であい

イスラエル!

 いつも「いけがめ。」をご覧になられている皆様はご存じのことと思うけど、弊サイトは文章+写真、という構成で進行されるのが慣習となっている。そうは言っても必ずしも文章にふさわしい写真が掲載されているわけでもないし、同様に、原則写真についての解説文を記載するものでもない。まあ、こういう事を言ってしまうと、毎回更新を楽しみにされているような方には申し訳ないのだけど、あらかじめ撮りだめした写真を、矛盾のない範囲で選択してコラムに貼り付けているのが現実なのである。だって、アルさんを見かけることは稀なわけだし、あまつさえ私が日中家にいることが少ないのだから、少ない機会に可能な限りの写真をストックして適宜使用するしか方法がない。ちなみに弊サイトの更新は、脱稿していつでも掲載できる状態の原稿が少なくとも2本以上手元に残る状態で上梓するから、掲載されている内容は更新時よりだいたい3週間から6週間ほど前の事件ということになります。

 どうも話が遠回りになってしまっていけません。今回は、一枚の写真に端を発する事件です。かわいい子ガメが登場しますから、お子さんと一緒にご覧頂いている方、どうか安心して読み進めてください。やっぱり考えすぎだろうな。

 実は今回の更新に当たってストックした写真をチェックしていたところ、撮影したときには全く気がつかなかったのだけど、池を覗くアルさんの視線の先に子ガメが1匹、浮かんでいるのを発見したのである。もちろん、もともと私はアルさんの存在にも気づかなかったほどだから、この子ガメがいたことなぞ知る由もなく、また写真に気づいた後も、しばらく注意して池を覗いてもその存在を確認することはできなかった。

 誰でも考えることだろうが、ここで私もはじめはアルさんの産んだ子だろうと思って、それは大変喜ばしいことだと気を良くしていたのだけど、その後写真をよくよく解析するに、どうやら子ガメはアルさんと違う種類の、一般に言うミドリガメらしいことが分かった。となると、アルさん同様、子ガメもどこかからこの池にやってきたことになる。

 実は先日の水漏れ騒動の際、いい機会だから池をくまなく検分したところ、私の知っているオーバーフロー式の排水口とは別に、渡り廊下のちょうど真下辺りにやはり似たようなパイプが口を開けていることを発見していた。私が唯一だと思っていた排水口の方は、あふれた水がどこに流れていくのか実際に目で見て知っているのだけど、今般新たに発見した方は、私の住んでいる建物の真下を横切る形になっている事は推測できても、その先、どこに通じているか見当つかない。それに、よくよく観察すると、このパイプの口は、既知の排水口より明らかに高い位置に作りつけられているのだから、そもそも排水の便に供されるものなのかさえ甚だ疑わしい。長じて、パイプの周辺は泥が流れ出したような痕跡をとどめており、状況証拠はこのパイプが池への給水のために備えられたことを物語っているのである。
 以前、私が自分で池の手入れをした際、隅の物陰にバラバラになったザリガニの死骸を見つけたことがあって、アルさんが食べたことは容易に考えついたけど、果たしてザリガニがどうやって池に入ったのか分からなかった。カメならともかく、ザリガニが陸を歩いてやってくるとは考えられないから、それで、確証はないまま、この池は実はどこかに通じているのかも知れないと思うようになったのだけど、そんな様子だからザリガニより小さい子ガメが流れ着くことはそうそう不思議なことでもなかったのである。
ミドリガメ
 ともかく一枚の写真から、我が家の池には、少なくとも一時期、ミドリガメがいたことがはっきりしたのである。しかしだからと言って、別に今さら驚くこともなかった。驚きはしなかったのだが、賛否はともかくやはり外来種を野放しにするという負い目はあるわけで、我が家のようなあやふやな環境にいるのを黙認するのも、気が引けないこともない。だからといって、私だっているかいないかもはっきりしないような子ガメを探して、池の中をざぶざぶ歩き回るほど酔狂ではないし、だいいちそういう行為はアルさんが非常に嫌がる。それに、仮に居場所を突き止めて私が捕獲したところで、その後の計画というものがまるでないのである。私は、けっしてカメが嫌いだと言っているのではないのだけど、しかし望んで迎えたわけでもない子ガメのために、水槽やらヒーターやら紫外線を放射するライトやらを揃えて、毎日水を替えて面倒見ろと、そこまで要求するのは酷というものであろう。

 その後しばらく、ほとんどこの子ガメのことを気にすることもなく時間が経っていった。その間私がしたことと言えば、もう池にいないかも知れない子ガメのために名前を付けたことだけだった。
 「星の王子様」で有名なサン=テグジュペリによる著書の一節に、耳の赤い「イスラエル」というニックネームのユダヤ人が登場する件(くだり)があった。結論から言えばそれは私の記憶違いで、「イスラエル」が赤いのは耳ではなく鼻なのだが、それに気づいたのは本稿の掲載にあたって確認のため再読した際であり、名付けたときは耳だと思っていたのである。だから、世間でミドリガメと呼ばれる「アカミミガメ」にはふさわしいと思い違いをして、この子ガメをイスラエルと名付けたのである。勘違いではあったのだが、アルさんの名前の元になったアルバート=アインシュタイン博士もそういえばユダヤ人だから、何となく不思議な巡り合わせを、ずいぶん後になって感じた。

 それからさらに半月ほど経って、その間、私はイスラエルというその名を口にすることもなく、すっかり一連の事件も忘れかけていたのだが、ある日建物から池を覗いた折、ふわふわ漂うアルさんの食べ残しに、小さな生き物が必死にしがみついているのを見つけた。私はそのとき、初めてイスラエルの姿を見ることができたのである。イスラエルは、やがて私の存在に気づくとあわてて池の底に逃げ込んで、沈んだ落ち葉の陰に身を隠してしまった。それでも、甲羅の鮮やかな緑色はしっかり確認できたし、その大きさから、イスラエルがおそらく今年産まれた子ガメであることも推測できた。

 アルさんの写真に子ガメが写ってからだいぶ経つけれど、その間イスラエルはずっと池にいたのだろう。だからおそらく、これからも居続けるのだろうと、なんとなくそう思っている。イスラエルは相変わらず臆病で、めったに姿を見せないけれど、それでも時々、小さい甲羅を陽に当てているところを見かけたりするようになった。そのたびに、みどりいろの甲羅がすこし大きくなったように感じるのだけど、それは私の思い過ごしだろう。(九月上)

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