちは心なしか沈んでいる。

これはハイキングで終わるかも知れないと内心思っていた。ところが待ち合わせの場所である東屋に近くになると雨も上がった。しかし空はどんよりとしていて、東屋から見えるはずの壁はガスの中で姿は現さない。歓迎されていないなー。

しかし、いずれ晴れるであろうという見通しのもとに取り付きに向かって出発する事にした。

他のメンバーは三峰でアブミの練習をして東稜から地蔵の頂上に来るという。私たちとは頂上で4時頃待ち合わせをしようということにした。

取り付きに付くと少し下で声がする。こんなに天気が悪いのに物好きな、と自分のことは棚に上げ思っていたら数名後からやってきた。大阪の労山系の山岳会の人たちだと言うことだ。急いで支度をして、先に行かせてもらう。私が先にリードをすることになり、あとはつるべでということになった。私は岩に乗っかったとたん、ヌルヌルとして気持ちが悪いと思った。ガスで視界は全くない。 最悪! こわいよ〜! と言ってしまった。しかし決心が付かぬまま行ってしまう。2ー3ピン目を掛けて、簡単そうに見えたので右に行った。ボルトは右にもあった。ここにプロテクションをとった。これが落とし穴だった。落ちついてみると左にボルトとシュリンゲが見える。ルート図を見ている余裕はない。どっちだろうとかなり迷った。ルートが違う事に気が付いた。左の捨てシュリンゲを取ろうとするがもう少しなのに届かない。戻ろうと思うが行けない。何とか乗り移ろうとして滑ってしまい落ちてしまった。不安に感じたNさんからその辺で、ピッチを切ったらと言われたが、不安定で無理だったので行ってしまった方がましであると思いおそるおそる登る。プロテクションはしっかりあるので、1つずつ取るたびにホッとする。かなり時間が掛かってしまったと思う。私自身とてもとても長く感じ、後続の人に申し訳がないと思うがどうにもならない。1999年にセカンドで登ったときの方が、遙かに簡単だった。濡れていると言うことはかなりのグレードアップになる。上の方ではA0とアブミ、何でもありだった。1ピッチ目の終了点に付いたときは心底ほっとしやっと気持ちの上でも落ちついた。セカンドで登ってきたNさんもテンションが一度掛かった。

次の2ピッチ目はNさんの出番。1ピッチ目の終了から真上にピンがあるが難しいようでNさんは右にトラバースして2ピッチ目クラックをA0でぐいぐい登っていく。ここは少し楽になった。

3ピッチ目はまた私である。登り始めたとたん、アブミのお世話になる。壁が被さっているように思える。ひとつのアブミを掛け替えながら登る。このピッチもかなり行ったところでザックの携帯が鳴る。出られないのでほっておくと、何回も鳴る。これは何かあったなと思うが仕方がない。このピッチは、もしかしたら紅菱会ルートではなかったかと思う。このピッチ終了間近でかなり右にトラバースして右カンテの3ピッチ目の終了点に出てしまった。下から後続のトップが右カンテルートを登ってくるのが下の方に見える。セルフを取って、電話を掛ける。入院中の92歳の伯母の訃報を聞くがどうにもならない。早速、Nさんにコールをするが全く声は聞こえない。ザイルも大幅にトラバースしたためか、流れない。かなりの力で引っ張る。2回目の登攀で分かったが、このピッチは真っ直ぐ直上すべきか、右にトラバースする前にピッチを切るべきであった。

最後は、簡単なスラブを登って終わりである。Nさんのリードである。3時間ちょうど掛かった。地蔵の頂上で軽く昼食を済ませ、2回目のために取り付き目指す。私は充分満足していたが、Nさんが不完全燃焼である。このとき頂上からの視界はやっと明るくなってきた。

 

2回目、Nさんのリードで登り始めた。私と同じ罠に嵌り、右に行ってしまった。ルートが違うので戻った方がいいのではといったが、そのままいってしまった。プロテクションはまったくないようだ。はらはらして見ていたが、上まで行ってしまった。セカンドで登って、よくこんなところフリーで、おまけにプロテクションなしで行ったなと思う。信じられない。

次の2ピッチは私。3ピッチのリードはNさん。さすがにアブミを貸した。ここはセカンドでも私はアブミがいった。最後は私が右にトラバースしたところは直上し終了。4ピッチは私。これで二人とも全ピッチをリードしたことになり大満足である。

頂上では、もう約束の4時を30分遅れていた。人の気配が全くない。大声で呼んでみると下の登山道から会のリーダーのkoさんの声がする。おや変だな、もうすでに帰っていて、迎えに来てくれているように思える。いそいで片づけて下山することにした。2回目はもう少し早くなると思ったが、疲れも出ていたのかほぼ同じ時間が掛かった。しかし、この悪条件で2回も登るとは…。

疲れも心地よく、満足感と達成感、充実感で胸がいっぱいであった。Nさんも実力が違わない女性パートナーと登ったのは初めてということで、とても喜んでくれた。

駐車場に帰ると、他のメンバーにはもうだいぶ待ってもらっていたらしい。結局東稜は登らず(途中で雨がぱらついたので)、三峰のハングでずっとやっていたらしい(ここは雨が掛からず壁も濡れていない)。

決まりの雪彦温泉で泥を落とし帰路についた。しかし爪の間に入った土はしばらくはとれなかった。いつもの、ここちよい疲労感で満たされていた。

汚れた服が、私の奮闘を象徴していた。

 

明星山・フリースピリッツ・ピークハント

 写真にリンク

2002年山行記録TOP

【 題名 】 明星山・フリースピリッツ・ピークハント

【 期間 】 2002/5/31夜〜2(金〜日)

【 参加 】1日/フリースピリッツ・ko、iku (左岩稜・N、T)

2日/ピークハント・koこ、A、iku、NY、a、S、T、K、H  (左岩稜・N、T)

【 山域 】

【 山名 】 明星山(みょうじさん) 1189M

【 形態 】クライミング・ハイキング

【 地図 】 2万5千 小滝

【 資料 】 日本の岩場上(白山書房)・日本のクラシックルート(山と渓谷社)・岳人No.659(2002.5)

 

 

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5/31 自宅8:00→京都駅9:00集合→駐車場2:30仮眠

6/1  起床5:30→東京組着6:30→取り付き7:30〜8:00→終了15:00→駐車場15:45

    風呂→鍋での宴会

6/2 起床5:30→明星山9:00→頂上11:30〜12:30→下山14:30→帰宅10:00頃

 

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【明星山フリースピリッツ】

会のKOさんの計画で明星山でのクライミングと雨飾山が出された。彼の主目的はいったいどこにあるのかそのときは分からなかった。明星山でのクライミングは、私の能力でも可能なのだろうかとふと思った。それは昨年は本チャンに割といったというものの、4級までのルートばかりだったからである。明星山自体の印象は全体にグレードがハイレベルで、私にとってはあまりにも遠い話のような気がしていたからである。

どのルートかと聞くとフリースピリッツだという。ルート図を調べると全くのフリーで14-5ピッチもあり、「日本の岩場」5級-である。本チャンのピッチグレードでは今までに経験していない、5.8、5.9が並んでいる。Aさんのネット上でのルート解説では最後の核心は5.10aになっているではないか。(初版の「日本の岩場」は5.10aなのに改訂版は5.8である。どうなっているのでしょうか?)

それからはいろんなガイドブックが枕元に積まれ、インターネットでの山行報告に目がむくようになった。インターネットの報告は敗退やルートファインディングの失敗や落ちたという報告が多く、調べれば調べるほど不安な要素が多くなった。

しかしパートナーは京都雪稜クラブのエースKOさんではないか、セカンドに徹したら行けないことはないだろうと思い直した。問題点は、前情報のうめぼし岩からの右トラバースのみ少し不安は残る。ここは落ちたらセカンドでもかなり振られそうだ。しかしこんなマイナス要因ばかり考えていても始まらない。たえず私は前ばかり向いている人ではないか…。気合いを入れて全力投球で参加することにした。そして簡単なピッチはトップもさせてほしいとひそかに考えていた。これはまたとないチャンスかもしれないと日が近づくにつれてますます行きたい気持ちに拍車がかかってきた。そして、このチャンスは自分の力を試すいい機会になるという思いと、5-のルートがどの程度で、また15ピッチの岩のスケールを見、味わってみるのも悪くはないと思えるようになってきた。

 

このような自分の中での経緯を経て当日を迎えた。雨飾パーティーと別れ、我々の車は明星山のp6南壁取り付きに向かう。暗闇の中、展望台の駐車場から真っ黒な壁が巨大な怪物のシルエットのように見え、空の大部分を覆っている。そのまま仮眠をする。眠ったような眠れなかったような気分のまま朝を迎えた。

明るくなりすっかり姿を現した壁を見に近かづいてみる。本当に大きい。雪彦の壁の数倍はしている。すごい迫力があるが、結構でこぼこしているようにも見え、何だか不思議とホッとした。もっとツルツルの壁を勝手に想像していたのだろうか。1999年に雪彦の地蔵岳正面壁を最初に見たとき、こんなところを登るのかと思うと登らずに帰りたいという衝動になったのをいまでも鮮明に憶えている。しかし、意外なことに明星山の壁に恐怖心は湧かなかった。それよりも、妙に親しみが湧いていた。

ここで合流予定の東京からのメンバーであるTさんとなりたまさんを待つ。道に迷ったらしく、6時半とかなり時間が遅くなってやってきた。ハイキングの小谷野さんも同行している。彼女はこの辺をぶらぶらして待っているという。時間も迫っているのですぐに支度をして出かけることにした。

展望台の左下の方から小滝川に下り、ここを渡渉する。噂の通り冷たい水である。出来るだけ高目の岩を飛び移り、濡れないように進んでいたが真ん中ぐらいから急に深い。膝までまくっていたが、かなり上まで濡れてしまった。しかし噂に聞いていたほどの困難さは感じなかった。

左岩稜に取り付くなりたま、Tさんチームと別れて我々は岩を回り込むようにして先に進む。大きな岩がある。これは、「日本のクラシックルート」のルート図にある岩小屋だろう。先に行ったkoさんが取り付きを見つけていた。もうすでに下調べの時に見ていた本かインターネットで見覚えのある草付きであった。

用意をしていたら、突然上から何の前触れもなく石ががらがらと落ちてきた。こぶし大ぐらいのが数個とあとは小さいのがしばらく続いた。上には誰もいないはずである。自然落石である。KOさんは静まった岩を見上げ、もう一度落ちてきたら辞めようといいながら、しばらくじっとしていた。もう静かである。

KOさんは、意を決して草付きを左上にぐんぐん登りだした。次ぎに私が登る。ここは何の問題もない。2ピッチ目は短く、同じような左上である。(「日本の岩場」{旧}も改訂{新}も1P3級、2P新4級、旧4級-)

3ピッチ目からは、本格的なクライミングらしい岩になる。ここは「日本の岩場」旧5+になっているが新6級-(5.8)である。ここと次の4ピッチ(新5級、旧4級+)も併せて私はセカンドでもあり、ホールドも沢山あり好きなスラブ系なので問題なくいけた。5+にしては簡単だと思えた。

5ピッチ目(新6級-/5.8、旧5級)は隠れた核心だと聞いていたところである。左上にトラバースしてうめぼし岩を目指す。そしてそこを乗っ越し今度は右にトラバースする。KOさんは、ここまで来てピッチを切った。最初の左上はスタンスもホールドも沢山あり問題ない。ここをKOさんはフレンズでプロテクションを取っていく。うめぼし岩の乗っ越し岩が少しかぶり気味で嫌な感じ。しかし、ホシダのハングに比べればどうと言うことはない。上のホールドはしっかりあったので、足を大きく開いて少しずつあげていくと簡単に越せた。そして立ち上がったとたん、ぎょっとした。右少し下で、KOさんがビレーをしている。そこまでの数メートルにスタンスがない。目の前のヌンチャクを外すともうない。落ちたらどうなるか。そんなことは考えたくない。幸いにもホールドはあった。ホールドに軽く手をかけ、そっと足を置いてみる。微妙なバランスながら立てた。一歩、二歩…そっと足を置いて歩を進める。行けた!!。辿り着いてホッと胸をなで下ろした。全体を通してもここが一番緊張感があった。それはセカンドでも落ちたらかなり振り子のように振られて、岩に激突しかねないと思えるからだ。

ホッとしたのも束の間、もうKOさんは素早くリード体制に入っている。あわててビレーする。6ピッチ目(新旧とも5級+)である。大きく足を広げて突っ張りながら登る。そのうち姿が見えなくなり、「ビレー解除」と声が聞こえ、次ぎに私がクラック上を登り、左に大きく回り込むと木にビレー点をとったKOさんがいた。次の7ピッチ目(新旧4級+)は簡単そうなのでのリードさせてもらう。草付きの中を突き進み左、左にいってしまったところ、ガレ場のなかに突っ込んでしまった。石を落としてしまう。「下からザイルいっぱい」の声が掛かる。仕方なく少し下りて岩と木で支点を取りピッチを切り、KOさんに上がってきてもらう。そして右の方に軌道修正をしてもらいながら、次の8pピッチ(新5+、旧5級)をいってもらう。7ピッチ目は直上で良かったようだ。こんな調子だと私がトップだったらルートを大きく外してしまっていただろう。8ピッチも大したこともなく登ると、あきらかに9ピッチ目(新旧2級)の中央バンドと分かるところに出る。ここで小休止をして昼食をとる。KOさんは昼食を忘れてきていた。残してきた車のキムチおむすびに未練たっぷりながら、私の持ってきたパンをかじっていた。取り付いたときに、昼食を忘れたことに気づいて敗退を決意し掛けたそうだ。なんというけしからん。

バンドのガレ場を渡り次ぎに10ピッチ目の取り付きである。取り付くと右上の方に向かって、ハーケンがあるという。ザイルいっぱいのばして、コールが聞こえる。ここも簡単だ。そして11ピッチ目(新旧5級)は直上気味で、最後のフェイスの上にKOさんがビレーをしているのが見えるが何だかいやらしい。エイ! ヤー!と力ませに上に上がる。ここから左にトラバースする事になっているのだが…(展望トラバース)。KOさんが「何だか変、間違えているみたい」という。このまま下ろすから下りたところのテラスでセルフを取って待っていてと言われ下ろされた。かなり左気味に下りる。支点が左に見えかなり古いザイルがぶら下がっている。そこに登り直してセルフを取る。KOさんが懸垂で下りてきた。「左にトラバース出来るはず」といってそのままトラバースで行ってしまったが違っていたようで戻ってきた。今度は上にルートをとった。しかし、捨てカラビナをして懸垂で下りてきた。もう一度左を見に行ったが、やっぱり違っていたようだ。「これでカラビナが回収できる」といいながら、「とにかく行ってみる」といって直登して左にトラバースしていった。しばらくして「あったー」と言う声。私もホッとした。「2時には楽に終了できるね」とKOさんは言っていたのだが、ここでかなり時間のロスができた。結局、最初のところが正しかったったのだろうか? 

だがもう安心だ。ここが核心の13ピッチ目(新6級-/5.8、旧5.10a)だ。出だしがしんどかった。疲れていたのかホールドから手がスッポリ剥がれて初めてテンションを掛けてしまった。セカンドということもあって、意識してフリーでと努めてきたのに、ここでA0をしてしまった。しかし、難しかったような気は帰ってからもしない。

あとはもう2ピッチで終了。最後は大きな木が終了点になっていた。そこで、しばらく休んでから樹林帯の方に回わりこんで行く。そこからは、ガレ場の下降である。ここがとてもいやらしい。ズルズル落ちる。ただひたすらこんなところを下ると、赤テープが目に付く。そこを右に少し登り、また下る。少しましな下りにはなったものの分かりずらい。所々に注意すると赤テープが巻いてある。ザイルを片付ける。サンショウの木が沢山あり実を付けていていい匂いである。

下りきると右にとり、広い道に突き当たり今度は左に進む。南壁の西側の壁が目の前に見え、小屋がある。偵察(?)小屋と書いてあったような気がする。そのまま進むと、小滝川に管が渡っていてそこを渡った(写真を参照)。橋を渡ると聞いていたのでこれを橋というのかとびっくりした。何年か前の私だったら、足がすくんで一歩も動けなかったことだろう。ずいぶん成長したものだと、自画自讃である。

重い足を引きずって道路に出て駐車場に帰ると、Tさん、なりたまさんはもういなかった。駐車場はひっそりとしている。セカンドながらこのルートを行けたことは、私にとってはとても言葉では表せないほどの嬉しさだ。未熟な私とパートナーになってくださったKOさんにはとても感謝している。今度このルートを訪れるときには、全ピッチをリード出来るぐらいの力を付けたい。P6南壁は前にもまして、親しみが湧いてきた。

 

 

北岳バットレス第4尾根(mizuの報告)
 

北岳の写真

2002年山行記録TOP

作成/iku mizu 

時・2002年7月26日(金)〜7月28日(日)

メンバー・Liku、mizu

 

 北岳バットレスは、快適なクライミングを楽しめ、その上、頂上をつめるまでの間、お花畑があるという話を聞いて以来、ずっと行ってみたいなぁと思っていた。

 待ちに待った梅雨明け宣言もなされ、二週間前、雨でバットレスを登れなかったいくさんとお天気になることを信じ、行くことになった。上諏訪までは、温泉でのんびりしたいというおばあちゃんと母屋のおばちゃんと一緒で、賑やかな道中となった。

 

*7月26日(金)晴れ

6:22出発→6:30おばあちゃんたちを拾う→7:10京都南IC→9:18〜9:35恵那SA→11:00上諏訪SA→11:10諏訪IC→11:30〜11:40諏訪ホテル→11:50〜12:20昼食→12:50韮崎IC→2:30広K(途中工事中で10数分停滞)→3:10広K出発→3:31分岐→4:03〜4:10休憩(ベンチ)→4:37〜4:49休憩(ベンチ)→5:30テン場→6:00食事(鰻丼、切り干し大根、野菜スープ)→7:45就寝

 

 朝、いつものように荷物を車に積めて出発する。途中、おばあちゃんたちを拾う。お菓子やお弁当を持って、なんだか嬉しそう。彼女たちが言っていたように、まさに「大人の遠足」といった感じ。

 1号線と名神は少し混んでいたけど、あとは比較的順調に進む。途中、高速の運転を交代してもらった。免許を取って3ヶ月。実は今回、密かにこれが楽しみでもあり、ちょっと不安でもあったのだけど。持ってきたCDをかけながら気持ちよく(もしかして私だけ??)運転でき、とりあえず一安心、、、、、

 おばあちゃんたちをホテルに送り、広Kに着いた時は2時半になっていた。金曜日なのにすでに車でいっぱいだ。予定より1時間以上も遅れていたので、少々焦りながら、白根御池小屋に向かって出発する。登っているのは私たちだけ。下山の人たち何人かとすれ違う。気持ちは焦るけど、なかなか足は動かない。日頃の運動不足がたたってか、今回の山行では、白根御池小屋までの登りが一番しんどかった〜。情けなや。。。

 テン場に着くと、ガイド山行の団体さんもいて、案の定、人、人、人だった。小屋では食事のための長い行列ができていた。小屋泊まりも大変だ。さっそくテントを張り、食事をし、二俣までの道をちょこっと偵察に行き、明日に備えて寝ることにした。

 

*7月27日(土)晴れ

2:30起床(朝食/各自)→3:20白根御池小屋出発→3:45二股の分岐→3:56〜4:05休憩→4:39C沢(水補給、バットレス沢を越えてしまう)→5:52bガリーの大滝取り付き→6:20bガリーの大滝登攀開始→8:14 4尾根取り付き→8:30 4尾根登攀開始→11:03 4尾根登攀終了(休憩)→11:49出発→12:15北岳頂上→12:25下山→12:49〜13:25肩の小屋→15:00白根御池小屋テン場→16:00夕食(かやくご飯、ハムと豆のサラダ、みりん干し、コーンスープ)→7:30就寝

 

 なんかリアルな怖〜い夢を見て目が覚めた。。。

 空は月明かりがすごく、星も少ししか見えないほど。きっと天気になるだろう!と期待しつつ、渋滞に巻き込まれないように、朝3時半、暗がりの中、テン場を出発する。出発の準備をしているパーティは何組かあったけど、どうやら私たちが一番手のようだ。

 二俣までは樹林帯で急な登りはなく、木の根っことかが多い道だった。歩いてすぐ、「花は取らないで。とっていいのは写真だけ」とかなんとか書いてある木の看板がある。しばらく行くと発電の音が聞こえてき、二俣に出た。そこからは八本歯ノコルへ行く登山道を行く。途中テントが張ってあった。

 雪渓を左に見ながら登っていくと、大きな岩小屋のそばを通り、水が流れている沢に出た。上の方に十字クラックらしきものも見える。ここで、水分を補給する。後ろを振り返ると朝日がのぼってきていて、すごく綺麗!写真を撮ろうとカメラを出すと、なんだか調子が悪い。シャッターがおりなくなった!!お花をたくさん撮ろうと思っていただけに、いくさんも私もかなりショックを受ける。それ以降、ここぞというシャッターチャンスでシャッターが降りてくれなかったけど、思っていたよりもなんとかカメラが動いてくれたのでよかった。ほっ。

 カメラのことはさておき、いくさんはこの水が流れている沢がbガリー大滝に続くだろうという。でも、クラシックルート集には確か「水が流れているのがC沢」と書いてあった。さっき通った岩小屋があったルンゼがバットレス沢でこっちがbガリーに続くはず、ということで引き返すことにした。戻ると、いかにも登りやすそうな涸れた沢があった。そこをつめていくと、上の方に写真で見た赤褐色のクラックが見えてきた。なんと赤ペンキで「bガリー」と書いてある。なんだか興ざめするなぁ。。。bガリー大滝の取り付きには雪渓が少し残っていたけど、取り付くのには何の問題もない。軽アイゼンとストックも持っていったけど、結局、重たいだけだった。

 bガリー取り付きでご飯を食べ、登攀の準備をしていると、後続に中高年の4人パーティがやってきた。そのパーティのリーダーは鈴鹿の方で、御在所をホームグランドにしているらしい。今年も去年に引き続きシャモニに行くらしく、気さくな方でしゃべりやすい。

 わたしたちは準備が出来たので、先に登ることとする。

1ピッチ目、簡単なクラック。わたしがリード。2ピッチ目、スラブ。けっこうピンが遠く、小石が多くて上からボロボロ落ちてくる。いくさんがリード。3ピッチ目、草付き。わたしがリード。20mほどで終了する。

 ここからコンテで左方向のガリーを登る。途中、左の樹林帯に赤テープと踏み跡がある。そこを辿るとCガリーに出た。そこをトラバースすると、向かいの岩(右岸)にまたまた赤ペンキで「4→」と書いてある!このペンキのお陰で取り付きまで迷いにくいのはよかったけれど、でも、自然の岩場で、しかもバリエーションルートに堂々と書いてあるのには、最初、かなりびっくりした。今もあんまりいい気持ちはしないけど、未熟なわたしは「あぁ、このルートであってる、あってる」と確認でき、ちょっと助かったのも事実だから、複雑な気持ちだ。。。

 Cガリーをトラバースし、5,6mほどそのガリーを直上したが、かなりガレガレでどうにもならず、左の樹林帯の岩に乗り移る(トラバース後、すぐに樹林帯に入っていくのが本当のようだ)。踏み跡をたどるとすぐに逆層スラブにぶち当たる。ノーザイルで行こうかといくさんと話していたが、ピンもあったので、無理せず確保してもらって私が先に登り上の木で支点を取る。それからまた左の踏み跡をたどる。先に行ったいくさんが「あれ〜、ここ4尾根の取り付きやん!」というのが聞こえた。「えっ、えっ??もう着いたん?」と半信半疑で上がっていくと、ここにも「4」と真っ赤な色で書かれていた。なんかあっけなく着いてしまった感じがした。そこからは富士山がくっきり見えた。こうも天気がよく景色がすばらしいと嬉しくなってくる。

 しばらく後から来た男性二人パーティに先に行ってもらい、わたしたちは二番手で登ることにした。わたしたちの後には男女のパーティ、そして先ほどの中高年4人パーティが続く。

1ピッチ目、いくさんリード。見た目は簡単そうだったけど、スタンスが甘くいやらしい。セカンドの私も躊躇なくA0。2ピッチ目、わたしがリード。3ピッチ目、いくさんリード。何の問題もなく快適なクライミングが続く。4、5ピッチ目、わたしがリード。核心の手前でピッチを切ろうと思っていたのに、行ってしまった。でも1ピッチ目と比べると岩も硬く滑ることもなく、意外と大丈夫だった。核心を過ぎるとリッジに乗り移り、気持ちがいい!手前でピッチを切らなくて得した気分。マッチ箱からは懸垂。6ピッチ目、いくさんリード。このピッチはおもしろかった。7ピッチ目、わたしがリード。左に回り込むかたちで登っていく。去年いくさんたちが来た時、ここでロープが流れにくくなったと報告書に書いていたのを思い出し、1ピン目は取らずに行った。枯れ木テラスでビレー。8ピッチ目、いくさんが「そのまま行ってしまって」と言うので、わたしがリード。大きな亀裂を越え、はい松で支点を取って、4尾根登攀終了。渋滞もなく、お天気にも恵まれ、噂通り快適なクライミングができた。

 しばらく休憩し、頂上に向かう。とても歩きやすい道だ。まわりに咲く高山植物がかわいらしい。疲れも吹っ飛ぶ。いくさんは写真を撮りながらゆっくり来る。頂上に着くと、すごい人混みだった。例の団体さんたちもいる。頂上から小屋まで、登山者が絶えることなく続き、ちょっとうんざりした。白根御池小屋に着くと、10分前に着いていたいくさんが蒸し風呂のようなテントで寝ていた。わたしにはその暑さはとても耐えられず、外に出た。御池小屋のテン場は、更にテントが増えていた。ヘルメットを持ったクライマーらしき人たちも多い。土曜日の内に登っておいて、よかった。

 早々にご飯を食べ、寝たが、その日は9時半ごろまで向かいのテントがうるさく全然眠れなかった。話の内容が丸聞こえ。あ〜ぁ、隣ではいくさんが気持ちよさそうにいびきをかいて寝ているのに。。。

 

*7月28(日)晴れ

4:00起床(朝食/おかゆ、漬け物、みりん干し、野菜スープ、ココア、コーヒー)→6:26出発→7:12〜7:20休憩(一つ目のベンチ)→7:56広K→8:25広K出発→9:15〜10:17お風呂(白峰会館)→10:55韮崎IC→11:27諏訪IC→7:30帰宅

 

 この日は帰るだけ。5時に出るつもりが、結局6時半になった。名残惜しいが下山する。いくさんは下りになると更に元気になり、昨日見た富士山が頭から離れないのか「富士山」の歌を大声で歌いながら降りている。登ってくる人たちが「元気がいいね〜」といくさんに声をかけていく。広Kは相変わらずの車の数だった。お風呂に入り、3日間の汚れを落としさっぱりしてから、おばあちゃんたちを諏訪まで迎えに行った。そこでも、ついでに昭和初期に財閥が立てた諏訪ホテル片倉館の千人風呂に入らせてもらい、一緒においしいお蕎麦を食べ、帰路についた。

北岳バットレス第四尾根(いくの感想)

北岳の写真

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【 題名 】北岳バットレス第四尾根

【 期間 】 2002/7/26〜28(金〜日)

【 天気 】 晴れ 

【 参加 】 iku、mizu

【 山域 】南アルプス

【 山名 】 北岳(きただけ)(3192m)

【 形態 】アルパインクライミング

【 地図 】 エアリアマップ43・甲斐駒北岳(新しい版では2万5千分の一の地図が裏にある)

【 資料 】日本の岩場、日本のクラシックルート(山と渓谷社) アルパインクライミング(山と渓谷社)

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mizuの報告を参照

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二週間前に北岳バットレス第四尾根登攀の計画が会で出た。その時は総勢6名で、二俣からd沢を詰めたところで雨のために敗退となった。前夜発で殆ど寝ていない状態で登ったためか、私は二俣あたりから睡魔に襲われて速度がどんどん遅くなってしまった。みんなはバットレス敗退後ピークハントに行ったが、私はそこから引き返した。休憩しようと座っても寝てしまう。こんなことは初めての経験だ。昨年も同じ時期登った。17時間行動で帰阪したときに、高速を運転していてつい睡魔に襲われ、速度が遅くなっていって、はっと我に返った記憶を思い起こした。

今回はリベンジというわけではない。私の相棒のmizuがこの時期しか山に行けないと言う。それで何処に行こうかということになったが、昨年の二人の剱の源治郎尾根を思い出し、折角ならバリエーションをということになった。錫杖かバットレスか…。最後には3000メートルのロケーションと、前に行ったときのお花を思い出し北岳に決定した。それにもう一つ私たちが安全かつゆとりを持って登るにはとてもいいルートだと思えた。私は下部とりつきを前にはdガリーから行っている。今度はオーソドックスにbガリーを行きたいと前から思っていた。丁度いい機会である。

そして、2週間前の轍を踏まないためにも昼間運転をして、一日目は入山のみ。そして二日めは登攀。三日目はまた昼間運転して夕方までに帰るという、超ゆとりのある計画にした。これは疲労感が残らずとても良かった。時間的にゆとりがあると、周りのものにも目が行く。美しい風景も、かわいらしい花にも足を留めてじっくり眺められる。今回はお天気もよく、富士山を眺めながらの登攀となった。先を急ぐ必要がない。

今回は母親孝行も兼ねていた。といよりも、ついでに温泉に誘った。上諏訪温泉のホテルに年寄り二人を残置。また中央自動車道に乗り、韮崎ICで下りる。そして帰りに拾って帰る。

前に来たときの、いやな長いトンネルを抜ける。ここを夜通りたくなかったのも早朝発の要因だった。昼間でも、上から水がポタポタ落ち、ライトを点けていても薄暗く、お化けが出そうである。私は年甲斐もなくお化けが嫌いである。

空いていると思いこんで金曜日の午後着くようにしたのに、予想に反して広Kは車があふれ出している。どうしょうかな思っていたら、バス停から少し行ったところに一台分の隙間を見つけた。素早く車を滑り込ませ、用意に取りかかる。予定をだいぶ遅れてしまった。しかし、ここでもゆとりのある山行なので動じない。明るいうちに白根御池小屋につけばいいのだ。

用意をしていたら、中高年男性三人の一人が話しかけてきた。予定をしていた山が崖崩れで登れないので、急遽北岳に変更しょうとしたらしい。私たちに「今日は何処まで?」と聞くので「白根御池まで」というと、自分たちも行こうとしたのだが、小屋がいっぱいで泊まれないから諦めたという。私たちはテントだというと納得してくれた。その人達は何処へ行ったものやら、そのあとも相談をしていた。

用意をして、登りはじめた。前に来たときもとても辛かった急登である。久しぶりの山歩きのmizuがしんどそう。ゆっくり歩を進めていたと思うのにけっこう早く白根御池小屋に着いた。

着いたとたんに、凄い人なのでビックリした。うじょうじょいる。おまけに食事時だったのか人が列を作っている。テントもいっぱいだ。池の周りも花盛りである。中高年のツアー山行が多いようだ。外でもガイドらしい人が数名いてその周りにも中高年の人がいっぱいである。

北岳の肩の小屋もいっぱいで、小屋に泊まる人をテントに案内していたのには驚いた。宿泊費は一緒なのだろうか。北岳の頂上もいっぱい。長居をする気も起こらず下りる。

その割にはバットレスには人が少なかったと思う。4尾根は私たちを含めて4パーティーいたが他のルートはひっそりとしていた。結果としては、とりつきで若い男性二人に先頭を譲り、私たちは2番手になったが、そのまま最後まで行けたのでよかった。4尾根自体はそんなに難しくはない。5級の核心もmizuが難なく越えている。それより1ピッチ目の方がいらやしい。前の日本の岩場だと3級だったが改訂版では5級−になっていた。このことは納得できる。

登攀の詳しいことは、mizuが書いているので省くことにする。

 

今回も、私たちでちゃんと行けたということは素晴らしいことだと思う。mizuもフリーがだいぶ上手くなってきたせいかリードも安心して見ていられる。これはとても嬉しいことだ。このルートは一応3級になっている。しかし、本格的アルパインなので、とりつきまでのアプローチはかなり辛いものがある。終わればどうと言うことはないのだが、とりつきまでにかなり疲れていて、だいじょうぶかなと思った。

二人のペースはほぼ同じなので気が楽でもある。

次は錫杖の左方カンテを二人で登りたい。

そして、屏風も…

 

小川山報告
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【 題名 】小川山クライミング

【 期間 】 2002/8/2〜5(金〜月)

【 天気 】 2日/晴れ・にわか雨 3日/晴れ 4日/晴れ・雷雨 5日晴れ

【 参加 】iku、t、こうちゃん、なりたま

【 資料 】日本100岩場/日本フリークライミング・ルート集(山と渓谷社)

--------------------[ コースタイム ]--------------------

2日/自宅早朝発→廻り目平

3日/リバーサイド・マラ岩(夜はバーベキューで宴会)

4日/八幡沢左岸スラブ

5日/マラ岩→帰宅

 

--------------------[ 山行記録 ]---------------------------

一週間前には同じ中央道を通り、もう少し先の韮崎ICで降り北岳に行ってきたばかりだ。それでも小川山は関西からだととても遠い。しかしながらこう暑いと小川山でのクライミングは魅力的だ。回り目平に向かう途中の道路の温度表示は19℃になっていた。空気はひんやりしている。2日は金曜日ということもあって駐車場もテント場も空いていた。その日はテント設営のみ。メンバーも全員そろい、夕食をとりながら歓談。

 

3日リバーサイドに直行。ブラックシープ5.9+をオンサイト。一緒に行ったこうちゃんはランデブー5.11aを落とすべく取り付いていた。そしてこうちゃんはレッドポイント。私はトップロープでランデブーを登らせてもらった。はちゃめちゃのなんでもありで取り敢えず終了点まで。「こうちゃん、ようこんなとこ行くわ」というのが感想。そして5.10台を求めて、なりたまさんと移動。妹岩は満員御礼。マラ岩の東面に行ったがまたまたいっぱい。マラ岩西面に回って、スラブの「届け手の平」5.10cをリード。ここの核心は凄く難しい。立ちこめない。ズルズル滑る。そこに立ち込んでパーミングで上のホールドを掴む。しかし、しっかり乗り込まないとホールドに届かない。正に届け手の平だ。私も届かす前に、何回もずり落ちてしまっている。

そこに、こうちゃんtさんがやってきた。こうちゃんはランデブーを落としてニコニコ顔。隣のJECCルート5.10dに取り付いた。惜しくもこの日はワンテン。そのあとトップロープで登らせてもらった。ここは全般に微妙なバランスで、いつでも落ちるのではという不安がある。ボルトも遠い。こんなルートはまだリードをする勇気が湧かない。しかし、感想としては隣の届け手の平の核心の立ち込みの方が難しいと感じた。他の人の登りを見ても届け手の平の核心は苦労していた。こうちゃんは例外だが…。ここで、かの有名な小林由佳さんにあった。まだあどけなさが残る。どこに5.12や5.13を登るパワーが潜んでいるのだろう。生憎クライミングは見られず残念。

 

この日は、私の誕生日。大々的にお祝いすべく、バーベキューとメニューは決めていた。風呂は団体が貸し切っていて、6時半まで入れないので、先にナーナーズに買い出しに行く。このナーナーズは何でもある素晴らしい大型スーパーだ。知っていたら、いろいろ食料を持っていかなかったのに。肉を仕入れる。風呂に入り、炭を熾そうとするのだがなかなか点かない。大騒ぎである。煙に巻かれるばかり。こうちゃんが機転を利かして発火剤を小屋で買ってきてくれた。しかし、これも今いち。結局ガスヘッドの上に網を置き、その上に炭を置いて熾したのが一番効率がよかった。考案者のtさん鼻高々。

 

やっと、空っぽの胃袋を満たせる時がきた。一口目の肉の美味しかったことは言うまでもない。

そしてビールも格別美味しい。丁度、京都の上中さんのスクール(こうちゃんの同じ会のはたぼんさんも次の日参加)も来られていて、この日は上中さんと生徒のTさんも一緒に私の誕生日とこうちゃんのランデブーレッドポイントのお祝いで乾杯。わたしもほろ酔いでついつい楽しくお喋り。いつもながら上機嫌で、幸せなひとときだった。このTさんもすでにLML(女性の登山のメーリングリスト)で知っていて、烏帽子で一度お会いしていた。

 

4日は八幡沢左岸スラブへ。ブラック&ホワイト5.10aをトップロープ。ここもボルトが遠いのでリードを避けてしまう。そして、ジャーマンスープレックス5.10bはリードはしたがテンション。そのあと雷とともに、大雨の襲撃にあう。ヌンチャクはこうちゃんが登ったピンチ5.10cにも掛かっている。ほって置いて帰るわけも行かない。tさんの「30分もすれば止むよ」という言葉を信じて雨の中ひたすら待つ。待っていた他の人も諦めて帰っていくがヌンチャクを回収せずに帰れない。雨が小降りになったので、ピンチのヌンチャクをこうちゃんにゴボウで回収してもらう。そして切り上げてテントに戻った。そして、おきまりの買い出し、風呂、テントでの夕食。夜はずーっと雨が降っていた。

 

5日最後の日。みんなで、マラ岩に行くことにした。私は初日に見たフェイスのレギュラー5.10a/b、イレギュラー5.10dを登ってみたいと思っていた。しかし行ったときには誰もいなかったのに、川上小唄5.7をウォーミングアップに登っている間に先を越されてしまった。

しかたなく、またこうちゃん、なりたまさんのいる東面に降りていった。そして初日と同じ、届け手の平をリードしたがやはり核心でテンション。こうちゃんはオンサイト。JECCルートはこうちゃんがレッドポイントしたあとトップロープで登らせてもらう。しかし、まだリードをする勇気が湧いてこない。

 

2年ぶりの小川山。凄い上達!というわけには全く行かなかったが、私なりにはスラブの5.10dまでトップロープながらトライ出来たことは次へのステップにはなると思う。

小川山は、いくらでも登れるルートがあるのが嬉しい。だから次から次へと課題だけは残してきてしまう。感想はひとこと、「なかなか、上手くならんな〜」でした。

 

帰ってから、志津川バットレスと千石に行ったが前と変わりなし。グッシュン!!

「クライミングは、落ちてなんぼ!! 」とにかくリードでトライ出きるように恐怖を克服しなくては…。

 

美しすぎる白山

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【 題名 】 白山の花と風景を堪能する

【 期間 】 2002/8/16〜18(金〜日)

【 参加 】iku、Y、H、K(オンナ4人)

【 山域 】 白山国立公園

【 山名 】 御前峰(ごぜんがみね)(2702m) 別山(べっさん)(2399.4m)

【 形態 】南竜馬場テント泊(2泊)

【 地図 】 エアリアマップ45・白山

【 資料 】白山・花ガイド(橋本確文堂)

 

--------------------[ コースタイム ]--------------------

 

8/16(金) 自宅(K)5:30→Y6:10→草津SL7:20→市ノ瀬10:40バス11:30→別当出合11:50〜12:00→中飯場12:55〜13:20→別当覗き14:15〜14:35→甚之助避難小屋15:15〜15:40→南竜ケ馬場17:10着/夕食18:00〜/就寝19:30

 

8/17(土) 起床2:30出発3:15→出発お花畑コースエコーライン→室堂4:40→御前峰5:10御来光・朝食7:30→紺屋池8:17→お池巡り→大汝峰登り口分岐→室堂13:10〜14:00→黒ボコ岩→南竜ケ馬場15:40/夕食→就寝20:30

 

8/18(日) 起床4:30→テント撤収・出発7:00→油坂7:55〜8:15→チブリ尾根と別山への分岐9:25→別山9:33〜10:00→チブリ尾根と別山への分岐10:10→チブリ小屋11:00〜11:40→市ノ瀬14:30→永井温泉16:00→昼食(ログレスト、ポコ・ア・ポコ)16:30→帰宅21:30

【天気】

8/16(金)晴れのち曇り、小雨、晴れ

8/17(土)晴れ、午後からガス

8/18(日)晴れ、午後からガス

 

【食料計画】

16日夕食…タイ飯/味噌汁/キュウリ/ビール

17日朝食…御前峰の頂上で山菜ソバ

17日夕食…中華丼/ウインナー/キュウリ

18日朝食…粥/漬け物/ウインナー/鮭フレーク

 

--------------------[ 山行記録 ]---------------------------

 

白山は今回で4回目である。昨年は7月の後半に行った。今回は時期的には昨年とは1ヶ月遅れだった。お花が咲いているのだろうかと行く前から心配だったが、クロユリこそ見かけなかったが、最初から最後までお花畑の中の山歩きとなった。改めてまた白山の魅力を再認識した。

今回白山に行こうということになったのは、雪稜に入会したばかりのKさんとHさん二人とYさんから、ミーティングの帰りの車の中でどこかに行きたいといわれていたからである。私は今回合宿を取りやめて空いていたのでどこかにクライミングでもと漠然と考えていたが、北岳バットレスと小川山とクライミングも続いていたので、急遽彼女たちの期待に応えるべく山行をと思い立った。テントを担いでの登りに慣れていないこともあったが、白山はベースを南竜ヶ馬場に置けるのと何といっても綺麗な山なのとで、花さえあれば気に入ってもらえる自信はあった。メールとFAXで、食料と装備係をそれぞれにお願いした。何事も経験だ。

体調に応じて変更がきくので、白山のあらゆるエキスを充分味わえるようにと欲張ったルート計画をした。ただ、重い荷物を持っての行動に慣れていない人が多いのと、道中で出会うお花たちとの対面も充分楽しんでほしいので、時間的にはゆとりを持たせた。この点は、私自身もまた新たなお花たちに出会え、充分満足できた。

8月16日台風接近の天気図を見ながら、どうか天気が持ち堪えてほしいと願いながら出発。天気予報によれば出発日の16日が曇で一番悪い。17日の行動日は晴れ。そして下山日の18日が台風接近日となっていた。これだと最悪17日は御前峰だけでも登れそうだと思っていた。今年のお盆は、前半がどうも悪いので余計に心配だった。

樟葉でKさんを拾い、24号線のYさんとの待ち合わせ場所に向かったが、寝起きの私の頭が働いていなかったのか、少し道に迷う。しかしこのときの遅れは大したこともなかった。しかし二人を乗せてHさんを迎えに草津SAに寄らねばならなかったのに気がついたら栗東ICの看板。「エッ、いつのまに!」と思っているうちに栗東も過ぎてしまった。高速での車の速いこと! 速いこと! 仕方なく、次の竜王で引き返した。折角30分時間を早めたのに何にもならない。引き返すと京滋バイパスから名神に入って草津SAはすぐだった。前途多難な出発となった。

しかしその後は、順調である。市ノ瀬は案の定車がいっぱいで奥の芝生に駐車。装備を分け、バス乗り場へと向かった。バスはピストンしていて、それほど待たなかった。丁度正午に砂防新道から出発。一度観光新道も通ってみたいのだが、南竜ヶ馬場がベースだとどうしてもこの道になってしまう。そして交通手段が車だとまた元に戻らなくてはならないのが、コースの選択を狭くしてしまっている。これは仕方がない。

中飯場で休憩していたら、小雨が降り出し、レインウエアを着こんで出発したが、すぐに止んでしまった。レインウエアを着込むと暑い。すぐに脱いでしまったが、この時以来雨具は必要なかった。

中飯場からはお花がたくさん咲いていた。とりわけミヤマシャジンが可憐な薄紫の花をスズラン状に付け、あちらこちらに咲いている。赤い実と黒い実が付いている木がたくさんある。赤い実ばかりのもある。「あれは何ていう名前かしら?」というと、すぐに誰かが調べてくれる。これは多分オオカメノキ。

他にも黄色い花が私たちにはお尻を向けて咲いている。キオンという花のように思えるが分からない。ユキ(?)アザミも多い。このアザミは普通野原で見かけるアザミと違ってふわっとして柔らかい。触っても痛くない。白くて小さくて本当に米粒のようなミヤマコゴメグサ。この小さな花を覗くと、中に小さな黄色が見える。何とも愛らしい。ずっと、名前がわからなかったがホシダでクライミングを一緒にしているNさんに教えてもらったキツリブネ。ハクサンカメバヒキオコシ(「白山亀葉引起」アチコチ林間にかたまって生えています。倒れた病人を「引起こす」程の薬効があると言うのです。ネットから引用)という舌を噛みそうな名前の花は地味だがたくさん咲いている。これは野草という感じ。

ずっとガクアジサイだと信じて疑わなかったが、ノリウツギだった白い紫陽花のような花。これもたくさん咲いていた。昨年もたくさん見たオタカラコウも咲いていた。有名なミヤマキリンソウもある。この花はまた後でも群生で出てくる。まだまだ名前がわからないのが甚之助小屋までにもいっぱい。いちいち、名前を調べながらの登りは疲れ知らずである。そうそう、忘れてはならない白いナデシコに似たセンジュカンビ。これは本当に清楚だ。

甚之助小屋でしばらく休む。下山予定のチブリ尾根と別山方面がよく見える。ここからはもう少し登りだ。黒ボコ岩への道の分岐に出る。一面のお花畑。トリカブトがいっぱい。ウラジロナナカマドの実が真っ赤だ。イブキトラノオより少し大きめの白いよく似た猫のしっぽのようなものがいっぱい。ヤマハハコも咲いている。とりわけ、青空にアザミがよく似合う。シモツケソウに混じってほんのすこしだがタカネナデシコが濃いピンクで咲いている。センジュカンビとは正反対で成熟した大人の女という感じか…。エコーラインの登り口の斜面には昨年の7月に来たときは、ニッコウキスゲの一面のお花畑があったのだが、ほんの数株寂しく咲いているのみだ。しばらく行くと万才谷の手前に、少女のようなハクサンフウロウが初めて顔を出した。最後の急登を登り切ると、視界が開ける。みんなから感嘆の声が聞こえた。下の方に緑の草原。その中に赤い屋根の南竜山荘と南竜ヶ馬場がどこか外国の草原のように見える。アルプスのハイジの世界だ。しばらく見とれている。すぐ傍に、頭に紫色の大きな、松ぼっくりのようなものを数個乗せたクリスマスツリーのような木がある。その時は何だろうと思っていたが、帰りにまたチブリ尾根でたくさん見かけ、名前を調べるとシラビソだった。大峰での白骨のような立ち枯れのシラビソは見たことがあって名前だけは認識していたが、元気なシラビソを初めて認識した。

小屋に向かって進むのだが、またまた花に目が行きなんだかんだと時間がかかる。しかしもうついたも同然。何も急ぐことはない。やっとのことで、テントの受付をすませ、ビールを買う。天気を聞くと分からないと言う。ちなみに前日は夕方から雷と大雨だったそうだ。テン場に向かうが、またまた花に道草。小屋の前には、ハクサンフウロウがたくさん咲いている。途中にはチングルマの綿毛になったものが群落になっていて、またダイモンジソウも咲いている。ニッコウキスゲモ寂しそうに一輪、最後の最後まで楽しませてくれる。

南竜ヶ馬場は空いていた。それでもテントがカラフルに咲いている。いろいろ場所を物色。下の方はかなり空いていたが雨が降ると流れてきそうなので上の方に場所を取った。隣はOの労山のカップルである。テント設営をして、外のベンチで美しい風景と花を眺めながらの夕食である。Kさんの下ごしらえのタイ風ごはんはビールにあって美味しい。オンナ4人のの宴会は、お酒よりお喋りに酔う。ホント、幸せだなぁー。

次の日は、御前峰で御来光を見るということに話はまとまった。ということはかなり早く起きなくてはならい。最初は3時といっていたが、これでは間に合いそうにない。食事はしないで出発するにしても3時には出たい。2時半に起きることにした。こうして初日は終わった。

 

2時半、みんなアラームの音で目覚める。時間が惜しいので、朝食は持っていくことにして出発。外に出ると満天の星が落ちてきそう。天の川がちゃんと見える。真っ暗な道を行くので、ルートは良く整備されたエコーラインと決めていた。隣のテントのカップルが、エコーラインを通ったことがないので登り口まで一緒に行っても良いかと聞かれ、一緒に出た。2人とは登り口で別れて先に行く。しばらく登り途中で休憩したときにヘッドランプを消すと本当に真っ暗だった。星座がはっきりとよく分かるはずだが、私は全く名前がわからない。また少し登り、上を見上げると真っ黒な影の御前峰に頂上を目指すヘッドランプが点々と揺れ動く。登り終わると、木道が弥陀ヶ原の分岐まで続く。弥陀ヶ原の分岐からは、大きな石がゴロゴロの五葉坂である。そこを登り切ったら、突然正面に新築の室堂センターの玄関に出る。ここで水を汲みに行く。室堂では水不足であまりでていない。そういえば、水屋尻雪渓はまったくみなかった。もうすっかり明るくなってきたので、ヘッドランプはしまう。もう時間は迫ってきているので、ここからは行ける人から先に行ってもらう。

もうすでにかなりの人が登ってしまっているようである。私も最後から水をザックにしまい歩き始める。どんどん、空は明るくなっていき、気持ちは駆け上りたいのだが足は重い。Kさんを追い越し、Yさんを越してHさんの次ぎに頂上に着く。頂上は、凄い人だ。ザックを置いて、よく見えるところを捜して落ちついたところに、登りだした。間に合った。どよめきが「ど〜っ」と聞こえてきたかと思うと、「バンザイ! バンザイ! バンザイ! 拍手! 」である。ビックリした。毎日こうなのかしら…。私はこういう場面は初めてなので、一瞬何事かと体が硬直してしまった。

しかし、眺めは最高。雲海といい、どんどん高くなるお日様といい…。雲が宝石のようにキラキラしている。Kさんも登ってきた。落ちついて見回すとYさんがいない。人混みに紛れていたようだ。登りの最後の方で気分が悪くなったという。人混みは少しずつへってきたが、私たちは飽きることなく、周りの風景を堪能していた。そのうちに、頂上はひっそりとした。

朝食をここで取ることにした。Yさんは食欲がないという。私たちは、山菜そばを作って食べた。一仕事後なので、とても美味しい。最初はYさんは室堂で待っていると言っていたが、2時間ほどゆっくりしていたらかなり回復して一緒に行くことにした。しかし紅茶のみしか口にしていないので心配だ。無理をせず行けるところまで行って引き返せば良いということで、剣ヶ峰の下の紺屋池に向かって下りはじめた。紺屋池は昨年の7月は半分以上雪に埋まっていたが、少し雪渓が残っているだけだった。お池巡りコースを辿る。ここではミヤマリンドウやイワギキョウが迎えてくれる。血の池を過ぎたところから大汝峰の方に進み、登山口下から右に行くと中宮温泉の方面の縦走路である。ミヤマダイコンソウが咲き乱れている。このままお花松原まで行ってみようと思っていたが、かなり下の方に見えるヒルバオ雪渓を見て、登りのことを思うと迷ってしまった。休憩して相談するというかお喋りに花が咲く。Yさんも体調が回復してきたようだ。もう少し進むことにした。かなりの急勾配である。一気に下りると、足下にミヤマアキノキリンソウガ両脇に咲き乱れている。まるでお花の中を歩いているようだ。下りきってしまうとヒルバオ雪渓だ。もうだいぶ溶けているようで、雪渓の上は歩く必要はなかった。ここは一面のアオノツガザクラが美しい。またまた、雪渓の傍にザックを放り出し休憩タイム。ガスが出てきて、ひんやりとする。もう一人休憩中の人がいる。

ここで雪渓を見に行くと、わりと綺麗な氷が仕入れられそうなので、かき氷店を開店することにした。昨年たけちゃんに仕込まれた、クリーム氷あずきの出番である。みなさまに好評である。よかった、よかった。

ここでまた、先に行くか行かないかということになった。Hさんは、ハクサンコザクラを見られたので引き返してもいいというのでここまでにした。帰りの千蛇ヶ池は雪で閉ざされていて、まだ池の中の蛇は封印されていた。しかし、かなり少なくなっていたので秋には水面が出るかもしれない。そして、のんびりと室堂に向かう。登り返しは、心配していたほどのことはなかった。室堂センターにはけっこう沢山の人がいた。これから一気に下山する人もいて5時のバスに乗ると言うことを話していたが、センターではこの日と次の日は土曜日と日曜日に拘わらす12時までしかバスがないという。どちらが、正しいのか分からない。ここは交通規制の時間帯がややこしいので、前もって調べておいた方が良さそうだ。3年前に行ったときにも日曜日に入ったときに、規制されていてバスに乗って別当出合いまで入ったのに、月曜日下山したら規制が解けていたために別当出合から市ノ瀬までバスがない。工事で入っていた大きなトラックをヒッチハイクして乗せてもらえて助かったということがある。

話は逸れてしまったが、室堂ではYさんがしんどそうなので大休止をとりゆっくりし下山する。帰りは、弥陀ヶ原から黒ボコ岩経由である。弥陀ヶ原はほんとに綺麗。Kさんは何回目かの「帰りたくない!」コール。Kさんは下山するまでにこのコールを何回繰り返したことでしょう。黒ボコも人がいっぱいである。Hさんと岩によじ登り写真を撮ってもらう。ここからの下りが谷筋でお花畑になっている。シモツケソウが綿のようになって、綺麗なピンク色に咲いている。「これはまるで御寿司に入っているのみたいやね」といったら、登ってくる人が「でんぶ」という。そう、まるでその田麩(でんぶ)のよう。それとトリカブトの濃い紫とで色とりどりである。下から、かなりの人が団体で登ってくる。ボーイスカウトらしい。南竜小屋でまた受付をした。(毎日しなくてはならない)帰るとテントの下にみんな板を借りて敷いている。これは明日は雨なのでやっているんだと思い、私たちも水難を恐れて(今までに何回もテントに水が入ってきた経験があるので)板を借りることにした。1枚300円である。ところが期待に反して次の日は晴天だった。

テントに入ったとたん、Yさんは眠ってしまった。そこへ外から「Mさん」と呼ぶ声がする。「今日はMさんは来ていません」とKさんが応えた。名前を聞くと亀岡山の会の湯浅さんである。私は、1999年の岳連の岩登り講習会の時にお世話になった。この日に入山して、18日1時頃起きて御前峰に登り、チブリ尾根を下るという。何という、強行軍。すごいなあ〜、と関心した。Yさんは食事は食べられないというので、私たち3人で食事をすます。昨夜の夕食から何も食べずに爆睡している。明日は、ゆっくり砂防新道を下りようと話し合った。

 

次の18日は、予想に反して天気がいい。Yさんも調子がいいという。お粥を食べられた。チブリ尾根に行けるというので、予定通りのコースで、別山からチブリ尾根を市ノ瀬まで下りることにした。7時頃テントを撤収してテン場を離れようとしていたら、亀岡山の会の人たちも撤収をしていた。声を掛け一足先に行く。テン場を南竜小屋とは反対に行くと綺麗な木道に出た。たしか前に通ったとき(1999年秋)にはこの木道はなかったはず。右に見える油坂の登りは深い緑に覆われて、葛折りにはっきりと見える。Kさんを先頭に登り出す。最後の最後までお花が迎えてくれる。登り切ると油坂の頭である。ここでは、みんなの感嘆の声が次々と聞こえた。雲海に浮かぶ、立山連峰、穂高連峰、乗鞍岳、八が岳、御岳が大パノラマである。剱の三角も、槍の穂先もキレットも肉眼でよく見える。何層にもグラデーションになっている雲海の中から濃い群青色で山々が雲に浮かんでいる。前に通ったときは、ここで御来光を見たが今回はそれに劣らぬ美しさだと思えた。みんなの口からは溜息ばかり。Kさんはやはり帰りたくないを連発している。私も同じ気持ちだ。登ってきた方を見ると、下の方に南竜ヶ馬場。そして、上の方に室堂の赤い屋根が見え、その上に、御前峰が堂々と乗っかっている。どちらを見ても美しい。チブリ尾根のことを思うとそうゆっくりもしていられず、後ろ髪を引かれる思いで先を急ぐ。私たちが出た頃に、亀岡山の会のみなさまが来られた。ここからも多少の登りはあるが、お花の中の快適な稜線歩きである。紫のわりと大きめの花が美しい。これはマツムシソウ。ピンクのトラノオのようなものがいっぱいある。帰ってから調べたが、どうもカライトソウのようだ。

御舎利山と別山のコルで、Yさんは待っているという。3人で別山に向かう。頂上からも大パノラマである。ここで亀岡山の会の人たちと写真を一緒に撮ってもらう。そして恒例の「ヤッホー」である。恥ずかしげもいなくもちろん御前峰でもやってきた。拍手がパラパラ。少し恥ずかしい。

Yさんの待つコルに戻り、いよいよ下山する。チブリ尾根は最初はガレ場の急降下である。Kさんを先頭に進む。下にはチブリ小屋が、これも赤い屋根で見えている。かなり遠い。そこからも大分あるのだ。

ガレ場が終わると樹林帯にはいる。少し歩きやすくなる。シラビソがやはり大きな実をてっぺんにつけて沢山ある。岳樺もある。私たちが小屋に着いたころ、亀岡山の会の人たちは小屋を出発した。私は足の親指のテープを確認するとずれていた。前もってテーピングしておかないと直ぐに水ぶくれや、血豆ができる。

ここからが長く、水場もかなり遠く心細くなっていたが、小屋から少し行ったところに幸運にも水があった。生では飲めないと書いてあるのにコップがあるのは何ででしょう。気にしないで飲んだところ甘くて美味しい水である。この辺からはキノコが沢山ある。食べられそうなのもあるが、誰もキノコに詳しくない。ひたすら、下るといよいよブナの原生林である。ガスが立ちこめてきた。かなりの樹齢と思われる木もある。木肌に苔がついていたり、蔓草のようなものが絡まっていたりする。幻想的な雰囲気だ。そんな鬱蒼とした道をひたすら下るとやっと水場である。少し休憩して、また歩く。本当に長い。Yさんが元気が出てきた。

やっと、ゴールと思えそうな広い道に出た。石のベンチとテーブルが二組置いてあり、先客数人が休んでいた。私たちも休むことにした。市ノ瀬1.5キロの道標がある。この広い道を歩いていくと自動車道に出て一ノ瀬の駐車場の奥の方に出る。幸いにして、ポツリと芝生の上に置かれた私の車の傍に出た。

ついたとたん、芝生の上で大の字である。朝から7時間半の行動。下り続けた4時間20分のチブリ尾根。荷物を担いでのこんなに長い行動は初めてのみんなにとっては大変だったことでしょう。本当にみんなよく頑張りました。特にYさん、しんどいのによう頑張りました。しかし、辛さに代え難い満足感はあったことでしょう。あの油坂で、穂高連峰を見ながら。次はあそこに行きたいといっていた皆さん。じゃんじゃん、これからも山に向かっていってほしいものです。今回の白山は私にとっても、また白山がいい山であるという再認識をさせてくれたとてもいい山行となった。

こうなったら、来年は思い切って縦走をしようかな。

帰りは白山温泉永井旅館の温泉で疲れをいやし、毎回寄っているログハウスのレストラン「ポコ

 ア ポコ」で食事をすませ、何もかも満腹のうちに帰路に就いた。Yさんも食欲は戻っていた。よかった、よかった。

 

☆最後に「ポコ ア ポコ」だが帰りにあまりいいお店が見つからないので毎回寄っているが、この店はけっこう田舎にしては洒落ていて、味は美味しいのだがお店の人がすごい無愛想。今回も、女の子が最初から最後まで無愛想。今時、こんなもんかな。

 

小豆島・吉田の岩場/拇岳(赤いクラック)

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【 題名 】 小豆島・吉田の岩場/拇岳(赤いクラック)

【 期間 】 2002/10/12〜14(土〜月)

【 参加 】吉田の岩場(雪稜6名、他5名)、拇岳/赤いクラック(iku、mizu)他1P、中央ルート他2P

【 山域 】 瀬戸内海/小豆島

【 資料 】吉田の岩場のルート集、日本登山大系10

 

--------------------[ コースタイム ]--------------------

 

10/11(金) 自宅22:15→吹田IC→赤穂IC00:00→日生(ひなせ)00:20・就寝00:40

 

10/12(土) 起床6:20→フェリー乗船7:10(片道¥2000)出発7:40→大部8:30→吉田ビレッジ9:30出発→吉田の岩場→温泉(17:15〜18:00)→買い出し・食事の準備7:15→食事終わり9:30→就寝10:30

 

10/13(日) 起床6:00・出発8:00→車駐車・出発9:00→赤いクラック(10:10〜14:08)→全員終了16:30→懸垂→買い物→温泉8:00→食事→就寝10:00

10/14(月)起床6:00→吉田の岩場→温泉→フェリー16:50→帰宅10:00

【天気】 晴天

 

【食料計画】

12日夕食…鍋

13日夕食…かやくご飯、豚汁、刺身、他

 

--------------------[ 山行記録 ]---------------------------

 12日 吉田の岩場/夕暮れロック(ショットガン5.11b、放流5.8、ラストシーン5.10b)ミザゴロック(10やもん)

13日拇岳/赤いクラック (4時間弱)

14日吉田の岩場/トップロックエリア(野人5.9、下克条.10b)

 

12日 前夜10時過ぎ自宅前まで迎えに来てもらい出発。日生のフェリー乗り場に夜中につく。京都からのO組はすでについてテントを張っておいてくれた。そのまま、すぐに眠る。早朝コンビニで朝食を買い、小豆島に向かうフェリーに乗り込んだ。小豆島はこれで2回目である。2年前に拇岩のダイレクトルートを登っている。その時は1ピッチ目のみトップであとはセカンドだったということもあってとても楽しく登攀できた。

大部からは、道を左に行くと吉田だ。吉田ビレッジという温泉、オートキャンプ場、クライマー用のキャンプ場と設備が整っていて嬉しい。温泉は毎日入れる。吉田ビレッジの真上には吉田の岩場が見える。アプローチは近い。千畳岳も、もう少し上に見える。

吉田ビレッジで概念地図をもらい、早速岩場に向かった。ここはガイドの織田博志さんが、開拓に力を注いで整備をして下さっている。お陰で、素晴らしくたくさんのルートがある。キャンプ場でお会いした織田さんにお聞きしたところによると、もうルートは350本あるそうだ。

13日 

青い空白い雪・西穂高岳

西穂の写真

2002年山行記録TOP

 

【 題名 】 青い空白い雪・西穂高岳

【 期間 】 2002/11/23〜24(土〜日)

【 参加 】 M、NY、K、U、Y、kuma、m、o、A、iku

【 山域 】 北アルプス

【 山名 】 西穂高岳(ピラミッドピークまで往復)

【 形態 】前夜発・西穂山荘テント泊(1泊) ・ロープウェィ使用

【 地図 】 2万5千・笠ヶ岳・穂高岳

【 資料 】日本雪山ルート集(山と渓谷社)

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11/22日(金) 自宅21:30→京都駅22:30→

11/23(土) 新穂高温泉4:00着・仮眠・起床7:00→ロープウェィ8:45発→ロープウェィ「にしほだかぐち」9:25発→10:30着・西穂山荘テン場11:40発→独標13:00→14:25着・ピラミッドピーク14:50発→15:50着・独標16:15発→17:00着・西穂山荘テン場・就寝21:00

11/24(日) 起床6:00→テント撤収・出発9:00→9:25着・ロープウェィ「にしほだかぐち」→西穂駐車場10:30→福地温泉「昔ばなしの里」→帰宅20:30

【天気】晴天

【食料計画】

23日夕食…カレー・ポテトサラダ

24日朝食…たらこパスタ・ポタージュスープ

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快晴の西穂高。空には雲一つ、染み一つない。真っ青な空が広がっていた。雪の白さとは対照的により青く見える。この時期毎年恒例の会山行であるが、年度によって雪の状態が違っている。一昨年の涸沢岳西尾根は全く雪がなく、新穂高の林道を出発したとたんに足の裏に水ぶくれが出来てとても辛い山行となった。西尾根も雪が付いていないと、単なる藪こぎである。プラブーツの足には酷な山行であった。

地上は晩秋のこの時期の山は厳冬期の厳しさがなく、それでいて雪山の美しさが味わえるとても良い季節なのである。だから私は、今までも進んで参加してきた。

 

じつは、今年は早いうちからかなり冷え込み、山は大雪になっているという情報が入っていた。遭難のニュースもあったりして、そのために私は天気が異常なほど気になっていた。一週間前から天気予報はもちろん積雪情報をネットで調べたりしていた。ホシダで会ったK山岳会の人が、2週間ほど前の穂高に入ったときの困難な状況を話し、八ヶ岳に転進したといっていたのと、週末の天気がネット上で最初悪かったのとで、かなり心配していた。しかし、週末間際になると天気予報は一変して晴れになった。しかし出発の前日、念のために西穂山荘に電話を入れてみた。今までずっと曇か雪でその日も雪が舞って風もあり、独標から先に人が入った形跡はまだないという話であった。

なぜか今回は当日まで天気のことが気になって仕方がなかった。こんな心配性を、あざ笑うかのように、天気は私の予想を外してしまった。この呆れるほどの晴天に私は気が抜けてしまった。しかし本当のところラッキーだった。山は天気次第だとつくづく思った。

特に冬山は、天気が良ければ寛大になるが、天気が悪いと厳しくなる。いつもいつも、こんなに温かく迎えてくれるとは限らない。その分、この希少価値の眺めをいつまでも心に残しておきたい。

 

今回は総勢16名という大所帯の山行である。そのうちの6名は縦走組で西穂〜奥穂〜涸沢岳〜涸沢岳西尾根というコースで、われわれ西穂ピストン組10名とは最初から別行動となった。

京都駅にいつも通りの集合。二台の車に別れて出発。ロープウェィの始発は8時半。もう少し始発は早いほうが助かるがしかたがない。その分仮眠は充分とれた。私は切符購入のために8時前に行ったがすでに人は並びはじめていた。みんなが到着したときにはすでに長い列が出来ていて、5分おきの臨時が出ていたものの、乗れたのは8時45分だった。

乗り換えの2階建てロープウェィはかなりの速度で高度を上げていく。周りの雪を被った山々が目に入るたびに、観光客からは「ウォ〜」とどよめきが聞こえる。周りの景色を見ていると当然だ。本当に素晴らしい。私もこの快晴の中、高度があがるにつけて期待に胸が膨らんでいく。ひときわ印象に残ったのは、今年中に左方カンテに登りたかったのに行けなかった、錫杖の勇姿である。もうかなり、雪が付いている。向かって右の方に雪が詰まっているルンゼが見えるが、あれは前に登った3ルンゼであろうか…。そんなことに思いを馳せているうちに「にしほだかぐち」に到着。人混みと一緒に外に押し流されていた。一面の雪景色。ここは真冬であった。先のロープウェィで出発した縦走組がいたがここでお別れとなる。

縦走組に少し遅れ、われわれも西穂山荘のテン場を目指した。樹林帯の間から見える穂高の稜線に、感激した。槍の穂先も見える。真っ青な空に、そこだけ灰色に真っ白な稜線から突き出ている。富士山と一緒であきらかにそれと分かる姿は誰をも引きつけるようだ。人は槍や富士山などの山を目で追い、見つかるとどんなに小さくとも感嘆の声が湧く。不思議な現象だ。

最後の急登が長く、私は疲れた。テン場の雪は、フカフカだ。着くと早速整地を始める。上の方に先に行った縦走組みが見え目で送る。私たちもテント設営を済ませ西穂に向かって出発。11時頃には出られるかと思っていたが、すでにもう昼前になっていた。独標まではなだらかな登りである。夏道は這松と大きな石で結構歩きにくいが、雪で快適に歩ける。写真を撮りながらのんびりと歩く。ときどき振り返ると後に焼岳が見え、どんどん下になる。その向こうには、乗鞍岳が墨絵のように美しい。左は白く塗られた笠の稜線。右は梓川の上にそそり立つ霞沢岳。雪稜に入会まもなくのころ、新島島から徳本峠を経て、霞沢岳に登ったのを思い出した。こちらから見ると、こんなにも大きい山なのだと、雪を被った霞沢岳を見ながら思った。

もっと、遠くにはいく重にも折り重なった墨絵のグラデーションの山々。これらはもう一服の絵としての鑑賞だけの存在価値で十分であろう。登るに連れて、視界も広がっていく。

独標の最後の登りは岩稜である。ここまでは、けっこう沢山の人が入っていて、狭い頂は混んでいた。2000年の夏に西穂から奥穂に縦走したときのことを思い出した。その時はガスで視界があまりなく、ここでオコジョがひょっこり顔を出し、愛嬌のある表情で愛想を振りまいてくれたのを思い出した。もっと前の夏、西穂をピストンしたときは真夏の青空。今回の青空とはまた違う。風景も印象も、それぞれ違う。山は何回来ても違った表情で向かえてくれる。だから飽きないのだろう。

ここから先は、岩稜歩きでクライミングの要素が必要になってくる。前に来たときの記憶は飛んでしまっている。「へぇー、こんなとこやったんや」と思うほど高度感のあるところもある。岩に雪が付いていると、やはりいやらしい。やっぱり、フリーをやっていて良かったと思う瞬間でもある。お陰で岩場は楽になった。

次はあきらかに三角形の形をしたピラミッドピークを目指す。ここは、独標よりは少し狭い。前方まだまだ遠くに西穂が見え、そこから奥穂・吊り尾根・前穂・明神岳と続いている。記念写真を撮ったりして、のんびり過ごす。時間は午後2時半。リーダーの判断で、西穂ピストンは諦めて引き返すことになる。時間的には仕方がないと、私も思う。この展望でかなりの満腹感を味わっていた私に不足はない。

元の、道を引き返す。徐々に夕日に照らされた展望も二度美味しい。夕日に染まる山々。真っ赤な太陽。降りるにつれて、変化していく風景に私は酔いしれていた。そして、太陽が沈んだあとの静寂に、一変して寂しさを感じる。

もう、ほとんど山荘に近くなっていたが、薄暗い中に雷鳥が1羽じっとしている。冬毛で真っ白。近づいても逃げない。充分写真を撮らせてくれた。私は冬羽の雷鳥は初めて見たので感動した。あんなにも見事に自然の色彩に換羽する雷鳥に自然の不思議を思う。人間もふくめて生物は大きな大自然に抱かれて生かされていることを、つくづく感じてしまった。

テントに戻り、夕食の準備に掛かる。水作りから始まる冬の食事はどうしても遅くなる。大きな鍋いっぱいのカレーが、綺麗になくなる。心身共に満腹感でいっぱいになる。

朝になるともう帰るのだと思うと残念だ。折角重い荷物をもって登ってきたのだからもう少しいたい気持ちもするが、仕方がない。また来たいと思う。